ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

おかげさまです

2008-05-30 09:30:39 | 松川先生のお話

 「もったいない」という表現が、日本語にしかない表現として世界で注目されたというニュースがあったが、日本語にはなかなか良い独特の表現が他にもいろいろあると思う。

 たとえば「おかげさま」。この言葉が私は好きだ。

 ただ、ある人がこの「おかげさま」という言葉を、卑屈な感じがすると言っていたのを聴いたことがある。どうして卑屈と感じるのか。それは慢心が強いからだろう。あるいは、意味を取り違えているからかもしれない。

 これはぜんぜん卑屈な意味などではないと思う。謙虚さと卑屈さは全く意味が違うから。

 辞書的な正確な意味の由来は私は知らないが、私自身はこの「おかげさま」には、二つの意味があると思う。


「最近調子はどうですか?」
「おかげさまで」

「合格してよかったですね」
「おかげさまで」

「無事でよかったですね」
「おかげさまで」

 このような形で「おかげさま」は使われると思うが、その一つの意味は、「あなたの陰の力添えがあったから、わたしはそのようになれたのですよ」という意味があると思う。
 いや、それは、合格とか、無事とか、相手には全く関係ないじゃないかというかもしれない。
 そうではない。あらゆる意味で、この世のすべての存在は、影響を与え合っているのだ。もちろんそれは、良い影響も、悪い影響も与え合っている。しかし一つの真理として、相手から来る悪い影響を考えたり責めたりしても、それは自分のためにならない。そうではなく、少しでも相手からの良い影響があるならば、それを感謝するのだ。「あなたの陰の力添えがあったからですよ」と。
 いったいどんな良い影響があったのか。それはわかるに越したことはないが、わからなくてもいいのだ。「すべての人を自分の師と見る」という言葉があるが、同じように、「すべての人を自分の恩人と見る」のだ。それは真理であり、その実践者自身に大きな恩恵を与えるだろう。

 さて、「おかげさま」のもう一つの意味は、周りの人々というよりも、この宇宙に偏在する絶対的な神的存在への感謝という意味があると思う。つまりこれはバクティ・ヨーガ的な考え方だ。「すべては神の祝福です」という意味だ。この宇宙の陰には、見えない存在として、絶対的な神の愛がある。私はどんなときもその愛の恩恵に浴しているのだ、という絶対的な信頼と感謝と安心感だ。

 さて、この文章も、特にいろいろ思索したわけではなく、ふと思いついてサーッと書いた。これも神のおかげであり、また皆さんのおかげです。私もこれによって恩恵を得た。感謝いたします。
コメント

ラヒリ・マハーシャヤ(2)

2008-05-30 08:57:38 | 聖者の生涯


(2)教育と家族生活


 ゴウルモハンの祖先は皆宗教を重んじる家系で、彼らはしばしば巡礼に出かけていました。しかし巡礼に出かけるにも当時インドには鉄道もなく、徒歩か船で行かねばなりませんでした。そのため盗賊にあう心配もあり、巡礼は今日ほど容易ではなかったのです。

 ゴウルモハンはカーシー(現在のヴァラナシ)にも数回巡礼に出かけており、カーシーは彼にとってはなじみの場所でした。

 彼はグルニ村で暮らしていましたが、あるときから、家族と共にカーシーに移り住むことにしました。
 なぜ彼がカーシーに住まいを移したかについてはいくつかの説がありますが、シャーマ・チャランが5歳の時、ゴウルモハンの2度目の妻のムクタケーシ・デーヴィーが他界したことが、おそらく第一の理由でしょう。このことでゴウルモハンは家庭生活に無気力になったのではないかと思われます。
 二番目の理由は、ゴウルモハンの強い宗教心により、以前から巡礼地として親しみ深い場所だったカーシーを永住の地に選んだという理由です。
 三番目の理由として、ラヒリ家に財政上の問題が起きたことが知られています。彼らの家はカレイ川の川岸に建てられていたのですが、あるとき大洪水により倒壊し、所有していた多くの土地もこの洪水で一緒に失ってしまったのです。
 この事実から、ゴウルモハンがカーシーに移り住んだのは主に財政上の問題からだという意見がありましたが、それは正しくありません。なぜなら、このような災害にあったとしても、先祖から住んでいる土地を捨てることは普通はないからです。また、ゴウルモハンはまだそこに土地を持っており、この州に自分の家を再建することもできたのですから。
 したがって、最初にあげたように、妻の死がゴウルモハンの宗教への渇望をいっそう強め、以前から巡礼地としてなじみ深かったカーシーに移り住んだと考えるのが妥当であると思われます。


 ともかく理由は何であれ、ゴウルモハンは息子と娘たちと共にカーシーに移り住みました。長男のチャンドラカンタが、マダンプラ地方のシモン・チャウハッタに家を一軒購入していたので、皆でこの家に住むことになったのでした。

 グルニ村での洪水のとき、ゴウルモハンが所有していた土地と共に、彼が建立した寺院も倒壊し、まつられていたシヴァ神の像も川底に沈んでしまいました。しかし1840年に、信者のひとりがその川底からシヴァ神の像をすくい上げ、それを新しく建てられた寺院に祀りました。この神像は水からすくい上げられたので「ジャレーシュヴァラ(水のシヴァ神)」と名付けられました。この地方は現在グルニ村のシブタラとして知られ、公有地となっています。



