ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

「サットヴァ性を強めよ」

2019-11-27 07:28:53 | クンダリニー・ヨーガのプロセス





◎サットヴァ性を強めよ

(U)その右と左が平行して起こる、ということはないですか?

 平行しては起こらないね。

(U)ということは、完全に終わってから……

 ただそれもね、さっき言ったように、本当の意味での浄化は平行しては起こらない。ただし全ては、例えばだけど、レベル5で浄化終了としてね、右が今レベルに3入ってますと。レベル3の道を進んでますと。でも同時に、左がレベル1ぐらいで、小さく、スーッて上がるぐらいは上がるんです。そういう意味では同時に起こるとも言えるんだけど、本格的に中心的になるのは一個一個だね。だから今右を中心的に浄化してるんだけど、真ん中と左もちょろちょろとは動いてるという感じだね。中心的なのは、まず、右、左、真ん中とか。まあ女性の場合逆だけど。

(U)自分で、片方が終わったらもう、明らかに分かるんですか?

 それはね、その人のサットヴァ性による。

(U)ああそうか、タマスだったら分からないと(笑)。

 ここちょっと複雑なんだけど、修行が進んでる・進んでないということと、サットヴァかタマスかっていうのはまた別問題。つまりタマスだった場合、例えば車で進んでると。しかしライトがついていないと。これはタマスで修行が進んでる場合。これは進んでるのか進んでないのかといったら、進んでるんです。でもタマスだから見えない。よくいるタイプで、見る人が見たら、お、この人相当修行が進んできてますねと。かなりいいところ行ってるなと。でも本人は何も感じないと。これは修行が進んでいるけどタマスというパターン。
 で、サットヴァの場合は最初から――まあ私はね、自分で言うのも何だけど、最初からいろいろ経験をしていた。これはサットヴァだね。しかしだからといって、それが進んでいるかどうかは別なんです。ただ見えるっていうだけなんです。いろいろ、「あ、エネルギーここまで来たな」と。「あ、経典に書かれているとおりだな」と。よーく、非常に分かりやすく経験する。でも何にも経験しないんですという人と私と、どっちが進んでいるかはわからない。一方は自分が分かっていないだけで、実はすごく進んでいるかもしれない。
 サットヴァのタイプっていうのは本当に分かりやすい。もちろん、サットヴァがいいんですよ。なぜかっていうと、自分の状態がわかれば、次の対処とかいろいろしやすくなってくる。
 だからタマスだなって思う人は、いろんな方法でサットヴァにしていくしかないね。まあ、それは難しいんだけど。――例えば肉体的にいったらもちろん浄化法をやるとか、あるいは呼吸法をやるとかがいいんだろうけど。
 例えば全てを覆い隠すタイプの人。これはタマスになります。だから嘘をよくつくとか、嘘はつかないんだけど例えば「自分の嫌なところを隠しておきたい」とか、「出来るだけこれは明らかにされたくない」って隠しちゃうタイプの人ね。この人は当然、隠す、タマスのエネルギーが強くなります。
 あるいは、真理とか正しいことを探究したがらない人。ちょっと怖いから置いておく、とか。そういうタイプの人がいたらタマスのエネルギーが強くなるね。
 サットヴァってね、悟りじゃないんだけど、サットヴァの性質が強い人って、もし皆の周りにいたら、そいつは必ずしも「いい奴」じゃないかもしれない。例えば学校のクラスで、「あ、お前何やってんの? 駄目だよ、それ、こうだよ」と。「お前何、昼休みじゃないのに、弁当食ってんの?」とか、間違ったことが許せない奴――のタイプになる場合がある。これは人によるけどね。そうじゃない場合もあるけど。
 必ずしも、良い悪いじゃないんです、サットヴァって。ただ「明らかにする」っていう性質なんです。
 タマスっていうのは隠すから、逆にタマスの奴のほうがいい奴に見えることがある。「いいよ、お前」と。「頑張れ」と。「お、それ俺黙っててやるから」とかね(笑)。いい奴っぽいんですよ(笑)。
 ラジャスはやっぱり嫌だっていうか、ちょっと、怒りっぽいから、ちょっと嫌われるかも知れないけど。まあCさんみたいなラジャスだったらまだいいけどね。ちょっとこう、いつも興奮しているような感じ。
 そういう意味ではK君なんかはサットヴァ的かもしれないね。「お、先生、これこうじゃないですか? こうじゃないですか? こうじゃないですか?」「分かった!」とか(笑)、サットヴァ的かなと。心で思ったことをバンバン言う、とかね。
 タマス的だったら、隠そうとするわけだね。「あ、これはいい事考えたけど、今日は言うのやめとこう」とか。

(一同笑)

 だからそれは良い悪いは場合によるんだけど、修行っていう意味ではサットヴァ性を強めたほうがいい。
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「浄化の意味」

2019-01-19 18:52:30 | クンダリニー・ヨーガのプロセス


◎浄化の意味

(S)浄化されるというのは、その傾向が弱まるということなんですか、それとも強まる、ということなんですか。今のお話だと、その、女性は左側が強くて、男性は右側が強いという傾向があると。で、女性のほうが左から浄化が始まる傾向が強いと。で、それが始まって浄化され終わると、そういう女性っぽいといわれている特徴がなくなるってことなんですか?

 それはいい質問ですね。プロセスを言うと、まあ、これは何でもそうなんだけど、まず強まります。なぜかというと、まず弱いんだね、みんなね、本当は。まず強まる。エネルギーが強まらなきゃいけないんです。強まって、そのレベルが上がっていくんです。それはちょっとこれから話そうとしていたんだけど、例えば無智っていってもレベルがあるんだね。あるいは怒りといってもレベルがある。それはだんだん上がっていくんだね。上がっていって上がりきった段階で抜けるんです。
 だから変な話、いつも怒ってて全く終わらないと。それは怒りのレベルが低いんです。だからそれをガーッと上げちゃうんだね。これは非常に密教的な考え方です。これはかなり秘儀的な話だけども、よく仏教とかでも煩悩即菩提と言ったりする。煩悩即悟りみたいな考え方があって、これは色々な考えがあって、密教的にそれをいうと、決して煩悩を肯定しているわけじゃないんです。煩悩のエネルギーというものが純粋化された時、まず完全に強まって、それが昇華された時、悟りに変わるんだね。
 それは、何度も言うけども、煩悩を肯定しているわけではない。つまり我々が煩悩と言っているものは、ちょっと逆の言い方をすると、本来は純粋なエネルギーがちょっとレベルダウンして汚れたものを、煩悩と言っているんです。それそのものは悟りじゃないんだけど、こいつをもっと純粋化させて昇華させてしまえば悟りですよと。
 しかし一般的に原始仏教とかの考えでは、あまりそういうことは言わない。でなくて静めさせるんだね。静めましょうと。静めて静めて静めて静めて、悟ろうと。で、密教とかヨーガの考えではそうではなくて、強めて純粋化させればいいじゃないかと。そうすればこれは元の強烈なエネルギーを伴った悟りの世界に入りますよと。だから密教とかクンダリニー・ヨーガの悟りっていうのは、もう本当に静まって、「ああ、無だ」とか、「空だ」とかいう世界じゃなくて、強烈な至福を伴った悟りです。よく楽空無差別とか言うんだけど。まずすごいエクスタシー、楽の世界に入る。つまりそれは煩悩として使っていたエネルギーが昇華されて、純粋な楽の世界に入ってしまう。それと空性の悟りが一体化する境地がある。これをねらっているのが密教なんです。
 そのためのプロセスでもあるんだね。でもその段階ではまだ入り口です。今言ったプロセスを、例えば今言った右の気道がバーンと終わったからといって悟るというわけじゃないんです。ないんだけど、システムとしてはそういうことだということだね。


