ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

◎五大元素理論

2008-04-25 07:40:21 | クンダリニー・ヨーガのプロセス


 はい、じゃあ次に五大元素理論に行きましょう。この五大元素理論っていうのは、まあ我々の人体もそうだけど、人体だけじゃなくてこの宇宙の物質的な組成っていうかな、仕組みを表わしたものですね。
 これは皆も聞いたことがあると思いますが、ちょっと下から行きますが、地、水、火、風、空っていう五大元素理論だね。地、水、火、風、空。これはよく日本の仏教のお寺とかで、まあ五大元素っていうのは別名「五輪」ともいって、五輪の塔とかいうのを見たことがあるかもしれない。あと宮本武蔵を知っている人は、宮本武蔵の書いた「五輪の書」ってあります。あれも、地の巻、水の巻、火の巻って感じでこの五大元素から取ってるね。
 この五大元素っていうのは簡単にいうと、まず地、これは、固体成分です。固体。この宇宙における固体。ということは、じゃ、U君、肉体に当てはめると、何があるの?

(U)肉体に当てはめると?

 うん、固体。この宇宙における固体成分。固体っていうのはいわゆる理科で習った三態の変化の個体ですね。

(U)はい。

 肉体に当てはめると?

(U)肉?

 まあ、肉ね(笑)。

(U)骨。

 骨ね(笑)。まあそうだね、肉や骨や皮や、いわゆる固体物質でできているもの。これは地の元素だね。
 はい、次に水の元素と言われるもの。これは、液体成分。だからまあこの宇宙でいうと、このお茶とか、全ての液体です。じゃあYさん、肉体でいうと? 例えば。

(Y)血。

 血ね。まあ血以外にも例えばあらゆる体液ですね。あらゆる――まあ人間っていうのは、6、70%が水分だっていうけども。だから人間界って実は、水元素中心の世界なんです。まあ動物もそうだね。だから地球は水の星とかいうけども、まさに水元素の世界だね。
 はい、そして火の元素。これが、熱、熱力、熱エネルギーだね。これはいわゆる、我々の肉体でいうと体温です。まあ、さっき言った三体質の中のピッタに当たる、その熱の源みたいなエネルギーがあるわけだね。これが我々の火元素ということになります。
 はい、そして、この風元素がさっき言った気の流れといってもいいけども、まあヴァータに当たるといってもいいね。つまりその精妙な、体中を走るエネルギーがあるわけなんだけど、これを風といっています。
 そして空っていうのは、二つの意味があるね。一つは、単なる空間。だから体でいうと、鼻の奥の空間とか、食道の空間とか、胃の空間とか、色々空間があるね。空間っていう意味。もう一つは、心っていう意味です。つまりこの体に宿る心です。だから、この場合の空っていうのはその二つの意味があると考えてください。




◎元素の段階的移行

 ところで、仏教の密教やヨーガの修行を進める場合は、だいたい地のステージから、水のステージに上がって、火の段階に上がって、っていうような言い方をしたりする。これはどういうことなのかっていうと、結局ね、地、つまり固体っていうのは、あらゆる物の中で、最もエネルギーレベルが低いんです、ね。つまり我々のエネルギーが下がって冷えた時に、全ては固まるんです。
 で、修行っていうのは、まあタパスっていうわけですけど、タパスっていうのは熱っていう意味があるんだね。だから皆さんも経験しているように、ヨーガをやると内側の熱みたいのが、ガーッて燃えてくるんだね。だから何度もここで言っているけども、ホットヨガに行ってはいけない(笑)。外側の熱じゃなくて、内側の熱をガーッと燃やすと、我々の肉体の、なんていうかな、エネルギーの中心が、まあ人間はだいたい水元素中心なんだけど、地元素の要素っていうのがどんどん水元素になっていって、つまりまあ簡単にいうと、氷が溶けて、水になって、で、水にさらに熱を加えることで気体化していきます。
 この過程が、地、水、火、風、空に至る過程なんだね。
 これはちょっと難しい話になってきているけど、なんていうか、レベルの変化みたいのが、我々の修行上でも生じるんだね。ちょっとこう、話が広がっているっていうか、複雑になってますが、修行上でいうと、我々の人間界は水の元素中心って言ったけど、水の元素っていうのは性欲の世界でもある。つまり人間界っていうのは性欲の世界なんです、ぶっちゃけて言ってしまうと。あるいはそうだな、情とかの世界だね、愛情とか。あるいはその人間同士の心の触れ合いとか、そういったものがこの水の世界なんです。
 それが修行によってガンガン体が燃えてくるようになると、それは我々が火の世界に、だんだんだん移行してきた証拠になります。ここでいろんな経験が始まります。火の世界に入り始めると、いろんな神秘的な経験が始まります。例えば、いろんな物が見えたり聞こえたり、あるいは幽体離脱をしたり、いろんな経験が始まります。だからちょっと人間界を超えてくるんだね。つまりその人のそのエネルギーの中心が、水じゃなくて火に移行してくる。

