ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

☆トンジュク

2010-01-08 23:22:53 | 深遠なる道・ナーローの六ヨーガのプロセス




☆トンジュク


 トンジュクとは「街に入る」という意味である。ここでいう街とは、傷のない他者の死体のことである。
 この教えは無上ヨーガ独特のものであり、複数のタントラ経典の中に出てくる。
 実際にこの法を成就した例としてはマルパが有名である。マルパは動物の死体に自分の意識を移し変えるデモンストレーションを何度も行ない、反対者までもがそれを目の当たりにしてマルパに帰依したという。
 マルパはこの秘法を息子のタルマドデのみに伝えたが、タルマドデは不慮の落馬事故で死んでしまった。タルマドデは死の直前に鳩の死体に意識を移し変え、そのままインドに飛んでいって、インド人の少年の死体に意識を移し変え、彼はその後成長して聖者ティプパとして有名になった。
 マルパがただ一人秘法を伝えたタルマドデがインド人に意識を移し変えてしまったので、チベットではこの法は途絶えてしまった。インドでは仏教そのものが滅びてしまったので、このトンジュクの法の秘訣は、地上から途絶えてしまったといわれている。

 しかしトンジュクについての表面的な教えは、今でも伝えられている。参考までに以下にそれをご紹介しよう。



【トンジュクを成就するための条件】

 この教えを成就する条件は、まず基本として、以下のようなものがある。

 ・正しい師から、ポワおよびトンジュクに関する正しい伝授を受けること。
 ・サマヤと戒を正しく遵守すること。
 ・生起次第をよく訓練すること。

 さらにまた、自分の意識を上に引き抜くこと(ポワ)と、自分の意識を他者の死体に移し変えること(トンジュク)と、他者の死体から意識を引き抜いて自分の身体に入れるという三つの技法を行なうには、以下のようなことが自在にできるようになっていなければならない。

 ・九つの門に文字を観想し、プラーナの動きを制止させられること。
 ・壺の呼吸法によって、プラーナを中央気道に入れることができること。
 ・チャンダーリーの火の修行によって、微細なプラーナに乗った心臓のフーム字を動かすことができること。


【なぜトンジュクを行なうのか】

 たとえば以下のような条件の場合に、トンジュクを行なう。

・低い身分などの条件によって大きな利他行ができない場合、高い身分の者の死体に意識を移し変える。

・自分の身体に病気が生じ、利他行ができなくなった場合、健康なまま(ショック死などによって)死んだ者の死体に意識を移し変える。

・老齢によって利他行ができなくなった場合、若くして死んだ者の死体に意識を移し変える。



【トンジュクの方法】

1.訓練

 プラーナと心の二つを自在に操れるようになり、この世で利他行を成就することを願い、衆生に対して無量の慈悲を持つ者こそが、このトンジュクを行なうべきである。

 非常に静かな場所で独居にこもり、あらゆる活動の散乱を捨ててとどまる。イダムや仏陀をあらわす絵や仏像を並べ、供物を並べる。
 マンダラを置き、その中央に頭蓋骨を置き、その底に石によってフーム字を描く。

 自分をイダムとして明らかに観想して、七つの供養を行なう。

 自分の心臓にフーム字をハッキリと観想して、右鼻から息を吸い、その吸い込んだプラーナが心臓のフーム字と合一し、左鼻から息を吐くとともに、そのフーム字が左鼻から体外に出て、頭蓋骨のフーム字に溶け込むと観想する。そして息を吐き切ったまま、できるだけ息を止める。
 苦しくなったら再び同じことを繰り返す。
 そのように繰り返し訓練することによって、それが成就した兆しとしては、頭蓋骨が実際に動いたり、自分の頭頂にかゆみや盛り上がりなどが生じる。


2.試験

 ここまでできたら次に、傷がなく、伝染病や腫瘍などで死んだのではない、死んだばかりのきれいな人間や動物の死体を探し、きれいな水で洗い、心地よい飾りをつけて、マンダラの上に蓮華座を組んで座らせるか、または他の良い姿勢で置く。
 次に自分と死体の双方の心臓にフーム字を観想し、息を吐くとともに自分の心臓のフーム字を右鼻から外に出し、死体の左鼻から入って死体の心臓のフーム字に溶け込むと観想する。
 そのようにたびたび繰り返したことによって、死体に呼吸が生じたり、生き物のにおいが生じたりしてきたならば、うまくいっている証拠となる。


3.実践

 実際に意識を移行させたい新しい死体を探し、マンダラの上に置く。自分をイダムとして明らかに観想し、普通の身体であるという思いを捨てる。そして万物を幻のようであると観想し、普通の分別の習気を捨てる。そしてグルと神々に供物をささげ、障害を取り除いてくださるように祈願をする。

 次に自分と死体の双方の心臓にフーム字を観想する。
 自分の心臓のフーム字に、自分の心とプラーナが溶け込んでいると観想し、息を吐くとともに自分の心臓のフーム字が右鼻から出て、死体の左鼻から入ると観想する。そして息を吐いたままで、できるだけ息を止める。
 そのように繰り返し、実際にトンジュクが成功すると、意識はその死体の方に移り、呼吸が始まる。そうしたら助手に適切な食物などを与えてもらう。

 こうして得た新しい身体を使って、衆生に広大な利益を与える。






◎終わりに:六ヨーガの目的


 これらの六ヨーガの修行によって、まずは不完全な光明と幻身を獲得し、そこからさらに修行を進めて迷妄の習気を浄化していくことで、究極の法身を悟り得て、幻身は完全な双入の幻身となり、輪廻が続く限り、衆生のために、その究極の法身と完全な幻身に住することができる。

 そしてそのような完全な双入の幻身から最高の変化身を無数にあらわし、衆生のためにさまざまな世界で働くことができるのである。


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☆上に引き抜くこと(ポワ)

2010-01-08 17:58:16 | 深遠なる道・ナーローの六ヨーガのプロセス


☆上に引き抜くこと(ポワ)