◎怒りと無智のレベル

 右にしろ、左にしろ、まず強まります。強まることによってその特徴がすごく出るようになってしまいます。どういうことかっていうと、元々右気道的だった人は、修行するとちょっと怒りっぽくなる場合があります。ちょっとカッカしてくる。それはエネルギーが強くなってるから。逆に左気道パターンは、修行が進んでくるとだんだん怠け者になってくる。超寝るようになったとか、それはよく聞くよね。最近すごく寝てしまうとか。
 ただ、ちょっと難しいのは、例えば、最近寝るようになったんですと。なぜか寝てしまうと。さあ、これはいくつか原因が考えられます。それは今言った、左にエネルギーが集中している場合。それから、ここ、スワーディシュターナに集中している場合。それから胸、アナーハタに集中している場合。大体中心的なのはこの3つだね。もしくはそれとは関係なく、単純にタマスのエネルギーに覆われている場合。それも入れるなら4つ。どれかなんだね。だから非常に難しいんですよ。あ、眠くなりましたと。それは左なんですかね、と。いや、じゃなくて、アナーハタって高度だけども、高度なアナーハタの段階に行っているのかもしれない。あるいは逆に、最近眠いと。俺はアナーハタか、とか言って、本当はスワーディシュターナかもしれない(笑)。分かりにくいんだね(笑)。その他のいろんな現象と絡めて判断するしかない。
 で、まあ左でも眠くなるね。あるいはちょっと色々なことに対して無智になります。しかし、そのレベルが上がっていくんだね。このレベルが上がるっていうのは表現しづらいんだけど、怒りっていうと例えば色々あるじゃないですか。最も下のどうしようもない怒りっていうのは、これはね、意味のない憎しみとか嫌悪です。もうあいつ嫌いと。あいつ大嫌いと。見るのも嫌と。これは最低の怒りです、ね。例えばじゃあ、この性欲関係のスワーディシュターナになってくると、この怒りっていうのは性欲とか異性に関係した嫉妬とか疑いとか、そういう怒りになってくるね。
 無智も同じだね。最低の無智っていうのは、もう本当に無智(笑)。もういいよと。何も考えたくないよと。で、この性欲の無智になると、異性とセックスをしまくるとか、おれはもうそういう生活だけでいいんだ、みたいな無智になってくる。そうやって、無智も怒りもレベルアップしていくんだね。
 例えば怒りで言ったら、だんだん社会的な怒りとかになってくる。おれはブッシュが許せん、とかね(笑)。ちょっとレベルが違うだろ? 「お前浮気してんじゃないだろうな」っていう怒りと、「ブッシュが許せん」というのはちょっと怒りのレベルが違う(笑)。そういう感じでだんだんだんだん上がっていくんだね。上のほうになってくると、もっと慈愛が絡んだような、「どうして修行しないんですか?」とか、真理とも絡んだような怒りになってくる。
 無智もちょっと、高度な無智って難しいんだけど、高度な無智ってちょっとありえないような気もするけども、色々あるんだね、高度な無智って。ちょっと法が絡んだ無智とか。真理はよく分かってるんだけど、例えば天界的な無智ね。徳があって幸せですよと。分かってるんだけど出来ないんですよね、っていう無智とか。ちょっとこう、高度な無智になってくる。あるいは社会的な無智。社会的な無智っていうのは例えば、社会的なっていうのも変だけど、非常に人にやさしくてね、本当にこの人を幸せにしたいと。で、本当はこの人は修行したほうが幸せになるって分かってる。でも、チョコレート食べたいっていうからあげちゃうんだと(笑)。ちょっと情から来る無智っていうか(笑)。まあ、無智のレベルもこうだんだん上がってくるわけだね。本当の愛が発せない無智とか。
 そんな感じで無智のレベルがぐーっと上がる。あるいは怒りのレベルがぐーっと上がる。まあ、どっちかなんだけど。それが完全に最高潮に達したときに、バーッて抜けるんです。例えば無智の人だったら無智が消えるんです。無智がなくなるんです。パッと頭がクリアになる。しかし、次に怒りの世界が始まるんです。性格がガラッと変わります、その段階で。
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「左右の気道の浄化」

2017-04-09 22:11:13 | クンダリニー・ヨーガのプロセス


◎左右の気道の浄化

 修行しているとどうなりますかと。これはこのあいだも言ったように、背中の道をぐーっと気が昇りますよと。あるいはクンダリニーが昇りますよと。
 しかし、ちょっと最初に話したのを思い出して欲しいんですが、修行というのは一つのプロセスを何度も繰り返しますよと。繰り返すごとに深まりますよ、と言ったけども、真ん中の気道を昇りつつも、実はまだやらなきゃならないことが待っているんです。それが右と左の気道の完全な浄化なんです。右と左の気道の完全な浄化が終わって、本当は真ん中に入るんだけど、でも実際は右と左の気道が完全に終わる前から、徐々に真ん中には入りだすんです。だからちょっとそういう意味では分かりにくいんだね。真ん中の経験も始まっているんだけど右と左もまだ終わってないんです。ちょっと並行するような感じがある。でも本当に本格的に真ん中に入るのは、右と左が終わってからです。
 これは大体どちらか先に浄化され始めます。多くの場合は、絶対じゃないけども、多くの場合は女性は左から始まります。男性は右から始まります。つまり女性は、もともと左中心なんだね。全員じゃないけど、左中心の人が多い。つまり簡単に言うと、冷え性で低血圧で、ちょっと怠け者っぽくて、ちょっとこういうこと言うと怒るかもしれないけど、ちょっと依存症気味で、あと性欲が強い。これは左気道の特徴なんだね。女性は元々そういう要素を持っている人が多いと。で、男性は右気道中心。右気道と言うのはまず、活発であると。怒りっぽいと。プライドが高いと。で、体が熱いと、高血圧と。これが右気道の特徴だね。大体男女で分かれる。
 まあ、私、ヨーガの先生やってると、やってくる女性の多くは低血圧ですね。で、冷え性です、驚くぐらいに。そんなに多いとは思わなかったけど。いろいろ聞いていると、大体7~8割、低血圧・冷え性が多いね。女性はもともとそういう性質を持っているので、修行に入っても左の浄化から入る。男性は逆だね。ただし、これは稀にそうじゃない人もいます。稀に、というか結構いるね。2~3割はそうじゃない。つまり、女性でもすごい活発でリーダーシップを取っていくような女性。カッカカッカしている女性。こういう人っていうのは右から入る場合があるんだね、男性と同じように。男性でもすごくおっとりしてて、ちょっと体も冷えてて優しくて、しかしちょっとあんまりやる気なさそうだとか(笑)。こういうタイプの人は左から入るんだね。
 まあ、それはどっちでもいいんだけど、面白いのは、たとえば女性の場合ね、修行しているとある時期からいきなり活発になる人がいます。すごい活発になって。前までちょっとなよなよしていたのが、すごく積極的になって。これは、あ、右に入りましたねと(笑)。男性も同じで、すごいプライド高くて怒りっぽかった人が、いきなりすごく優しくなるときがある。あ、左に入ったなと(笑)。さっきも言ったように、例外の場合は、例えばすごい強い女性がいてね、修行すればするほど強くなっていって、ある時期からいきなり優しくなるときがある。あ、この人は逆だったんだなと。右から左に入ったんだなと。そういうプロセスがあるね。



