ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

溶かせ

2007-06-30 09:45:55 | 松川先生のお話




 概念が凝固剤だ。

 それは名前という棒で混ぜられ、

 言葉と論理という蓋をされ、

 常識という冷凍庫に入れられる。

 こうしてわたしたちの意識と世界は、自由から遠ざかり、固まってしまう。
 恐怖と妄想というヒビが、その凝固物には現われるだろう。

 勇気を持って、今を生きる。
 そうして、固まった心を溶かせ。
 固まった世界を溶かせ。
 その先には、予想もしない世界の展開が待っているだろう。
 それはとても楽しいものだ。
 
 流れる水のように、激しい風のように、
 人生の日々の展開が激しく速いほど、真髄に近づくことを感じる。
 
 恐れるな、真理を。
 恐れるな、自らのカルマの解放を。
 
 固めるな、智慧を。
 固めるな、大いなる時の流れを。

 神への信愛という命綱をしっかりと握り、
 智慧と慈悲というオールを持ち、
 マハーカーリーの嵐の海へ、勇気を持って漕ぎ出せ。

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世田谷教室がオープンします

2007-06-28 21:22:36 | お知らせ



7月より、ヨーガスクール・カイラスの世田谷教室がオープンします。

場所は、世田谷線若林駅徒歩4分です。
三軒茶屋や、小田急線豪徳寺駅からも行けます。

東京方面の会員の方はこれからはこの世田谷教室でもクラスの予約を入れられます。

無料体験や新規会員も随時募集していますので、info@yoga-kailas.comまで、お気軽にお問い合わせください。

横浜教室・湘南台教室も、引き続きよろしくお願いいたします。

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カルマの法則

2007-06-27 22:38:46 | 松川先生のお話





 ちょっと質問があったので、カルマの法則について、ちょっと基本的なことを改めて書いてみたいと思います。


 カルマの法則というのは、実は多重的な意味を含んでいます。

 そしてその最も基本となるのは、ニュートンの作用反作用の法則と同じだといえば、最もわかりやすいかもしれません。

 簡単にいうと、たとえばここにゴムボールがあったとします。
 これを指で押し、指を離したら、どうなるでしょうか?
 当然、もとに戻るでしょう。
 それは、当たり前ですが、
 ①押した方向と全く逆方向に、
 ②押した分と同じ分だけ、
戻ることになります。

 これが、すべての現象において生じるという考えです。

 たとえばわたしたちが他人に苦痛を与えた場合、
 ①逆方向、すなわち自分に
 ②与えた分と同じ分だけ、
苦しみが返って来ることになります。

 他人に幸福を与え場合は当然、
 ①逆方向、すなわち自分に
 ②与えた分と同じ分だけ
幸福が返って来ることになります。


 つまり、宇宙は常に、平静なプレーンな状態に戻ろうとしているわけです。
 我々がこの世においてこの体を使って、あるいは言葉で、あるいは心で、何かをなした場合、それはこの宇宙にある種のゆがみを生じさせるわけです。そしてそのゆがみがもとに戻ろうとする力、これがカルマの法則によって、自分にカルマが返って来る力であるということができます。

 ですから難しいことではないのです。やったことが返って来る。因果応報。ただそれだけなのです。

 だから簡単にいえば、
 ・他人の幸福を願って生きる。実際に他人を幸福にする。
 ・他人の不幸を決して願わず、実際に他人に苦痛を与えない。
 ・自分に返って来た苦しみは、一つのカルマが終わろうとしているのだと考え、それ以上、心を動かさない。
 ・与えられた状況に満足し、必要以上の欲望を持たない。

 このような生き方をするならば、その人は自然に幸福になっていくでしょう。幸福のカルマしか返って来なくなるからです。

 さて、最初にも書いたように、カルマの法則はこれだけではなく、もう少し重層的な意味も持ちます。しかしそれは複雑になりすぎるので、とりあえずこの辺にしておきましょう。


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グル・リンポチェへの祈り

2007-06-27 15:50:14 | 松川先生のお話


 蓮華から生まれでた偉大なる化身よ
 すべての衆生の王よ

 グル・リンポチェよ
 あなたはすべての汚れを超え
 完全な叡智と慈愛を持ち
 すべての神通を身につけられたお方
 オーム アー フーム!