 死に際して意識を上に引き抜くというこの教えは、無上ヨーガタントラの大きな特徴の一つである。これは非常に大きな意味のある教えなので、努力して修習しなければならない。

 ポワの法を死の際に実際に実践するには、身体の気道が浄化されていなければならない。浄化されていないのにイメージだけでポワを行なっても、それは意味がない。
 よって生きているうちに、チャンダーリーの火の修行によって、気道を清浄にしておく必要があるのである。


 実際のポワの法の修習の仕方は、流派によってさまざまな方法があるが、ここではその一例を紹介しよう。以下に示すものはあくまでも概要であり、実際の細かいポイントは、熟練した師の指導を受けるべきである。

 一般に、天界に対して転移(ポワ)をするという教えもあるが、タントラ部の意図は、グルと同一であるイダムに対して転移(ポワ)するということであり、そのためには頭頂のブラフマ・ランドラより意識を引き抜かねばならず、その他の九つの門からエネルギーや意識が出ることを防がなければならない。そのためには、頭頂以外の九つの門に種字を観想することで蓋をすることと、壺の呼吸法を行なうことが有効である。

 自分をイダムとして明らかに観想し、へそに赤いア字、心臓に濃いブルーのフーム字を観想する。
 次にアパーナ気を上に引き上げて、へその炎を上昇させ、心臓のフーム字に溶け込ませる。
 さらにフーム字を上昇させ、頭頂に到達させ、また心臓に下ろす。
 この修習を、頭頂がかゆくなったり、震動が生じたりなどの兆候があらわれるまで、何度も繰り返す。

 その後、帰依と発菩提心を念じ、前方上方の空間に、グルと同一であるイダムの姿を観想し、強い信と尊敬の思いを呼び起こさせる。
 次に「ヒック!」と何度も唱えながら、アパーナ気を引き上げ、へその炎が上昇して心臓のフーム字に溶け込むことを観想する。
 次に「ヒック!」と7回から21回唱えることで、心臓のフーム字が上昇して、頭頂のブラフマ・ランドラを突き抜ける。このとき、ブラフマ・ランドラは、ちょうど日の光が差し込む天窓のように白く光り輝いていると観想する。
 さらに「ヒック!」と強く数回唱えることで、頭頂から出たフーム字はさらに上昇し、グルと同一であるイダムの心臓に溶け込み、無分別の状態にとどまる。
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2.睡眠の光明を生じさせる方法

2009-12-05 19:21:10 | 深遠なる道・ナーローの六ヨーガのプロセス

2.睡眠の光明を生じさせる方法


 睡眠の光明を生じさせる場合には、まず栄養のある食物をとり、寒すぎず暑すぎない環境の中で寝るように心がける。
 また、ある教えには、なかなか睡眠の光明を生じさせられない場合は、2、3日間眠らずにいてからやってみるべきだとも述べられている。

 昼間の修行において、三宝を供養し、イダムに供物をささげ、睡眠の光明を保つことと、それへの障害を取り除いてくれることを祈願する。
 そして自分をイダムとして観想し、またグルヨーガを行ない、睡眠の光明を保つ祈願を何度も行なうべきである。

 実際に寝るときには、頭を北に向けて、右わきを下にして横になるライオンの寝方をする。自分をイダムとして明らかに観想し、心臓に四枚花弁の蓮華を観想し、その中央に青いフーム字を観想する。

 そして残りの四つの花弁にも種字を観想する方法と、観想しない方法がある。

 前者の方法においては、まずア字に心を向け、眠り始めたときにヌ字に心を向けることによって、第一の空である「輝く光」があらわれる。次にタ字に心を向けることによって、第二の空である「増大する輝き」があらわれる。次にラ字に心を向けることによって、第三の空である「成就間近」があらわれる。次にフーム字に心を向けることによって、第四の空である「一切空」があらわれる。

 後者の方法においては、ただ中心のフーム字にのみ集中する。

 これはどちらのやり方をとってもかまわない。

 ただし、昼間に堅固なサマーディの経験がないと、睡眠の空を保つことは難しい。

 覚醒時の修行においてチャンダーリーの火のヨーガをしっかり修習し、プラーナを中央気道に入れて空を経験できる者は、眠り始めに心臓にフーム字を観想することによって、2、3日かからずに、睡眠の四つの空を経験することができる。
 
 覚醒時に四つの空を完全に体得できていなくても、至福・光・無分別のサマーディを堅固に保てる者が、睡眠の前にそのようなサマーディに入り、その後に眠りにつくことによって、睡眠のサマーディに入ることができるが、これは無上ヨーガで定義するところの「睡眠の光明」ではない。しかしながらこのような素養を持つ人が、心臓にフーム字を観想しながら眠りに入るならば、本当の「睡眠の光明」を得ることに徐々に近づいていくであろう。

 よってまず覚醒時に、実際にプラーナを中央気道に入れることができるように懸命に修行すべきである。
 そのように熟達したならば、眠りに入る前に心臓にフーム字を観想することによって、簡単に睡眠の光明を経験できるであろう。

 睡眠の光明があらわれるプロセスは、まず陽炎のようなヴィジョンがあらわれる。
 次に蛍が飛び交うような、赤いピカピカした光があらわれる。
 次に風のない場所に置かれた灯火のようなヴィジョンがあらわれる。
 次に白い滴があらわれ、月の光のような輝きがすべてに行きわたる「明らかな光」があらわれる。
 次に赤い滴があらわれ、太陽の光のように赤またはオレンジの輝きがすべてに行きわたる「明らかな増大する輝き」があらわれる。
 次に黒い滴があらわれ、夜の暗闇がすべてに行きわたったような「成就間近」が生ずる。その前半においては意識があり、後半においては意識をいったん失うが、それは過失ではない。
 次にその真っ暗な意識不明の状態から目覚めて、明け方の澄んだ空のような「一切空」あるいは「光明」と呼ばれるものがあらわれるのである。
 その最後の光明の中にできるだけ長い間とどまることが重要である。