 シャーマ・チャランが5歳になったころから、ゴウルモハンは彼の教育について考え始めました。ゴウルモハン自身が学者であったため、教育を重要視していたのです。
 当時、保守的な考えでは、英語などの外国語は最下層民の言葉とされていましたが、ゴウルモハンには保守的な考えはなく、シャーマ・チャランを「ジョイ・ナーラーヤン・イングリッシュ・スクール」に入学させました。ゴウルモハンが多くの土地を失ってしまったために、息子には収入に結びつく教育がふさわしいと考えたのでした。当時、英語教育を受けた者は、容易に仕事につくことができたのです。

 12歳になると、シャーマ・チャランは国立サンスクリット・カレッジの分校の中等学校に進みました。後にこの国立イングリッシュ・スクールは大学となり、彼は1848年までの8年間をここで学びました。
 シャーマ・チャランは後に非常に多くの生徒を教える仕事をしたことから、高い教育を受けていたことが推察されます。英語、ベンガル語、ヒンドゥー語、ウルドゥ語の他に、ペルシャ語も学んでいました。その上、聖典語であるサンスクリット語も学び、ヴェーダ、ウパニシャッド等などの聖典に精通しました。

 1846年、シャーマ・チャランは18歳で結婚しました。
 ゴウルモハンのようにカーシーに移り住んだベンガル人達の中に、西ベンガルのハウラー地方ベルルの学者であるヴァチャスパティ・デープナーラーヤン・サンニャル・マハーシャヤがいました。彼は敬虔なブラーミンで、カーシーの博学な人たちの集まる会に入っており、とても有名でした。
 また、この当時のカーシーの有名な聖者トライランガ・スワーミーは、デープナーラーヤン家からの施しだけは受け取ったとも言われています。
 ヴァチャスパティはゴウルモハンと親交がありました。彼はゴウルモハンの住まいの近くであるカリシュプラ区に住んでいたため、しばしばゴウルモハンの家を訪れ、聖典について論議していました。
 ヴァチャスパティは妻を亡くしてから一人で三人の息子と一人の娘カシ・モニを育てていました。カシ・モニは父に連れられてよくゴウルモハンの家を訪ねて遊んでいました。そこに集まった女性達から、冗談で「あなたは誰と結婚するの?」と尋ねられると、彼女はいつもハンサムなシャーマ・チャランを指さしていました。そして実際にカシ・モニ9歳のとき、18歳のシャーマ・チャランと結婚することになったのでした。

 シャーマ・チャランは均整のとれた肉体を持ち、運動競技に優れ、水泳も達者でした。彼は生来まじめで威厳があり、同年代の人たちと無駄話をするようなことは一度もありませんでした。彼はどんな行ないでも一切間違ったことはせず、全ての点で鋭い判断力を持っていました。食べ物に関しても、出されなかったらそれを要求するようなことは一度もありませんでした。

 1851年、23歳になろうというとき、シャーマ・チャランはガジプールのイギリス政府の陸軍技術省の会計官に任命されました。当時この陸軍技術省の仕事は、軍に必要な物資を送り、道路を作ることでした。後に彼は、ミルジャプール、ブザル、カトゥア、ゴーラクプール、ダナプール、ラニケート、カーシーなど、いろいろな場所で仕事をしなければなりませんでした。彼が仕事をした最後の期間は、兵営長の地位まで昇りました。

 ガジプールでの任務期間中、彼の給与は充分ではなかったため、英国軍人たち数人にヒンドゥー語やウルドゥ語を教えて副収入としていました。彼はこのわずかな副収入を自分の小遣いにして、給与は家計のためにカーシーに送っていました。
 1852年、ガジプールのオフィスがカーシーに移ったため、シャーマ・チャランはカーシーに転勤してきました。そしてその年の5月31日、彼の父親ゴウルモハンが亡くなりました。
 父親が亡くなると、兄弟間での争いが勃発しました。普通の家庭に起こるような親族間の争いが、シャーマ・チャランにも襲ってたのです。しかし彼は細心の注意を払って家族を守ることを誓い、親族間での争いは短期間で収束しました。
 また、彼の家族の生計はシャーマ・チャランの充分とはいえない収入に頼っていました。彼の家族はこの弱い収入基盤によって維持されていたのです。
 これらの経験は何を意味するのでしょうか? 人々を救う特別な魂として生まれてきたシャーマ・チャランは、あえてこのような普通の人が経験する苦難を経験し、正しく乗り越えることによって、人々に道を示したのです。また、このような貧しい生活の中でも、人は徐々に人生を組み立てていき、修行を進めていくことができるということを、身をもって人々に示したのです。
 「バガヴァッド・ギーター」においても、クリシュナはアルジュナにこうアドヴァイスしています。

「ジャナカ王のような人たちも、義務の遂行によって完成の域に達した。
 ゆえに、世の人々に手本を示すため、君も自分のなすべき行為を立派に行ないなさい。
 何事であろうと偉人の行為を、一般の人々は真似るものだ。
 ゆえに、指導者的立場の者が模範を示せば、世のすべての人々はそれに追従するであろう。
 プリター妃の息子よ! 私には、三界においてしなければならぬことなど何もない。
 何の不足もなく、何も得る必要がないのに、それでもなお私は活動している。
 なぜなら、もしも私が真剣に活動しなかったならば、人類も私に見習って、誰も活動しなくなってしまうからだ。プリター妃の息子よ!
 私が活動をやめたならば、世界はやがて破滅するだろうし、望ましくない不純な人々を増やし、人々を滅ぼすこととなってしまうだろう。」

