ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

純粋な歓喜

2006-01-01 08:43:05 | 松川先生のお話



 こみ上げるものがある。こみ上げるというとき、皆さんは何を思い浮かべるだろうか?

 怒り。感動。悲しみ。喜び。嬉しさ。

 しかしそれらこみ上げるものの正体は、ネガティブなものであれポジティブなものであれ、正体は「純粋な歓喜」なんだ。 
 
 そのこみ上げたものに何の意識も展開させることなく、純粋なまま取り出すなら、それは純粋な歓喜にほかならない。それがすべての感情の正体、エネルギーの正体だ。

 しかしそこにね、煩悩があるから、言い換えれば経験と記憶から来る間違った見解があるから、我々はその純粋な歓喜の水にね、泥や汚れを混ぜるように、悪しき感情、あるいは弱い喜びに堕落させてしまうんだ。

 ちょっと今回の記事は、あまり読み手のことを考えずに、私が自分の修行の中で感じてきたことをそのまま書いています。こういう類のことは、あまり論理的にまとめないほうが、ポイントが伝わりやすいと思ってね。

 だから煩悩即菩提という言い方もね、後期大乗仏教とかではあるけれど、あれはもちろん、煩悩を肯定しているわけではない。煩悩として何かが現われるのはハッキリ言って集中力がないからだ。でも純粋にこの世の本質に集中するなら、あらゆる感情、エネルギー、表われは、歓喜そのものになるんだ。 

 高々セックス、食べ物、地位、名誉、これらがもたらす歓喜は微々たるもんだ。だってそれは汚されたものだからね。純粋化された歓喜に集中できたら、そこで味わう歓喜は表現不可能なものなんだ。

 こういう感覚を、論理的納得ではなく、エネルギー的な修行も行いつつ、心の汚れも少しずつ取りつつ、だんだん、実質的に経験できるようになってくると、この世のあらゆる現象や、そこで感じる思いがね、歓喜に満ちたものになってくるんだ。

 だからヨーガではね、まず集中力を鍛えさせるね。瞑想とは単純に言えば集中力のプロセスだ。しかし実際にはそれを成し遂げるには徳も必要だし、煩悩を落とすことも必要だし、慈愛をはじめとした四無量心も必要だし、戒などである程度の枠組みに沿った生き方を自分に課すことも必要なんだね。それらを土台に、世界の本質に集中するんだ。あるいはね、エネルギーの浄化と、気道の浄化、そして定められた道に気を通すことによってね、それが起きることもある。とにかくある種の世界、領域に突入すると、それはトリップでもない、非常にクリアな、普通にいう鮮明というのとはまた少し違う鮮明な世界に、心は突入していくんだ。そしてそれは、歓喜に満ちているんだ。歓喜といってもね、いろんな段階の歓喜が修行ではあるわけだけど、まあとにかく、純粋な歓喜と表現するのがいいような感じにね、入っていくんだね。

 まあ、そうなったら、この世は、何があろうと歓喜だね。
 
 そしてそうなったらその人は、まず、心を乱したり、怒ったり、苦しんだりすることはほとんどなくなるだろうね。そしてどんどんね、正しい選択を取れるようになってくる。他人に対しても、他人のためになる選択を取れるし、また、何も言わないでもね、他人をひきつける人になるだろうね。なぜならその人が感じている純粋な歓喜を、他人もまたなんとなく感じ取れるからだ。

 まあ、もう一回書くけど、今回の記事は、あまり読み手のことを考えずに、私が自分の修行の中で感じてきたことをそのまま書いています。だから何か質問とかされてもあまり答えられないかもしれないけどね(笑)。
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