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☆光明を生じさせる方法

2009-12-05 18:04:35 | 深遠なる道・ナーローの六ヨーガのプロセス

☆光明を生じさせる方法



1.覚醒時に光明を生じさせる方法


 光明には、「共通の光明」と、「無上ヨーガタントラの特別な光明」の二つがある。

 「共通の光明」は、大乗であろうと小乗であろうと、マントラヤーナであろうとパーラミターヤーナであろうと、所作・行・ヨーガ・無上ヨーガのどの方法によろうとも、有と無や常と無常などの二元を離れ、ものの本質である空性に到達したときに生じるものである。

 「無上ヨーガタントラの特別な光明」も、本質的には「共通の光明」と同じなのだが、サハジャの大楽という方法によって空性を悟り、経験する光明なので、「無上ヨーガタントラの特別な光明」と呼ばれるのである。これは別名、「サハジャの光明」とも呼ばれる。

 これを経験するには、プラーナが中央気道に入り、とどまり、溶け込むというプロセスによって生じた、「サハジャの大楽」を得、それにしっかりと習熟することが必要である。
 
 そのような土台をしっかりと固めた上で、自分自身をヤブ・ユムのイダムとして明らかに観想する。その心臓のダルマ・チャクラの中の日輪座に青いフーム字を観想し、そこから光が放たれ、すべての世界を浄化して、すべての衆生がその光に溶け込み、フーム字に吸収されると観想する。
 次に、自分の身体も、フーム字に溶け込んでいく。それからフーム字の「ウー」の部分がハ字に溶け込む。そしてハ字が三日月に溶け込んでいき、三日月がティクレに溶け込む。ティクレはナーダに溶け込み、ナーダは空に溶け込む。

 壺の呼吸法を行ないながらこれを行なうことによって、実際に左右の気道のプラーナが心臓の中央気道の中に入り、とどまり、溶け込み、四つの空の順序で、すぐれた光明があらわれる。そのときに、大楽の心だけは、不動なものとして保ち続けるべきである。

 もともとチャンダーリーの火の修行によって「サハジャの大楽」を生じさせることができるようになった者ならば、このやり方によって、サハジャの光明は簡単に維持できるであろう。


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【死の兆候とプロセス】

2009-12-04 19:16:24 | 深遠なる道・ナーローの六ヨーガのプロセス
【死の兆候とプロセス】

 実際に自分に死が迫ってきたことは、どのようにして知ることができるのか。

 要約すると、まず身体の地元素が撤退していくとき、身体を動かすことができなくなり、身体の力を保てず、力が抜け、身体が地面に沈みこむような感じがする。
 内的経験としては、陽炎のようなヴィジョンが見える。

 水元素が撤退していくときは、口と鼻の中が渇き、舌が縮む。
 内的経験としては、 煙のようなヴィジョンが見える。

 火元素が撤退していくときは、体が徐々に冷えていき、熱は体のどこかに集まっていく。
 内的経験としては、蛍の光のようなヴィジョンが見える。

 風元素が撤退していくときは、吐く息が長くなり、息を吸いづらくなる。
 内的経験としては、不動の灯明の火のヴィジョンが見える。

 それから初めの「明らかな光」が、雲のない虚空に月の光が輝くようにあらわれる。

 次に、「輝き増大する光」が、何もない虚空に太陽があらわれたような、赤あるいはオレンジの光としてあらわれる。

 次に、「大いなる空」とも呼ばれる「成就間近の光」が、何もない虚空が夜の暗闇に覆われたようにあらわれ、何の思念もなくなってしまう。

 そしてその暗闇の昏睡から目覚めるとき、「一切空」と呼ばれる光明があらわれる。それは明け方の何もない虚空のような光明である。

 これらの死の光明を経験しているとき、もろもろのプラーナは心臓の「不壊なるもの」に溶け込み、頭の白いボーディチッタは下に下がり、へその赤いボーディチッタは上に昇り、それらが心臓で合一する。




 四つの元素が撤退していく兆しがあらわれてきたなら、いずれかの方法で生命エネルギーを中央気道に集め、四つの空をハッキリと認識するように努めるべきである。そして最後の光明があらわれたときに、できるだけ明らかなサマーディの境地にとどまるべきである。

 死の光明の時、プラーナと心が中央気道に集まり、プラーナが心臓に溶け込むことによって、もろもろの二元的な分別は寂滅し、雲のない虚空のようになる。それをハッキリと確認し、サマーディの境地にとどまるべきである。

 死の時にこれをスムーズに行なうには、生きているうちから「空の教え」を学んでおくことと、「楽空無差別」のサマーディに慣れ親しんでおくことが必要である。
 ジェツン・ミラレーパも、次のようにおっしゃっている。

「死の光明は法身であり、そうであるものをそうであると知らねばならない。
 そのためには、すぐれたグルに師事して、
 もののありかたの真の意味と、
 道の光明を、
 学び、理解せねばならない。」



 生きているうちに修行によって経験する四つの空を「息子の光明」と呼び、死の時にあらわれる四つの空を「母の光明」と呼ぶ。修行者は、死の時に、「息子の光明」を「母の光明」に混ぜ合わせる。
 
 それをするには、覚醒時にプラーナを中央気道に入れ、とどめ、溶け込ませたうえで、四つの空、特に四番目の空に慣れておかなければならない。また、睡眠時に、どれだけ睡眠が深くても、睡眠を光明と混ぜ合わせられるようにしておかなければならない。

 死の光明を死の光明であると認識し、息子の光明と混ぜ合わせることができたならば、その後にバルドがあらわれるプロセスもハッキリと認識できるので、バルドを自由にわたることができる。