 シャーマ・チャランも、あえて家庭人として普通の人が陥るような苦難や貧しさの中に身を置き、その中において真理の道を確立していくことで、人々に模範を示す道をとったのです。


  

 1863年、奇しくもバガヴァーン・ジャガンナートの誕生日に、シャーマ・チャランの長男ティンコーリ・ラヒリ・マハーシャヤが生まれました。妻のカシ・モニ・デーヴィーは非常に静かで慈悲深く、賢く家事をこなしていました。厳しい家計の事情にもかかわらず、彼女は素晴らしい忍耐力で家事を処理しました。彼女の確かな判断力と堅実な家計のやりくりのお陰で、夫の僅かな収入からお金が貯められ、そのお金で1864年にはガルデースワ・モーハラに家を買うことができ、一家はそこに住み始めました。
 1865年のカー・フェスティバルの日、彼らの二人目の息子、ドコーリ・ラヒリ・マハーシャヤが生まれました。次にこの同じ家で彼らの長女ハリマティーが1868年に、次女ハリカミニーが1870年に、末娘ハリモーヒニーが1873年に生まれました。

 カシ・モニ・デーヴィーはかいがいしく働き、朝は早くからやって来る乞食に施しを与えました。夫の収入が少なかったので、自分の手で家事全てをこなしました。客人がしばしば家を訪れましたが、彼らが充分満足するよう自ら料理した食事をふるまいました。
 その当時のインドの女性達は「女性が勉学に熱心になると、来世では堕落した女になる」という誤った認識を持っていたため、カシ・モニ・デーヴィーも最初、勉強することをひどく嫌がっていました。しかし夫のシャーマ・チャランが勉強が好きだったため、彼は妻にも自らいくつかの科目を教えました。こうしてカシ・モニ・デーヴィーはいくらかの学を身につけ、聖典も独力で読めるようになりました。
 カシ・モニ・デーヴィーは、夫から手ほどきを受けたヨーガの修行法を訓練し、ついにはヨーガ修行の極地に達しました。そして1930年、彼女は93歳で、意識があるままこの世を去りました。

 シャーマ・チャランは常に物事を正確に行ない、勤勉でした。日中はずっと事務所で働き、副業として個人教師も行ない、家人としての責任を果たしながらも、様々な社会福祉活動にも関わっていました。バンガリトーラ・ハイスクールが作られたのは、彼の尽力と、当時のカーシーの名士の協力によるものでした。
 彼が疲れを知らなかったのは、彼の勤勉な性格と、堅い決意により実行された厳格なヨーガ修行のお陰でした。彼は、ヨーガ修行を強い決意で行なえば、家庭人であっても精神的な偉業が得られる、ということを人類に模範として示したのでした。

 バンガリトーラ・ハイスクールが設立されると、シャーマ・チャランはその創立者の長となり、生涯その役目を遂行しました。彼が望んだのは、だれもが教育を受けられ、安定した生活がおくれるようになることでした。彼は学校を作るためのあらゆる努力を惜しまなかっただけでなく、生徒たちが正しい教育を受けているかどうか、学校の備品は正しく管理されているかどうかなどの監視も行なっていました。彼は前触れなく学校を訪れ、先生達が彼らの義務を完全に遂行しているかどうかを監視しました。

 当時、インドにおいて、女性の教育は一般的ではありませんでした。しかしシャーマ・チャランは女性の教育の必要性を説いてまわり、何人かの著名人の援助を得て、女学校を設立しました。しかし保護者達の多くが娘達を学校にやるのを嫌がったため、その学校は結局閉鎖となってしまいました。

 1864年3月、シャーマ・チャランは、ネパールのマハーラージャの4番目の王子、ナレーンドレー・クリシュナ・シャ・アリアス・カラノーの家庭教師に指名され、1866年3月4日には再びネパールの女王に同じ仕事を命じられました。

 ラムモーハン・デーイはカーシーの有力な法律家で、シャーマ・チャランが最も親密にしていた家族でした。5人兄弟とひとりの姉妹マンモーヒ二ーがいましたが、彼らの父親は彼らが幼い時に他界していました。彼らの教育と成長に関して、シャーマ・チャランは多大な援助を与えました。
 至高の魂の恩寵は、大きな影響を現わすものです。後にラムモーハンは法律専門家としてかなりの収入を得るようになり、その息子のタラモーハンもカーシーの名高い法律家になりました。また、義理の息子のドクター・S・C・デーヴは、アラハバード大学の英語学部長になりました。彼はまた、高名な文学者であり、哲学者でもありました。
 彼の兄弟と姉妹は全員シャーマ・チャランからクリヤー・ヨーガのイニシエーションを受けていました。彼らはよく次のように述べていた。
「私たちは、両親からも得られないような深い愛を、グルから頂いたのです。」


コメント

ラヒリ・マハーシャヤ(1)

