ヨーガスクール・カイラス blog

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「高度な注意」

2018-05-10 22:38:23 | 解説・ナーローの6ヨーガ



◎高度な注意

【本文】
 覚醒時の修行においてチャンダーリーの火のヨーガをしっかり修習し、プラーナを中央気道に入れて空を経験できる者は、眠り始めに心臓にフーム字を観想することによって、2、3日かからずに、睡眠の四つの空を経験することができる。

 覚醒時に四つの空を完全に体得できていなくても、至福・光・無分別のサマーディを堅固に保てる者が、睡眠の前にそのようなサマーディに入り、その後に眠りにつくことによって、睡眠のサマーディに入ることができるが、これは無上ヨーガで定義するところの「睡眠の光明」ではない。しかしながらこのような素養を持つ人が、心臓にフーム字を観想しながら眠りに入るならば、本当の「睡眠の光明」を得ることに徐々に近づいていくであろう。




 まず、さっきから言ってるように、覚醒時、昼間の修行において、ちゃんと中央気道に実際にエネルギーが入り、本質的な空の経験のできる人は、さっきから言ってるように、睡眠のときにフーム字に集中すれば、素晴らしい――つまり起きてるときに経験してるのと同じものだから、睡眠のときにもその四つの空を経験できますよと。
 しかしここでいってるのは、さっきも言った四つの空ね。白い光、赤い光、暗闇、そして透明な光――これを経験できてないと。しかしその前に言いましたが、その前の段階で、「至福・光・無分別」っていう段階があります。つまりもう一回言うと、素晴らしい光、そしてエクスタシー、そして心が止まった状態ね。これは前も言ったけどね、これは全部セットで来るというよりは、その人の修行の進み具合によって、どれかが強かったり、どれかが弱かったりします。この段階の瞑想っていうのはね。つまりある人は心は止まってるが光がない、暗いとかね。ある人はすごい光で、すごい気持ちいいけど、心はざわめいてるとかね。それぞれの得意分野って違うから。もちろんこれが全部揃えば素晴らしい。で、この経験のサマーディが、かなり確定されてると。しかしその上の、さっき言った四つの空とかはまだ経験できてないと。このタイプの人が寝る前にね、自分の得意なパーッと至福と光と心が止まったサマーディに入って準備オッケーとして寝ましたと。そしたら素晴らしいサマーディ――寝ながらそのサマーディの状態に入れるけども、それはここでいってるのとはちょっと違うんだよと。
 何ていうかな、だから高度な注意だね、これはね。今みんなに言ってもしょうがないっていう感じの注意なんだけど(笑)。でもまあそういうことですね。しかしそのタイプの人であっても、何度も何度もこのタイプの観想をするならば、擬似的な状態ではなくて、本当の睡眠の光明に近づきますよということですね。




