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囲碁棋士 依田紀基のブログ

阿木燿子さんとの誌上対談

2018-01-18 | 日記

昨日、日本棋院で日本を代表する作詞家の阿木燿子さんと誌上対談させていただきました。

サンデー毎日の「艶もたけなわ」という阿木さんが受け持っておられるコーナーです。2月中に掲載されるとのことです。

阿木さんについて、僕は昔から凄い人だと憧れを持っていたからとても光栄で幸運な機会をいただいたと思ってます。

阿木さんにお会いしてまるで天界から降臨した天女のような感じがしました。

美しいだけではなく、周りの人をフワーと包み込む陽だまりのような温かさと心地よさを対談の間中感じていました。

対談では僕が角川書店さんから出版させていただいた「どん底名人」を阿木さんがお読みになって、この本の内容を中心に対談が進められました。

阿木さんを前にして上がってしまって、しどろもどろになったり言葉がすぐに出てこなかったりしたことも多少ありましたがとても楽しい時間を過ごさせていただきました。話の内容は多岐にわたりました。

詳しい対談の内容はサンデー毎日誌上の「艶もたけなわ」を読んでいただきたいと思いますが、

ただ、今思えば少し心残りと思うこともありました。阿木さんが僕に囲碁の芸術性について尋ねられた時のことですが、

僕は「囲碁に最善手が存在する以上科学だと思っているけれども、ただ、人間にはそれがわからないことが多いので芸術的要素のある科学だと思います。」と答えたと記憶してます。ただ、これは客観的、一般論的なことを言ったに過ぎません。

僕がそもそも芸術というものをどのように定義してとらえているかと言えば、「芸術とは生命の表現」と思ってます。

芸術とは美術館とかだけにあるものではなく、受け取る側の人間が「芸術だ」と思ったら何でも芸術になり得ると考えてます。

逆に美術館に展示していても、見る人が芸術ではないと思ったら、その人にとっては芸術ではないと考えているわけです。

つまり、僕にとって芸術とは主観的なものであると言えます。ちなみに、僕がどういう碁が芸術的だと感じるかと言えば、躍動感があり変化のある碁ですね。

昔で言えば、本因坊道策先生、七世安井仙知、現代で言えば呉清源先生、藤沢秀行先生、坂田栄男先生などにそういう碁が多いと思います。最近ではAIかもしれませんが。

秀先生などは対局してる姿すら芸術的だと思います。

秀行先生が満足の行く一手を打った後、「えーえ」と言いながら背中を丸めて悦に入ってショートピースを吸っている姿なんかたまらない色気を感じますよ。

僕は棋士でありプレイヤーですから、自分の碁については一生懸命対局して、その結果出来上がった棋譜の評価については受け取る側の人に任せたいと思っているのです。少なくとも、「自分の碁は芸術だ」と言う自信は僕にはまるでない。

「僕は芸術をこのように考えているけれども、超一流のアーティストである阿木さんは芸術についてどのように定義し、考えておられますか?」とお聞きすれば良かったなあ、と後になって思ったわけです。

誌上対談での阿木さんの役どころはゲストの考えを引き出す事と心得ていましたから、僕が阿木さんに何かお聞きすることは出来るだけやめようと思っていましたがこの話の流れなら、お聞きしても良かったかなあ、と後になって思いました。

1時間ほどの間でしたが、超一流中の超一流の人が持つ空気を感じることが出来てとても幸せな時間でした。

 

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