 バルドを自由に乗り越える方法は、基本的には、これ以外にはない。
 その他、普段生きているときから、「私は死んでいる。すべてのあらわれはバルドである」と常に意識することを訓練したならば、死の時に意識を保つことはできるかもしれないが、力は弱い。
 あるいは、実際には「四つの空」が生じていないが、そのイメージだけを修習した場合も、死の光明を少しは保てるかもしれないが、やはり力は弱い。

 よって、死の光明を明らかに経験し、バルドを自由に乗り越えたいと思う者は、表面的な技術に走ることなく、実際に中央気道にプラーナを入れることができるように、チャンダーリーの火のヨーガなどを、正しく努力して実践すべきである。
 そのようにして実際にプラーナが中央気道に入り、とどまり、溶け込み、四つの空を生じさせ、また睡眠の光明も経験するべきである。
 そして、覚醒時の光明と、睡眠時の光明から、それぞれ優れた幻身として生起することを修習するならば、死の光明を経験し、バルドを乗り越えるための、すぐれた力を獲得することになる。

 よって、チャンダーリーの火の修行に励むことこそが、重要な道の基礎であるということを思念しなさい。

 また普段から、前に述べたように、目の前に現われるすべてはイダムのマンダラであり、そのマンダラはすべて幻であり、その幻の本性は空である、と観ることを修習し、確定させ、その見解をよく維持したならば、死後においてもそれが出てくるので、そのようにすべきである。


 また、死後、浄土やその他の自分の望む世界に自由に生まれたい場合は、後に述べる「転移(ポワ)」の教えを、指示どおりに実践すべきである。
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「魂の性質によるバルドの分類」

2009-09-27 20:26:12 | 深遠なる道・ナーローの六ヨーガのプロセス


2.実践の順序

①魂の性質によるバルドの分類

 優れた生命体は、死後に報身が生起して、それをよりどころに仏陀となることができる。
 これが可能になるには、生きているうちに、生起次第の瞑想の悟りを完全に得て、それから生命エネルギーが中央気道に入り、とどまり、溶け込むことによって四つの歓喜と四つの空の智慧を成就し、幻身をほとんど成就しているという条件が必要である。

 中くらいの生命体は、生命エネルギーが中央気道に入って溶け込んだことによって生じる四つの空に熟達した者であり、さらに睡眠の空も経験できるならばより良いし、深い睡眠さえもその空と混合することができるならば申し分ない。

 劣った生命体は、優れた師に弟子入りし、サマヤと戒を遵守して、生起次第のヨーガを努力して修習し、究竟次第を観想するが、まだ完全にそれらを成就できていない者のことである。
 この者は、バルドの教えを学び、死の時にどのように死の光明があらわれ、どのようにバルドがあらわれるかをよく知って、それを乗り越える様々な教えを訓練しなければならない。それによって、仮に死のときまでに死の光明の悟りを得られなかったとしても、バルドの教えに慣れ親しんだ力によって、うまくバルドを乗り越えられる可能性が高まる。

 もし、この三つの生命体いずれの条件もそなえていない者が死を迎えたならば、生きている間に多く修習したいずれかの真理の教えを繰り返し思念しながら死を迎えるべきである。死はいつやってくるかわからない。死を迎えた緊急時においても真理の教えを思念できるように、普段から繰り返し真理の教えを心に根付かせておくべきである。

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☆バルドの幻を観想する方法

2009-09-25 20:55:25 | 深遠なる道・ナーローの六ヨーガのプロセス

☆バルドの幻を観想する方法


1.バルドの基本的な教え

 生命体が死に、また生まれ変わるまでの死と生の中間の状態において、その者はバルドの身体を持つ。その身体は、すべての感覚器官を完全にそなえ、ある種の神通力を持ち、次に生まれ変わることが確定している場所以外には、どこへでも行くことができる。
 バルドの身体の寿命は、長くても七日である。その七日の間に新たな世界に生まれ変わらなかった場合、再び新しいバルドの身体を得る。これは最高七回まで繰り返されるので、最長の場合49日間となり、この49日の後には誰でもが、必ずどこかの世界に生まれ変わる。

 地獄や天などに瞬間的に生まれる者は、その生まれることになっている場所に対して渇愛を感じる。
 湿った場所で生まれる虫などの場合は、その場所のにおいに渇愛を感じる。
 胎生や卵生の場合は、父と母が性交している場面に渇愛を感じる。女性として生まれる者は父に愛著を感じ、母に嫌悪を感じる。男性として生まれる者は母に愛著を感じ、父に嫌悪を感じる。

 カルマの悪い者が経験するバルドは、暗い雲、あるいは闇夜のように感じる。
 カルマの善い者が経験するバルドは、白い布、あるいは月光によって照らされた夜のように感じる。

 バルドとは、「死んでから生まれ変わるまでのバルド(中間状態)」だけを指すのではない。
 生まれてから死ぬまでのバルド(中間状態)、眠ってから目覚めるまでの夢のバルド(中間状態)などもまた、バルドである。

 密教の教えを修めたヨーギーは、生きているうちに死のプロセスを何度も瞑想で修習し経験する。
 そのときに、普通の人が死んで死の光に飛び込むプロセスにおいて法身(ダルマカーヤ)を経験し、バルドの身体を形成するプロセスにおいて報身(サンボーガカーヤ)を形成し、そして新たな世界に生まれ変わり新たな肉体を形成するプロセスにおいて変化身(ニルマーナカーヤ)を形成することを修習する。
 これによってヨーギーは、普通の死とバルドと再生を、仏陀の法身・報身・変化身に変容するのである。

 覚醒時にしっかりと幻身の修行を修習し、睡眠時には夢の中で幻身を修習し成就することによって、死後の幻身(報身)もしっかりと成就するように努めるべきである。

 同様に、覚醒時にチャンダーリーの火の修行によって生命エネルギーを中央管に入れ、とどめ、溶け込ませることによって、四つの空の光を経験し、睡眠時にも四つの空の光を経験するならば、死の時にも、プラーナが心臓に集まる時、四つの空の光を経験することができる。

