ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

「解説・マルパの生涯」(4)

2019-11-21 22:11:42 | 勉強会より抜粋



【本文】
 この最初のインドへの旅において、マルパにはニュという名前のライバルがいました。彼は別の師のもとにつき、いろいろな教えを学んでいましたが、その知識においても、成就においても、マルパの方が優れていました。そこで嫉妬したニュは、チベットへの帰りの旅中において、事故に見せかけて、マルパがインドから集めてきた大事な経典を、すべて河に投げ捨ててしまったのです。
 マルパは、苦労して集めた経典が消えてしまって、一瞬悲しくなりましたが、しかしそれら経典に書かれている秘儀はすべてマルパ自身がすでに会得していたので、そう思うと悲しみは消えました。このエピソードは、マルパが単にインドから経典をチベットに持ってきて翻訳しただけの学者というわけではなく、成就者だったことを示しています。



 はい。これはまあ、ある意味すごいエピソードだけどね(笑)。まあ十数年間ね、一生懸命学んで、もう徹底的に、インドの教えをね、学び、まあ学ぶだけじゃなくて自分も修行してそれを体得して、で、やっと帰国の途に立ったと。まあちょうど同じ時期に、行きで一緒だったニュが、一緒にね――まあおそらくこれも縁があるんだろうけどね――一緒に帰ることになったわけだけど。まあ当然お互いにね、「おい、どんな教えを学んできたんだ」って感じでお互いこう、言い合いするわけですね。その中でニュは、「完全にもう負けた」と思ったわけです。このマルパっていう男は、学問においても、あるいは修行の達成においても、全くおれ以上の境地に達してしまったと。で、ニュっていうのはちょっとこう、なんていうかな、現世的な、ちょっと世俗的な気持ちで教えを学びに行った人だったんで――つまり最先端の教えを学んでね、偉い仏教の先生になろうっていう気持ちがあったから。で、マルパがこのまま帰ってしまうと、自分以上にすごい崇められてしまうので、ちょっと嫉妬してしまったんだね。そこで船で川を渡るときにね、船頭にお金を渡して、事故に見せかけて、全部マルパの経典を川に落としたっていうんだね(笑)。そこまでするかって感じだけど(笑)。ライバルが持ってた、ねえ、せっかくの遺産であるそのインドからの経典を川に落とさせたと。
 で、普通はまあそこで怒ったり、落胆するんだろうけど、マルパは、まあ一瞬は悲しくなったわけだけど、しかしそれらに書いてあることは全部会得していたから悲しくなかったと。これはだからマルパのすごさを表わしているね。普通だったら――教えはあくまでも学問と考えたら、やっぱりその本がなくなったことは悲しむわけだけど。でもよーく考えたら、「ああ、全部おれ、体得しているわ」と。ね(笑)。だからまあ、ある意味本は必要ないというかたちで、悲しみは消えたっていうんだね。だからこのエピソードはマルパが成就者だった――つまり教えを学問として持ち帰った人ではなくて、自分のね、経験として、悟りとして達成した人だったっていうのを表わすエピソードだっていうことですね。
 はい。じゃあ次いきましょう。

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勉強会講話より「ヨガナンダの言葉『神のもとへ急ぎなさい』」「お釈迦様の言葉『接触』」

2019-11-21 20:56:26 | 今日のAMRITAチャンネル
勉強会講話より「ヨガナンダの言葉『神のもとへ急ぎなさい』」「お釈迦様の言葉『接触』」
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「悪業と善業」

2019-11-21 19:36:46 | 解説・スフリッレーカ



◎悪業と善業

【本文】
 たとえば少量の塩は水がわずかであるとき、その味を変えますが、ガンガーの流れの味を変えることはありません。悪業も、善根がわずかなときと広大なとき、それと同じであると知るべきです。



 これは分かると思うけども、例えば一つまみの塩をコップに入れたら、もともと普通の水の味だった水が当然しょっぱくなる。しかしガンガー――つまりガンジス川みたいなものすごい幅の広い大量の水が流れているところに一つまみの塩をちょんと入れたとしても、全く味は変わらない。もちろん物理的には入っているんだけど、でも味は変わらない。
 これと同じように――ここのたとえでいう一つまみの塩というのは悪業のことです。ある悪業があって、で、善業も少なかった場合。この場合その悪業っていうのはその人の心とかカルマのかなりの部分を当然覆うわけだね。でも過去に何か悪業を積んでいたとしても、その――つまり一つまみの塩とガンガーの水くらいの差の、つまり何万倍、何億倍の善業を積むならば、それはもう比較してものの数にも至らないと。悪業はあるんだよ。あるんだけど、全くその人の心とか人生に影響を与えないようになってしまうんだね。
 だから逆にいうと、あなたは過去にいろいろ悪業を積んできたかもしれないが、これから膨大な徳を積みなさいと。それであなたの積んだ悪業なんていうものは――もちろん将来にいろいろ返ってきたり、若干の影響はあるんだけども、「え? 何か今あったの?」くらいの感じの割合になるんですよ、というところだね、ここはね。
 『スフリッレーカ』っていうのは読んでいて分かると思うけど、コロコロ話が変わって、一行一行に非常に真理が凝縮されているので、なかなか進まない話なんだけど(笑)。ただこういうふうに内容を分かって読むとすごくいい経典ですね。ポンポンポンポンとこういろんな話が出てくる。

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パトゥル・リンポチェの生涯と教え(112)

2019-11-21 16:37:28 | 聖者の生涯

◎パトゥルがロンガ・トゥルクを受け入れる


 ロンガ・トゥルクという著名なラマは、パトゥルと会いたがっていた。彼はパトゥルが暮らしていた場所にやって来て、パトゥルの住処の入口の外で礼拝を始めた。パトゥルは彼を見て、不満を漏らした。

「ここで誰かが礼拝しているようだ。一体どういうことだ?」

 ラマは起き上がり、自己紹介すると、こう言った。

「わたしはロンガ・トゥルクと申します。」

 ところでチベット語でロンガというと、ある特定の場所を差す言葉であるのだが、それだけではなく、水の近くで育つ葦という意味もある。 

「ロンガ・トゥルク?」

 パトゥルは驚いたふりをして言った。

「おいおい! なんと堕落した時代にわれわれは生まれたのだろう! 最近は”葦”に転生する者もいるのだな!」

 ロンガ・トゥルクは、そこで怯むような男ではなかった。彼は、パトゥルの師匠ジグメ・ギャルワイ・ニュグの転生者はタマ・トゥルクであると言われているということを知っていた。チベット語で、”タマ”とは、ある地名を指しているが、それ以外にも”乾燥した小枝”という意味もある。

「”小枝”に転生する者もいるのですから、”葦”に転生する者がいても不思議ではありませんでしょう?」

 ロンガ・トゥルクは、パトゥルに機知に富んだ言葉を返した。

「”葦”はまだ、しなやかなだけましです!」

 パトゥルは何も答えなかったが、ロンガ・トゥルクの機転を利かせたユーモアを喜んでいたことは明らかであった。
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