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ヨーガの身体論

2008-04-17 19:49:57 | クンダリニー・ヨーガのプロセス
2006年8月31日 勉強会 「ヨーガの身体論」



◎押さえておくべき理論

 今日は「ヨーガの身体論」ですね。まあクンダリニー・ヨーガの話の序章として、ヨーガの身体論について、本当に簡単な基本だけ、話していきたいと思います。
 ヨーガの身体論っていうのは当然、インド医学、つまりアーユルヴェーダっていうやつね、これとか、それからチベット医学、あるいは中医学、この辺とかなりダブることもあります。つまり東洋独特の身体に対する捉え方があって、それを元にヨーガの修行っていうのが組み立てられるわけですね。
 で、この辺は我々が普通知っている西洋的な肉体の捉え方にプラスして、この東洋的な考え方も押さえておかないといけない、ということですね。
 全然概念とか、元から違うんですね。
 まあ、押さえておかなきゃいけない項目をパっと羅列すると、まず三体質理論。それから五大元素。それから五つの気。あとはチャクラ理論ですね。この辺は全部ダブっています。で、この辺をザーッと押さえておきましょう。ダブるところは復習だと思って聞いてください。



◎三体質

 まず三体質理論。三体質理論っていうのはよくここでも話が出る、「あー、Cさんピッタですね」とか(笑)、「あなた粘液体質ですね」とか、そういう理論だね。
 で、これは何なのかっていうと、簡単に書きますと………人間の生命活動っていうのを考えた場合、まず当然その、我々のこの体を動かしているエンジンが必要だって考えるわけだね。当然筋肉があって、この筋肉の収縮や伸びによってこの体が動いているわけですが、そこに血液が酸素を運んだりとか、いろんな栄養素を運んだりとか、いろんな体のシステムがあるわけですが、その全てのシステムの大元となっているエンジンみたいなものを考えています。エンジンね。これは火のエネルギー、ピッタといいます。これは日本語に訳されて「胆汁」といいますが、胆汁といっても、現代医学の胆汁とは全く違います。一応胆汁って言葉が与えられているだけで。ピッタってやつですね。
 これはねえ、中医学でいうと「熱」っていわれているのとほぼイコールだね。完全にイコールではないけど。
 はい、これはエンジンだと。つまりガーッて我々の機能を動かす元となるエンジン。で、ここでエネルギーが発生されたら、そのエネルギーを体中に回さなきゃいけません。この体中に回す働き、これを漢字で風、ヴァータといっています。ヴァータね。これは日本語に訳されて、風(ふう)だね。風。そのまま風といいます。
 で、エンジンで作られたエネルギーを体に回すことによって生命活動が成り立つのですが、ただエンジンっていうのはずーっと働きっぱなしだから、オーバーヒートしちゃうんですね。よって適度に冷やさなければいけません。この冷やす働き、つまり水の働き、これをカパといいます。これを日本語に訳して粘液っていいます。これはね、そうだな、ヴァータでは中医学で気に当たるとか言われる。で、粘液がこれは津液(しんえき)ってやつだね。これはだから、中医学ともかなりダブる感じになります。
 はい、これが人間の生命活動です。この生命活動がうまく全てバランスが取れている時は、人間は健康です。エンジンでエネルギーが作られ、それが体中に回されて、エンジンが焼け焦げないように適度に冷却されると。
 しかしほとんどの人は生まれつきバランスが狂っています。どこかが強かったりどこかが弱かったりするわけですね。



◎ピッタ

 これはバランスが良ければいいんだけど、だいたいバランスが生まれつき狂ってます。それはカルマによって生まれつき狂ってて、生まれつきの体質っていうのがあります。もちろん修行すると変わってくるんだけど。
 まず全体の中でピッタが強過ぎる場合。つまり冷却よりもピッタが強過ぎる場合、いつもカッカカッカ燃えている人になります。まあ、Cさんみたいなタイプだね。まさに体がいつも熱いと。このタイプの人っていうのは、炎症性の病にかかりやすい。つまり、「何とか炎」ってやつだね。あの、内臓の何とか炎とかもそうだし、あるいは皮膚もそうだし、炎症性の病にかかりやすいといわれています。
 それから、体が非常に熱いので、いつも飲み物とか冷たいものを取りたがります。実は私もピッタなんだね、どちらかというと。
 だいたいねえ、それぞれ、たとえばもろピッタだけとかいう人は少なくて、だいたい二つくらいあるんです。ピッタとヴァータが強いとか、ピッタとカパが強いとか。私はピッタとヴァータのタイプだったね。ちょっとピッタの方が強い気味と。で、そのタイプっていうのは、私もそうだけど、すごく水を欲しがったり、あるいは冷たいものを欲しがるタイプですね。



