ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

全力でさらっと生きる

2005-12-15 17:48:22 | 松川先生のお話
 なぜ、執着をしてはならないのだろうか?

 それはまず、執着は苦しみの原因だからである、ということがあるでしょう。
 執着がある限り、その対象(状況)が得られなければ苦であるし、得ているものを失うのも苦であるし、それと逆の現象にさいなまれるのも苦となってしまう。

 次に、執着があると、ものを正しく見ることができない。
 恋は盲目、というのが良い例ですが、そこまでいかなくても、わずかな執着や、その反対の嫌悪感、これが対象への正確な判断を狂わす。つまり執着は智慧を阻害するから、智慧を邪魔する無智の原因となるから、執着を持ってはいけないということもできます。

 さて、上記二つももちろん重要なのですが、今回はもう一つの重要なことを説明しましょう。
 それは、執着はカルマの流れを遅くするということです。

 正確には、執着というか、とらわれといっていいでしょう。良いことや悪いことに対するとらわれです。
 カルマの流れとは何でしょうか? 過去あるいは過去世の行為が原因となり、しばらく蓄えられた後、条件が整った段階で、我々の人生に、良いことや悪いこととして【カルマの果報】が返ってきます。
 このとき、そのすばらしい経験に執着してとらわれたり、あるいは苦しみの経験にとらわれ、いつまでもそれを引きずって苦しんだり後悔したりしているとどうなるでしょうか?
 カルマの流れがそこで停滞してしまうのです。
 つまり本当は次から次へと、経験しなければいけないカルマの果報がたくさんあるわけですが、一つ経験するたびにそこで喜んだり苦しんだりして長くとらわれていると、カルマの流れが悪くなり、なかなか次のカルマの果報の経験に進みません。そしてその停滞の間に、そのとらわれの心により、さらに多くの新しいカルマを積むわけですから、カルマの浄化はなされず、どんどん増えるばかりです。

 ではどうすればいいのでしょうか?
 カルマの果報を経験したときに、瞬間的に喜んだり、苦しんだり悲しんだりするのは、別にかまいません。それはしょうがないでしょう。しかし引きずらないで下さい。
 理想的には、1分も引きずらないで下さい(笑)。まあ、数秒くらいはいいでしょう(笑)。でもすぐに数秒後には、心をそこから離すのです。また、今やるべきこと、今の瞬間のみに集中するのです。

 たとえば誰かに褒められた。うれしい。それはいいんですけど、それを、一時間も二時間も、あるいは三日も四日も、そのことばかり考えて喜んでいる人がいますね(笑)。この人の人生は、三日前で止まっているのも同じです(笑)。
 苦しいことも同じです。確かにその瞬間は苦しかっただろうけど、その苦しい経験にとらわれ、何日間も引きずる人がいます。喜びを引きずる人より、苦しみを引きずる人のほうが多いでしょうね。これもやめましょう。何の利益にもなりません。

 カルマは実際は、瞬時も止まることなく流れています。その流れているカルマをがっちりとつかんでしまい、流れを止めているのは、そのとらわれ、こだわりの心なのです。
 
 だからその心の手を離してください。そうするとどうなるでしょうか?
 ものすごいスピードでカルマが流れ出します(笑)。これは精神的・観念的に【そんな感じがする】ということを言っているのではありません。本当に現実的に、短い期間に、多くの経験をするようになるのです。それは私の経験上でも、はっきりといえます。
 たとえば一ヶ月の経験が、以前の一年間くらいの経験に感じられます。そのくらいいろいろなことが起きるし、また、精神的にもさまざまな変化と成長が、短い間にあります。
 喜びと苦しみの経験、良い果報と悪い果報が、次々と目の前を流れていきます。その瞬間瞬間はもちろん真剣に生きているのですが、とらわれがないため、その全体は、客観的に映画を見ているような感じになり、どんどんカルマは消化され、そこで新たなカルマを積まなければ、カルマはどんどん浄化されていきます。
 瞬間瞬間、今を全力で生きる。しかし喜びも悲しみも、一分間さえも引きずらない。現象から学べることは最大限に学ぶ。しかし現象に心を縛り付けない。このような、真剣だけど【さらっとした心】で生きていると、カルマの流れが速くなるだけでなく、当然、新たな悪いカルマを積む可能性は低くなりますし、また、その上で仏教やヨーガの教えなどに代表される【正しい生き方】や【修行】などを実践していると、そのうち、その人の中には、【良いカルマ】しか残らなくなります。
 良いカルマしかなくなったら、その人の人生はただ至福のみの人生になります。
 良いカルマさえもすべて消滅したら、その人は解脱します。
 これがカルマ・ヨーガの真義ではないでしょうか?
 カルマ・ヨーガについて書かれた本や経典の中で、このようなことを具体的に書いているものは私は知りません。だからこれは私の持論に過ぎないのですが、自分の実体験や、今まで指導してきた人たちを見る限り、このように思うのです。そしてこの修行は、お釈迦様の仏教の本質とも大きくつながることであると思います。