◎至福・光・無分別


 だから、皆さんはそのさらに前の段階だね。みなさんはまずはその至福・光・無分別。これさえもほとんどの人は多分経験できていない。だからまずはこれを経験できるようにしたらいい。
 もちろんね、実際じゃあ何やればいいのかっていうと、やることはいつも言ってることと同じなんだけどね。日々の修行と、それから日々の生活における念正智の実践と、あとしっかり教えを学ぶとかね。そういうのをしっかり繰り返すしかない。
 だからバロメーターって考えたらいい。それを繰り返して、「はい、瞑想で何が起きましたか?」「どうなったらいいんでしょうか?」――つまりそれがここの三つなんですよと。もう一回言うけども、エクスタシーと光と無分別――つまり心が止まりましたっていう段階ね。この三つがどれだけ強いか弱いかが、このサマーディのバロメーター――第一段階でね。四つの空とかはさらにその上にあるわけだけど、第一段階ではこの三つのバロメーター。
 だから例えば――それはさっきから言ってるように、個人個人で、この三つの何が得意か違うから、だから人と比べるのはあんまり意味がない。例えば「おれは光が弱いけど、あいつは光が強い。おれは劣ってる」とか考える必要はない(笑)。でも心の停止は自分の方が優れてる場合もあるからね。それは人それぞれだから。あくまでも自分の中で――つまり以前の自分よりも、その三つが伸びてるようにしなきゃいけない。前は光が見えなかったけど、最近は光が見えるとか。あるいは前は心が止まってなかったけど、最近はある一定期間、一定時間心が停止したような経験をするとかね。あるいは前は全然瞑想しても気持ち良くなかったけど、最近はワーッていう感じでエクスタシーに包まれるとかね。その辺をバロメーターにしたらいいね。
 もうちょっとね、これに関して実用的な話をすると、まずエクスタシーを強めたかったら、肉体を使った帰依とか奉仕の修行が一番いいです。まあ例えば行法としては五体投地とか一番いいね。つまり自分の体をいじめて、帰依をするっていう修行ね。あるいは別パターンとしては奉仕行ね。例えば自分の師匠とか聖者のために――ミラレ―パみたいに一生懸命――つまり、ここで問題は結果じゃないんです。つまり、「さあ、奉仕によって、わたしは師匠のために大きな家を建てました」と。でもそれはコンピューターで、「エイッ」て作ったのかもしれない(笑)そういう結果をいってるんじゃなくて、そのためにいかに自分の肉体をボロボロにしたかが大事なんです。一生懸命自分の体を使って、これだけの奉仕をしましたと。あるいは布施でもいいよ。布施も、一生懸命身を粉にして働いて、ボロボロにして、それをお布施しますと。これによって、われわれの現象界レベルの浄化が起きるんだね。で、これがわれわれのエクスタシーにつながります。だからエクスタシーを増したかったら――これは一つの方法ですよ。一つの方法だけども――そういう効果的な方法がある。
 で、次に光をもっと増したかったら、今度はこれはアストラルの世界がやっぱり中心なんだね。だからできるだけイメージを浄化する。イメージを浄化するっていうのは――現実的に言うとですよ、あまり関係の無い本とかテレビとか、もちろん映画とか、そういうのを観ない。できるだけ、もちろん正しい教えを書いた本を読み、で、イメージももちろん普段から聖なるイメージでいっぱいにする。普段から神々のことをイメージしたりとか、いろんな瞑想のイメージをし続けたりとかっていうのは必要ですね。もちろん光の根本には功徳が必要なので、これもだからしっかりと布施とか奉仕とか法施とかで徳を積み続けるっていうのはもちろん大事だけども、それプラス今言ったアルトラルの浄化ね。これがとても重要になってきます。
 で、もう一つ言うと、言葉のカルマも非常に重要です。つまり普段から正しい言葉を語り続ける。もちろん嘘をついてはいけない。あと人の悪口を言ってはいけない。じゃなくて、優しい言葉。あるいは人を励ます言葉。あるいは法施ね。真理の言葉を語る。あるいはもちろん経典を読むとか、マントラを唱えるとかでもいいけど――つまり言葉の世界も非常にここは関係してくる。あと逆に、人から悪口を言われる。これは最高です。だからこの最高のシチュエーションとしては、みんなにいい言葉を言いまくる。で、みんなからは悪口言われまくる(笑)。これは最高です(笑)。 よくこういうことを嘆く人がいるけども。「わたしはみんなに本当に優しくしてるのに、みんなから悪口言われるんです」と。わたしはそういう相談されると、「最高のシチュエーションだ」と(笑)。「それは祝福だ」と答えます(笑)。それはもう考えられる最高のシチュエーションです。それによってその人のアストラルと呼ばれる心のイメージの世界が超浄化されます。で、それも光の増大にとてもつながるんだね。
 あと光に関しては、もちろん気道の浄化が必要です。だからこれはプラーナ―ヤーマとかムドラーとかいった、物理的な気道をしっかり浄化することによって、光が見えやすくなります。
 それからちょっと戻るけど、エクスタシーに関しては、さっき言った肉体をいじめて帰依をするっていうだけではなくて、当然もう本当に基礎としては禁欲が必要ですね。禁欲をしっかりして、徳を積んで、で、肉体を使って奉仕をすると。これはとても素晴らしい。
 で、最も深いコーザルに関係するのが、心の停止ね。つまり無分別っていうやつですね。で、これはもちろん普段から教学をしたりして心を静めるっていうのは、もちろんベースなんだけど、それだけじゃなくて、バクティ・ヨーガ的な――つまり、常に神に、もしくは自分の師に、心の本性に――あるいはこの宇宙の本性に、常に心を向け続ける訓練ね。これが一番いいかもしれないね。それによって、余計なその他の思いとかが一切止んでいきます。
 つまり無分別――無分別って、何もないっていう意味じゃないからね。分別が無いと。でもこの分別が無いっていうのは、ちょっと誤解を恐れずに言えばですよ――これは言葉の問題なので難しいんだけど、誤解を恐れずに言えば――一つの分別しかないとも言えるんです。つまりこれはどういうことかって言うと、例えばバクティ・ヨーガだったら、「ああ、この世は神の愛でしかない」と。「この世はただ神の愛だ」と。で、バクティ・ヨーガっていうのは、ほとんど最後の最後の一歩手前までは、分別状態です。つまり二元的な状態です。で、最終的な、その「神の愛しかない」っていう状態に没入するんだね。これは仏教とかでやる帰依の修行も同じだけど、自分の師とか、あるいは仏陀とかに心をずーっと向け続ける。で、その向け続けるときに、心の本質みたいなものを自分なりにイメージして、で、それに対してグーッと心を向け続ける。これは一つのいい修行だね。
 あともう一つ、また別の方面から言うと――さっきの言葉とかと同じでね――みなさんが修行とか、正しい生き方をしたがゆえに、もしくは神とか仏陀とか自分の師とかに帰依をしたがゆえに、心が傷つけられる。心がズタズタになる。これが最高のシチュエーションです(笑)。これがみなさんを無分別状態に導く――実はてっとり早い方法です。
 実は今話してる話っていうのは、秘儀的な話なんです。秘儀的なっていうのは、オーソドックスな話じゃないんです。オーソドックスなやり方ではなくて、「ちょっと裏技教えますよ」という話なんだね(笑)。オーソドックスに言うと、さっきから言っているように、まず禁欲して、戒律を守って、徳を積んで、はい、それによってエクスタシーが高まり、で、しっかり心の浄化をしましょうと。あるいはイメージの浄化をしましょうと。これだけでもいいんだけども、裏技を言うと、それだけじゃなくて、痛めつけるっていうプロセスがあると一気に進むんです。
 もう一回まとめるけど、まず帰依や奉仕のために肉体を痛めつける。それは例えば五体投地――だから五体投地とかみなさんやるときも、激しくやるといんだね。そーっとこう怪我しないようにゆっくりとやるんじゃなくて(笑)、バーンッ(笑)――だからちょっとやってみるとね、「よいしょ【五体投地をする】」――こういう感じでやるんじゃなくて(笑)――わたしもね、昔よくやってたのは、わざと――あの、思いっきりぶつける必要はないよ。そこまでやる必要はない。つまり勢いつけて、うわーってやる必要はない。でも投げ出すようにやるんだね。投げ出すっていうのは……