2008-05-30 08:56:48 | 聖者の生涯

(1)崇高なる光臨



 「来なさい、シャーマ・チャラン。」

――その声は山の中に、そしてシャーマ・チャランの耳の中に反響し、彼を驚かせました。

 「森林に包まれたこの山の中で、自分の名前を呼ぶのは誰なのか? しかも、なぜ私の名前を知っているのか?」――シャーマ・チャランがこのようにいぶかしんで周りを見渡すと、山頂に立って彼の名前を呼んでいる一人の修行者を見つけました。

 「あの見知らぬ修行者が私の名を呼んでいるのは、何かの間違いだろうか?」
 シャーマ・チャランはこのように疑いつつも、何か心ひかれる思いで、その修行者のもとへと歩いて向かいました。

 シャーマ・チャランが山頂に到着すると、その修行者は穏やかな微笑を浮かべて、手招きをしていました。その修行者は、まるで父親のような愛情を感じさせる目をしていました。
 その修行者は、まるで長い不在から帰ってきた息子を迎える父のような、意気揚々とした様子で、シャーマ・チャランを暖かく歓迎しました。

 「シャーマ・チャラン。君は何を驚いているのかな? 君は私のことを覚えていますか? 君が以前にここに来たことを覚えているかな? このトラの皮の敷物や、托鉢の鉢なども、君はすべて忘れてしまいましたか?」

 シャーマ・チャランは、そのようなことは記憶になく、その修行者に言いました。
「私は、ここに来るのは初めてですけど……」

 「聞きなさい、シャーマ・チャラン。すべてはマーヤーの仕業だ。マーヤーの力が、お前にすべてを忘れさせたのだ。」
 こう言うと、その修行者は、シャーマ・チャランの体に軽く手を触れました。
 するとその瞬間、シャーマ・チャランは、世界がすべて消えてなくなったかのような感覚に襲われました。そして彼の中に、前世の記憶と、今生この世に生まれてきたときの記憶がよみがえってきたのです。

 すべてを思い出したシャーマ・チャランは、目に涙を浮かべて、修行者の足元に平伏しました。


―――――――――――――――――――――――――








 シャーマ・チャランは、ベンガル暦1235年、暗い二週間の16日目(西暦1828年9月30日)、火曜日の朝の8時27分47秒、インド・西ベンガルのナディア地区にあるグルニという村で生まれました。

 父はゴウルモハン・ラヒリといいました。母はムクタケーシ・デーヴィーといい、ゴウルモハンの二番目の妻でした。

 ゴウルモハンと最初の妻との間には、チャンドラカンタとサラダプラサドという二人の息子と、スワルノーモーイーという娘がいました。この最初の妻は、巡礼の旅の途中で亡くなってしまったのでした。

 シャーマ・チャランが生まれた五年後、ムクタケーシ・デーヴィーは、スラクシャナという娘を産みました。

 ということで、ゴウルモハン・ラヒリは、三人の息子と二人の娘を授かったのでした。



 シャーマ・チャランが生まれたナディア地区は、過去に多くの聖者によって祝福された地でした。この神聖な土地に、人々に真理への道を指し示す神の子は、現実世界の苦しみに悩む人々を救うために、シャーマ・チャランとして光臨したのでした。

 シャーマ・チャランはあまりに神々しい、輝くような顔をしていたため、近所の主婦たちが、この神の子を見るためにラヒリ家に集まりました。こうしてグルニの村は喜びと祝福に包まれていました。そしてシャーマ・チャランは、生まれたときから、みなの幸福を願っていました。


 ゴウルモハンは、徳が高く、敬虔で、信心深い人でした。彼は日々、供養を行なったり、経典を学習したり、真理について議論したりしていました。彼はまた、ヨーガのサーダナー(成就法)の熱心な実践者でもありました。そして彼はすべての神と女神に、誠実な尊敬心を持っていました。

 ムクタケーシ・デーヴィーもまた誠実な神の信者で、シヴァ神を崇拝・献身の対象としていました。彼女は毎朝シヴァ神への崇拝の儀式を終えるまでは、決して朝食をとらないのでした。
 また彼女は非常に情け深く、気立ての良い女性でした。どんな人物であれ、やってきた物乞いには、持っているものは何でも差し出すのでした。
 こういう女性でしたから、ムクタケーシ・デーヴィーは、近所のすべての女性たちから尊敬されていました。

 神の子・シャーマ・チャランは、このような両親のもとに生まれたのでした。

 そのころ、神や女神にちなんで子供に名前をつける風習がありました。それは、人々が子供の名前を呼ぶことによって、同時に神の名を呼ぶことにもなり、神を常に忘れないでいられるようにという思いからでした。そしてシャーマという呼び名も、神にちなんでつけられた呼び名でした(シャーマは、至高主クリシュナやカーリー女神の異名でもある)。

 
 シャーマ・チャランは徐々に成長していきました。
 シヴァ神は、ラヒリ家の守り神でした。シヴァ神の寺院は、家のすぐ隣にありました。母のムクタケーシ・デーヴィーは、時々シヴァ寺院にシャーマ・チャランを連れて行き、一心不乱にシヴァ神に礼拝をしていました。その間、シャーマ・チャランはちょこんと座って、ずっと目を閉じており、まるで彼自身がシヴァ神そのもののようでした。

 また、ムクタケーシ・デーヴィーは、時々シャーマ・チャランを川岸の砂地の上に座らせたまま、自分の仕事をこなしていました。するとシャーマ・チャランは、まるでシヴァ神が灰を身体に塗りつけるように、砂を自分の身体に塗りつけ、そしてまるで瞑想するように、座って目をつぶるのでした。