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「鼻の穴と気道の関係」

2016-06-30 06:59:01 | クンダリニー・ヨーガのプロセス


◎鼻の穴と気道の関係

 で、話を戻すと、結局プラーナを鼻から吸収していますよと。だから単純な、酸素が入ってここから肺に行く入り口とその道だけじゃなくて、吸収されたプラーナがいったん頭に行って肺を巡るっていう考え方がある。口で呼吸した場合はそうならないんだね。だから鼻でちゃんと呼吸しないと頭にちゃんとプラーナが行かないんです。だからね、ちょっと頭がボーッとしてくる。皆も経験あるかもしれないけどね。鼻が詰まっているとき頭がボーッとするとか。
 普段から口で呼吸している人がいたら、これからは鼻で呼吸したほうがいいです。その方が何割か、頭が良くなります(笑)。吐くのはね、ヨーガでは鼻で吸って鼻で吐くんだけど、中国のやり方では鼻で吸って口で吐くことが多いです。だから吐くのはどっちでもいいと思います。中国で口から吐くのは、多分丹田を意識しているんだと思うね。口から吐くと丹田が非常に活性化する。ヨーガは、鼻で吸って鼻でスムーズに吐くことを主眼としている。だから吐くのはどっちでもいいです。でも普段から吸うのは鼻のほうがいいね。
 右と左の鼻というのが、直接的に右の気道と左の気道にリンクしているんです。だからヨーガの呼吸法でも、例えばこれはみんなあんまりやらないほうがいいけども、体を冷やす呼吸といって、左鼻だけで呼吸するやり方がある。逆に体を温める呼吸法として右鼻だけで呼吸するやり方がある。私はあまりこれは良いとは思わないね。ちょっと偏るから。それよりもちゃんとこう、均等にしたほうがいい。
 我々が右鼻でばっかり呼吸しているとき、実際に体のエネルギーが右に偏ります。それによって、よくいえば、活発になってくる。悪くいえばちょっと興奮気味になります。逆に左ばっかり行ってると、ちょっと心が落ち込んできて体が冷えてきて、という感じになってくる。で、これは大体自分を観察しているとわかるけど、一人の人間の中で、一日のなかでこう、入れ替わるんです。
 一番いいのは、どっちも通ったほうがいい。どっちも通ってると均等に気が巡るようになって、しまいには真ん中に入るようになります。これが一番いい。だから呼吸法とかでも左右使って均等にやろうとするんだね。で、これは普通の人の話。
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「プラーナの摂取」

2016-06-30 06:48:45 | クンダリニー・ヨーガのプロセス




◎プラーナの摂取

 はい、じゃあもうすこし話を進めると、大体人間っていうのはこの右と左の気道を使っているわけですが、それはね、鼻の穴と非常に関係がある。なぜかっていうと、外側からの気道の大きな入り口が鼻の穴なんです。 
 だからよく「鼻で呼吸しなさい」というのは、鼻で呼吸すると、気の流れが鼻から一旦頭に行くんだね。で、グーッと体に巡るという考え方があるんです。
 呼吸っていうのはね、呼吸もそうだし、食事もそうだし、水もそうだけど、ヨーガの考え方だと、単純にもちろん現代的なね、ミネラルとかたんぱく質とかいろいろなものを摂取しているという考え方もあるけども、それよりもメインはプラーナの摂取って考える。つまり空気中とかいろいろなところにプラーナがあるんです。
 プラーナというのはスターウォーズでいうフォース(笑)。そういったら分かるかもしれないけど。スターウォーズってやっぱり相当インド的世界観が入ってて、ちょっと私そんなにスターウォーズに詳しいわけじゃないんだけど(笑)、あの中でフォースの説明で、フォースは全てだと。フォースがないと何ものも一瞬たりとも存在できないと。あらゆる生命とか、生命じゃないものもフォースによって成り立っている、みたいなそんなセリフがあったと思うけど、あれをプラーナという言葉に置き換えると、まさにインドのヴェーダとかヨーガ経典に書いてある言葉になってしまう。
 プラーナというのは全てを成り立たせているエネルギーと考えていいです。あるいはラージャ・ヨーガ的な考え方をすると、例えば主体がありますと。主観がありますと。で、客体がありますと、ね。仏教的にいうと、こちら側のいわゆる眼、耳、鼻、舌、身、意というのがあります。つまり眼とか耳とか鼻とかいう感覚を感じる器官がありますと。で、対象としての色形とか、音とか、いろいろなものがありますと。でも、主観・主体があって、対象があっても、これだけでは何も起きないとヨーガでは考える。これをつなぐものが必要なんだね。これがプラーナです。だからプラーナ無しには一切の我々の感覚も存在しない。あるいはプラーナ無しでは一切の形も成立しないと。プラーナ無しではあらゆる存在もそうだし、経験もそうだし、何もできなくなりますよ、という考え方があるんだね。
 これはもうちょっと物理的に考えると、空気中にプラーナと呼ばれるものが遍満していると。空気だけじゃないんだけど、あらゆるものにプラーナというものは入っていると。我々の生命活動を動かしているのもプラーナだと。で、このプラーナを我々は、呼吸と似ているわけだけど、体の中にある悪いプラーナを常に出して、外側からいいプラーナを吸収しなきゃいけない。そのための方法が、呼吸が一番いいんですね。あれは、呼吸というのは、まあ酸素とプラーナというのは大分かぶるんだろうけど、プラーナそのものを体中に吸収しているんだと。
 それだけではなくて、食べ物を食べるという行為も、食べ物に含まれるプラーナを吸収しているんだという考え方がある。食べ物っていうのも本当はね、一番いいのは新鮮な野菜。つまりプラーナに満ちているからね。だから現代的にいえば、例えば冷凍食品とかはプラーナがもう死んでいますよと。あるいは電子レンジ。電子レンジで調理されたものというのはプラーナがかなり弱まりますと。だから食べてもあまり、現代的な栄養価はあったとしてもプラーナという意味ではあまり効果はなくなりますよと。
 インドは殺生を嫌うから、だからといって生きたものを食べたりはしないんだけど、中国の仙道とかでは、流派によっては、例えば生きた魚を食べるとか、魚をまるごと頭から尻尾まで食うとか、とにかく生命力の摂取にすごく励むようなところがあるね。でも生きたまま食べるとそれは逆に悪業も積んでしまうので、もちろん生きたままは食べないほうがいいけども。出来るだけ新鮮な野菜とか、もし動物も食べるんだったら切り身とかよりは頭から尻尾まで食べるようなね、まあ魚だったらそういうのいっぱいあるから、そういうもののほうがいいって考えるんだね。とにかく良いプラーナをいかに摂取するかと。それが食事の意味だよって考える。

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「陰陽について」

2016-06-25 09:22:13 | クンダリニー・ヨーガのプロセス



◎陰陽について

(T)先生、陰陽理論っていうのは、そういうクンダリニーとか仙道のシステムと関係付けられることはないんですか?

 陰陽理論というのは、結局ね、インドヨーガやインドの元々の考え方、それから中国のそういった考え方、それからチベットもそうだけども、結局はベースは陰陽なんですよ。陰陽プラス三つのグナ。三つのグナというのは、ラジャス・タマス・サットヴァっていう宇宙の根源的な三つのエネルギーがありますよと。それからもう一つの陰陽という考え方があって、陰陽というのはつまり、さっきの話でいうと、陽の気道が右の気道です。つまりピンガラとかスーリヤとかいう気道だね。で、陰の気道が左の気道です。だから当然この世の現象というのは陰と陽で分けられる。
 陰陽と重なり合うようにして、三つのラジャス、タマス、サットヴァという考え方がある。重なるとも言えるし、別とも言えるんだけど。ラジャス、タマス、サットヴァというのは、サットヴァっていうのは善性といって、光ともいえるんだけど。別の言い方をすると執着のエネルギーであると。で、ラジャスというのは怒りのエネルギーだね。激質とか言うけど。タマスというのは闇のエネルギー、無智のエネルギーですね。この三タイプのエネルギーがありますよと。で、陰陽がありますよと。
 ということは、3かける2は? 6だね。だからあの、チャクラって六つなんです。よく七つのチャクラとかいうけど。さあ、七つのチャクラとかよくいうのに、なぜチャクラは六つだと私は言っているのかと。これはどう思いますか?
 七つのチャクラっていった場合、まず尾てい骨、それから性器、へそ、胸、のど、眉間、そして頭頂と。これはもちろん経典とか見るとそれぞれ名前がついている。ムーラーダーラ、スワーディシュターナ、とずーっと付いている。そして一番上はサハスラーラ・チャクラって一般にはいわれるんだけど、本当の名前はサハスラーラ・パドマっていうんです。
 サハスラーラって千の花弁という意味なんだね。千の花弁を持つ蓮華といわれていて。チャクラって言葉は本当はあんまり出てこないだね。チャクラじゃないんです、実は一番上は。ここはまさに我々が解脱とか天の世界に向かうための入り口なんです。結び目とか車輪という意味でのチャクラというのは六つなんです。
 だからちょっと話が飛んだけども、あるいは欲六界、つまり欲界ね、我々がいる欲界というのは、原始仏教ではよく五道とも言っていたけども、まあ六つの世界に分けられている。それは地獄、餓鬼、動物、人間、阿修羅、天という六の世界だね。あるいは天界そのものも六つの世界に分けられている。この三とか二とか六というのはこの宇宙における重要な素数っていうか。よく使われるんだね。
 まあ、だから話が大きく広がってしまったけども、陰陽がクンダリニー・ヨーガに関係あるかというよりも、陰陽自体というのは、インドにしろ中国にしろ、まずはベースにある大きな考え方だね。
 当然身体にも陰陽がありますよと。それはまさにさっき言ったピンガラとイダーの気道と。それプラス三つのグナの考え方がある。それプラスさらに、このあいだも言ったような、五つの元素の関係とか。この五つの元素の関係というのも、地、水、火、風、空と。これもね、よくいろいろ、いろんなところにかかわってくるから覚えたほうがいいよ、といつも言っていますが、これは色にすると黄色、白、赤、グリーン、ブルーの世界です。これは例えば元素でいうと、地元素が黄色。水の元素が白。火の元素が赤。風の元素、風元素がグリーン。で、空の元素がブルーだと。
 これはチャクラでも当てはめられる。下のチャクラ、ムーラーダーラ・チャクラから、スワーディシュターナ、マニプーラ、アナーハタ、ヴィシュッダという五つのチャクラが五つの元素に当てはめられて、で、仏教ではこれに五仏ね、ラトナサンバヴァ、アクショーブヤ、アミターバ、アモーガシッディ、ヴァイローチャナという五人の仏陀がこれに当てはめられている。これにも意味があるんだね。
 さらにこの五人の仏陀がもつ五つの智慧というものがあって、この五というのが一つの素数として使われている。なかなか複雑だね(笑)。
 それらはすべて修行にかかわってきます。いろいろ修行を進めてくとね。
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「仙道について」