 かつてチベットの地において
 光の神々と共に
 荒れ果てたチベットの野を行き
 悪魔の軍勢を調伏し
 真理の教えを広めて
 覚醒の種子をまかれたお方

 我らが聖なるグル
 我らが聖なる王
 蓮華から生まれ出たアヴァターよ
 ヴァジュラグル!

 心の本性を知る
 大いなる完成、ゾクチェン
 そしてさまざまなタントラの教え
 これらすべての秘密の教えを
 秘密裏にこの世とかの世界に
 隠されていかれたお方

 ああ、グル・リンポチェよ
 今はまたチベットは悪魔が優勢で
 真理の炎は消えんとしています
 チベットだけではなく、地球上の多くの修行者が
 魔の力にやられ、苦戦しています

 嫌悪、性欲、疑念、恐怖、貪欲、嫉妬、慢心
 これらの悪魔の罠に、修行者の心は完全にやられ、
 悪魔に心をのっとられています
 口先だけの、実際の努力と達成のない教えが横行し、
 人々の心を惑わしています

 どうかあなたのその力で魔の軍勢を打ち破り、
 誠実に道を求める者たちに、祝福と加護をおあたえください
 かつてチベットの地でそうされたように


 愛だ、慈悲だと叫びつつも
 嫌悪に心覆われ、批判や中傷に日々を費やす、名ばかりの修行者たち
 グル・リンポチェよ、そんな修行者たちの頭を叩き割り、
 悪魔をたたき出し、
 あなたの祝福をおあたえください

 魔にとりつかれ、疑念に心覆われ、 
 「この教えは違う」「この教えは合わない」などと言いつつ
 エゴに都合のいい教えを捜し求め、
 教えによってエゴを守ろうとする、名ばかりの修行者たち
 解脱とは、エゴを破壊することだと忘れている者たち
 グル・リンポチェよ、そんな修行者たちの頭を叩き割り、
 悪魔をたたき出し、
 あなたの祝福をおあたえください

 性欲の魔に心覆われ、
 タントラだと言いつつ
 資格もないのに、ただ性欲を満足させるために、性的修行を行なう者たち
 彼らは自己と相手の双方を堕落させ、
 動物界に引きずりおろされる
 グル・リンポチェよ、そんな修行者たちの頭を叩き割り、
 悪魔をたたき出し、
 あなたの祝福をおあたえください
 
 悟りだ、歓喜だと言いつつも
 実体のない恐怖に心覆われ
 至高者や師にすべてをお任せすることもできず  
 自己の悪しきカルマにより、いつも逃げ道を探している修行者たち
 グル・リンポチェよ、そんな修行者たちの頭を叩き割り、
 悪魔をたたき出し、
 あなたの祝福をおあたえください

 空だ、無自性だなどと叫びつつも
 この世の多くのものに心をとらわれ
 あれがほしい、あれを失いたくない、などと常に考えている修行者たち
 グル・リンポチェよ、そんな修行者たちの頭を叩き割り、
 悪魔をたたき出し、
 あなたの祝福をおあたえください
 
 多くの悪業に覆われているにもかかわらず 
 心のキャパシティの狭さによって
 わずかな体験や理解を、偉大な体験や悟りと思い込み
 慢心や嫉妬の世界に没入する修行者たち
 グル・リンポチェよ、そんな修行者たちの頭を叩き割り、
 悪魔をたたき出し、
 あなたの祝福をおあたえください
 

 グル・リンポチェよ、私はあなたの道具です
 どうぞ、ご自由にお使いください
 私は、私のための人生などは一秒たりともいりません
 どうか、あなたへの完全なる愛をおあたえください
 未来際においても、永遠に、いつもそばで見守っていてください
 あなたが常にすべてに偏在しているという理解を、私は決して忘れません
 どうか、あなたの道具として、あなたの化身のひとつとして、
 この私の身・口・意を、ご自由にお使いください
 あなたの純粋な道具となるために
 私は私の身・口・意を、日々、修行によって浄化します

 偉大なるグル・リンポチェよ、どうかこのけがれた時代に生きるわれわれをお見捨てにならずに
 あなたの無限の祝福をおあたえください

 唯一の無限者よ、真理への鍵穴よ、覚醒への道しるべよ
 どうかすべての欺瞞を打ち破り
 真理の世界をすべての衆生に開示してください
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心の鏡