 子供に特有のあつかましさ、傲慢さなどは、シャーマ・チャランには全く見受けられませんでした。代わりに、ストイックに一人思索にふけっている様子がよく見受けられました。まるでそれは、絶対者との合一を達成しようとする修行者のような表情でした。

 こういったシャーマ・チャランの変わった態度やしぐさを見ることで、多くの人々が、この子は普通の子供ではないと考えていました。


 
 ある日、ムクタケーシ・デーヴィーはシヴァ寺院で、シヴァの瞑想に深く没入していました。そしてそのすぐ横には、シャーマ・チャランが、まるで母親を真似るように、目をつぶって、瞑想の姿勢で座っていました。
 そのとき突然、もつれた髪に大きな体で顔立ちのよい修行者が寺院の前にやってきて、ムクタケーシ・デーヴィーに「お母さん」と話しかけました。ムクタケーシ・デーヴィーは驚き、とっさにシャーマ・チャランを自分のひざの上に抱き上げました。

 すると、その修行者は言いました。
「お母さん、恐れないでください。私は修行者です。私のことを恐れる理由は何もありません。」

 そう言われても、ムクタケーシ・デーヴィーはまだ恐怖に圧倒されたままで、立ち上がりました。

 修行者は続けて言いました。
「あなたの息子さんは、普通の人間の子供ではありません。家庭生活で苦しむ無数の人々に成就の道筋を指し示すために、彼をこの地上に送ったのは、この私なのです。
 この子は、家庭を捨てることなく、ヨーガの道を成就するでしょう。お母さん、心配しないでください。私は影のように、常に彼を見守っています。」

 こう言うと、その修行者は、静かに立ち去ったのでした。

 

コメント

不二一元の智慧

2008-05-27 17:09:51 | 経典の言葉・聖者の言葉



 まことにイーシュヴァラ(自在主、シヴァ神)のご慈悲により
 人は不二一元の智慧を悟りうる
 ついにその者は解放されよう
 生と死というこの大恐怖より

 形あるこの世のすべてのものは
 それは真我、真我にほかならない
 いかにして私は自分を礼拝できよう
 シヴァだけが区別されぬすべてなら

 宇宙は真我に他ならない
 区別も非区別も、そこにはない
 それは存在するとさえいえようか
 私は驚きの目で見るばかりなのだ

 最高の真実とは何だろう
 最高の智慧とは何だろう
 「私は真我、姿なき唯一者。本質により、すべてに遍在する」
 ――これが、それなのだ

 まことに私は唯一者、これらのすべて
 区別されることなく、形をも超えている
 顕現すると、また顕現せぬと
 どうして自分である真我を、そう見なせようか

 あなたもまた唯一者、どうしてそれを理解しない
 あなたは不変なるもの、すべてに等しくあらわれている
 制限されることない、遍満せる輝き
 どうして昼と夜の区別があるだろう

 真我は永遠なものと、そのように知れ
 すべてにおける唯一のもので、区別されない
 私は瞑想者であり、かつ瞑想の対象
 どうして唯一のものに二つがあるだろう

 誕生と死は、あなたにはない
 身体そのものも、あなたにはない
 「すべてはブラフマンである」
 ――聖典はさまざまにこれを宣言する



 (「アヴァドゥータ・ギーター」より)
コメント

ナーグ・マハーシャヤ(3)

2008-05-22 13:15:00 | 聖者の生涯

 ナーグはこうして父親の希望通りに再婚しました。これによって、ナーグが長年抱いていた、「家庭生活のわずらわしさを離れ、生涯を精神的な修行に捧げたい」という願いは消え、これからは家庭のために稼がなければならないという思いが、彼の心に浮かびました。しかしナーグはどうしても人の下で働くことができない姓格だったので、医者という職業を選んだのでした。結婚式の後、妻はまだ幼かったので故郷に置いたまま、ナーグは父親とともに再びカルカッタに帰り、すぐに開業しました。

 ナーグは患者から治療代を受け取っていはいましたが、自ら要求することはありませんでした。そして貧しい人々には無料で薬を与えるだけではなく、ふさわしい食事をとるようにと、いくばくかのお金も渡すのでした。ときには自分の飢えを顧みず、腹をすかせた乞食に自分の食事を差し出しました。
 これらのナーグの行為は、常識的な人間だった父親の目にはとても奇妙に映り、息子の将来性はないように思えました。

 ナーグの患者は、増え続けました。もしナーグが世間なれしていたなら、多くの富を得たでしょうが、ナーグは自ら治療代を請求することはせず、ただ深い喜びから差し出されたものを受け取るだけでした。
 狡猾な人々は、そんなナーグをだましたり利用したりしました。ある人々はお金があるのに治療費を払わず、またある人々はナーグからお金を借りて、決して返そうとはしませんでした。

 この件に関して、ナーグの親友のスレーシュはこう言いました。
「ナーグが回診から戻るころになると、お金を借りようと家の前で待ち構えている人々の姿をしばしば見かけたものだ。彼は、頼まれたときはいつでも、決して嫌と言わなかった。彼の稼ぎのすべてが、貸付金と慈善に消えたのは、このためである。だから、幾日も自分の食べるものさえないようなことも珍しくなかった。彼は、少量のふくらし米だけを自分の夕食としなければならなかった。」