2016-06-25 09:14:13 | クンダリニー・ヨーガのプロセス

◎仙道について

(S)仙道というのは気功と同じようなものですか?

 そうだね。何ていうか、気功というといろいろあってまた幅が広いんだけど、たとえばここでやっているような気功は、仙道のウォーミングアップとしてあるような感じだね。
 仙道も大きく分けて二つあって、ひとつは不老長寿とか現世利益の仙道。つまりこの世で幸せに生きるための仙道。もうひとつは仙人になって、悟るための仙道。
 この世で幸せになる仙道っていうのは、別に悟りは求めていないので、いかにエネルギーをアップさせるかとか、いかに現世的な、ヨーガでいうチャクラとか、そういうのを目覚めさせるとかにすごく力を入れているね。
 そうではなくて、悟りのための仙道っていうのは、まさにチベット仏教とかクンダリニー・ヨーガと非常に似ている。エネルギーをまず上げて、前へ下ろしてぐるぐる回していって、それでこういう光が現われてとか。いろいろな記述のセンスが違うんだけど、やっていることは同じだなという感じですね。

(K)あの、上に上がって、こう前に下りる・・・

 そうそう。これはちょっとこのあいだも話した話なんだけど。そうだね。
 ひとつはね、まずぐーっとここにまず来るんです(頭頂を指す)。その後この辺まで来るんです(顔の前面を通る)。で、ここで終わっているんです(上唇のあたりを指す)。で、また別の気道がここからスタートしているんです(下唇のあたりを指す)。
 だからよく皆にやらせる、舌を上にくっつけるっていうのは、舌で接合させているんだね、上の気道と下の気道を。この気道はここで終わっているから。この気道はここで終わっているから。舌を上にクッとくっつけることでエネルギーが周りだす。
 お釈迦様の、煩悩を撃退する方法として、最後の手段として歯を食いしばれと、舌を上につけろっていうのがあって、あ、これは気の流れを促しているのかなと思ったけど(笑)。実際そういう意味もあるのかもしれない。そういう研究して本を書いたら面白いかも知れないね。お釈迦様は実はクンダリニー・ヨーギーだった、とか(笑)。怒られそうだけどね(笑)。
 実は本当にいろいろあるんですよ。お釈迦様の三十二相といって、仏陀であることの証明のいろいろなものがあるんだけど、あの中にたとえば、お釈迦様の指はひざまで届く、というのがあって、どんだけ長いんだ(笑)、って気がするんだけど。あれはでも、一説によるとお釈迦様は相当、なで肩だったんじゃないかっていう話があって。なで肩っていうのは、仙道の一つのいい傾向なんです。どういうことかっていうと、仙道とかの修行っていうのはこの肉体の気を通していくから、そうするとね、肩の力はどんどん抜けていくんだね。結局ちょっと、なで肩気味になる。お釈迦様はきっと、肩の辺りの気道が完全に通っていて抜けてたんだと。だからひざまで届いていたんだろう、とか。いろんな考え方があるね。
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「エネルギーそのものに焦点を当てた修行」

2016-06-25 09:03:27 | クンダリニー・ヨーガのプロセス


◎エネルギーそのものに焦点を当てた修行

 で、これはちょっとこのあいだも言ったんだけど、一番いい例がラーマクリシュナ。ラーマクリシュナはハタ・ヨーガを否定しているんです。まあ否定っていうか、ハタ・ヨーガ自体は否定していないんだけど、現代にはハタ・ヨーガっていうのは向いてないと言ってる。なぜかというと、まあ、いろんな意味があるんだけど。
 現代でもよく仏教の人とかは、ハタ・ヨーガを否定する時がある。それは理由として、「いや、それは肉体にとらわれる」とか言うんだけど。ラーマクリシュナも、それよりバクティ・ヨーガで神に祈りを捧げろと言ってた。そのハタ・ヨーガをやめてバクティで祈りを捧げろと言っているラーマクリシュナの悟りのプロセスの話を聞くと、まず尾てい骨からエネルギーが上昇してチャクラを貫いて、とか言っている(笑)。え、それクンダリニー・ヨーガじゃないか、っていう感じがするんだけど(笑)。
 つまり何を言いたいかっていうと、何をやってもこのクンダリニー・ヨーガで生じるプロセスは起きるんです。で、クンダリニー・ヨーガっていうのはそのエネルギーそのものに焦点を当てて、じゃあエネルギーそのものを操作すればいいじゃないかって考えたのがクンダリニー・ヨーガです。じゃなくて、神への帰依とかを中心にしてそれを進めようとしたのがバクティ・ヨーガです。
 お釈迦様のプロセスもクンダリニー・ヨーガ的な感じがあるね、実は。っていうのは、お釈迦様のプロセスでよく出てくるのは、まず瞑想のプロセスとして、悦、喜、軽安、楽、サマーディ、というプロセスがあるんだね。これはいろいろな経典でよく出てくる。これはまさにクンダリニー・ヨーガのプロセスなんです。
 クンダリニー・ヨーガっていうのはまず、このあいだも言ったけど、まず悦、つまり強烈なエクスタシーが起きるんだね。それはクンダリニーが体をグーッと上がる時にエクスタシーが起こって、次にね、精神的な、まあ、それは喜、喜びって書いて「喜」って表現されてるけども、精神的に大変な喜びが発生するんです。それは悟りではないんだけども。精神的にすごい嬉しいっていうか、喜びっていうか、そういう状態がやってくる。
 で、その後に軽安といって、エネルギーが完全に満ちた状態。満ちることによって徹底的に体が軽くなって、体が感じられないような感じになってくる。そこから楽といって、それはちょっとこれから後にも話すけども、チャクラを甘露が満たしていく時の完全な至福感だね。これが生じてそこからサマーディに入るんです。
 で、お釈迦様はもちろんクンダリニーとかそういう言葉は使ってないけども、プロセスとしては同じなんだな、と思うね。そのプロセスを仏教とかはもちろん、心の瞑想とか、日々の徳を積んでとかそういうことを中心とするんだけど、そういうことをやりつつもエネルギーそのものに焦点を当てましょう、というのが、クンダリニーヨーガだね。全体の位置としてはそんな感じだね。
 だからこのあいだも言ったけども、現代、本屋さんとかに行っても、クンダリニー・ヨーガの正しい本って多分一冊もありません。クンダリニー・ヨーガを調べたいんだったら、かえってチベット密教の方がまだいいかもしれない。今知識として出ているものの中では、チベット密教の方が近いです、本当のクンダリニー・ヨーガに。
 クンダリニー・ヨーガの本当の本が出ていないどころか、名前さえ間違えてる(笑)。本当はクンダリニーとかクンダリーとかいう名前しかないんですよ。でも現代でよく使われているのは、よくクンダリーニって使われている。あれは間違いですね。何か堂々と有名な、本当に売れているような本とかでも、クンダリーニ・ヨーガって書いてある。経典とかにあるのはクンダリニーなんです。クンダリニーもしくはクンダリーなんです。
 内容的にも、ちょっとハタ・ヨーガの初歩的な呼吸法とかが載っていてクンダリニー・ヨーガとか言っているんだけど、実際はそうじゃないんだね。もっとすごく深いプロセスがある。