2007-06-10 15:57:53 | 松川先生のお話


 あの人はなんて嫌な(ダメな、ひどい)人なんだろう、と嘆くことがあったら、
 そんな風に思ってしまう自分の心を嘆くべきだ。

 【あの人は意地汚い】と感じることがあったら、
 気をつけなさい。そんな君こそが意地汚い。

 【あの人は傲慢だ】と感じることがあったら、
 気をつけなさい。そんな君こそが傲慢なんだ。

 【あの人は邪気を発している】と感じることがあったら、
 気をつけなさい。そんな君こそが邪気を発している。

 【あの人は嫌悪が強い】と感じることがあったら、
 気をつけなさい。そんな君こそが嫌悪が強い。


 他人の過失を見るなかれ。
 他人のしたこととしなかったことを見るな。
 自分のしたこととしなかったことを見よ。
 自分の過失に細心の注意を払え。
 自分の心の浄化に細心の注意を払え。

 すべてこの世の見え方は、自らの心の鏡であり、
 絶対的な客体は存在しない。
 よって、地獄を見る人はどこにいようと地獄を見、
 神の楽園を見る人はどこにいようと神の楽園を見るのです。

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第一章 土台(6)五つのコーシャ

2007-06-09 21:28:26 | 真我への道



(6)五つのコーシャ

 シャクティ(この宇宙のすべてを創造する力)が働くとき、プルシャ(魂)は、五つのコーシャ(殻、鞘、容器)に包まれる。

①第一のコーシャ--チッタ(心)
 プルシャを包む最も内側の殻はチッタで、これは聖音オーム、時間、空間、アヌ(宇宙原子)という四つの要素で成り立っている。またこのチッタは至福(アーナンダ)を楽しむ場所であるので、「アーナンダマヤ・コーシャ」という。

②第二のコーシャ--ブッディ(理性)
 第二の殻は、真理を識別する理性である。ここはジュニャーナ(叡智)の場なので、「ジュニャーナマヤ・コーシャ」という。

③第三のコーシャ--マナス(感覚意識)
 第三の殻は、感覚意識(マナス)の場なので、「マノーマヤ・コーシャ」という。

④第四のコーシャ--プラーナ(気、生命エネルギー)
 第四の殻は、プラーナでできた体なので、「プラーナマヤ・コーシャ」という。

⑤第五のコーシャ--肉体
 一番外側の殻は、物質でできた肉体である。これは食物(アンナ)によって養われるので、「アンナマヤ・コーシャ」という。


 シャクティのエネルギーがこうして五つのコーシャを作り出すと、心の内奥に眠る「智慧と慈愛」が引力となり、宇宙原子は互いにひきつけられ、凝集して、地・水・火・風・空という五大元素となる。これによってこの宇宙に、太陽や月や惑星が登場する。そしてその中でも特にプラーナの働きが強く現われたものとして、植物の世界が現われる。

 五つのコーシャのうち、感覚意識をつかさどるマノーマヤ・コーシャに自我意識が集中すると、外側の感覚的喜びを追求する世界である動物界とつながり、その魂は動物となる。

 単純に感覚的快楽を追い求める感覚意識を調御し、ジュニャーナマヤ・コーシャに自我意識が集中すると、正しいことと間違ったことを理性によって識別するようになり、その魂は人間となる。

 人間が、その理性も超え、心の内奥にある「聖なる慈愛」に集中したとき、最も内側の殻であるチッタが出現し、その魂は歓喜に包まれたデーヴァター(天人)となる。

 この一番内側の殻であるチッタさえも脱ぎ捨てると、もはやその魂をこのマーヤーである現象世界につなぎとめるものは何も無くなる。そうしてその魂は、完全なる自由を得た解脱者となり、聖なる光の世界に入るのである。


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第一章 土台(5)七つの世界

2007-06-09 21:27:43 | 真我への道



(5)七つの世界

 この宇宙は、大きく七次元の世界(ローカ)に区分される。

①サティヤ・ローカ
 最上位は、究極の唯一の実在である至高者の世界である。
 この世界は、あらゆる名称や概念を超えているので、言葉で説明することができない。よってここをアナーマ(名前の無い世界)とも呼ぶ。

②タポー・ローカ
 次は、至高者の智慧と慈愛の種子の現われであるプルショーッタマの世界である。
 ここには魂は容易に近づくことができないため、アガマ(近づきがたい世界)ともいう。