 またナーグは、自分のためには全くお金を取っておくことはなく、余った分はすべて父親に差し出していました。ナーグは常々こう語っていました。
「真に必要なものはすべて神がお与えくださる、ということは真実です。それについて心配しても何の利益もありません。神への完全な自己放棄が幸福をもたらすのです。利己主義に基づいて私たちが企てることは、どれ一つとして思い通りの結果にはならないものです。これは私の個人的な経験です。」

 1880年、成長したナーグの妻は、夫と暮らすためにカルカッタにやってきました。彼女はナーグの父に献身的に尽くしましたが、ナーグ自身は、膨大な仕事を抱えた上に、わずかな自由時間も瞑想と勉強に費やされていたので、妻の相手をする時間はありませんでした。

 あるときナーグと妻は、一家のグルであるカイラーシュ・チャンドラ・バッターチャーリヤからイニシエーションを受け、マントラを授けられました。その後、ナーグの宗教的情熱はいっそう増大し、一日の大部分を、修行と瞑想に費やすようになっていきました。仕事はおろそかになり、収入も減少していきました。ナーグの父親は、こんな夫に嫁いでしまった若き妻の行く末を心配しましたが、ナーグは妻にこう言いました。 

「肉体レベルでの関係は永続しない。心のすべてを捧げて神を愛することができた者こそが、祝福されるのである。一度肉体に結び付けられたなら、何度生まれ変わっても、それを終わらせることはできない。だから、この骨と肉からできた卑しむべき檻に執着を抱いてはいけないよ。母なる神の御足の下に保護を求め、そして彼女を、ただ彼女だけを思いなさい。そうしてこそ、あなたの生活は、今も、そしてこれからも高められるであろう。」
コメント

【新刊】「至高者の歌Ⅱ」ができました。

2008-05-20 09:03:58 | お知らせ

 ヒンドゥー教最高の聖典「バガヴァッド・ギーター」を解説した「至高者の歌」の第二巻ができました。

 第六章の後半から第十一章までを解説しています。

 定価千円です。購入希望の方は、info@yoga-kailas.comまで、メールでご連絡ください。



コメント

◎ヨーガの障害

2008-05-18 11:02:23 | 解説・ヨーガ・スートラ



【本文】
ヴィヤーディ・スティヤーナ・サンシャヤ・プラマーダーラシャーヴィラティ・
ブラーニダルシャナーラブダブーミカトヴァーナヴァスティタトヴァーニ
チッタヴィクシェーパーステーンタラーヤーハ

ヨーガに対する障害とは、病気、無気力、疑念、怠惰、落ち着きのなさ、執着、誤った見解、サマーディに入れない心の状態、サマーディに入っても長くとどまれない心の状態など、心の散動状態をいうのである。


 はい。これも読んで字のごとくなので、分かりますね。つまりこれは逆の言い方をすると、これらがあるとヨーガの障害になるから除かなきゃいけない。
 まず病気ってあるけども、当然病気であるとわれわれの精神というのは悪い方向に向かったり、弱くなったりする。だからヨーガっていうのは、当然まず肉体から入るわけだけど、あまりにも健康第一主義になってそれを追い求めるのは駄目だけども、ある程度心身のリフレッシュ状態というのは作っておいた方がいい。
 仏教では軽安というけども、肉体のナーディ・気道がしっかり通って、ある程度体が軽快な状態がないと、なかなかいいサマーディに入れない。
 ただカルマによって病気になったり浄化のときは別だよ。それはもうしょうがないというか、その状態の中で努力しなきゃいけないけど。日々自分のできる努力はした方がいい。
 例えば日々疲れてても、呼吸法やったりしてしっかり体をリフレッシュさせるとか、そういうことをしっかりして自分の――健康オタクみたに健康を追い求める必要はないけども(笑)――最低限のリフレッシュした状態は作っておかなきゃいけない。そうじゃないと、なかなか病んだ体や心では深い瞑想に入りにくいですよと。
 はい、そして無気力、疑念、怠惰、落ち着きのなさ、執着、誤った見解――この辺は分かるよね。こういった心の悪しき状態があると駄目だと。
 サマーディに入れない心の状態――これはちょっと曖昧だけどね。サマーディに入れないような、つまり集中がなかなかできないような状態ということですね。
 そして、入っても長くとどまれない状態――これもちょっと曖昧ですけど。そういったものがあると、ヨーガを完成させる障害になりますよと。
 で、それがこの自在神を念じ、オームを唱えることによって、これらを破壊する――実際にそれだけで破壊されるとは思わないけども、破壊する手助けとなるというか、一助となるということだね。
コメント