◎ヴァータ

 はい、そして次にヴァータ。このヴァータがうまく体を運行していればいいんですが、このヴァータが強過ぎるタイプっていうのは、体のね、気の通り道があるわけですよね、この気道、ナーディってヨーガではいうわけですが。ヴァータが強い場合のデメリットっていうのは、ヴァータが強いこと自体は本当は問題ないんだけど、普通の人は気道が詰まっているわけですよね。気道っていうのは気の通り道。中国で言う経絡です。つまり、我々は普通「気が通ってますね」とか、気がどうのこうのっていうけれど、なんとなく気があって、なんとなく気が通っているんじゃなくて、血管みたいに、ちゃんとそのパイプの中を気が通っているんですね。で、このパイプっていうのは、普通詰まっているんです、いろんな形で。物理的にこれは詰まっているんです。まあそれもカルマだったり心の汚れだったりするんだけど。
 その詰まっている細い管の中を、気が通ろうとしている。詰まってるのに気がちょっと強すぎた場合、当然障害が起きるんです。つまり、本当は通らないところにグーッと通そうとするから、ガガガガッていう感じで、こう、停滞するっていうか、交通渋滞だね。交通渋滞状態を起こす。これをヴァータの欠陥といいます。この場合、精神不安定になります。あるいはもう一つのパターンは、リウマチとか神経痛の意味不明な痛み。偏頭痛もそうですね。だからヴァータで代表的なのは精神病、偏頭痛、神経痛、リウマチだね。このいくつかに当てはまる人は完全にヴァータタイプだと思ってください。いつも私は心が揺れると(笑)。偏頭痛もすると。で、なんか、足とか手も痛いと(笑)。それは完全にヴァータだ、ね。



◎カパ

 はい、そしてカパ。つまり水が強過ぎる人。この場合、当然エンジンを冷やし過ぎるので、ちょっと体が冷えた人になる。まあ女性に多いけどね、元々。冷え性とか、それから副交感神経が強くなりすぎるので、ちょっと怠け者になります。それからちょっと、なんていうかな、体に力が入らないとか、あと低血圧もそうです。
 それから特徴的にはカパの人は、これは完全に全員がそうだとはいえないけど、傾向としては色白で太りやすいです、カパは。ピッタは筋肉質っていうか、ガッチリタイプになりやすいです。ヴァータは、ガリガリ、痩せやすいです。これはあくまでも、そうなりやすいっていうことです。
 はい、そしてカパに戻るけども、カパのタイプの人っていうのは、粘液体質という名前の通り、実際に皆が浄化法とかやると出てくるドロドロの粘液があるけども、あれが普通よりも多いんだね、体の中に。だからカパの人、カパタイプの人は特に浄化法をやったらいいね。
 浄化法っていうのはねえ、皆がやっている浄化法っていうのは、二つの考え方があって、まあ、ある経典ではそれはヨーガをやる人は皆やるべきだっていっているんだけど、ある別の経典では、浄化法は、粘液体質の人だけがやればいい、っていっている(笑)。まあ、だからどちらにしろ、粘液体質の人は特に必要なんだね。



◎三体質のバランスを取る

 はい、これが三体質理論なんだ。さっきも言ったように、この中でどれか一つが強かったり、あるいは二つが強かったりする。こういう性質を生まれつき持っています。で、生まれつきのものっていうのは、修行しない限りなかなか変わらない。それに応じたいろんな病とか、あるいはいろんな心の性格とかが決定されちゃうんだね。修行するとそのバランスがよくなっていくんです。で、これが完全にバランスが取れた状態を健康な状態っていうわけだね。
 今日はそんなに突っ込まないけども、実際このバランスを取るための食生活とか、あるいは生活の仕方とかを、アーユルヴェーダとかでは事細かに示しています。つまり、例えばだよ、ヴァータを強める食べ物とかがあるわけです。この人はピッタとカパが強すぎて、ヴァータが弱いから、じゃあヴァータを強める食べ物を食べましょうとか。あるいは逆に、いや、あなたピッタ強いのにこんなものばっかり食ってたら駄目だと。それやめてくださいとかね(笑)。


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ただ今日、なすべきことを

2008-04-13 22:42:40 | 松川先生のお話

 もしそれが成功するとしたら、案じようと案じまいと、成功するでしょう。
 ならば未来を案じることに、何の意味があるでしょうか?

 もしそれが失敗するとしたら、案じようと案じまいと、失敗するでしょう。
 ならば未来を案じることに、何の意味があるでしょうか?

 ただ今、この瞬間に集中すべし。




 お釈迦様の言葉でも、以下のような教えがありますね。

「過去を追うべからず
 未来を期待するべからず

 過去はすでに過ぎ去ったものなり
 未来はいまだ来たらず

 ただ今日、なすべき事を全力でなせ」
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真実

2008-04-10 20:25:17 | 経典の言葉・聖者の言葉

 真実とは、真の意味においては、虚偽がないことでもなく、心を翻さないことでもありません。
 真実とは、ただひたすら他の人を利することです。

 ――ナーガールジュナ
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◎施し

2008-04-03 18:38:36 | 解説・スフリッレーカ


【本文】
 富は移ろうもの、またむなしいものと知って、定めに従って、出家修行者、ブラーフマナ、貧しい人、知人に、施しを行なってください。人に施すこと以上の友人はありません。