 結局、この人生とは、過去のカルマの清算に過ぎないのですから、逃げずに堂々とカルマの流れに立ち向かい、そのどれにもとらわれず、心を浄化し、そのカルマの流れの奥にある真実をつかむこと。これがこの輪廻の世界の中での修行であり、また人生の意義なのではないかと考えます。

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とらわれと苦しみと輝き

2005-12-08 12:18:02 | 松川先生のお話


 仏教でもヒンドゥー教でも、「この世は苦だ」という。

 それは本当だろうか?

 それは本当であって、本当ではない。

 この世は本当に苦である。それはどういうことだろうか。
 それは細かいことは過去にもいろいろ書いてきたので書かないが、この世の苦を認識できるということは、心がクリアになってきていることを意味する。
 つまり私たちの心は、麻痺しているのだ。
 あるいはごまかしすぎて、自分で自分がよくわからなくなっているのだ。 
 ごまかすのをやめると、「この世は苦だ」という思いや「この世に何か意味があるのだろうか」という思いに気づき、怖くなる。それを潜在的に恐れている心もあるかもしれない。
 しかしごまかすのをやめ、また、修行によって実際にエネルギーがクリアになり、心がクリアになると、当たり前のように、「この世は苦だ」ということがわかってくる。
 この世は苦だ。
 こんなに不自由で不安定で、生きづらく、苦悩の多い世界はない。
 まずそれに気づかなければならない。

 では、「しかし本当はこの世は苦ではない」とはどういうことだろうか?
 実際は、「この世」と言っているのは、条件に過ぎない。
 それを「苦にしているもの」は、「自己の心のとらわれ」だ。
 しかもそれは、正確には、「この世に対するとらわれ」ではない。
 この世そのものには実体がないから。
 では、何にとらわれているのか?
 「この世だと思っているもの」に対するとらわれだ。
 もっと正確に言えば、経験から来る誤った認識に対するとらわれだ。

 つまり正確に言えば、
「この世は苦である」
ではなく、
「無明は苦である」
「誤った認識によりこの世を見ている状態は苦である」
「幻影的なこの世に誤ったとらわれを持っている状態は苦である」
といったほうがいいだろう。

 では、その「とらわれ」や「誤った認識」を取り払ったらどうなるのだろうか?

 この世はすべてが止まるのだろうか?
 
 カルマによってこの世の条件が流れている以上、止まることはない。
 無になることもない。

 そうではなくて、すべてが新鮮で、輝き、至福に満ちたものになる。
 
 これは経験上のものなので、「なぜ?」と言われても困るけれど。

 私は自分の中のとらわれをどんどん落としていったとき、最初、なんだか少し寂しいような錯覚があった。これで本当にいいのかな? という寂しさだ。
 しかしある段階で、あるラインを超えたとき、いきなり世界の見え方が変わった。
 それは寂しいとか無とか、とんでもない(笑)。すべてが光り輝いていた。そう、変なとらわれを、つまり「偽りの幸福」のレッテルをはずしたとき、そこには幸福がなくなるのではなく、真の幸福が現われるという感じだ。
 その幸福というのは輝きであり、研ぎ澄まされ、純粋であり、むき出しであり、ストレートであり、まぶしく、至福に満ち、すべてを包み込むような、そんな感じの喜びだ。
 空を見ても、大地を見ても、人を見ても、街を見ても、花を見ても、ビルを見ても、ごみを見ても、動物をみても、すべてが輝きと至福になる。
 人に褒められても、けなされても、愛されても、嫌われても、願いがかなっても、かなわなくても、すべてが輝きと至福になる。
 朝起きれば至福だし、太陽が出ていればうれしいし、雨でも楽しい。すべての経験がむき出しの至福と輝きを持つ。
 そして輝きというのは本当に視覚的にも光っているし、至福というのは肉体的にも歓喜だ。