◎聖音オーム

2008-05-12 20:27:05 | 解説・ヨーガ・スートラ


【本文】
タシャ ヴァーチャカハ プラナヴァハ

彼があらわれた言葉が、聖音オームである。


タッジャパスタダルタバーヴァナム

これを繰り返し唱え、この音が意味する自在神を念想するがよい。


タタハ プラティヤクチェータナーディガモーピャンタラーヤーバーヴァシュチャ

それによって、内観を得、ヨーガに対する障害を破壊することができる。



 この自在神というのは、その本質はあらゆるものに偏在する完全なる実在なので、このマーヤー――幻影の世界にいるわれわれは、本来見ることができない。その本質的な絶対者が音として現われたものが、根源的なものが音として現われたものが、よくヨーガの儀式や修行とかで使われる「オーム」なんだね。
 この「オーム」という音。実際はオームじゃなくてアウムなんだけど、これはいつも言うようにキリスト教のアーメンともすごく音が近くて。キリスト教では「はじめに言葉があった」という言い方をしてるけど、ヒンドゥー教では「はじめにオームがあった」と言っている。同じだね。
 つまりこの世の初めに、このオームという波動があった。そこからいろんなものが展開したという考えがあるんだけど。このオームという波動は、自在神・至高者が音という形をとって現われたものなんですよと。
 だから別の言い方をすると、音というのはすべて、何らかの実体を持っているんです。日本では言霊っていうけども。何気なく発された音にも、すべて意味がある。だからマントラがあるんだね。いい意味をもつ音の組み合わせがマントラなんです。
 日本語っていうのは、言霊文化があるから――単なる言葉もそうだね。さっきも言ったけど、「私は駄目だ」「私は嫌だ」――これは否定的言葉。この背景には否定的なエネルギーというのがあるんです。これを発しているとどんどん否定的なエネルギーが強くなっていく。だから肯定的な言葉を発すればいい。
 最近精神世界でも、そういうの流行ってるよね。常にいつもありがとうと言いましょうとか。それはとてもいいことだね。そういう肯定的なエネルギーを発する言葉を発していると、どんどん肯定的になっていく。
 そういう言葉ではなくて、音そのものの組み合わせがマントラ。マントラも狙いに応じて、どういう部分を強めたいかによっていろんなマントラがあるわけだけど、そのおおもとのおおもとの至高者そのものをあらわすマントラが「オーム」なんだよ、というところがここだね。これを繰り返し唱え、自在神を念想する。これは仏教の念仏とかに近いけども、シヴァでもクリシュナでもいいんだけど、自分が絶対者と思う神や仏陀を心に念じつつ、オームを繰り返し唱えなさい、という行法の説明だね。それによって内観を得――つまり、内なる世界に対する正観というか正しい智慧を得て、ヨーガに対する障害を破壊することができるんですよと。
 はい、そしてこのオームによって破壊することができるとされる障害とは何かと。それが次に出ているね。

コメント

◎高度なレベルでの移行

2008-05-11 09:39:12 | クンダリニー・ヨーガのプロセス


 ところでここで問題がある。それは、一般に普通の人で、幽体離脱とか、金縛りの経験をする人がいる。あの、元々ね、修行の素質があってそういう経験がある人は別として、普通の人――うちの弟もそうだったんだけど、たまになんか、金縛りにあったり幽体離脱したりすると。これはなぜかっていうと、修行者はこの火のエネルギーが強まるとそういう経験をするんだけど、普通の人は別に修行しているわけじゃないと。なんでそれが起きるのかというと、さっき言ったように人間界の肉体っていうのはこの水中心なので、肉体が疲れると、水のエネルギーのレベルがガクッと落ちるんです。で、火も弱いんだけど、あまりにも水が落ちるから、相対的に火が強く見えるだね、見えるっていうか、相対的に強い割合になるんです。それによってちょっと霊的な世界に突っ込むんです。
 でも、元々低い火だからあんまりいい世界には行けないわけだね。だから金縛りにあって怖い思いをしたとか、幽体離脱をしてなんか怖い思いをしたりする。これは一般のそういう霊的な体験のパターンだね。
 修行者の場合はそうじゃなくて、地も水も徹底的に浄化して、そして徹底的に強めて、そして火に移行するわけです。非常に高度なレベルで火に移行するので、まあいろんな、いい意味での神秘的体験をするようになる。
 この段階で、非常にエネルギーが強まるので、食欲や性欲が非常に強まります。これは一つの罠なんだよね。それは、それまでは恐らく経験したことのなかった、本当の食欲と性欲です(笑)。つまり我々は、ほとんど情報で食欲や性欲を経験してきたんだね。これおいしそうとか、あるいは若い頃から入れてきた性欲のデータね。そうじゃなくて、本質的に体から沸きあがる、エネルギーに満ちた感じの食欲や性欲が出てきます。でもこれはまさに罠です(笑)。そこで性欲を漏らしてしまったら、もう致命的です(笑)。でも、それはもう、その人の自覚に任せるしかないんだけどね。まあ食欲は性欲に比べたらそんなに致命的ではないが、それでもバカバカあまりにも食いまくってたら、この火から風に移行しないんだね。ここでできるだけ火を強めて強めて強めた段階で、いわゆる元素変換をするんです。元素変換して風になる。そして最後は、風から空に至る。
 これが修行の大雑把なプロセスですね。もちろん、本当はもっと細かいんだけどね。