 これはこのままですね。特にこの人は王様なので、財をたくさん持っているので、出家修者、ブラーフマナ――ブラーフマナっていうのは、インドのカーストでお坊さんですね。代々お坊さんの人。それから貧しい人や知人に布施をしてくださいと。それ以上の友人はありませんと。というのは、つまりこれは徳が積まれるわけだから。徳というのは自分を裏切らないわけだね。積んだ徳というのは必ず返ってくる。だからそれ以上の友人はないんですよと。
 前もちょっと話したけど、「西遊記」の中で印象深い話があって、西遊記というのはドラマでやっているようなああいう西遊記じゃなくて、あの元になっている中国のね、小説があるんですが。あれは実は、仏教と仙道の修行の秘儀が隠されているといわれています。
 三蔵法師の弟子の悟空と沙悟浄と八戒っているよね。仏教の修行の進み方って、大雑把にいうと「戒・定・慧」というんだね。戒・定・慧というのは、まず戒律を守り、そしてサマーディ――究極の瞑想状態に入り、最終的に空の智慧を得る。この三つのパターンがあるんだけど、あの三人の弟子はそれをあらわしているともいわれている。
 まず一番目の八戒というのは、こいつは物語を見れば分かると思うけど、戒律を破るんだね。戒律を破るというか、女と酒と食べ物が大好き。町々で女をたぶらかしたり、いっぱい食ったり、酒飲んだりして暴れてる。だから名前が八戒なんです(笑)。あいつは戒律を守らないから、まずは戒だと。
 次に沙悟浄。沙悟浄というのは、浄化の浄だけども、この人の役割というのは、西遊記を思い起こせば分かると思うけども、あんまり印象ないでしょ、沙悟浄って(笑)。あまり働かないんです。つまり完全にサマーディに入ってるから。よくも悪くもあまり活躍はしない。しかし非常に清らかである。これが沙悟浄だね。
 で、悟空っていうのは、あの名前は「空を悟る」――つまり空の悟りをあらわしているんだね。しかも三蔵法師が取りに行った経典というのは、大乗の教えなので、単純にサマーディに入って何もしない、ああ寂静ですねっていう世界ではなくて、悟空というのはある意味、非常に智慧が働くんだね。なんかいろんな出来事が起きると、いろいろ悪いところもあるんだけども、いろいろ智慧を働かせて物事を解決していく。これが空の智慧を悟った悟空の境地だと。それをあらわしているとかいわれている。
 それ以外にも物語の中に、いろいろ現われてくる妖怪との戦いとか、あるいは悟空が乗り越えていくいろんなことっていうのは、仙道修行、あるいは仏教修行のいろんな境地をあらわしているといわれてるんだね。
 まあそれはいいとして、その西遊記の最初の方で出てくるエピソードがあって、それは何かっていうと、ある王様が亡くなって、死後の世界をさまようんだけど、あることがあってもう一回、人間界に帰ることになった。その帰り道をさまよっていたら、人間界に戻る途中に餓鬼界の群れがあった。その餓鬼界の群れが交通渋滞を起こしてて、そこを通れなかったんだね。王様はすごく哀れになって、実際通れないというのもあるし、その餓鬼も哀れだと。何とかして彼らを救うことはできないかと考えた。そこで死後の世界の王様にアドヴァイスしていた神みたいなのがいて――ちょっとこれはおとぎ話的な話なんだけど――「彼らは貪りによって苦しんでいるので、彼らの代わりに多くの布施をもし行なうことができるなら、彼らを救い、ここも通ることができます」ということだった。 王様はもちろん、人間としてはものすごくお金持ちだったけども、死後の世界ではお金を持ってなかったから、「いや、わたしは何も持っていません」と。「どうしたらいいでしょうか」って言ったら、そのアドヴァイザーの神が、「いや、実は、天のある倉庫があって、そこに膨大な天のお金があります」と。「この持ち主はあなたの――つまり王様が住んでいる国のある一人の男です」と。
 その男っていうのは王様も知っていたんだね。この男ははっきりいってみすぼらしい貧乏な男だった。しかし生まれたときから、布施とか人への善が大好きで、徹底的に布施とか人を救うことをやってきたんだね。でも貧乏だった。でも実は天の倉庫にものすごい金が貯まってた。
 ――つまりこれが徳なんだね。その人は一見貧乏にみえて、ものすごい徳の持ち主だった。で、その神は王様に、「借用書を書いてちょっと借りなさい」と言った。――ちょっと面白い話なんだけど――そこで王様は死後の世界で借用書を書いて、天の倉庫にあるその男の天のお金をもらって、供養をして、布施をして、餓鬼を救った。こうしてそこを通って人間界に帰ってきました。
 で、人間界に帰ってきた王様は、ぱっと王様の肉体に目覚めるんだけど、自分が今経験してきたことを覚えていたわけだね。そこで例の男のところに行って、借用書を出して、「お前に借りたから」って言って、ものすごい膨大な金銀財宝を男にプレゼントしたっていう話があって。
 これはちょっとおとぎ話的な話なんだけど、つまりこの世で形が見えなくても絶対に、やった善あるいは布施・徳というのは、当然ストックされているわけだね。それはいつ返るか分からないものとしてストックされている。これは絶対裏切らないんだと。――これがここに書かれている、「布施こそ最高の友人だ」という意味だね。
 だから逆もあるよ。悪業も絶対に裏切らない。悪業ってすぐ返るわけじゃないから、いろんな戒律を破ったり、人に悪いことをしたりして悪業を積んでると。でもこの世ではのほほんと生きている人がいる。でもこれは、もちろん見えないだけで、悪業のストックというのはたくさん貯まってる。これも絶対裏切らないんです。どんなことがあっても、その苦しみというのは将来返ってくる。
 つまりもう自分のためなんだね、ベースは。別に仏教とかヨーガで、正しく生きましょう、戒を守りましょう、っていうのは、道徳的に人のためにというんじゃないんです。ベースはね。自分が幸せになりたかったら悪いことするなということなんだね。道徳的に社会をうまくやっていくために、悪いことをするな、じゃないんです。そのカルマの法則というのは、絶対に裏切らないということだね。
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◎十善業