 同様に、覚醒時に微細な幻身(報身)から粗雑な変化身に移行する瞑想を行ない、睡眠時に夢の幻身から目覚めるときに変化身の姿となって目覚めることを修習することによって、死後も、バルドの報身の状態から、変化身となって生まれ変わることを成就することができるのである。

 まとめると、
 覚醒時の四つの空・睡眠時の四つの空・死後の四つの空(法身)
 覚醒時の幻身・夢の幻身・死後の幻身(報身)
 覚醒時の変化身・夢から覚めるときの変化身・バルドから生まれ変わる時の変化身

 この九つを修習することは、無上の教えである。


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☆夢の幻を観想する方法

2009-08-30 18:37:57 | 深遠なる道・ナーローの六ヨーガのプロセス

☆夢の幻を観想する方法


1.夢を保つこと

1-1 プラーナの力によって夢を保つこと

 これは、覚醒時にプラーナを中央気道に入れ、溶け込ませ、四つの空をあらわすことができる人が行なう方法である。
 最初に睡眠の光明をしっかりと保つならば、その後に夢があらわれるのをハッキリと認識できるので、特にそれ以上、夢を保つために何かを行なう必要はない。


1-2 願いの力によって夢を保つこと

 これは、上記のような能力がない者の道である。
 これは、覚醒時に、「夜、夢を保つ手助けをしてください」などとグルと同一であるイダムに繰り返し祈ることと、喉などに観想をする方法などがある。

 睡眠時の集中の場所については、心臓に集中する流儀と、喉に集中する流儀の、二つが伝えられている。

 もし睡眠の光明をあらわすことができる人は、心臓に集中して光明を経験し、その後に夢を保つのがよい。

 しかしもし睡眠の光明を保つことができない人は、喉に集中して睡眠に入るのがよいのである。
 睡眠時に喉や眉間などに集中するならば、心臓にプラーナが集まる程度が小さくなることによって、睡眠が浅くなり、夢を認識しやすくなるのである。

 覚醒時に、「夜、夢を保つ手助けをしてください」などと祈ることを繰り返し続けていると、その思いが睡眠時にも出てくるので、夢の認識が容易になる。

 また、昼間に、以下のようなことにも努力をすべきである。
 ・自分をイダムとして観想する。
 ・グルヨーガ、マンダラ供養を行なう。
 ・グルとイダムに供物をささげ、祈願を行なう。
 ・できるだけ人と会わないようにする。
 ・日常生活のあらわれすべてを、夢であると考える。
 ・夢を夢として認識したいと、繰り返し願う。


 実際の睡眠時には、強力な二つの技法がある。


①喉に文字を観想すること

 睡眠に入る時に、自分自身がイダムであると観想する。
 頭頂にグルを観想し、祈願をする。
 喉に赤い四枚花弁の蓮華を観想する。
 その中心に、赤いア字またはオーム字を、ヴァークヴァジュラ(言葉の金剛)の本質として観想する。
 このような心を保持したままで睡眠に入るのである。

 これには、ただア字またはオーム字のみに集中する方法と、四枚花弁にア・ヌ・タ・ラの文字を順番に観想していき、最後に中心のオーム字のみに集中する方法とがある。
 どちらにしても、喉の中心にア字またはオーム字を観想するとき、それが中央気道の中であると観想することは、非常に重要である。


②眉間に滴を観想すること

 このやり方によってもなかなか夢を認識できないときは、繰り返し同じやり方で努力すべきである。
 それでもなかなか夢を認識できないときは、明け方にグルヨーガを観想し、祈願をした後、自分をイダムとして観想し、その眉間に白く輝く豆粒ほどの滴を観想し、壺の呼吸法を七回行なってから、睡眠に入るべきである。明け方は睡眠が浅く、また眉間に集中することによっても睡眠が浅くなるので、夢を認識しやすくなるのである。
 




2.夢のヨーガをさらに進める訓練

 夢の中で、さまざまな神秘的な行為を行なうべきである。
 たとえば、さまざまな神の国や人の国へ旅をする。
 空を飛んだり、無数の分身を出したりなど、さまざまな神通力を行なう。
 仏陀の浄土へ行き、仏陀や菩薩にお会いする。
 


3.夢の実体を観想すること

 夢の中で自分をイダムとして明らかに観想し、自分の胸のフーム字から光明を放射し、すべての世界と衆生をその光明に包摂し、胸のフーム字に吸収する。
 そして自分の身体も、フーム字に溶け込んでいく。そしてフーム字そのものも溶けていき、空なる光明だけになったと観想し、心を不動に保つのである。

 夢の中でこのような瞑想をすることによって、夢はすべて光明に溶け込む。そして睡眠のもろもろの空を、徐々に体験できるようになるであろう。
 睡眠の最初にもろもろの空を経験できない者も、いったん夢を見た後に、このような観想をすることによって、睡眠の空を経験できるのである。
  

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☆あらわれたものを幻と観想する方法

2009-08-30 16:41:19 | 深遠なる道・ナーローの六ヨーガのプロセス

☆あらわれたものを幻と観想する方法

 先に述べたように、サハジャの楽と、空の悟りを、無差別として混ぜ合わせることに熟達した者が、瞑想から立ち上がった時にもその見解を維持しつつ、この世のあらゆるあらわれをマンダラとして観想することによって、すべての主体的・客体的なあらわれが、自然にマンダラとして変容される。
 これができる人には、幻についてのこれ以上の教えは必要ない。

 しかし瞑想において楽空無差別をまだ経験できないひとは、瞑想から覚めたときに、この世のあらわれは、普通のあらわれとしてあらわれる。
 その場合、その普通のあらわれとしてあらわれたすべての世界と衆生を、すべて実体がないものだと見る努力をし、またすべては清浄なマンダラであると見る努力をする。あるいは、本質的に空なるものが清浄なマンダラとしてあらわれたものであると見る努力をする。