 そんな感じになるんだ。
 だから、私の感覚では、修行ってのはストイックだけど、実際は結果的にはストイックじゃないというか、非常に気持ちよく、歓喜に満ちたものなんだね。無になるとか、静まるとかだけじゃないんだ。もちろん、心は静まるけどね。

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17段階のヨーガ

2005-12-07 17:07:01 | 松川先生のお話
 古典といわれるヨーガ・スートラにおいては、ヨーガの八段階というものがある。これはもちろんこれですばらしいが、その後に現われたハタ・ヨーガにおいては、また別の段階設定がある。
 それらを踏まえたうえで、仏教的な要素も組み入れ、現代的な修行の段階設定を少しまとめてみました。



1.禁戒
2.経典を学ぶ
3.仏陀や神への帰依・供養・懺悔
4.菩提心の発願
5.クリヤー
6.アーサナ
7.サヒタクンバカ・プラーナーヤーマ
8.その他のプラーナーヤーマ
9.ムドラー
10.トラータカ
11.念正智
12.マントラ
13.各種の瞑想
14.エネルギーの瞑想
15.シャマタ(寂静)の瞑想(サマーディ)
16.ヴィパシャナー(観)の瞑想(智慧)
17.四無量心






1.禁戒

 ◎不殺生・非暴力
 ◎盗みをしない
 ◎不邪淫(できれば禁欲)
 ◎嘘をつかない
 ◎酒・タバコ等をやめる
 ◎貪らない
 ◎怒らない
 ◎誤った見解を持たない

 上記の禁戒は、ヨーガのものに仏教の戒も混ぜました。
 お酒やタバコに関しては、現代では、それがないとやっていけない、やめられない、という人もいるかもしれませんが、その場合はできるだけで結構です。ヨーガ修行が進めば、自然に体が必要としなくなります。

 ◎食物の禁戒

 ハタ・ヨーガは肉体やエネルギーの問題を扱うため、食物の規定が厳しくあります。
 ただし現代では、それほど厳しくしなくても良いでしょう。
 しかしできるならば、ある程度は枠組みを作ったほうが良いです。
 ヨーガでは肉体は「食物鞘」と呼ばれます。つまり食物によって作られた、魂の入れ物という意味です。だからこの肉体を形成する食物を選ぶことは重要になるわけです。

 ☆少なくとも初期のうちは、菜食が良いでしょう。
 ☆冷たすぎるもの(アイスなど)はとらないほうがいいです。 

 あとはさまざまな条件にもよりますので、自分の師から指導を受けるのが良いでしょう。



2.経典を学ぶ

 ヨーガや仏教等の聖典、あるいは聖者が書いた書物などを読み、修行に対する理解を深めます。


3.仏陀や神への帰依・供養・懺悔

 これはそのような理解をもつ人だけでもよいのですが、修行の開始に当たり、仏陀や神々に加護を祈り、また帰依を強め、供養や懺悔の瞑想を行なうことが可能なら、それはこの後の修行に大きな力を与えてくれるでしょう。


4.菩提心の発願

 これもそのような理解を持つ人だけでもよいのですが、修行の開始に当たり、この修行は自分のためではなく、衆生の幸福と苦悩からの解放のために行なうのだ、という決意、誓いをするとよいです。それは修行に大きなパワーと加護をもたらすでしょう。


5.クリヤー

 クリヤーとは、ヨーガやアーユルヴェーダで行なわれる身体浄化作法です。
 アーサナのさらに前段階として、身体の汚れを取り除き、不調和を取り除きます。
 しかしこれは全員が必ずやるべきということでもありません。しかし粘液体質の人はやると良いでしょう。


6.アーサナ

 さあ、やっとアーサナです。もちろん、いきなりアーサナから入っても全く構わないし、実際、私のところでも、初心者はアーサナから始めています。しかし後からでも良いから、上記の1~5を固めていけば、アーサナ以降の進み具合も早まることでしょう。
 アーサナにより、ストレッチ的な効果だけではなく、気道の浄化、神経の正常化、内臓のマッサージなどが行なわれ、徐々に自分の身体を理解およびコントロールできるようになっていきます。