(S)クンダリニー・ヨーガ派というか、そういうグループみたいなものもあったんですか?

 いや、多分いわゆる大きな歴史的な流れとしてのクンダリニー・ヨーガ派というのはないんだけど、ハタ・ヨーガやタントラ・ヨーガの中にそのようなシステムがあって、そのシステムのことをクンダリニー・ヨーガっていっているんだね。
 また一方で、仏教のインド密教とかチベット密教の方にも、クンダリニー・ヨーガといえるものが発達しています。
 例えばカギュー派の「六ヨーガ」の中の特に熱のヨーガ、トゥモという修行があるわけですが、これはほとんどクンダリニー・ヨーガなんですね。
 で、インド密教のいろんな話とか見ていても、大体ほとんどやっているのは、あ、これはクンダリニー・ヨーガだな、っていう世界だね。完全にクンダリニー・ヨーガ化しているというか。
 あと、もうひとつは仙道です。仙道の修行もほとんどクンダリニー・ヨーガです。ただしやり方のポイントがそれぞれちょっと違うんだね。私は全部試してみたけど、仙道はちょっとね、個人的にいうとあまり合わなかったね、仙道的なやり方っていうのは。非常に興味深いんだけどね、仙道的な修行のやり方っていうのは。でもやっぱりヨーガとか密教とかの方がいいかなって感じがしたね。人によってはもちろん仙道の方がいいという人もいるかもしれないけど。
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「クンダリニー・ヨーガとは」

2016-06-25 08:55:24 | クンダリニー・ヨーガのプロセス



◎クンダリニー・ヨーガとは

 はい、このクンダリニー・ヨーガの話っていうのは、教えというよりは、皆さんが実際に経験していく話の説明でもあるので、途中でね、いろいろもし質問とかあったらどんどん言って下さい。
 私としては、皆さんは一体何を知りたいのだろうか、どこが疑問になるかなとか考えながら話をするので、もし質問とかあったらどんどん言って下さい。

(S)はい、よろしいでしょうか。私、あの、クンダリニー・ヨーガの話というのは初めて聞いたんですけれども、ハタ・ヨーガとかラージャ・ヨーガとか、あのあたりとはどういう関係になるのでしょうか、具体的に。

 そうですね、その辺から話すと、まずヨーガというのは、そもそも本来のヨーガというのは、いかに自分が悟るか、というか、仏陀になるとか解脱するかっていう道があるわけですね。
 大昔のヴェーダとか、つまりお釈迦様以前、お釈迦様以前のインド宗教というのは儀式が中心だったといわれていますね。儀式が中心というのは、神にお祈りして守ってもらったりとか、あるいはいろいろな悪い障害から守ってもらったりとか、願いを叶えてもらったりとか。
 じゃなくて、お釈迦様が活躍した時代ごろから、いや、神々に儀式で現世的幸福をお願いするのではなくて、我々自身がしっかり修行して解脱して悟りを得て真理を直接つかむんだ、というそういう道がどんどん展開していったんですね。
 それはひとつは仏教という形でどんどん展開されていくわけですが、ヒンドゥー教においてはウパニシャッド、そしてヨーガというかたちで展開していきます。
 そしてヨーガ派の教えが経典としてしっかり体系化されたのが、パタンジャリのヨーガ・スートラですね。このヨーガ・スートラのヨーガを、一般にラージャ・ヨーガというんですね。
 このヨーガ・スートラというのは、まず戒律を守って、徳を積んで、そういった基礎をまず作った後に、しっかりと座法を安定させて、呼吸法をして心を安定させて、瞑想に入りましょうと。
 ラージャ・ヨーガの瞑想っていうのはまさに精神集中、そして精神集中の深化。深化っていうのは深まり――があって、拡大があって、で、サマーディに入ると。これは集中力によって解脱するプロセスなんです。
 これはだから最も単純なヨーガっていうのは、皆さんにもたまにやらせているけど、自分の心臓に集中しなさいと。なぜかというとこの心臓は、真我、本当の自分、つまり解脱によって到達する世界へのアクセスポイントなんだって考えるんだね。グーッと集中する。そうすると集中力が強ければ、普段気がつかない潜在意識の中にグーッと入っていって、さらに強ければより深いところに入っていって、ガーッと入っていって最後のところに到達しますよと。これをやっているのがラージャ・ヨーガなんだね。
 これは最も原初的なヨーガなんだけど、そんなの出来ないという時代になってきたわけだね。つまり多分、人間の質が悪くなってきたんだろうね。いや、ほんとに(笑)。
 仏教もそうなんだけど、仏典とか見ると、お釈迦様の弟子というのは、例えば長くて数年なんだけど、オーソドックスで例えば7ヶ月で悟ったっていう人がいっぱい出てくる、例えば。で、中には本当にもう3日ぐらいで悟る人もいるし、お釈迦様の教えを聞いただけで悟った人もいる。あるいはお釈迦様の二大弟子のサーリプッタとモッガッラーナに至っては、お釈迦様と会う前に、お釈迦様の教えを人伝えに聞いただけで悟った(笑)。すごい時代だったんだろうね。すごい時代だったんだろうけども、だんだんだんだん、そんな簡単に心の中心に集中したって悟れない時代がやってきた。
 よって、仏教は全部複雑化するわけだけど、ヨーガも全部複雑化するわけですね。いろんなタイプのヨーガが必要になってきた。で、そこで皆がよく聞くような、ジュニャーナ・ヨーガとかバクティ・ヨーガとかカルマ・ヨーガとか、いろいろ発達しだしたんです。もちろんこれらのタイプのヨーガももっと以前からあったんだけど、それぞれがより洗練されてまとめられていった。
 簡単に言うと、ジュニャーナ・ヨーガは、思考によって、思索によって悟ると。
 バクティ・ヨーガは、神への帰依心、帰依によって悟ろうと。
 カルマ・ヨーガは、自分の人生を全力で、真理に則ってしっかりと行動して悟ろうと。
 その他いろいろなタイプのヨーガが出てきたわけですが、その中でハタ・ヨーガというのが出てきたわけですね。このハタ・ヨーガっていうのが、いわゆる肉体的操作によって悟ろうと。つまり皆がやっているようなアーサナとか呼吸法とかムドラーとかいうのを重視して、そこを入り口にして悟ろうと。
 まあ、肉体っていうのうは、仏教ではそれは無常であるとか不浄であるとか言って否定する。もちろんヨーガでもそういう傾向があるんだけど、しかし一応我々の魂の乗り物であり、我々が生きていく上で使っているこの肉体というものを使わない手はないと。利用すればいいじゃないかと。
 代表的な考え方としては、呼吸と心は連動するという考えがある。例えば心が緊張している時とか落ち着いていない時は呼吸が荒くなる。心が安定すると呼吸も安定すると。ということは、逆に呼吸を安定させればいいじゃないかと、ね。呼吸を安定させれば心も安定するんじゃないかっていう発想があるんだね。これはプラーナーヤーマの発想ですね。
 だからそれと同じように、身体の操作によって、身体をきれいで整った状態に変えていけば、心が安定してその後の瞑想とかも深まるという考え方がハタ・ヨーガの一派ですね。で、いろんな修行体系を編み出していって、ハタ・ヨーガっていう全体のものが出来たと。
 ただ、ハタ・ヨーガっていうのは、つまり肉体を使うヨーガ全体をハタ・ヨーガというんです。皆がイメージしているヨーガって全部ハタ・ヨーガなんだね。普通現代でヨーガっていうとまず肉体操作ありきって考えるじゃないですか。それはだからハタ・ヨーガなんだね。つまり肉体を使わないヨーガのほうが多いんです、本当は。
 でもこのハタ・ヨーガというのは一番欧米に受け入れられたわけですね。なぜかというと、欧米人というのうは当然キリスト教をまず持っていて、他の信仰に変える気はないと。多くの人はね。でもハタ・ヨーガというのは信仰がいらない。それからジュニャーナ・ヨーガというのは頭良くないと駄目なんです、相当。でもハタ・ヨーガは頭が良くなくてもいい(笑)。体動かせばいいから、ね。それと、その周辺の要素がいらないというか。ただ体動かしていれば、しかもハタ・ヨーガというのは悟りまでいかなくてもまず健康になると。ね。しかも体も気持ちよくなって、いろいろな能力とかもついてくると。これは素晴らしいっていうんで欧米にどんどん広がっていったのがハタ・ヨーガなんだね。だから今はヨーガというとハタ・ヨーガを指すようになったと。
 そして、ハタ・ヨーガっていうのは今言ったように肉体を使うヨーガ全体を指すわけですが、その中でもより高度な領域、つまりクンダリニーとかあるいはチャクラとか、そういった領域を使って速やかに解脱しようっていう考えがクンダリニー・ヨーガなんだね。
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「三本の気道」

