ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

「修行の基礎・戒について」(4)

2019-12-06 21:42:02 | 勉強会より抜粋


◎抜け出すための苦痛

 例えばね、こういう話があります。これも前にも言ったけども、ライオンがいて、ライオンの世界で、ある一匹のライオンが、前生からの記憶により、真理に目覚めた(笑)。俺は正しく生きようと思った。まずは不殺生だと。……え? ちょっと待てと。不殺生? 獲物を捕っちゃいけないのか(笑)。でもそのライオンは、「よし、俺は真理を実践する」と言って、その日から獲物を捕るのをやめた。で、どんどんやせ細っていった。
 で、周りのライオンたちは、そのライオンを非難した。馬鹿にしたっていうか、もうお前馬鹿かと。ライオンが獲物を捕らないでどうすると(笑)。死ぬぞと(笑)。で、そのライオンは、わたしは死んでもいいから真理を実践すると言って、餌を捕らなかった。で、死んだと。死んだらそのライオンは高い世界に生まれ変わった、っていう話があります。
 で、これは何かっていうと、獲物を捕る、つまり草食動物を殺して食べるというその行為は、ライオンに認められているんです。しかし認められているっていうことは、それをやる限りはライオンなんです(笑)。つまり抜け出そうと思ったら、それをやめなきゃいけない。
 だからヤクザみたいなもんだね(笑)。抜け出そうと思ったら、やっぱり相当こう、苦痛が伴うわけだね。ヤクザを抜けようと思ったら、まあ、リンチに遭わなきゃいけないとか、いろいろなんかあるのと同じように、なんていうかな――つまりね、その世界に、その魂というか、その意識がはまっているわけです。その世界っていうかな、システムっていうか、そのシステム、あるいは意識の中に、意識がはまっているから、そこから抜け出すっていうのは並大抵のことではないんだね。
 これは人間である我々もそうだけれども、我々が例えば人間界から抜け出して、神の領域に一歩でも足を踏み入れようとしたら、それは並大抵のことではない。ライオンが殺生をやめて人間になるようなもので。
 だから例えばこの五戒もそうだけど、五戒って、さっきから言っているけども、これは完璧にこの現代で働きながら守ろうとしたら、結構苦行になると思う。
 まず、殺生をするな。これはねえ、まあ、みんなはできるかもしれないけど、例えば条件によっては、まあ例えば家に虫が発生した場合にね、やっぱりちょっと殺さないと、やっぱりお客様にどうのとか、そういう世間体とか絡んでくるような状況の場合、殺してしまう場合があるかもしれない。
 あるいは盗むなっていうのは、現代の日本人はあんまりないかもしれないけど、盗みっていう範囲をちょっとこう大きく広げたらね、結構厳しくなるけども、商売はほとんど盗みともいえる。だって、なんていうかな、利益を上乗せしているわけでしょ。ちょっと変な言い方だけども。ほんとに対価とかだったらいいけども、ほんとのその物の価値に自分の利益を乗せて売ったりしているわけだから、厳しく考えるなら、商売はほとんど盗みだって考えることもできるわけだね(笑)。
 それから邪淫。不邪淫は二つあります。一つは完全捨断。つまり一切性的なことをしない。もっと言えば、心にも思ってはいけない。二番目は、まあ浮気をするなってやつですね。
 一切性的なことをしない。これはなかなか現代では辛いね。昔はねえ、もっと辛くなかったと思う。そんなに情報が無かったから。今はもうそういう性的情報が氾濫しているから、それはちょっと辛いと。で、心にも思うなとかっていったら、相当辛いだろうと(笑)。
 それから二番目、そうじゃなくて、いや、私は在家だから、柔らかい邪淫でいいですと。つまり浮気をするなとか、それでいいと。これもまあ普通に生きていたら大丈夫だと思うけど、でも現代ではそういう誘惑も多いから、例えば肉体的浮気、または精神的浮気に走る人も多いかもしれない。だから現代ではちょっと辛くなっている。
 嘘をつくな、になってしまうと、なかなかもう辛い。嘘といっても、本当に人を騙すような嘘じゃなくて、ちょっとこう、自分をよく見せるために大げさに言ってしまったとか、いろいろとそういう小さな嘘っていっぱいあるだろうと。あるいはさっきも言ったように、商売とかになると、かなり嘘が絡んでくると思うね。ちょっとこう、売らなきゃならないから大げさに言うとか。細かい嘘になるときりがなくなってくる。
 あるいは嘘じゃなくて言葉のカルマ全体を考えた場合、当然悪口とか、綺語とか、それから陰口とかっていうのはもう日常茶飯事化しているから、相当気をつけてないとなかなか守るのが難しい。
 で、酒に至っては、現代ではやはり、普通に商売や事業とかしていた場合、付き合いで、つまり酒の場に出ないと出世できないとか、酒の席に出ないとなかなかその、相手との商談もまとまらないとか、そういう会社とかも多いだろうと。あるいはそういう状況に置かれることも多いだろうと。だから現代ではなかなか、もちろん守ろうと思えば守れるけども、なかなか守りにくい状況にある。
 特に人間界において一番守りにくいのが邪淫だね。人間界っていうのは元々、そういう性的な興奮によって生まれてきてる世界っていわれているから、異性に対して目を向けるなとか、あるいは一切そういうことをやるなと言われてしまうと、なかなか難しくなってくる。しかし人間を超えたかったら、やめようと。
 まあ、ライオンが殺生をやめるよりは簡単だと思うけどね(笑)。人間が性的なことをやめるというのは。どうなのかなあ、その辺は(笑)。