2008-04-03 17:55:18 | 解説・スフリッレーカ


【本文】
 身体と言葉と心において常に十の善業の道を守り、酒を断ち、また高潔な生活を喜ばねばなりません。



 これは何回か勉強会に出ている人は分かると思いますが、「身体と言葉と心において常に十の善業」というのは、いわゆる十戒ですね。十戒――つまり、仏教の基本的な十の戒律があります。それは身体と言葉と心に分けられる、十の戒めがあるんだね。これはみんな分かると思うけども、じゃあT君、まず身体の戒めは何ですか?

(T)殺生・偸盗・邪淫。

 そうだね。殺生・偸盗・邪淫。つまり、生き物を殺してはいけませんよ――これは本当は殺生というよりも、「アヒンサー」というんだけど、「害するな」ということなんだね。あらゆる生き物を、あらゆる意味で、害してはいけませんよ。これが一番目。
 次が偸盗――盗みをしてはいけませんよ。
 三番目が邪淫――この邪淫というのは、二つ意味があります。やわらかい邪淫は、浮気とか不倫はいけませんよということ。厳しい邪淫は、一切の性的行為は駄目ですよということです。このどちらかだね。これが身体の三つの戒律というか善業だね。
 じゃあKさん、言葉の善業は? 善業というか戒律というか。

(K)悪口・両舌・嘘……

 あと一個あるね。大体忘れちゃって言えないことっていうのは、ちょっと乗り越えなきゃいけないことだったり(笑)……

(K)……綺語!

 綺語だね(笑)。簡単に言うと、悪口(あっこう)――これは悪口(わるくち)ですね。嘘。
 両舌というのは、簡単に言うと陰口です。面と向かって言う悪口ではなくて、その人のいないところで悪口をいうことによって、人と人の仲を裂いてしまう。だから両舌なんだね。
 これは両舌って気をつけなきゃいけないんです。その気がなくても、そうなってしまう場合があるから。自分としてはそんなに悪気はないんだけど、その人がいないところでぽろっとネガティブなことを言ったりする。それを聞いた人が、その人に対する思いがちょっとネガティブになって、自分ではそんな気がなかったんだけど、二人の仲が裂かれるという場合がある。だからこれは気をつけなきゃいけない。
 悪口もそうだけどね。わたしもそうだったけど、悪口って悪気がなくても悪口になる場合があるから。相手を何とかしようと思ってるんじゃなくて、ただ口が悪い(笑)。わたしもよく昔、若い女性の生徒とかに、「先生ってデリカシーがないですね」とか、よく言われたけども(笑)。なんとなく言っていることが、すごく相手を傷つけてしまうということがある。――もちろんね、相手を傷つけようと思って悪口を言う、これは最悪ですよ。だけど、こっちは愛情表現のつもりで、きついことを言ってしまう。それを聞いた方が、すごく心が傷つくと。これも悪口になってしまいます。
 最後は綺語ね。綺語というのは意味のない言葉、冗談。真理とは全く関係がない、ただの無駄話とかね。これが綺語だね。この四つの口のカルマをやめましょうと。


◎積極的な戒

 これは前も言ったけど、「善業」ということは、その逆を積極的にやらなきゃいけないんだね。
 もう一回身のカルマから言うと、「他を害さない」ではなくて、他の生き物の命を救うとか、あるいは慈愛を持って他の衆生に接するとか、これをやらなきゃいけない。
 「盗まない」じゃなくて、逆に施し――布施だね、これをしなきゃいけない。
 「邪淫をしない」だけではなくて、真愛のこもった、つまり心からの愛のこもった人間関係というのを保たなければいけない。これが積極的な考え方。
 言葉も同じですね。「悪口を言わない」だけではなくて、人を安らがせるような言葉を言わなきゃいけない。
 それから「陰口、両舌をしない」ではなくて、逆に人々を和合させるような言葉遣いをしなきゃいけない。つまり陰で、誰かのいいところを褒めるとかね、そういうことを積極的にやらなきゃいけない。
 それから「嘘をつかない」じゃなくて、もちろん積極的に真実、あるいは法施とも関係があるけども、真理を語らなきゃいけない。
 それから「綺語」もそうだね。意味のない言葉ではなくて、常に意味のある言葉、常に人のためになる言葉を語らなきゃいけない。これがより積極的な戒律ですね。
 ではCさん、心の戒三つは?