2016-06-25 08:48:53 | クンダリニー・ヨーガのプロセス



◎三本の気道

 はい、ではこれから今日の話に移りましょう。このあいだはちょっと話しすぎてしまったというか、皆、食傷気味というか、そんな感じがしたので、もう少しゆっくりと行きたいと思います。
 この間はエネルギーの上昇と甘露が落ちるまでのプロセスについて中心的に話しましたが、クンダリニー・ヨーガの周辺的な現象って沢山あるので、そういうのもいろいろ話していきたいと思います。
 まずこのあいだ話した、背骨にスッとスシュムナーって言う道があるわけですが、その左右に道があるわけですね。
 はい、これはT君、何ていう名前ですか? 知ってます? 右と左にある道。

(T)イダーとピンガラ?

 そうだね。
 イダー、これが左の道ですね。
 右の道を、ピンガラ。
 ピンガラ気道は別名スーリヤ気道といいます。

(S)スーリヤは、太陽。

 太陽ですね。で、左は? チャンドラ気道ですね。これは月の気道ですね。で、チベット仏教ではちょっと体系が違うんだけど、チベット仏教とかインド密教というかな、インド密教とかチベット仏教の世界ではちょっとまた名前が違ってて、右の気道がラサナーといいますね。チベットでは、チベット語だと、左がキャンマとかいうんだよね。キャンマ。右がロマか。中央管がウマ、右がロマ、左がキャンマです。

(S)ウマはそのまま「中」ですよね。ウマパとかいいますもんね、中観派のこと。

 そう。中央管がチベットでウマ。インド密教ではアヴァドゥーティと言うんです。アヴァドゥーティ。これは語源はよく分からないけど。ま、ヨーガではスシュムナーですね。
 でも例えばスシュムナーとアヴァドゥーティは実は違います。それはまた後で言うけども。
 この3つの道がありますよと。
 このあいだはこの真ん中の道を中心に話しましたが、実際はこの真ん中の道にエネルギーが入るということは修行を相当……相当というかある程度進まないと起きない現象で、普通の人間は絶対右か左。っていうかどちらも使っているんだけど、右か左に偏ってます、大体。
 ヨーガの基礎的な話でもよく話しますが、右のこの気道っていうのは交感神経系です。現代的にいうとね。左が副交感神経系ですね。
 つまり交感神経っていうのは我々の心身をハイにする神経ですね。あるいは活動的にする。
 副交感神経っていうのは我々の心身をリラックスさせる。悪く言えばちょっと鬱的にするっていうかな、神経ですね。
 つまり、スーリヤとチャンドラってすごく分かりやすいね。スーリヤは太陽、チャンドラは月なんで、我々の体を熱してくれて活動的にする太陽のような気道が右の気道ですよと。我々の体を、ま、月ってインド人とかは冷やすというイメージがあるんだね。涼しい月、というようによく表現するけど、月のように我々を冷やしてくれて我々の体をスローダウンさせる。まあ、これは実際副交感神経が活発になると体は冷えるんです。いわゆる女性の冷え性とか、あと低血圧とか、これは副交感神経系のイダー気道が強い人のパターンですね。右気道系というのは、まさにCさんみたいな感じで、いつも熱いと。カッカカッカしてると。そういう感じは右気道系ですね。
 はい、それでチャクラがこう中央管に、真ん中にあるわけですが、この左右の気道っていうのはチャクラに沿って交差して描かれるんだね。
 チベット的な言い方だと、この左右の気道がいくつかの部分で中央管に巻きついているんだね。巻き付いているから、その巻き付いている部分がチャクラなんだっていう言い方をするんだね。ただしその巻きついているこいつだけがイダー・ピンガラなのかというと、まあ、いろんな表現とかから類推するとね、実際はこれだけじゃなくて、いろんな形の、右側を走っている重要な気道があって、全体を右側がピンガラー、左がイダーって考えたほうがいいかもしれないね。中央気道も実はそうなんです。それは後で言いますが、中央気道も何種類かあるのを全部何か総称して中央気道とか言っているけど、ま、実際はいろいろある。だから右と左もいろいろあるけど、これについてはあんまり覚えなくてもいいかな、って感じはしますね。
 チベットとかではちょっとめんどくさいのか、あまりこういう風には描かずに、単純に平行に描く場合もある。瞑想でもこういう感じに瞑想することも多い。巻きついているというよりは、単純に左右を走ってると。これは事実がどうかということよりも、瞑想でやる時というのはそれによって生じる、それをイメージすることによって生じる効果をねらっているので、あんまりその、実際には巻きついているのかどうかというのは考えなくていいかもしれない。
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「経験すべき教え」

2016-06-25 07:33:59 | クンダリニー・ヨーガのプロセス


2006.9.13「クンダリニーヨーガのプロセス ②」



◎経験すべき教え

 クンダリニー・ヨーガについては、いろいろ流れがあるんですけども、いろんなことをこのあいだも話しまして、これからも話すと思うんですが、実質的な問題でいうと、それらの現象っていうのは、例えばこれが終わってこれ、これが終わってこれ、となるというよりは、いくつか同時に進む形になります。
 しかも、その進むというのも一回ではなくてまた戻ったりとか。どういうことかというと、例えばわかりやすくチャクラでいったら、例えばムーラーダーラ・チャクラの経験をして、2番目のチャクラの経験をして、3番目のチャクラの経験をしました。私はもう3番目まで来たな、と思っても、また1番目の経験をする場合がある。それはより深い経験になるんだけど。それはその、深さがちょっと違うから前と同じではないんだけども。例えば一旦バーッとエネルギーが上がったからといって、もう下のものが全部終わったかっていうとそうじゃなくて、よりどんどんどんどん経験して深まっていくという感じがあるね。
 だからすごくその、言葉としては分かりにくいんだね。経験するしかないという部分がかなりあります。
 で、もう一回言うと、いろんな現象が同時に――現象っていうのは例えば、チャクラの世界の進み方。あるいは元素の世界の進み方。あるいはその他クンダリニー・ヨーガで現われるといわれるいろんなプロセスが、重なりあって進む。あるいは人によって順番が違ったりする場合がある。大まかなセオリーは変わらないんだけど、いろいろなタイプで重なり合い方とかが違ったりする。それは頭に入れておいてください。
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「人間に生まれるプロセス」

2016-06-23 21:17:47 | クンダリニー・ヨーガのプロセス


◎人間に生まれるプロセス


(T)どうしてエネルギーがここに眠っているんですか?