7.サヒタクンバカ・プラーナーヤーマ

 この呼吸法は他にもいくつかの呼び名がありますが、最も基本的なヨーガの呼吸法です。
 この呼吸法により、腹胸式呼吸を身につけ、呼吸は深く安定し、呼吸数は少なくなり、左右のエネルギーバランスは整い、また体中の気道が浄化されていきます。


8.その他のプラーナーヤーマ

 その他、その人の段階・タイプ・目的等に合わせ、数多くあるヨーガの呼吸法のうち、いくつかを修習していきます。


9.ムドラー

 ムドラーにも各種の技法があります。
 全体的にいってムドラーの狙いは、次のようなものがあります。
 ◎クンダリニーの覚醒
 ◎強烈な気の上昇
 ◎強烈に気道を通す
 ◎潜在意識に入り、瞑想状態を作る

 これらによって、クンダリニー・ヨーガのプロセスを速やかに進めると共に、瞑想の準備を整えていきます。


10.トラータカ

 これは外的なものに意識を集中する訓練です。必ず必要なわけではありませんが、一つの効果的な訓練になります。


11.念正智

 念正智とは、自己の心に正しい教えの内容を徹底的に根付かせていくことです。これが後の良い瞑想の準備になります。
 これは修行のときだけではなく、日常を通じて、行なわれなければなりません。自己の心・言葉・からだの動きを常にチェックし、教えに基づいて生きることです。


12.マントラ

 瞑想の中では、マントラは比較的集中しやすいものです。
 マントラは、人間が発する声(音)の中で、聖なるヴァイブレーションを集めたものです。これにより、心の世界を浄化していきます。
 漢語のお経を唱えても、意味はありません。お経ではなくマントラを、できるだけ正確な発音で唱えなければなりません。お経を読むなら、日本語に訳されたものを、意味を考えながら読むようにしてください。


13.各種の瞑想

 イメージを使ったりした各種の瞑想があります。それはより高度な瞑想の準備となります。


14.エネルギーの瞑想

 イメージではなく、実際に覚醒したエネルギーを上昇させ、アムリタ(不死の甘露)を発生させ、チャクラで歓喜を生じさせるなど、実質的なエネルギー昇華の瞑想があります。
 これにより、心身ともに常に歓喜に満ちた状態になります。


15.シャマタ(寂静)の瞑想(サマーディ)

 シャマタ(寂静)と呼ばれる瞑想は、実際は理想はサマーディに入ることです。それにより波のない水面のような、完全に透明で澄み渡り生き生きとして寂静なる瞑想状態が形成されなければなりません。  


16.ヴィパシャナー(観)の瞑想(智慧)

 静まった心を観察し、心の秘密を悟り、智慧を深めていきます。


17.四無量心

 四無量心は実際は全期を通じて行なうのが良いのですが、それが本当に身につくのは、これまでのプロセスでエゴがどんどん少なくなってきてからになります。

 まず瞑想において、慈・悲・喜・捨の心を育てていきます。
 これにより、その人の心の世界は、無限に広がっていきます。
 そして現実生活においても、これらの心に基づいてのみ生きるようにしていきます。
 慈とは、他者の幸福を願い、そのために自分の幸福を差し出す心
 悲とは、他者が苦悩から解放されることを願い、そのために自己が苦悩を引き受けようとする心
 喜とは、他の魂の幸福や進化を喜ぶ心
 捨とは、自分の苦楽に対しては一切とらわれず、すべてを平等に見る心です。

 それまでのプロセスでエゴが破壊され、そしてこの四無量心が確定されたならば、その魂は、ただ他者の幸福の推進と、苦悩からの解放(解脱)のためにのみこの世に存在する魂となっていきます。

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真理の楔

2005-12-03 16:25:00 | 松川先生のお話
 たとえば悪口を言われたり、嫌味を言われたり、批判されたり、陰口をたたかれたりする。
 そしてそのようなことを言う人を観察すると、その人も別の人に同様のことを言われたりしている。
 そして--これが一番気づきにくいのだが--自分もまた同じだということに気づかなければいけない。
 つまり何かをされるカルマがあるということは、自分にもそれをするカルマがあるのだ。
 つまりこの例の場合だと、自分も(気づいているかどうかは別にして)、他の人に悪口や嫌味や批判や陰口を言っている可能性が高い。