 グルに教わった仕方によって、そのように正しく見る努力をするならば、まずすべてのあらわれをマンダラであると見ることができるようになる。
 次に、そのすべてのマンダラのあらわれは、幻にすぎないと見ることができるようになる。
 そして次に、そのすべての幻は大いなる至福であると知ることができる。

 瞑想において大楽と空性をよく修習し、瞑想から起き上がった日常においても上記のように修習し、そのようにして日常と瞑想を交互に混ぜ合わせるべきである。

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◎チャンダーリーの火のヨーガによって、幻身と光明と夢の修行を修習する方法

2009-08-25 16:21:10 | 深遠なる道・ナーローの六ヨーガのプロセス

◎チャンダーリーの火のヨーガによって、幻身と光明と夢の修行を修習する方法


 生命エネルギーが中央管に入り、とどまり、溶け込むというプロセスが生じないと、「アーローカ(輝き)」「アーバーサ(増大する輝き)」「ウパラブダ(達成直前)」という三つのサマーディは生じない。
 この三つのサマーディが完全に生じることで初めて、完全な幻身を成就するのである。

 幻身のヨーガの修行においては、まず、自分の身体が影像のように実体がないものであることを様々な方法で理解していき、さまざまな好き・嫌いの分別を断じ、一味平等にしていく。これが基礎的な幻身の修行である。

 そして自分の身体をイダムであると観想し、苦と楽を一味平等として悟っていくのが「清浄な幻身」の修行になる。

 好き・嫌いの分別を断じて一味平等にしていくためには、空性の見解を十分に理解したうえで、サハジャの歓喜と合一させ、瞑想においてそれを味わうことが、主なる方法となる。
 これをよく維持したならば、瞑想から立ち上がって現実生活に戻った時に、目の前にあらわれるすべての現象は、「幻」として認識される。

 また、生起次第のプロセスにおいて説明したように、日常生活において現われるすべての顕現を、すべてはイダムとその宮殿であると見て、その本質として現われる堅固なサマーディを生じさせ、すべてのあらわれを浄化していく、ということを修習するならば、自分自身は実体のないイダムであるという認識が、自然に生ずる。

 睡眠時に、光のヨーガと夢のヨーガを同時に実践したいのであれば、まず最初に睡眠の光明を保ち、その後に夢の修行に入るのである。

 生命エネルギーを中央気道に集めることができない者は、昼間に一生懸命修行して、それができるようにすべきである。


 昼間の覚醒時に、生命エネルギーを中央気道に入れ、止め、溶けこませ、四つの歓喜と四つの空を経験し、サハジャの歓喜があらわれたときに「楽空無差別」と見る。
 瞑想から覚めるときは幻身の姿を生起させ、あらわれるすべての現象を、聖なるマンダラであると見る。 
 ここまでできれば本来、修行は十分なはずであるが、さらに睡眠時の光と夢などの修行をなぜ学ばなければいけないのだろうか。

 睡眠時においては、自然にプラーナが心臓のチャクラに集まる。そして覚醒時にプラーナを中央気道に入れることができる人が、中央気道の心臓部分に意識を集中して眠るならば、左右の気道のプラーナは中央気道の心臓部分に容易に集まり、覚醒時よりも容易に、四つの空の経験をすることができるのである。それを利用してできるだけ睡眠時に光明を維持する努力をしたならば、その力によって、覚醒時にも中央気道にエネルギーが集まりやすくなる。よって、睡眠を利用した光のヨーガをするとしないとでは、修行の進度が大きく違ってくる。
 また、この世で解脱に達する前に死んでしまった場合も、睡眠の光明を保つことに熟達していれば、死後の光明を保つことも、他の者よりも容易になるのである。

 同様に、睡眠時の光のヨーガの後に、夢の中で幻身を操ることに熟達すれば、覚醒時に幻身を成就することも容易になるのである。
 また、この世で解脱に達する前に死んでしまった場合も、夢の幻身を保つことに熟達していれば、死後の中間状態の幻身を保つことも、他の者よりも容易になるのである。
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ボーディチッタを溶かし、四つの歓喜を生じさせる方法

2009-08-24 14:17:18 | 深遠なる道・ナーローの六ヨーガのプロセス

5.ボーディチッタを溶かし、四つの歓喜を生じさせる方法


 四つの歓喜を生じさせる方法には、順観と逆観がある。

 順観とは、頭頂のマハースカ・チャクラから溶けだしたボーディチッタが滴り落ち、
 のどのサンボーガ・チャクラにボーディチッタが集まることで、「歓喜」が生じる。
 次にボーディチッタが胸のダルマ・チャクラに集まることで、「最高の歓喜」が生じる。
 次にボーディチッタが臍のニルマーナ・チャクラに集まることで、「超越的歓喜」が生じる。
 次にボーディチッタが性器の先端に集まることで、「サハジャの歓喜」が生じる。
 
 逆観とは、順観のプロセスの後に、ボーディチッタが臍のニルマーナ・チャクラに集まることで「歓喜」が生じ、
 次にボーディチッタが胸のダルマ・チャクラに集まることで、「最高の歓喜」が生じる。
 次にボーディチッタがのどのサンボーガ・チャクラに集まることで、「超越的歓喜」が生じる。
 次にボーディチッタが頭頂のマハースカ・チャクラに集まることで、「サハジャの歓喜」が生じる。


 この二つのプロセスを、何度も繰り返すのである。

 このプロセスを、単に観想ではなく実際に生じさせるには、チャンダーリーの火の修行によって体に熱を生じさせ、それによってボーディチッタ(精液)を溶かし、昇華させなければならない。

 ここでボーディチッタ(精液)を溶かして昇華させる際に、単に一人で瞑想によって行なう方法と、異性とのセックスを利用して生じさせた精液を、漏らさずに身体内に引き戻し、溶かして昇華させる方法がある。
 しかし後者の方法は難しい。単に射精をしなければいいというわけではなくて、身体内に引き戻した精液を溶かし、頭頂まで引き上げ、そして実際に体中のナーディに行きわたらせることができないと、逆に様々な病が生じてしまうからである。
 よって、よほどの高度な段階に到達し、かつ師からの指示や許可がない限りは、異性とのセックスを利用した方法に関しては、むやみに手をつけるべきではない。