 どういうこと?

(T)どうして下のほうから出発してるのか。

 ああ。いや、それは簡単に言うと、我々のカルマが悪いから。一つは。

 つまり人間界っていうのはそれだけ低い世界なんだね。だから我々は神々の世界のシステムって知らないけど、神々の世界はまた全然違うエネルギーのシステムになってる。

 人間界はね、やっぱりね、なんだかんだ言っても、いろんなその、チャクラとかと世界の関係って、いろんな考え方があるんだけど、一つの分け方としてはだよ、やっぱり人間界って性器のチャクラなんです。結局性欲の世界。まあそれはそうだよな。性欲で生まれてきたわけだし。

 仏教においては、チベット仏教とかでは、人が死んでいろんな世界に生まれ変わるプロセスが詳しく説かれてるんだけど、人が死んで人間に生まれるプロセスね、これをちょっと説明すると、我々が死後の世界、まあバルドっていわれる死後の世界で、形もなくグニャグニャーって動いてる。で、だいたい人間に生まれるパターンの人っていうのは、人情とか、異性に対する、――まあ異性だけじゃないんだけど、特に異性に対する執着が強い。で、何が起きるかっていうと、自分の習性によってね、自分の本当に好きなタイプの、――たとえばU君だったら上戸彩さんみたいな。

(一同)笑

 上戸彩さんみたいなタイプの――これはちょっとリアルに言うけどね――上戸彩さんみたいなタイプの女性が真っ裸で現われます。で、その時のU君の意識っていうのは、今のU君は結構表層を飾ってるから、それが現われたとしても、「おっ、何ですかそれは?」とか言うだろうけど、もう死後の世界は潜在意識だから、全部もう表層の、なんていうかな、偽りはないから。もう心の奥の思いだけがある。だからそんなのが現われたら、「うおー!」とか言って飛び込んでく(笑)。で、飛び込もうとしたら、その自分の超好みの女性が違う男とセックスをしてる。そういう場面が見えるんです。で、ここでU君の意識はものすごく乱されます。なぜかっていうと、その上戸彩さんみたいな人に対するすごい性欲と、それから愛情欲求と、それからその相手に対する嫉妬。この超愛着と超嫉妬というものすごいエネルギーに巻き込まれて、うわーってその上戸彩さんの子宮に入ります。これが受精なんです。で、その子供として生まれるんです。よって・・・

(U)父親への嫉妬で生まれてきたんですか。

 そう。

 よって男の子は、まあ心理学でもよく言われるんだけど、男の子にとって母親は恋人。父親はライバル。女の子は逆だ。もちろんそのね、生まれてからの過程でまた関係は変わるけども、生まれた瞬間はそうなんです。

(U)あ、それはもう例外なくそうなんですか。

 修行者とか菩薩の場合は、意図的に生まれてくる場合があるので、その場合は例外だけどね。でも普通の人間転生は、だいたいそうです。

 だから、心理学でも言うけども、基本的には男は全員マザコンなんです。基本的には女性は全員ファザコンなんです。こういうこと言うとたぶん、ここにいる人たちは、まあKさんとかは、いや、そんなことないって言うかもしれないけど。

(一同)笑

(K)ええ、嫌だあって思っちゃう。

 それは育つ過程で嫌だと思うようになったんであって、……その瞬間はそれで飛び込んで行きます。だからあまり育つ過程で心が変わらずにずーっと来てる人っていうのは、マザコンだったりファザコンだったりする。で、逆に、私ね、いろいろ親子とか見てると、これは反論あるかもしれないけど、けっこうやっぱりね、客観的に見るとだよ、特に女性の場合、お母さんと娘って結構ライバルだったりすることが多い。なんかこう戦ってるように私は見えるんだけど。それは人によるかもしれないけど。なんかそういう感覚があるね。お父さんを取り合ってるかどうかは別にして。

 当然そうじゃなくて生まれて育つ過程でプライドが出たりとか、本当はお父さん好きで生まれてきたんだけど、ちょっと嫌なとこ見ちゃったり、怒られたりして嫌いになったりとか、いろいろある。でも結局、人間界っていうのはそういう意味で言ったら、愛着と嫉妬の世界なんです。それで生まれてるからしょうがないんだね。この世が愛着と嫉妬で満ちてる。

 だから話を戻すと、それで来てるから、人間界自体がもうここ(スワーディシュターナ・チャクラ)の世界なんです。ここにこうエネルギーが溜まるような世界なんです。

 でも逆に言うと、それよりもっと下に行ってる人、すごく憎しみが強い人。これはもう人間以下っていうことになる。この世は愛着と嫉妬の世界なんだけど、そうじゃなくて、憎しみで生きてる人。もうあいつ嫌い、あいつ嫌い、あいつ嫌い。――これはもうある意味かわいそうっていうか。ちょっと人間の姿をしてるけども、人間より低い意識状態だから、明らかに本人も幸せじゃないし、死んだ後もたぶん低い世界に落ちてしまう。

 人間界っていうのはちょっと、何度も言ってるけども、一番ジャンプアップしやすい世界と言われている。一番その……なんていうかな、真面目に修行しやすいんだね。これはちょっとあんまり突っ込むと長くなるから、簡単に言うけども――『入菩提行論』の解説にも書いたけどもね。地獄ほど苦しくない。動物ほどバカじゃない。餓鬼ほど飢えてない。で、天界ほど楽しくない。だから修行がすごくできるようになる。つまりその……なんていうかな、ある程度知性があって、ある程度暇があって、でもそんなに楽しくない。修行するしかねえか、ぐらいの感じになってくる。だから人間界っていうのは低い世界であるけども、修行には非常にいい世界だね。
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「徳を積むことが大事」

2015-03-12 07:23:12 | クンダリニー・ヨーガのプロセス



◎徳を積むことが大事

(T)クンダリニー覚醒のために、一番最初にやるべきことはなんでしょうか。

 それはケースバイケースだね。その人それぞれの良い部分・悪い部分があるわけで。一つ一つできるところからやるしかない。それと、ちゃんとした師匠がいれば、その人にあった指示を与えるでしょう。だから一般論としてはなかなか言いづらいね。

(T)肯定的になるとか……

 もちろん肯定的になるっていうのもそうだけど、ただね、問題はその、徳がないとね、肯定的になれないっていう矛盾があるんだね。心の習性によって否定的になっちゃうっていうのもあるんだけど、心に徳が満ちてれば自然に肯定的になります。なぜかというと、これは前にも言ったんだけど、否定的っていうことはどういうことかというと、悪い思いや悪いイメージが心にいっぱいあるわけだよね、否定的っていうことは。別の言い方をすれば。で、それは「なんであるんだ?」って言ったら、カルマなんです。カルマってどういうことかっていうと、そのイメージや思いが将来本当に現象化するんです。つまりそれは過去になした悪いことがいっぱいあるから、それが思いとかイメージとして心にあるんです、実際に。だから否定的なんです。

 ということは、それはもうしょうがないとして、それを凌駕するくらいの徹底的な徳を積めば――徳を積むイコールたとえば人に優しくしましたと。人に優しくしたら、それは優しくしたというイメージが心に根付くんです。あるいは相手の喜びとか。それはイメージとして心に根付くから自分がなんかね、将来優しくされるようなイメージがあるんだね。そして本当に優しくされるんだけど。将来、現象化して。

 だから将来現象化する喜びのデータがいっぱいあればあるほど、肯定的になります。なんかわかんないけど俺はいけると。だいじょうぶだと。俺は幸せになれるだろうと。それは別に能天気に言ってるんじゃなくて、本当に心にいっぱいそういう情報があるから、そう思えるんです。だから徳っていうのはまず大事かもしれないね。