(C)貪・瞋・痴。

 そうだね、貪・瞋・痴。簡単にいうと、貪は執着。瞋は怒りとか憎しみとか嫌悪。痴――痴というよりも、邪見とかいうんだけど、間違った見解。
 まず執着は分かるよね。怒りも分かりますね。心に執着や怒りを持ってはいけませんと。で、三番目というのは無智といってもいいんだけど、誤った見解・考え方ね。ベースとして、ヨーガにしろ仏教にしろ必ずあるカルマの法則とか、あるいは輪廻とか、あるいは菩提心とか、そういったものを全く真逆にした教え。
 どういうことかって言うと、実際お釈迦様の時代というのは六師外道っていって、お釈迦様以外に尊敬されていた六人の師匠がいて、仏教とすごく似た教えを説く人もいたんだけど、めちゃくちゃな教えを説く人もいるんです。完全に唯物論を説く人とかね。「カルマなんてないんだ」という教えを説く人もいる。あるいは、「輪廻なんてないんだ」と。あるいは、「いや、そんな自分を捨てて人のために生きる菩提心なんて、そんなものは意味がないぞ」と。「そうじゃなくて、自分のために生きなさい」とかね。このような――細かいことは別にして、何が真理なのか、どのように生きなきゃいけないのかっていうベースの部分で、全く真逆のことを説く。あるいは全く真逆のことに頭が支配される。これが最後の邪見というやつだね。
 それはそうじゃなくて、逆にしっかりと教えを学んで、正しい自分の見解――世界の見方、人生の見方というものを、自分の中で構築しなければいけない。これが十の善業の道だね。
 それプラス酒を断ち――これは五戒の中に酒って入っているので、酒をやめなきゃいけない。そして、全体を通して真理をしっかり実践して、高潔な生活を喜ばねばなりません――というところだね。

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気のせい

2008-04-02 08:08:31 | 松川先生のお話

 昨日、ヨーガ教室のある生徒さんが、こんなことを言っていました。

 「最近、食べるものに気をつけて菜食中心にしていたんですが、今日、久しぶりに昔大好きだったアンパンを食べちゃいました。でも、食べながら、『あれ、なんでこんなものが好きだったんだろう?』って考えちゃいました。」

 今日の日記のテーマは、菜食の勧めということではありません(笑)。

 味覚って結構、「気のせい」なんですよね(笑)。
 味覚って、五感の中でもとても面白い分野ですね。共通認識が一番得られにくいというか。
 たとえば「アンパンの味」ということで思い浮かべる味も、実は人それぞれ、微妙に違うと思うんですね。味覚って、視覚や聴覚と違い、外に出して、比べることができません。それぞれの口の中での出来事ですから(笑)。

 今日は、こんなことがありました。
 ある生徒さんが、アーサナをやるたびに、「痛い! 痛い!」って言うんですね。それで私が、「ほんとはそんなに痛くないんじゃないの?」って聞いたら、彼も冷静になって、「ほんとだ。よく考えたらそんなに痛くなかった」って言うんですよ(笑)。
 その生徒さんはもともと、「イヤだ」とか「痛い」とか「苦しい」とかいう言葉が、口癖になってたそうなんです(笑)。よく考えたらそうでもないのに、そういう言葉と思いを最初に発することで、いろんなことを痛く、苦しく、嫌な感じにしてたということに、今日、気づいてくれたようで良かったです(笑)。

 まあつまり、今日言いたいことは、「すべては気のせいだ」ということです(笑)。

 苦しい? 気のせいです(笑)。
 あの人が嫌い? 気のせいです(笑)。
 できない気がする? 気のせいです(笑)。

 すべてを喜んで受け入れると、世界も笑顔を返してくれるもんです。たぶんね(笑)。
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◎謙虚なことば

2008-04-02 08:06:05 | 解説・スフリッレーカ


【本文】
 智者はたとえ木で作られていてもスガタの像を敬うように、私のこの詩句がいかにつたなくとも、正しいダルマの教示によっていますから、軽んずべきではありません。

 あなたがすでに偉大な聖者の言葉に耳を傾けてそれをよく理解されているとしても、石灰から作られたものが夜の月光の下でさらにいっそう白くならないことがありましょうか。



 この辺はナーガールジュナの謙虚な言葉ですね。
 「智者はたとえ木で作られていてもスガタの像を敬うよう」――つまり木というのはただの木であって、なんの実体もないし敬うべきものではないんだけども、木でお釈迦様の像が作られたならば、当然みんなそれを敬う。それと同じように、わたしの言葉というのはつたなくて、大したいいことは言えないんだけども、お釈迦様の教えをまとめた言葉なのだから、それは敬ってくださいと。つまり私の言い方とか言葉が素晴らしいのではなくて、お釈迦様の素晴らしい教えをまとめたんだからっていう謙虚な言い方だね。
 はい、それから、あなたは――これも謙遜というか、相手を立てているわけだけど――あなたはすでにおそらくこういう仏教の教えは知っているでしょうが、石灰から作られた白いものが月光の下で――つまり満月の光のようなその下でより白く見えるのと同じように――あなたは分かっているでしょうが、よりこういう教えを学んで、よりそれが磨かれないということはないでしょうと。だからぜひお聞きくださいという、王様への謙遜した言葉だね。



