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早稲田大学 會津八一記念博物館

2009年03月11日 17時49分45秒 | 美術展
早稲田大学會津八一記念博物館

僕が骨董/古美術の世界に足を踏み入れた頃、よく耳にした二人の人物が居た。
秋艸道人・會津八一と北大路魯山人だ。
この両人は古美術の収集家で能書家でも有ったので、何かと引き合いにされた。
昭和初期の頃の話しだろうが、日本橋近辺の骨董街の話題で有ったらしい。

秋艸道人・會津八一(1881-1956)は早稲田大学を卒業後、美術史学の研究を志した。
1926年より母校で東洋美術史の講義を始めた。
美術史の研究と教育には作品と直に接する事が不可欠と考えていた。そのため、私財を投じて中国の明器、銅鏡、瓦磚など4000点以上を集め、学生の資料とした。
大正末期、早稲田大学に博物館の設立を提言していた。


早稲田大学正門の近くに位置する、旧図書館は1925年の建築。
いかにも、大正時代を感じさせる優美な建物だ。この記念的建造物の2階の旧閲覧室が博物館として開館したのが1998年。
構想以来70数年を経て夢が開花し実現した。


秋艸道人・會津八一は歌人としても知られ、古都・奈良に数多く旅し歌を詠んだ。
奈良や仏教美術を愛する人達に大きな影響を与えた。

僕は、會津コレクションの中国の俑が好きで、特に唐時代の童女に憧れた。
以前は図録でしか見る事が出来なかったが、開館以後は何時でも見る事が可能になった。
今回は、昨年に引き続き2度目だが、改めてご対面出来た。

その他のコレクションも観たが、一度に観るには限度が有る、
再度の訪問を願って後にした。
これだけのコレクション、観ていたのは僕一人。
しかも入場は無料、では申し訳ない。

奈良や仏教美術に関心を持ちながら、會津八一に関する本をまともに読んだ事が無い。
手にしても、最後まで読むのが難しく、中途半端の状態のまま。

多くの事柄に、勉強不足で在る事を思い知らされる。








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