 最近の成功哲学とかで、ポジティブ・シンキングとかいって、肯定的に考えましょうと。そうすれば成功しますってよくいってるけど、徳がないのに肯定的に考えても、無理やりって感があるね。それはちょうど、もちろんその人にも全然徳がないわけじゃなくて、よいデータって少しはあるだろうと。よいデータをたぶん引っ張り出してる。それで肯定的な気持ちになってる。でもそれは、なんていうかな、すごく強引な感じがある。

 まあそうだね、だからまずは「徳を積む」っていうのが大事なのかもしれない。うん。徳を積むっていうのは現代ではなかなか難しいけども、一般の人に対して言うならば、まあとにかく人に対して、人を幸せにするような行為をすると。それは簡単。たとえば苦しんでいる人の悩みを聞いてあげるんでもいいし。あるいはその、困ってる人を助けるでもいいし。あるいはその、自分がもし何かできることがあるんだったら人を幸せにするようなことを徹底的にやってあげると。まあそういういろんな形で徳を積むしかない。

 本当は、最高なのは、人に修行をさせること。それから、自分の師匠や聖者への布施や供養。これが一番の徳になります。つまり法施と供養だね。
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「最も現実的なシステム」

2015-03-03 06:30:38 | クンダリニー・ヨーガのプロセス




◎最も現実的なシステム

 はい。他、何かありますか。今日の話と関係があってもなくてもいいですよ。ちょっと難しいかな、今日の話。

 まあ、実際になんていうかな、経験していかなきゃいけない話だからね。

 ただ私は現代においてはこのクンダリニー・ヨーガのシステムこそが、もっとも実際的で、現実的に皆さんができるし、すごくメリットがある修行だと思います。

 さっきラーマクリシュナの話も出たけども、クンダリニー・ヨーガを進める上でバクティ・ヨーガっていうのは非常にメリットがあります。なぜかというと、強烈に気が上がるからです。私はいろいろ試したけど、最も気が上がる方法は神への帰依です。ブッダでもいいけどね。これが一番早い。

 ちょうどたとえるならば、一人で崖を上るのは大変だけど、「おお、神」っていって引っ張ってもらうのは大変簡単なんだな(笑)。そういう感覚がある。自分は全て投げ出して神に祈りを捧げるっていうか。神に帰依する。バクティ・ヨーガの考えこそが、クンダリニー・ヨーガとシステムは違うんだけど、バクティ・ヨーガが一番クンダリニー・ヨーガを進めてくれる気がする。

 それからもう一つ。気を上げるには、肯定的な意識が必要です。これは別の言い方をすると、気の上昇と肯定的な意識はイコールだと思います。もうイコールと言っていいです。否定的なのに気が上がるっていうのはありえません。だいたい否定的な時はまず気が下がってます。肯定的にならないと気が上がらないし、気が上がってないと肯定的になれない。

 もちろんね、気の位置は別だよ。たとえばものすごく上がってたんだけどちょっと否定的になって下がりだした。でも修行始める前よりは高いって、そういうことはあるかもしれない。でも少なくとも意識が上に向かっている時は肯定的になります、絶対。逆に言うと、徹底的に気を上げたかったら、超肯定的になるしかない。もうあらゆることに肯定的になる。

 だからここでもバクティ・ヨーガが生きてくるね。結局バクティ・ヨーガなんだね。

 全ては神の愛と見て全てを受け入れると。お、今日は出かけようと思ったら雨が降ってきましたと。いやあ、神の愛は本当に嬉しいと。ね。お、今日は仕事しようとしたら大失敗したと。神は本当に私にいろんな勉強させてくれると。ほんとありがたいと。ね。もう全部受け入れる。全部肯定する。そういうことをやっていたら気がガーッて上がります。

 しかし不満が始まると、――どうして俺はこんなことやんなきゃいけないんだと。どうしてあいつはあんなことばっか言うんだと。これをやるとだんだん気が下がってくるんだね。そしてさっきも言ったように気が下がると意識も下がるから、どんどん視野が狭くなって、だからどんどんこう、もう悪循環に入っていくわけだね。どんどんどんどん神の意志も見えなくなり、気も下がって否定的になって、煩悩も増えて、ああ、俺はどうせこれでいいんだよとなってしまう。

 だからバクティ・ヨーガっていうか、普段から常に神やブッダを思い続けるというのはすごく大事なんだね。
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「チベット仏教のプロセス」

2015-02-13 10:36:09 | クンダリニー・ヨーガのプロセス

◎チベット仏教のプロセス

(M)『虹の階梯』を読んだんですけど、そこにクンダリニー・ヨーガのことがいろいろ書いてあって、それで、とりあえずそれが可能になるまでには全部の、なんていうんですかね、究竟第? 究竟次第の瞑想のプロセスを完全にマスターするまでの長い間の修行期間が必要とか……それはどういうことですか?

 チベット仏教の修行のプロセスは簡単に言うと、まず前行があります。前行。五体投地10万回とか、それからまあ、ヴァジュラサットヴァのマントラ10万回とか、『虹の階梯』に書いてあるようないろんな前行があって。で、前行を終えた後に、本格的な修行に入るわけだけど、それもまあいろんな段階があって。

 で、一般的に密教っていうのは4段階に分かれてるんだね。日本の密教、真言密教っていうのは、大日経と金剛頂経が中心なわけだけど、これは第2段階と第3段階のあたりです。で、チベット仏教のみが第4段階を持っている。これを無上ヨーガっていうんだね。無上っていうのは上がない。この上ないヨーガ。この無上ヨーガが二つに分かれるんです。それがまあ生起次第(しょうきしだい)とか生起次第(せいきしだい)って言われるものと、究竟次第って呼ばれるものですね。

 で、この生起次第って呼ばれるものは、簡単にいうと、自分が神に変身する瞑想とか、そういうことをひたすらやるんだね。いろんなイメージの世界で、もう神の世界をガーッと作りあげてくような瞑想をたくさんやるんです。それが生起次第。

 そして、その後に究竟次第が来る。究竟次第はそういう意味ではチベット仏教のシステムの中の一番最後の奥の奥なんだけど、これは言ってみれば、ある言い方をすれば、クンダリニー・ヨーガなんです。つまりその生命力と気道とかを利用したヨーガなんです。だからここで言ってるクンダリニー・ヨーガっていうのは、言い方を変えればチベット仏教の最後の究竟次第の説明をしてると言ってもいい。それはイコールと言っていい。チベット仏教も、今出ているいろんな本とかでは、その辺を知らないのか隠してるのか、曖昧なものが非常にある。すごくこう、ぼやけた書き方をよくしてる。もちろんそのやり方はいろいろあるけどね。

 たとえばチベット仏教カギュ派の熱のヨーガ、さっき言ったトゥモってやつだね。熱のヨーガってやり方があって、これはすごく明確にクンダリニー・ヨーガのやり方を示している。これが代表的な究竟次第の修行法だね。その他にもいろんな究竟次第の修行法ってあるんだけど、なかなか意味が取りにくかったりするのが多い。いいですか。

 まあ、ルンとか風っていうのは簡単にいうとエネルギーのことなんで、ルンのヨーガっていうのはエネルギーのヨーガのことだね。精妙なエネルギーの。それはクンダリニー・ヨーガに含まれる概念ですね。

 ただもちろんチベット仏教には、それとはまた全然別の柱として、心だけを見つめた最高の修行がある。これがニンマ派でいうゾクチェン、カギュ派でいうマハームドラーですね。あるいはサキャ派とかではラムデっていうのがあるみたいだけど。これはもう心の奥底だけに、奥底っていうか心の本性だけに集中して、それで一気に悟ってしまうという技法がある。

 チベット仏教っていうのはすごく、本質を大雑把に言うと、その二本柱と言っていいかもしれない。クンダリニー・ヨーガ的なエネルギーのシステムと、それから心の本性を直接悟る修行。その準備段階として、神に変身したりする瞑想がいろいろあります。で、さらにその準備段階として五体投地とかマントラとかいろんな修行があります。そういうシステムなんだね。
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