③ジャナー・ローカ
 この世界は、プルショーッタマの光の反映であるプルシャの世界である。
 ここで初めて「私」という自我意識が生ずる。
 しかしこの世界は、マーヤーに支配された普通の魂には理解できない世界なので、アラクシャ(理解できない世界)ともいう。

④マハー・ローカ
 マーヤーの創造活動がここから始まる。
 この世界は、聖なる世界と幻影の世界を結ぶ通路のようなものなので、ダシャマドワーラ(門の世界)ともいわれる。

⑤スワー・ローカ
 この世界には、まだ精妙な物質も粗雑な物質も全く存在していないため、マハーシューンニャ(偉大なる空の世界)ともいう。

⑥ブハー・ローカ
 この世界はには、精妙な物質はあるが、粗雑な物質が存在しないため、シューンニャ(空の世界)ともいう。

⑦ブフー・ローカ
 これは我々が普段認識している世界で、最も次元の低い、粗雑物質の世界である。


 人体に存在する七つのチャクラは、これら七つの世界と対応している。
 修行者が真我に向かって正しい修行を進めていくと、これらのチャクラに順次、「聖なる光」を見るようになる。



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リアル

2007-06-07 20:54:09 | 松川先生のお話




 人間の人生のほとんどは、妄想だ。

 それは、未来への期待と恐怖、そして過去への後悔と思い出という妄想だ。

 たとえば明日、苦手な人と会う予定があるとする。
 ここで一日、憂鬱になる。
 そして実際に会って、実はけっこう楽しかったとしたら、どうだろうか。
 この丸一日の憂鬱はなんだったんだ?・・ということになる。全く無駄な一日を過ごしてしまったのだ!

 逆に、本当に嫌な感じで、悪口とかを言われたとしたらどうだろうか?
 しかし、仮にそうなったとしても、たとえば悪口を言われている時間というのは、数秒か、せいぜい数分だろう。
 別にその前の丸一日の憂鬱な時間は、必要ないのだ。
 そしてこの人はその後、数日間、嫌な気持ちになるかもしれない。
 ああ、会わなければ良かった、とか後悔するかもしれない。
 しかしそれも必要ない。必要ないのに人は引きずる。
 そして二日くらい引きずったと考えたら・・・この人が苦手な人と実際に一緒にいた時間がたとえば一時間、嫌なことを言われた時間が数分だったとしても、それ以外の前後丸々三日間、その人は実体のない妄想の中で苦しまなければいけないのだ!

 次に、喜びについても考えてみよう。
 明日、恋人とデートの予定があるとする。
 ここで一日、うきうきする。
 しかし実際は、何かトラブルがあったりケンカをしたりして、つまらないかもしれない。最悪の日になるかもしれない。

 逆に、本当に楽しかったとしたらどうだろうか?
 しかしその楽しい時間というのは、数時間かもしれない。そしてその中で実際にその喜びを感じている瞬間は、もっと少ないかもしれない。
 そしてこの人はその後もしばらくの間、その良い思い出に浸ることだろう。
 つまりこの「デート」がもたらす喜びは、前後数日間続くわけだけど、そのほとんどは、妄想、イメージの喜びなのだ。
 そしてその思い出のリピートを求めて、また新たな欲求を起こすことだろう。

 この後者の喜びについては、別に良いことではないか、と思うかもしれない。
 確かに、苦しみの妄想に浸るよりは良いことかもしれない。

 しかしね、もっと素晴らしいことがあるんだよ。
 それは、常にリアルに浸りきるということだ。
 
 上記の例で言うなら、嫌な人に悪口を言われているリアルな苦痛の時間は、数秒とか数分間だ。
 あるいは、恋人と楽しい言葉を交わすリアルな幸福の時間は、数分とか数時間だろう。

 我々の人生のリアルな苦楽は、そんな短いものなのか?