 これがカルマの輪だ。
 カルマの縁が連鎖する、カルマの輪だね。
 自分もその中にいるということだ。

 カルマというのは自然な流れだ。
 だから悪口等を言われた人にとっては、悪口を言い返すこと、あるいは他の人にその矛先をむけること、あるいは、言わないまでもこころに憎しみを持つこと。これらが最も自然で、行ないやすい反応ということになる。
 しかしその「自然」にしたがっているがゆえに、カルマの輪から逃れられないのだ。

 よって修行者はここで、意志によって、カルマの輪を断ち切らねばならない。
 それをできるのは、この輪に参加している人の中で、ただ一人、君しかいないからだ。
 そのような考えと出会い、理解し、実践しようとする機根を持つ者しかいないからだ。
 憎しみには愛で返せ。
 非難には賞賛で返せ。
 奪われたら与えろ。
 馬鹿にされたら、尊敬しろ。
 悪い言葉には良い言葉で返せ。
 苦しみを与えられたら、幸福を贈れ。
 あだを恩で返せ。
 最悪の場合でも、悪しき反応はするな。
 これによって、そのカルマの輪に、化学変化が生じる。 
 それは最終的には、二つのうちどちらかの結果が考えられるだろう。
 一つは、自分がその輪から外れてしまうこと。
 もう一つは、その悪しき縁の輪が、良い縁の輪に変わってしまうということだ。
 後者について具体例をあげると、たとえば憎しみに対して愛を返した場合、それをやられたほうは最初、混乱するかもしれない。しかしその心地よいショックを心地よいとかんじたなら、次は他の人にもそれをやってみるかもしれない。つまり他の人に苦を与えられたときに、慈愛で返してみるかもしれないということだ。
 あるいはその人が変わらなくても、それを見ていた他の縁ある者が変わるかもしれない。
 このようにして、憎しみの連鎖が、慈愛の連鎖に変わっていくこともあるのだ。
 しかしそれを最初にやる人は、大変だ。
 つらい。
 時には孤独に耐え、時には誰にもわかってもらえない感じがするだろう。
 だから修行者はつらいのだ(笑)。
 しかしがんばってくれ(笑)。
 必ず道は開けるし、必ず見ていてくれるものがいるだろう。
 安心して進め。悪しきカルマの輪に、真理の楔を打ち込め。
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弓を引くアーサナ

2005-12-02 16:59:15 | ワンポイント・ヨーガ


1 床の上に両足を伸ばして座る。
2 人差し指と中指と親指で、それぞれの足の親指をしっかりとつかみ、腕と背筋を伸ばす。
3 息を吸いながら、右足を折り曲げて、手で持った右足を、右耳に向かってゆっくりと、弓を引くように引き寄せていく。目は左足の親指を見つめている。
4 右足の親指が耳についたら、息を止めて保持するか、リズミカルな普通呼吸をして10秒間保つ。
5 ゆっくりと息を吐きながら、静かに右足を一直線に戻していく。少し休んで息を整えて、反対側の足についても同様に行なう。

弓を引くアーサナ(腕を交差させて)

1 床の上に両足を伸ばして座る。
2 右足首の上に左足を乗せて交差させる。
3 右手で左足の親指を、左手で右足の親指をしっかりとつかみ、腕と背筋を伸ばす。
4 息を吸いながら、左足を折り曲げて、手で持った左足を、右耳に向かってゆっくりと、弓を引くように引き寄せていく。
4 右足の親指が耳についたら、息を止めて保持するか、リズミカルな普通呼吸をして10秒間保つ。
5 ゆっくりと息を吐きながら、静かに左足を戻していく。少し休んで息を整えて、反対側の足についても同様に行なう。




※注意・・・右肘を高く上げ、足を引き寄せるようにする。
 実際に弓を引いていることをイメージして行ない、できるだけ連続的に緊張と弛緩の過程をつかむことです。それがより深い精神集中への糸口となります。
 このアーサナになれたら、息を吐きながら同様のことを行なってもよい。

<効果>
1 足の筋肉をリフレッシュさせ、柔軟にする。
2 腹部の臓器に良い刺激を与える。
3 股関節の歪みを治す。
4 腰の神経に良い刺激を与える。
5 腕、肩、ひざの筋肉も強化され、またしなやかになる。握力も強める。
6 体内の生気の働きが良くなる。
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長所と短所

