ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

本当の性欲と食欲

2006-01-25 21:39:32 | 松川先生のお話


 ヨーガ修行を続けると、生命力が充実し、気道がきれいになってくる結果として、生命力に満ち溢れ、気力が充実し、そして強烈な性欲と食欲が出てくることがあります。

 そしてこの性欲と食欲こそ、本当の性欲と食欲なのです。

 つまり普通の人が言う、「俺は性欲が強い」とか「私は食欲旺盛です」などというのは、本当の性欲や食欲を感じ、味わっているわけではなく、ほとんどの場合は、単なる情報や経験によって形作られた習性によって、そういう欲が生じているに過ぎないといえるでしょう。

 今の日本の社会で、ヨーガ修行などもしない場合、一日三食食べ、オナニーやセックスなどを週に何度も行なった場合、著しい生命力の低下を引き起こすでしょう。
 しかし私たちはそれになれすぎてしまっているため、その悪い状態に気づかないといえます。
 だからヨーガや仏教では、まず禁欲や小食を勧めるのです。これは道徳的観念ではなく、生命力の蓄積の知恵なのです。

 情報や経験から来る単なる習性としての性欲や食欲。これらを抑制し、でもヨーガ修行などを行なわなかった場合は、ストレスが生じてしまうかもしれません。

 しかし同時にヨーガ修行などを続けた場合、最初はストレスがあるかもしれませんが、徐々にその習性としての「偽りの性欲と食欲」は消えていくでしょう。そして全身に生命力が満ち溢れてきて、「本当の性欲」と「本当の食欲」が出てくるでしょう。
 この状態で、もし本当に愛している人とセックスをしたとしたら、現代人のほとんどの人が感じていない、ものすごい性的エクスタシーを感じることができるでしょう。
 また、この状態で食事をしたなら、これも現代人のほとんどが感じてない、ものすごい味覚のエクスタシーを感じることができるでしょう。 
 また、この状態のとき、ものすごい消化力がつくので、大量の食物を平らげることができるようになります。

 また、この状態のとき、体は常に飛ぶように軽く、心身は強いエクスタシーにあふれ、気力は充実して常に肯定的で、目に輝きがあり、頭脳はフル回転で稼動するようになります。また、体が非常に熱く感じるようになるでしょう。そして睡眠時間が極端に減るでしょう。私はこの状態の強いとき、30分から1~2時間の睡眠で十分でした。

 そしてこの状態にありながら、さらに禁欲し、食物もとり過ぎないように注意し、より修行を進めたならどうなるでしょうか。

 この、「本当の性欲と食欲」が出て、生命力に満ち溢れる段階は、ヨーガの言葉でいうと、水と火のエネルギーの活性化した段階といえるでしょう。しかしその水と火のエネルギーを無駄に使わず、さらにエネルギーアップさせるならば、それが極限に達した段階で、今度は風のエネルギーに変換されます。
 この段階で、ある意味、聖者の領域に入ってきたといえるでしょう。この段階で、食欲と性欲は相当減少します。男性の場合、夢精もしません。しかし心身はより生命力に満ち溢れます。しかしそれは以前の熱く燃えるような生命力ではなく、もっと気持ちよくさわやかというか、なんと表現したらいいかわかりませんが、透明感のあるエネルギーに満ち溢れていきます。そして身体の気道は徹底的に浄化されていき、心は広く、深く、安定していきます。そして以前よりも、激しくはないけれども、静かだけど非常に強いエクスタシーに、心身が包まれます。

 もちろんこれもまだ、修行の最終地点ではありません。しかし少なくとも非常に幸せな状態といえるでしょう。
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電子書籍「聖なるインドへ」発売!

2006-01-15 01:25:02 | お知らせ

このたび、アウェアパブリッシングより、松川慧照の著書「聖なるインドへ」の電子書籍が発売になりました。
本書は、ブログで連載されたインド修行旅行記に、若干の加筆がなされたものです。
ヨーガをする人、インドが好きな人、何かを求めている人、さまざまな人に利益を与える必読書です。ぜひお買い求めください。

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純粋な歓喜

2006-01-01 08:43:05 | 松川先生のお話



 こみ上げるものがある。こみ上げるというとき、皆さんは何を思い浮かべるだろうか?

 怒り。感動。悲しみ。喜び。嬉しさ。

 しかしそれらこみ上げるものの正体は、ネガティブなものであれポジティブなものであれ、正体は「純粋な歓喜」なんだ。 
 
 そのこみ上げたものに何の意識も展開させることなく、純粋なまま取り出すなら、それは純粋な歓喜にほかならない。それがすべての感情の正体、エネルギーの正体だ。

 しかしそこにね、煩悩があるから、言い換えれば経験と記憶から来る間違った見解があるから、我々はその純粋な歓喜の水にね、泥や汚れを混ぜるように、悪しき感情、あるいは弱い喜びに堕落させてしまうんだ。

 ちょっと今回の記事は、あまり読み手のことを考えずに、私が自分の修行の中で感じてきたことをそのまま書いています。こういう類のことは、あまり論理的にまとめないほうが、ポイントが伝わりやすいと思ってね。

 だから煩悩即菩提という言い方もね、後期大乗仏教とかではあるけれど、あれはもちろん、煩悩を肯定しているわけではない。煩悩として何かが現われるのはハッキリ言って集中力がないからだ。でも純粋にこの世の本質に集中するなら、あらゆる感情、エネルギー、表われは、歓喜そのものになるんだ。 

 高々セックス、食べ物、地位、名誉、これらがもたらす歓喜は微々たるもんだ。だってそれは汚されたものだからね。純粋化された歓喜に集中できたら、そこで味わう歓喜は表現不可能なものなんだ。

 こういう感覚を、論理的納得ではなく、エネルギー的な修行も行いつつ、心の汚れも少しずつ取りつつ、だんだん、実質的に経験できるようになってくると、この世のあらゆる現象や、そこで感じる思いがね、歓喜に満ちたものになってくるんだ。

 だからヨーガではね、まず集中力を鍛えさせるね。瞑想とは単純に言えば集中力のプロセスだ。しかし実際にはそれを成し遂げるには徳も必要だし、煩悩を落とすことも必要だし、慈愛をはじめとした四無量心も必要だし、戒などである程度の枠組みに沿った生き方を自分に課すことも必要なんだね。それらを土台に、世界の本質に集中するんだ。あるいはね、エネルギーの浄化と、気道の浄化、そして定められた道に気を通すことによってね、それが起きることもある。とにかくある種の世界、領域に突入すると、それはトリップでもない、非常にクリアな、普通にいう鮮明というのとはまた少し違う鮮明な世界に、心は突入していくんだ。そしてそれは、歓喜に満ちているんだ。歓喜といってもね、いろんな段階の歓喜が修行ではあるわけだけど、まあとにかく、純粋な歓喜と表現するのがいいような感じにね、入っていくんだね。

 まあ、そうなったら、この世は、何があろうと歓喜だね。
 
 そしてそうなったらその人は、まず、心を乱したり、怒ったり、苦しんだりすることはほとんどなくなるだろうね。そしてどんどんね、正しい選択を取れるようになってくる。他人に対しても、他人のためになる選択を取れるし、また、何も言わないでもね、他人をひきつける人になるだろうね。なぜならその人が感じている純粋な歓喜を、他人もまたなんとなく感じ取れるからだ。

 まあ、もう一回書くけど、今回の記事は、あまり読み手のことを考えずに、私が自分の修行の中で感じてきたことをそのまま書いています。だから何か質問とかされてもあまり答えられないかもしれないけどね(笑)。
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