(U)死にゃあしない。

 そう、死にゃあしないよね、別に(笑)。うん。
コメント

「解説・マルパの生涯」(5)

2019-12-06 20:52:51 | 勉強会より抜粋




【本文】
 マルパはいったんチベットに戻った数年後、再びインドに旅立ち、ナーローを初めとする師たちに再会し、以前受けた教えを復習すると共に、新しい教えを受けました。マルパはナーローにまた必ず戻ってくることを約束し、チベットへと帰りました。

 マルパはチベットで偉大な仏教の師として有名になりました。彼はダクメーマという本妻と、他の八人の妻と多くの子供を持ち、ビジネスを行ない、大きな家に住み、多くの弟子や信者を持ちました。無一物で洞窟から洞窟へと放浪して修行した彼の一番弟子のミラレーパとは全く逆のスタイルだったわけですが、これが良いとか悪いとかではなく、これが彼のスタイルだったのです。
 ちなみに、マルパの妻ダクメーマとは、彼のイダム(守護尊)であったへーヴァジュラの妃の名であり、彼女も含めた彼の九人の妻たちは、『へーヴァジュラ・タントラ』に出てくる九人の女神たちを表わし、マルパの家はへーヴァジュラのマンダラを表わしていたといわれています。




 はい、マルパは、まあいったんチベットに帰ったんだけど、また数年後にインドに旅立って、前の教えを復習し、で、新しい教えも受け、またチベットに戻ってきたと。で、それからまあ本格的に、チベットで教えを広め始めるわけですね。
 で、マルパのスタイルは、ここにも書いているように、九人の奥さんを持ち、で、大きな家に住み、で、まあ、仏教を教えるだけではなくて、ビジネス的なことを行ない――まあつまりさっきから言っているように、すごい現実的な、合理的な人だったんだね、マルパっていうのはね。例えばその教えを与える、教えを広めるには金がいると。ね(笑)。だからその金を稼ぐためのビジネスもしっかりやると。で、しっかり家族を育て、で、多くの弟子や信者を持ち、あの、なんていうかな、まあ言ってみれば世俗的な成功者みたいな感じで、修行してたんだね。で、これが彼のスタイルであると。
 つまり、さっきから言っているように、ナーロー、マルパ、ミラレーパ、そしてガンポパと、この連なる人達ってみんなちょっとスタイルが違う。ナーローは完全にまあ密教行者で、放浪行者なわけだね。で、マルパは今言ったように、大きな家に住んで家族もいて、ビジネスマンであると。ね。で、ミラレーパは、まあミラレーパもナーロー以上に、まあ裸で雪山を放浪するような、無一物の放浪行者であると。で、ガンポパっていうのは、まあなんていうかな、聖僧っていうかな。つまり聖なるお坊さん的な人だったんだね。だからちょっと、ミラレーパとかナーローパーともちょっと違う。その放浪、ちょっと狂ったような放浪者ではなくて、まあ非常にまともな――まあ、最もだからこの中で一番多くの人から尊敬されるような、聖なる――つまり戒律をしっかり守って、教えをバシッと理解してて、誰からも慕われるような、まあ聖なるお坊さんだったんだね。
 で、このガンポパが――まああとでガンポパも出てきますけど、ガンポパもそのカギュー派の礎ね、体系、組織としての体系の礎を作った人なんだね。まあだからその使命がガンポパにあったから、そういうスタイルだったんだろうね。
 で、もう一回戻すけども、マルパは全然違うタイプで、多くの奥さんと、多くの家族と、多くの仕事に囲まれたビジネスマンだったと。しかし大聖者だったんだね。