 そうじゃない。瞬間瞬間、わたしたちの前にはリアルな、輝かしい、新鮮な世界が現われ続けているのだ。

 だから妄想を捨て、期待や恐怖を捨て、後悔や思い出にふけることを捨て、瞬間瞬間をリアルに味わい続けるんだ。

 苦しいことがあったら、そのリアルな苦しみの感覚を味わえばいい。しかし次の瞬間には、別の世界が現われているんだから、スパッと捨て去ればいい。
 幸福な時は、リアルにそれを味わえばいい。しかし引きずっちゃいけない。次の瞬間にはまた別の輝かしい世界が現われるのだから。前のものを引きずると、それは腐っていくし、多くの新鮮な輝きを見逃すことになる。


 朝起きると、世界がある。素晴らしいことじゃないか! 太陽が出ている。なんて素晴らしいんだ(笑)! 雨ならばそれもまた素晴らしい。

 一人でいても、誰かといても、瞬間瞬間、世界は移り変わっていく。そのリアルな感覚を、瞬間瞬間味わう。リアルに生きる。

 そのようにしたならば、世界がその本当の姿を現すことだろう。

 ただしその前には、この未来や過去の幸不幸に対する自分の「とらわれ」をつぶさなきゃいけないね。
 仏教やヨーガで「執着を捨てろ」とかいうのは、実はそういう意味でもあると思います。
 
 執着なく瞬間瞬間をリアルに生きるならば、そのリアルな苦楽は、かなり心地よいんだね。

 しかし妄想に慣れ、弱弱しくなった心には、このリアルな輝きは、強すぎると感じる。まぶしすぎるんだね。だから人は妄想に逃げる。

 だから突然には無理だ。少しずつ、いろいろなヨーガ等の方法で、心を強くし、とらわれを排除していく必要がある。

 そして徐々にでも、リアルな世界に没入していこう。

 まあしかし実際は、それをするには、現代の日本の生活は忙しすぎる。
 だから毎日少しでも時間を設けて、様々な修行や瞑想に励み、自己や宇宙の本質を見つめるべきですね。 


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第一章 土台(4)魂を構成する24の要素

2007-06-01 16:29:59 | 真我への道




(4)魂を構成する24の要素

 パラムブラフマの智慧と慈愛の種子の現われが、プルショーッタマである。これは宇宙に偏在する命であり、光であり、すべての創造主である。
 このプルショーッタマの光の反映が、プルシャ(魂)である。

 アヌ(宇宙原子)は、パラムブラフマが発する智慧と慈愛の光を浴びて、チッタ(心)を形成する。
 これにより、自分は他者と分離された一個の存在であるという観念が生ずる。これをアハンカーラ(自我意識、エゴ)という。
 このチッタ(心)が真理に近づこうとして進化した状態をブッディ(理性)という。
 逆にチッタ(心)が真理から遠ざかり、架空の感覚的世界を作り出そうとする状態をマナス(感覚意識)という。

 自我意識を持つチッタ(心)は、五つの根源的エネルギーを放射する。この五つの根源的エネルギーがパラムブラフマに引き寄せられるとき、ブッディ(理性)を形成し、魂の根源体であるコーザル・ボディ(原因体)を形成する。

 また、これらの五つの根源的エネルギーは、宇宙を構成する三つの要素であるサットヴァ(善性・光のエネルギー)、タマス(暗性・闇のエネルギー)、ラジャス(動性・動きのエネルギー)の影響を受けて、さまざまな展開を為す。

 五つの根源的エネルギーのサットヴァの属性は、五つの感覚器官(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)となり、それらはマナス(感覚意識)の影響を受けて、「感覚器官の体」を構成する。

 五つの根源的エネルギーのラジャスの属性は、五つの行為器官(排泄、生殖、言葉、手、足)となり、それらはチッタの中和力によって、「プラーナの体」を構成する。

 五つの根源的エネルギーのタマスの属性は、五つの感覚対象(色形・音・香り・味・触れられるもの)となり、それらは行為器官の中和力によって、感覚器官と結合し、欲望を満たす。

 これら五つの感覚器官、五つの行為器官、五つの感覚対象、そしてマナス(感覚意識)とブッディ(理性)が、リンガシャリーラまたはスクシュマシャリーラと呼ばれる「精妙な体」を構成する。
 
 五つの感覚対象は互いに結合して、地(固体)・水(液体)・火(熱)・風(気体、生命力)・空という五種類の物質の観念(五大元素)を作り出す。この地・水・火・風・空が、プルシャ(魂)の一番外側の衣である「肉体」を構成する。

 五つの感覚器官、五つの感覚対象、五つの行動器官、五大元素、チッタ(心)、ブッディ(理性)、マナス(感覚意識)、アハンカーラ(自我意識)--これら24の要素は、アヴィディヤー(無明)が発展したものに他ならない。
 よって、この世の現象のすべては無明から出たものであり、本質的には何の実体も無い幻影であり、唯一の実在である至高者の「リーラ(遊戯)」に過ぎないのである。


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