◎随念

【本文】
 勝利者は、仏陀、仏陀の教え、出家教団、布施、戒、天への、六つの随念を説かれています。それらとそれぞれの功徳とを随念してください。


 これは随念――つまり、ここに書かれている六つのことについて、常に思いを凝らす。あるいはこの六つが持っている徳について、常に思いを凝らしなさいという意味だね。
 最初の三つは分かるよね。これは三宝というもので、仏陀と、仏陀の教えと、出家教団――サンガ、つまり弟子たちのことですね。つまりいつもいつも仏陀のこと、仏陀の教えのこと、あるいは仏陀の弟子たちのことを考える。で、その功徳ね。仏陀の素晴らしい徳、教えの素晴らしい徳、それから弟子たちの素晴らしい徳のことを常に考えなさいと。
 それから後半の、布施、戒、天というのは、まず布施と戒というのは分かるね。布施には三つの布施がありますと。財物の布施、それから人に安らぎを与える布施、それから人に教えを説くという布施。これについて考えてくださいと。あるいはそれらがもたらす素晴らしい徳について考えましょうと。
 それから戒律。戒律というのは、五戒、十戒、あるいはさまざまな戒律があります。その戒律の素晴らしさ、あるいは守らなければいけないということ、あるいは守ろうと意志ね、あるいは守ることによる素晴らしい徳――それについて常に思いをめぐらしてくださいと。




◎来世への思いのパターン

 そして最後の天というのは、これは原始仏教でもあるんだけど、これはね、みんなはどうか分からないけども、来世天に生まれ変わりたいという場合。みんなは来世どうなりたいかはよく分からないけど、仏教とかヨーガを学んで、輪廻転生を信じる場合は、来世に関してはいくつかの思いがあると思うんだね。
 まず一つは、来世、天――つまり神の世界に生まれ変わって幸せになりたいと。これは一般的というか一番基礎的なものだね。
 次が、来世、解脱したいと。来世というか今生解脱して、もう輪廻を超えたいというパターン。これは二番目だね。
 三番目は、そうじゃなくて菩薩として来世も苦しむ人々のところに生まれて、人を救いたいというパターン。
 これは有名な話で、あるチベットの高僧がね、おれはもう来世絶対に地獄に生まれるぞと決意して、もう一生その瞑想をやってたっていう話があります。一生、いかに地獄に生まれて地獄の衆生を救うかということを念じ続けて。ただその死の直前にね、自分の来世が見えてきたと。そうしたらずーっと何十年も地獄に生まれる瞑想をしたのにもかかわらず――来世仏陀の世界に行くということが分かってきてしまった。そこでその高僧は泣きながら弟子たちのもとに飛んでいって、
「大変だ! 大変なことが起きた!」
って言って、弟子たちが、
「一体どうしたんですか?」
って言ったら、
「いやあ、あんなに地獄に生まれようと思ってたのに、なんか仏陀の世界に行ってしまいそうだ」
と。
「どうかそんなことにならないように、わたしが地獄に行けるように、みんなで祈ってくれ!」
って、弟子たちに泣いて頼んだっていう話があって。
 これはだから菩薩道を歩んでいる人の請願だね。来世は、本当に苦しむ人のところに生まれたいと。それによって人々を救いたい。まあ地獄じゃなくてもいいんだけど――普通は人間界を選ぶんだね。なぜかというと人間界が一番修行しやすい。というのは、導きやすいんです。人間に修行させるのが一番簡単なんだね。だから仏陀がいるときに人間界に生まれることが最高だといわれる。
 四つ目としては、これはどちらかというとバクティ・ヨーガ的発想なんだけど、「お任せします」というやつです。お任せしますと。
 わたしは、昔は菩薩行――この三番目の道をすごく思っていた。わたしは来世も低い世界というか苦しむ世界に行って、みんなを救いたいなって思っていた。単純に解脱してどこか行っちゃうんじゃなくて。でも途中からはちょっと変わってきた。「お任せします」と(笑)。もちろん人々を救いたいというのはベースにあるんだけど、わたしがいろいろ考えて、こうこうこうだからこの世界に行こう――それもエゴだと。そうじゃなくて、ヨーガ的にいうと絶対者、仏教的にいうと如来――の、わたしは道具に過ぎないと。だからその意思に基づいて、好きにしてくださいと。それに従います――という気持ちにだんだんなってきた。これはバクティ・ヨーガ的な発想ね。
 だからどれでもいいんです。正しい法則に則っていれば。