2005-12-02 16:18:58 | 松川先生のお話

 クンダリニーあるいはトゥモ、あるいはアムリタによってチャクラを浄化していくとき、その人の最もウィークポイント、つまり最も汚れている、詰まっているチャクラというのがある。
 詰まっているから、そこにエネルギーを通して浄化しようとしても、なかなか通らない。なかなか通らないから、なかなか先に進めない。そしてそのチャクラがあらわすマイナスの要素がいろいろと出てきたり、実際に物理的にそのチャクラの部位が痛んで苦しんだりする。
 そうして中途半端に修行を進めていると、そのチャクラはずっとウィークポイントとして残り、その人の修行自体、そこから上には進まなくなるのだが、しっかりと決意と精進と忍耐と正しいやり方でエネルギーを通していくと、いつかはかならずそこも浄化される。
 そして浄化された後はどうなるのだろうか? そのチャクラには、そこを浄化するときに使った莫大な量のエネルギーが残り、非常にチャクラが活性化された状態になる。そうして結果的にそのチャクラは、その人にとって最も特徴的な「使える」チャクラとなるのだ。
 つまり、「最大の短所」こそが「最大の長所」に変わるのだ。

 これはチャクラ以外の修行の要素でも、いや、修行以外でも人生のすべてにおいて、そうだと思う。

 なぜなら、長所とか短所とかいわれるものは、実際はそんなに大差はない。
 全智者たる仏陀から見れば、今の長所も短所も、どんぐりの背比べみたいなものだ。
 しかしどれだけそのポイントに対して集中して努力するかということは、未来において大きな差を生むことになる。
 そして短所といわれる部分こそが、最も努力しやすい部分なのだから。

 謙虚になり、懸命に真剣に努力すること。それが自己を引き上げ、伸ばしていく。
 だから自分の短所を見つけたら、喜べばいい。
 「ああ、私はこの部分において、将来において、類稀な長所を持つようになるだろう」と。

 もちろん、短所・長所に関わらず、あらゆる面において努力し進化し続けていければそれが一番いいことは間違いない。
 しかし人は、短所に関しては卑屈になり努力せず、長所に関しては傲慢になり努力しない。

 だからすべては心の持ち方一つだ。
 短所を見つけたら喜ぼう。これこそが私の未来の長所だと。
 長所を見つけたら喜ぼう。傲慢にならぬように注意して、極限まで長所を伸ばすように努力すれば、よりこの長所は伸び続けるだろうと。

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魔の仕業で修行が進むということ

2005-12-01 17:49:25 | 松川先生のお話



 私の夢はたいていは良い夢なのだが、たまに悪夢というか嫌な夢を見るときもある。
 そんな時、その夢を解析し--一見悪夢でも、実際は良い意味の夢だということもあるのだが--そうではなくて自己の心の汚れや、悪いカルマが見せた悪夢だった場合、しっかりとそれを反省する。
 このようなときに、それを肯定する思考を使ってはならない。よく精神世界や成功哲学で【肯定的思考】ということを勧めるが、その意味を取り違えてはいけない。肯定的思考とは、自分の悪い部分をごまかし肯定することではない。たとえばこの場合だったら、【いや、この夢は良い夢だったんだ】と自分に思い込ませてはいけないということだ。正確に観察し、それが自分の悪い部分の現われだとわかったならば、【まずい! しかし、努力によって改善されるだろう】と考えるべきだ。

 そして私の場合、【心のあらわれ】ということと、そして修行の力というものに対して、大きな信がある。だからたとえばこのような悪夢を見、それが自分の汚れの現われであると気づいたとき、【まずい!】と思う。そしてその夢があらわしている部分の浄化のために、懸命に修行する。あるいは日常において、その部分を気をつけて生きるようにする。あるいははっきりとポイントがわからない場合は、とにかく修行への集中を増し、日常においても気を引き締める。【ああ、私は傲慢ではなかったか。気を抜いてはいなかったか。もっと真剣に、真理に基づいて生きよう】と。

 そうするとね、結局、この【悪夢】は、本当に悪夢だったんだろうか、ということになるんだ(笑)。その悪夢のおかげで、結果的に気が引き締まり、修行への集中が増し、修行ステージが上がっていくわけだから。これは悪夢というより、修行を進めてくれたすばらしい夢だったということになる。