 瞑想において実際にこのプロセスを速やかに生じさせるには、自らをイダムとして観想し、蓮華座を組み、頭頂の逆さのハム字に意識を集中するところから始める。そうしてこの頭頂のハム字のビンドゥを何とかして溶かし、ボーディチッタを体中に行きわたらさなければならないが、そのためには多くの直接的・間接的方法がある。それらは師からの口訣によって知るべきである。




6.サハジャの智慧を観想する方法

 サハジャの智慧を観想するには、前述のように、まず「順観」のプロセスで、頭頂から生じたボーディチッタを順次下に降ろしていって、性器の先端にまで到達させ、外に漏らさずに保持するとき、「サハジャの歓喜」が生じる。この時に、空の悟りに意識を集中することで、その至福と空が合一した「楽空無差別の智慧」が生じる。その楽空無差別の状態を、できるだけ長く維持する。
 しかしまだ空の悟りが堅固に生じていない場合は、単にその至福感のみに集中する。
 
 そして次に「逆観」のプロセスで、ボーディチッタが順次上に上がり、頭頂に達したとき、再び「サハジャの歓喜」が生じるが、そこでも同様に、「楽空無差別の智慧」または単に至福感のみに、できるだけ長い間集中する。

 瞑想を終えた後も、普段の日常生活において、瞑想によって経験した至福と空の経験を思い起こし、日常生活のすべての現われに、その至福と空の印を押すのである。



7.カルマムドラーによって観想することについて

 カルマムドラーとは、条件を備えた実際の女性である。つまり前述した、異性とのセックスを利用して観想する方法である。

 このためには、自分と相手の両方が、極めてすぐれた修行ステージに達し、密教の戒律を厳しく守り、一日四回の生起次第の瞑想によく熟達し、すぐれた空性の悟りがあり、四つの歓喜、特にサハジャの歓喜に精通し、自らのエネルギーをコントロールしてボーディチッタを漏らさないことができるなど、さまざまな定義を完璧にそなえていなければならない。
 このような定義を実際にそなえていないのに、傲慢にも自分には資格があると勘違いしてこの方法を行なうならば、それは悪趣・地獄に落ち、長い間にわたって苦しむる因となる。

 よってこのプロセスは、通常は、現実の女性ではなく、ヴァジュラヨーギニーなどのジュニャーナ・ムドラー(観想された女神)を観想し、その女神との合一の観想によって四つの歓喜を生じさせるのが良いのである。
 そうして前述のように、「サハジャの歓喜」のときに、「楽空無差別の智慧」に集中する。もしくはまだ空の悟りが堅固でないならば、ただその至福感のみに集中する。そうしてその強烈な精神集中を長く持続することによって、サマーディに没入するのである。


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4.兆しのあらわれと、チャンダーリーの火の燃え方

2009-08-23 11:31:18 | 深遠なる道・ナーローの六ヨーガのプロセス

4.兆しのあらわれと、チャンダーリーの火の燃え方


 中央管に実際に生命エネルギーが入った兆しのヴィジョンは、簡単に書くと、次のようなものである。
①煙
②陽炎
③蛍の光
④灯火
⑤空間を満たす四つの光


  
 チャンダーリーの火の修行によって体に熱が生じたとしても、それにはすぐれたものと劣ったものがある。
 ・へそや性器から中央管で燃える熱は優れているが、中央管の外側で燃える熱は劣っている。
 ・身体の内側のほうから出てくる熱は優れているが、皮膚の下のような外側で燃える熱は劣っている。
 ・熱の燃える範囲が広い熱は優れているが、狭い熱は劣っている。
 ・熱の量が多いのは優れているが、少ないのは劣っている。
 ・実際に生命エネルギーが覚醒して生じる熱は優れているが、単に呼吸法の力だけで生じた熱は劣っている。
 
 すぐれたチャンダーリーの火を燃やすなら、精液が昇華されるので、大きな至福が生じ、病は生じない。
 しかし劣った熱が生じても、精液は昇華されず、至福は少なく、身体に苦痛や病が生じる危険性もある。
 よって、実際に精液が昇華され、中央管に生命エネルギーが入り、甘露が溶け出し、大きな至福が生じるように、基礎的な実践から始まって、さまざまな修行を、師の指示に従って、要点を外さずに行なうのが重要なのである。
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3.壺の呼吸法をしながら観想する方法

2009-08-20 16:20:21 | 深遠なる道・ナーローの六ヨーガのプロセス

3.壺の呼吸法をしながら観想する方法


 壺の呼吸法を使うならば、チャンダーリーの火の体験を非常に速やかに生じさせることが可能となる。

 息を吸うときは、口は使わず鼻から、ゆっくりと、やわらかく吸う。ララナーとラサナーの二つの管を通してプラーナを吸い込み、この二つの管がプラーナでいっぱいになったと観想する。
 そしてその二つの管のプラーナが、臍の少し下の、三本の気道の合流点から、中央気道に入ったと観想する。
 音を立てずに唾を飲み込み、臍の少し下の所に力を込めながら、息を止める。同時に肛門と性器の筋肉を引き締めて、アパーナ気を引き上げる。 
 できるだけ長く息をとめた後、息を吐く。この時に、プラーナが臍の下から、中央気道をとおって上に移動すると観想する。しかし、プラーナが頭頂から上に抜けると観想してはいけない。
 また、この呼吸法は、食事のすぐ後に行なってはならない。

 この呼吸法に熟達してきたら、前に述べたのと同様に、四つのチャクラに四つの種字を観想しながら、壺の呼吸をおこなう。
 
 そして壺の呼吸で息を止めながら、次のような観想を行なう。
 へその短いア字の炎を、光明とともに、中央管を上昇させる。
 上昇した炎と光明は、上の三つのチャクラの種字を溶かし、溶けた種字は甘露の流れとなって、へその短いア字に滴り落ちる。
 へそのチャクラにおいて、チャンダーリーの火と、不死の甘露は一つになり、「サハジャの歓喜」が生じる。そう観想しながら、へそのチャクラに集中する。