◎天への随念

 ただこの後者三つというのは、かなり覚悟がいります。解脱するのはすごく大変だし、一生かけて本当にすべてを放棄しなきゃいけない。それから菩薩行。これはもちろん地獄であろうとなんであろうと、自分からそこに突っ込んでいかなきゃいけないわけだから、これも相当の覚悟がいる。最後も、全部をお任せするわけだから、もう自分の意志が全く介在しない。これも相当の投げ出す心がいる。
 でも一番最初の「天に生まれる」というのは、多くの人が願うことだと思うんだね。解脱とか、あるいはすべてを捨てるというのはなかなか大変だけども、来世少なくとも悪趣には生まれず、いい世界で幸せな神としての人生を送りたいなって思う人はいる。お釈迦様もその道はもちろん提示しているわけだね。まだすべてを捨てられない、悟れないという人は、じゃあこうすれば天にいけますよという教えは説いている。 
 その基礎は、まずここにもあった「布施と戒」です。徹底的に布施をし――そのベースには帰依があるけどね。徹底的に三宝に帰依をし、そして布施を徹底的になし、で、戒律をしっかり守りなさいと。これがベースとしてあります。
 で、次にもう一つ乗っかっているのが、ここにある「天への随念」なんです。天への随念ってどういうことかっていうと、これは原始仏典にあるんだけど、すごくリアリティのある教えなんだね。何かっていうと、まず天の構造を学びなさいと。で、自分が生まれたい天を決めなさいと。で、それについて徹底的に念じなさいというのがあります。
 どういうことかっていうと、例えば第一天界というのはこういう世界ですと。実は第一天界は四つに分かれているんだけど、それはいいとして、それぞれにこういう神がいて、こういう幸せな世界があります。
 第二天界は今度は、みんなが知っている帝釈天――インドラだね。インドラ神という偉大な神がいて、その他の三十二人の神がいて、いろんな女神たちもいますとか。
 第三天界はいわゆる閻魔王の世界。
 第四天界が一番仏教が目指すところなんだけど、ここはトゥシタ天。トゥシタという天界で、まだ解脱はしてないんだが四無量心にあふれた世界。
 それぞれパートパートがいろいろあって、それぞれの必要なものが変わってくる。
 例えばこの第四天界に生まれようと思ったら、解脱はしてなくてもいいんだけど、四無量心が必要なんです。つまり人々の幸福を願い、人々の苦しみを哀れみ、人々の魂の進化を喜び、そして自分に起きることについてはできるだけ無頓着になると。このような気持ちを育てながら、しっかり徳を積んで戒を守って、「さあ、わたしは来世、第四天界トゥシタ天に生まれるぞ」と。「さあ、生まれるぞ」と。このようなことを念じなさいとあるんだね。
 これは何かというと、徳を積むことによって――これは物理的に考えてください――徳を積むことで物理的な幸福のエネルギーみたいなのが増大します。で、戒を守ることによって、その貯めたエネルギーが漏れません。そしてもう一つ、戒を破っていると当然、徳とは逆の悪業のエネルギーが増大するんだけど、戒を守っているから悪業も増大しません。で、徳のエネルギーがぐーっと充満するんだね。
 この徳のエネルギーというのは、この人の思い・願いの方向に行きます。徳をいっぱい積んだと。でも心の中で――例えば普通に生きてたら、この人間界の観念、つまり人間界においてこれが良い、これが悪いというのがあるから――人間界において、たとえば人間的な意味で金持ちになりたいとか、人間的な意味でスターになりたいとか、芸能人になりたいとか、野球選手になりたいとかいろいろあったとしたら、そっちに徳が流れるんだね。だからものすごく膨大に徳を積んで戒を守っていると。しかし意識レベルというか、その望みが人間界レベルであったとしたら、来世人間に生まれて、例えば芸能人になるとか、お金持ちとかになります。だから今、みなさんの周りで、何か成功している人。あるいは生まれつきお金持ちとか、あるいは本当に恵まれてスターになっている人とか。これははっきりいって過去世からの膨大な徳があるんです。しかし願いがそこにあったんだね。例えばみんなから愛されてスターになりたいとか、お金持ちになりたいとかっていう、そういう願望があった。それで徳がそっちに現象化している。
 だからそういうたかだか人間世界の価値観に徳が現象化しないように、天のことを徹底的に修習するんです。「天はこうなってる、よってこの天にわたしは行きたいんだ、行きたいんだ」ということを、修習しろというんだね。それによってそっちに行くぞと。
 もちろん菩薩行の場合は、ここはそうじゃなくて回向になります。回向というのは、わたしの積んだ徳がわたしには一切返らないでくださいと。そうじゃなくて、わたし以外の人々の悟りや幸福に返って下さいという願いをするんだけど。
 でもそこまでいってない、まずはわたしは天に行きたいんだっていう人は、じゃあ天に狙いを定めなさいと。これは大乗仏教じゃなくて、原始仏教からお釈迦様が言っています。だからすごくリアリティがあるんだね。だからもしこの中で、「わたしは来世、天に行きたいんだ」っていう人がもしいたら、日頃から天のことを勉強して、「よし、天に行くぞ、天に行くぞ」と考えたらいいね。
 でもそれよりも、おそらくみなさんは菩薩行のカルマとか、あるいはバクティ・ヨーガのカルマがあるだろうから、できるのであればそっちを願った方がいいね。これは一つの結論としていうけども、その方が絶対いいです。みなさんがどれを選びたいのかわからないけど、少なくとも菩薩行かバクティ・ヨーガの道を念じた方が絶対いいです。絶対、みなさん自身が幸せになります。できるならばそっちを選んで欲しいね。でももう一回言うけども、天に行きたいという人は、天を修習すればいい。
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