 これは夢だけの話ではない。たとえば悪魔の邪魔かと思えるような悪い現象が起きたとき。あるいは日常において、自己の心の汚れから来る失敗をしたとき。たとえばつい誰かにひどいことを言ってしまったとか、憎しみにより行動してしまったとか、怠けてしまったとか、エゴで人を苦しめてしまったとか、いろいろあるだろう。
 そんなときに、上記と同じような思考と行動を取れれば、それは果たして悪いことだったのだろうか、ということになるんだ。その失敗や、悪い現象のおかげで、気が引き締まり、修行時間が増え、実際に心が成熟していくとしたらね。

 だからすべては心の持ち方一つだね。よく、不運に悲しんで落ち込み、否定的になっている人。その人を不運にしているのは、その出来事そのものではない。そこでさらに自分を否定的に持っていくような思考パターンが、その人自身を不幸にしているんだ。
 そしてそうではなく、常に謙虚に、向上心を持って生きる。
 ここで謙虚さと卑屈さの違いが出てくる。
 謙虚な人は、何か失敗や悪現象があったとき、【ああ、まずい! がんばろう!】と考える。
 卑屈な人は、【どうせ俺はだめなんだ。俺は駄目なやつだ】と考える。
 この卑屈の背景には、前にも書いたように、プライドがあるからこうなるんだね。
 つまり【俺は駄目だ】と思う心の背景には、【俺はすごい】というのがあるんだ(笑)。本当は俺はすごいと思っているから、何か悪い現象が起きたとき、卑屈になってしまうんだ。
 だから、そんなのはどうでもいいんだ。そういう狭い了見は捨てて、自分はまだまだ浄化すべきところがたくさんある、未熟な修行不足の魂であると思おう。そして、だからこそわずかな隙も見逃さず、自分を磨き、向上させていこうと考えるんだ。

 そして話を戻すけど、そのような謙虚で前向きの姿勢を持つ者にとって、悪夢も、悪い現象も、失敗も、すべては逆に自分を成長させてくれるきっかけとなる。
 つまりその人にとっては、悪魔さえも、修行を進めてくれる友に変わるんだ。なかなか厳しい友だけどね(笑)。

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ナタラージャのアーサナ

2005-12-01 11:53:36 | ワンポイント・ヨーガ



1 つま先をそろえて直立する。
2 ゆっくりと右手を頭の上にあげて、ひじを伸ばす。
3 左足を折り曲げて、足を尻に近づける。バランスを保って、左手で左足の甲をつかむ。
4 左かかとを尻にくっつけ、息をゆっくりと入れながら、上体を後ろへそらすと同時に、左足を引き上げ、背中へ引き寄せ、頭をできるだけ後ろへ落とす。
5 入れた息を止めて保持するか、リズミカルな普通呼吸を行ない、バランスを保ちながらこの姿勢を十秒間保つ。
6 ゆっくりと息を吐きながら、反りあげた状態を引き上げた左足を、静かに元に戻していく。右手は上に伸ばしたままで、数回普通呼吸を行ない、息を整える。
7 バランスを保ち、ゆっくりと息を入れながら、静かに上体を前に傾けていき、右腕を前方に水平に突き出すと同時に、左腕は左足をつかんだまま後ろへ伸ばし、右腕と一直線にする。目は前に伸ばした手を見る。この時、左太ももも床に水平になるようにする。入った息を止めて保持するか、リズミカルな普通呼吸でこ
の姿勢を10秒間保つ。
8 ゆっくりと息を吐きながら、そりあげた上体を静かに下ろし、次いで、顔の前にあげた手を下ろし、曲げた足を手から離し、足を床の上に静かに下ろして元に戻る。息を十分に整える。
9 左右入れ替えて繰り返す。

※注意・・・「コブラのアーサナ」「弓のアーサナ」等のアーサナを実習することで、このアーサナを行なう条件ができます。
 胸をできるだけ正面に向けた状態で行ないます。 
 初心者は1~5までだけを行なってもかまいません。
 
〈効果〉
1 バランス感覚を養う。
2 容姿を美しくする。
3 胸郭を広げる。
4 背中と太もものこりを軽くする。
5 「コブラのアーサナ」「弓のアーサナ」「バッタのアーサナ」「ラクダのアーサナ」等と同じような効果がある。

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