◎五大元素による落下と上昇のプロセス

 空にまで至ってしまったら、我々の自と他の区別がなくなる。
 これはちょっと比喩として考えて欲しいんだけど、我々は元々この空間みたいなもんなんだね。空間には何の分け隔てもない。だから、私と誰かとか、私とSさんとか、Tさんとか、そういう分け隔てが何も無いんだね、完全な空だね。 しかし我々の徳というものを熱だと考えたら、我々の意識状態が下がり徳が減ることで、冷えてきたんだね、空間が。空間が冷えることで、それは徐々に徐々に気体から液体、液体から固体へと落ちてくるんだね。
 で、例えば空間が冷えて、液体になったとしますよ。で、例えば雨が降ったとしますよ。でも、水になったとしても、まだ水の段階としては、ある程度混じり合っているんだね。液体っていうのはね。例えば、液体の種類が違ったらちょっと混じり合いにくいけれども、まあ、ある程度混じり合っているんだね。しかし、固体になってしまったら、はい固体になりましたと。ガチッと凍りましたと。でも、凍ったそれだけではまだ一体だけども、それがもし、ガチ、ガチッて叩き割られたらどうなると思う? 私とSさんが別れてしまう(笑)。もう戻せないんだね、これを戻すことはできない。完全に個と個っていうのができてしまう。これが、ちょっと大雑把な話だけども、我々の意識が冷えて、エネルギーレベルが下がって、低い世界に落ちて、エゴとエゴが分離した状態です。
 で、ここから我々はどんどんエネルギーを高めることで、溶けるわけだね。固体が溶け出して、液体となり、だんだんだんだん混ざり合い出す。そして火の状態になって、最終的には気体と化し、空に消えて、あ、皆一つだったんだと(笑)。これがまあ、この地、水、火、風、空で説明した大雑把な修行プロセスだね。もちろん本当はそんなに大雑把なものではないんだけど(笑)、もっと細かいプロセスがあるんだけどね。だいたいの概念として覚えてください。


◎冷えた時代

 だからねえ、例えば、現代がなぜレベルが低い時代かっていうと、現代人が求めているものってだいたい物質なんです。だから地なんです。それはお金であるとか、あるいは車であるとか、あるいは自分の欲しいいろんな物質を求め出す。まあ特にお金がそうだけどね。あるいはその、目に見える物、形ある物に心がとらわれる。あるいは、この肉体こそ自分だって思う、ね。この肉体が自分だと。この肉体を着飾りたいと。あるいは肉体を美しくするためにお金をかけても構わないと。こういう発想っていうのは、まさに地元素の世界なんです、ね。
 さっきも言ったようにこの人間界は本来は水の世界で、水の世界っていうのはどちらかというと情の世界だから、いや、私はお金はどうでもいいからあなたの愛情があればいいとかね、あなたが大好きなんですよと、あなたの愛情さえあればいいっていう、そういう情緒的な人間的な世界、これが水の世界なんです、本当は。人間世界って本当はこういう世界だったのに、今はそういう情緒的なものよりも、お金とか物質がちょっと優位になってきている。人間世界が冷えているんだね。だから、これをもっともっとレベルを高めなきゃいけない、本当は。
 で、高めることによって、何度もいうけども、人間にまず戻って、それから火の元素に来ると、神秘体験とかもいっぱいしだして、ちょっとこの世から意識が外れたような感じになってきます。で、風とかになってくると、まあ、修行をしっかりしていればだけども、もし気道がある程度通って風のエネルギーが自分の肉体の活動の中心になったら、生きているだけで至福の人になります。生きているだけで気持ちいいと。まあ、ちょっと神に近い人になるね。こういう感じで進んでいくわけですね。
コメント

◎自在神への祈念

2008-05-04 11:19:56 | 解説・ヨーガ・スートラ



【本文】
イーシュワラプラニダーナードヴァー

自在神への祈念によっても、無想サマーディに近づくことができる。


クレーシャカルマヴィパーカーシャヤイラパラームリシュタハ
プルシャヴィシェーシャ イーシュワラハ

自在神というのは、煩悩、カルマ、カルマの果報、業遺存などによってけがされていない、特別な真我なのである。


タトラ ニラティシャヤン サルヴァジュニャーナトヴァビージャム

他の者たちの中では種子に過ぎないあの全智が、彼の中では無限になっている。


サ プールヴェーサーマピ グルフ カーレーナーナヴァッチェーダート

彼は、太古のグルたちにとってさえもグルなのである。なぜなら彼は時間によって制限されたお方ではないから。



 はい。簡単に言いますよ。自在神というのはイーシュワラというわけですが、普通イーシュワラというとシヴァ神のことです。これも他の体系とかでは、自在神とはこうだこうだっていろいろいったりするけど、私がよく言うところの「至高者」と考えていいです。すべてから解放された完全なる存在――これがイーシュワラだね。他の体系ではそうじゃないという人もいますが、そんなのは聞かなくていいです(笑)。ここでは一応定義上、イーシュワラは絶対者と考えていいです。
 観自在菩薩――あれも、アヴァローキタ・イーシュワラというんだね。観音菩薩、観音様ね。あれも一つのイーシュワラです。その辺は掘り下げるとすごく面白いんだけど、まあ今日はあまり掘り下げないけども(笑)。
 とにかく、あらゆるカルマを超えた、全智に満たされた絶対者がいますよと。これに対する祈念――つまり至高者を常に思う。至高者へ祈りをささげる。これによっても無想サマーディに近づけますよと。これはバクティ・ヨーガ的な道だね。常に至高者に心を合わせる。
 はい、そして、この完全なる至高者というのはイーシュワラというのは、時も空間も超えた存在なんです。よってグルのグル――つまりあらゆる師匠の師匠なんだね。大もとの、救済者の根本というか。これがイーシュワラですよという定義だね。

コメント