 さらにその臍の短いア字から光が生じ、再びその光が中央管を上昇し、三つの種字を溶かし、へその短いア字に甘露が滴り落ちる。そしてへそのチャクラに一心に集中して、息を保つのである。

 その時に、一点集中によって心が堅固になった時、へその短いア字から生じた光明が、身体の内も外も明るく照らすと観想する。
 この観想は、瞑想の体験を明晰にし、速やかにサマーディを完成する手助けとなる。


 壺の呼吸法によって息を止めている時間は、最低でも1分半ほどを目指す。
 中級においては、三分ほど。
 上級においては、四分半ほど止める。
 正しいやり方で行なって、楽に四分半、壺の呼吸で息を止められるようになったならば、死を克服するといわれている。 

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2.種字の観想

2009-08-20 11:54:11 | 深遠なる道・ナーローの六ヨーガのプロセス
2.種字の観想


 四つのチャクラの中心に、四つの種字を観想する。
 これには二つのやり方がある。チャクラの花びらとともにその中心に種字を観想するやり方と、チャクラの花びらは観想せずに、種字だけを観想するやり方である。

 へそのニルマーナ・チャクラの中心の月輪座の上に、赤い短いア字を観想する。

 胸のダルマ・チャクラの中心の月輪座の上に、青いフーム字を観想する。

 喉のサンボーガ・チャクラの中心の月輪座の上に、赤いオーム字を観想する。

 頭頂のマハースカ・チャクラの中心の月輪座の上に、白いハム字をさかさまに観想する。

 それぞれの種字は、中央管の中に、できるだけ小さく、はっきりと観想する。
 小さく観想するのが難しい時は、最初は少し大きめに観想し、そのイメージが堅固になってきたら、徐々に小さくしていくとよい。

 また、種字が光り輝いていると観想することによって、心の硬さや愚鈍を取り除くことができる。

 種字を観想するときは、客観的に観想するというよりも、その種字の中に自分が溶け込んでしまうかのように集中して観想するのである。

 種字に集中するとき、緊張しすぎると心の硬さや興奮状態が生じ、弛緩しすぎると愚鈍が生じる。よってその二つの極端を断ち、明晰な意識で極めて強く集中すべきである。



◎四つの種字を観想することの果報

 頭頂のハム字に集中することによって、ボーディチッタの歓喜を発生させやすくなる。

 喉のオーム字に集中することによって、夢のヨーガを進めることができる。

 胸のフーム字に集中することによって、覚醒時と睡眠時の両方において、光を現わす手助けとなり、光のヨーガを進めることができる。

 へその短いア字に集中することによって、チャンダーリーの火を激しく燃やし、また四つの歓喜を生じさせる手助けとなる。




◎四つの歓喜

 チャンダーリーの火の修行によって、修行者は「四つの歓喜」を生じさせなければならない。

 まず、チャンダーリーの火とボーディチッタが頭頂のマハースカ・チャクラに集中することによって、「歓喜」が生じる。
 次にボーディチッタがのどのサンボーガ・チャクラに集まることで、「最高の歓喜」が生じる。
 次にボーディチッタが胸のダルマ・チャクラに集まることで、「超越的歓喜」が生じる。
 次にボーディチッタが臍のニルマーナ・チャクラに集まることで、「サハジャの歓喜」が生じる。
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☆チャンダーリーの火のヨーガ

2009-08-18 15:29:26 | 深遠なる道・ナーローの六ヨーガのプロセス
☆チャンダーリーの火のヨーガ



1.ナーディの観想

 目の前の空間に、神々やダーキニーたちに囲まれたグルの姿を観想する。 
 自らの身体、財産、その他を惜しみなく供養する観想をする。
 そして、ナーディが柔軟になり、気の動きがスムーズになり、至福と空が合一したすぐれた悟りを得ることができますように、と祈願する。

 そして、すべての衆生を救うために、ヴァジュラダラの境地に至るチャンダーリーの修行をするのだ、と強く思念し、菩提心を堅固なものにする。

 足を組んで座り、背筋を伸ばし、下を上口蓋につける。歯と唇は自然にしておく。身体と心を少し引き締め、法界定印を組む。

 自らの身体を、通常の肉体ではなく、イダムそのものであると観想する。

 身体の中に、中央にアヴァドゥーティー、右にラサナー、左にララナーという三つの気道を観想する。左右の二つの気道の下端は、へその少し下のあたりで湾曲し、中央気道の下端に挿入されている。

 ある人々は、三本の気道の下端はへその下の所で閉じられていると主張する人もいるが、正しくはこのように、左右の気道の下端は中央気道に挿入されている。そして中央気道はさらに下に延び、性器の先端までつながっている。

 そして左右の気道の上端は、鼻の穴につながっている。中央気道の上端は、頭頂と眉間に抜ける。

 気道の色は、右の気道は赤く、左の気道は白い。そして中央気道は、内側が赤く、外側が白い。

 そして中央気道の四か所に、四つのチャクラを観想する。

 へそにはニルマーナ・チャクラがある。64枚の花びらを持ち、上向きに開いている。色は赤である。

 心臓にはダルマ・チャクラがある。8枚の花びらを持ち、下向きに開いている。色は白である。

 喉にはサンボーガ・チャクラがある。16枚の花びらを持ち、上向きに開いている。色は赤である。

 そして頭頂にはマハースカ・チャクラがある。32枚の花びらを持ち、下向きに開いている。色は種々様々である。

 もしこの三つの気道と四つのチャクラを観想することが難しければ、まずは三つの気道だけを観想する。そして徐々に三つの気道と四つのチャクラをはっきりと観想できるように修習すべきである。

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