【五体投地をする】

 ――こういう感じでやるんです。こういう感じのやり方をやってると、まあ経験あるだろうけど、まずね、クラクラしてきます(笑)。それから額とか手から血がダラダラ流れてくる。で、膝はもう超痛くなります(笑)。でもそれでも構わずやるんだね。構わずやり続ける。そうすると相当肉体レベルの浄化が起きます。で、これがエクスタシーに最終的につながっていきます(笑)。大変な話だけどね。
 で、正しい言葉を語る。そして正しいイメージを持つ。これがオーソドックスな方法なんだけど、裏技として、それプラス、悪口を言われると。ただ悪口を言われるって、別にわざわざ言われる必要はないけども、そのような状況に立ったときに、そこから逃げないっていうことだね。それを喜びとすると。
 あるいは心の問題も同じね。修行とかして、あるいは正しい生き方をしようと思ってたらカルマ落としがやってきて、いろいろ心がズタズタにされる状況がやってきたと。で、その状況で逃げることもできるわけです。ちょっと一旦置いておこうかなと。ちょっと心が辛いから、この件に関してはちょっと置いておこうっていうことができるわけだけど、「いや、これこそチャンスだ!」と思って、自分の心を徹底的にボロボロにする。もちろん背景には、何度も言うけど、真理とかあるいは修行っていうのがなきゃ駄目ですよ。それを持って、しかし心はボロボロにされると。ね。これは最高のシチュエーションです。
 あと帰依とかね。例えば最高なのはさ、K君の話とかでもあったような気がするけど、例えばKくんがね、「おれは仏陀が好きなんだ」と。「おれは修行したいんだ」と。「修行します!」って言って、で、それを例えば、全く理解のない親とかにね、もうボロクソに言われると。でもK君は、「いや、わたしは仏陀に帰依する」と。でも親からは「お前そんなわけわかんないことやって!」とワーッて言われて、それでK君の心がうーっと苦しいと。これは最高の修行です(笑)。これは一つの例だけどね。うん。で、そうなったときに――だからわざわざそうする必要はないんだけど、わざわざそういう環境を作り出す必要はないけども、そうなったときに逃げないと。それを喜びと考えると。これは一つのいい修行ですね。


(K)そのときしかも、両親にご飯作って、部屋を全部片付けて、家の家事全部やって、おばあちゃんの面倒も見て、何もかもやってる最中に、こうワーワー言ってきたので、ちょっとびっくりしました。
 

 それは最高の修行だね。自分は奉仕して、正しい言葉を語り、正しい行ないをなすと。でも周りからカルマを落とされる。それは最高だね。
 はい。ちょっと話が飛びましたが、とにかくこの至福・光・無分別。これがわれわれの瞑想のバロメーターになります。
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