 マルパに関しては、あんまり――そんなに普通にね、日本で教えとか学んでたら、マルパについてはそんなに聞かないかもしれないけど。チベットではマルパはすごく尊敬されています。つまりもうこれも大聖者として尊敬されているんだね。で、マルパのスタイルっていうのは何度も言うように現世的なスタイルだったわけだけど、密教っていうのはもともと――まあ密教だけじゃないな。ちょっとこれは誤解を恐れずに言うけども、密教に限らず、菩薩道というかな、まあ修行そのものもそうなんだけど、特に菩薩道とか密教の道っていうのは、ある段階以上になると、あまりかたちは関係なくなります。つまりスタイルとか、表面的な生き方のかたちっていうのは関係なくなる。まあ、それは皆さんも、「八十四人の成就者」とかでよく分かっているかもしれないけどね(笑)。あまり表面的な生き方のスタイルとかは、どうでもよくなるんだね。
 ただ普通は、例えば周りとかね、あるいはのちの者たちに模範を示すために、まあ聖者っていうのは、みんながね、それを真似して利益のあるようなスタイルをとるわけですね。つまり、いかにも聖者らしい生き方をするわけだけど。本来はある段階以上に行くと、どうでもいいんです。
 これはちょっと、なかなかあの、まあ上手く伝えるのは難しい話なんだけど、まあちょっと大ざっぱに言うけどね、大ざっぱに言うと、つまり、この現実と言われる、本当は幻影でしかないこの現実の世界から、ちょっと足を離し始めた人だから。ちょっと、どっぷり浸かってたところからちょっと抜け始めた人なので、まあある意味ちょっとこう、現実世界を超越したかたちになっているんだね。で、その人にとっては、この現実世界ってのはもう夢みたいなもんなんで、まあどうでもいいっていうかな、どんなスタイルでも全くかまわないと。で、その人が持っている、もともと持っている、なんていうか、カルマの特徴であるとか、あるいは使命であるとか、それに応じて、まあいろんなかたちをとるわけですね。
 で、マルパの場合は、もう一回言うけども、ちょっとこう、聖者とか密教の聖者の中でもちょっと変わった、独特のスタイルを取ってたんですね。
 はい。で、ここにも書いてあるように、マルパの……だいたい密教の行者っていうのは、まあ何か一つの神を、自分のね、まあチベットではイダムって言いますけど、インドではイシュタと言いますけども、その一人、一つの神をね、例えばクリシュナだったらクリシュナ、まあ仏教の場合、例えばカーラチャクラとかグヒャサマージャとか、ヘーヴァジュラとか、一つの神を自分のイダム、自分と縁のあるメインの神と定めて、で、それに関する修行を中心的にやるわけだけども。このマルパのイダムが、このヘーヴァジュラっていう神だったんだね。このヘーヴァジュラの修行法っていうのがあって、それは自分がヘーヴァジュラに変身して、で、まさにね、このヘーヴァジュラの奥さん、ヘーヴァジュラの妃がダクメーマっていうんです。ダクメーマって呼ばれるその妃を抱いてね、そしてそのほかに、まあ八人の女神が登場するっていうその瞑想法があるんだね。で、そういうマンダラがあって。で、マルパはそれを中心的にやってたんで、それをその現実世界でも、自分の家をマンダラと見立てて、九人の奥さんを持って、まあ家もそういうマンダラ風に作ってたって言われている。はい。これがマルパのスタイルだったっていうことですね。
 はい。じゃ次いきましょう。

コメント

執着

2019-12-06 16:49:12 | 経典の言葉・聖者の言葉




 人を二元論的状態に条件づけるのは、カルマによって曇らされた現象として生じてくる「状況」ではない。
 そうやって生じてくるものが人を条件づけることを可能にするのは、本人自身の「執着」なのである。



 ――パダンパ・サンギェー
コメント