「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

寿福寺@鎌倉市扇ヶ谷

2015年04月26日 22時20分36秒 | 文化遺産
寿福寺@鎌倉市扇ヶ谷









英勝寺の手前に「壽福金剛禅寺」と云う立派な石碑と山門が建っていた。
山門から一直線に続く参道はかなり長い。

臨済宗建長寺派の寺院で、鎌倉五山第3位の寺院である。
本尊は釈迦如来、開基(創立者)は北条政子、開山(初代住職)は栄西である。
源頼朝が没した翌年の1200年(正治2年)、妻の北条政子が葉上房栄西(明庵栄西)を開山に招いて創建した。

寿福寺のある付近は、奥州に向かう源頼義が勝利を祈願したといわれる源氏山を背にした、亀ヶ谷と呼ばれる源氏家父祖伝来の地であり、頼朝の父・源義朝の旧邸もこの地にあった。






現在は総門から参道正面に中門と本堂があるが、境内には入れない。
境内裏手の墓地には、陸奥宗光、高浜虚子、大佛次郎などの墓があり、さらにその奥のやぐら(鎌倉地方特有の横穴式墓所)には、北条政子と源実朝の墓と伝わる五輪塔があるらしい。



鎌倉駅西口から寿福寺・英勝寺に至る「今小路」は横須賀線を隔てた東側の「小町通り」の雑踏と異なり、古都鎌倉を感じる静寂な雰囲気だ。







通りに点在する民家やお店は落ち着きと瀟洒な感じがする。

秋田の蔵造の民家を移築したという設計事務所の建屋。

鎌倉は尾根や谷津が多く地形の変化に富み、その谷間などに寺が散在している。
次に鎌倉を訪ねる時は、英勝寺・寿福寺の背後に源氏山に至るハイキングコースを歩いてみたい。
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「ガーデンハウス」のレストラン@鎌倉市御成町15-46

2015年04月26日 14時15分47秒 | カフェ・喫茶
「ガーデンハウス」のレストラン@鎌倉市御成町15-46









鎌倉駅西口から徒歩数分、鎌倉市役所の手前に「GARDEN HOUSE」がある。
古いアトリエをリノベーションして、レストランやジェネラルストア、グリーンショップが併殺されている。





レストランは地元産の野菜を使用し「鎌倉ハム富岡商会」・「鎌倉ビールブリュワリー」も味わえる。



屋外の椅子やテーブルも充分に用意されている。





店内で使用しているテーブルウェアやオリジナルのコーヒー豆、パンケーキミックス等も取り揃えたショップインショップ。



寒い時期は薪ストーブが使用されるようだ。

鎌倉らしい洒落た複合店舗で大繁盛。
水戸にもこんな店が在ったらと思うが、現状では難しいかもしれない。
多くの観光客が訪れるような街になりたいですね。
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鎌倉の水戸の御寺・英勝寺(えいしょうじ)@鎌倉市扇ガ谷

2015年04月26日 06時39分38秒 | 文化遺産
鎌倉の水戸の御寺・英勝寺(えいしょうじ)@鎌倉市扇ガ谷





鎌倉駅西口の乗降客は東口よりかなり少ないが、横須賀線の線路に並行する「今小路」は小町通とは異なって洒落た店や住宅が点在する。
目指す「英勝寺」は駅から、徒歩10分程度の距離だ。

創建・開基について(Wikipediaによると)
徳川家康の側室で、大田道潅四代の太田康資息女とされるお勝の方は、家康との間に生まれた市姫が幼くして亡くなった後、家康の命により、後に初代水戸藩主となった徳川頼房の養母を務めた。家康の死後は落飾して英勝院と称したが、その後、三代将軍家光より父祖の地である扇ガ谷の地を賜り、英勝寺を創建した。
創建にあたっては、徳川頼房の娘小良姫を7歳の時に玉峯清因と名付け得度させ、これを門主に迎え開山とした。英勝院尼は寛永19年(1642年)没し、英勝寺裏山に葬られた。寛永14年(または15年)に寺領朱印地として池子村(現逗子市池子)420石を与えられたほか、裏山にあたる源氏山(旗立山)も与えられている。

創建の経緯から、その後も代々の住持は水戸家の姫が務め、このため英勝寺は「水戸御殿」や「水戸の尼寺」とも呼ばれた。
高貴な姫である住持は人前に出ることはなく、折々の法要は芝増上寺や、鎌倉材木座光明寺の僧が勤めていたという。
しかし明治維新を機に水戸家からの住持は絶え、寺勢は衰えた。その後、明治28年(1895年)に松平家より住持を迎え、さらに大正8年(1919年)以降は東京青山善光寺より住職を招請し、今日に至る



山門には葵の紋

と云う水戸に縁の深い寺だが、現在は花の寺としても知られている。
専門の庭師さんがおられるようだが、ほどほどに手を加えられた境内に、季節の花が咲く。











 苔むした五輪の塔や宝篋印塔、手水石、石垣石段など。



住職が暮らした姫御殿跡、今では竹林と成っている。

その他の僧侶、寺侍、医師、料理人達の下御殿、御長屋、代官所も整えられていたので、水戸家のお寺として歴史を重ねてきた。

今では、小さな寺と成ってしまっているが、落ち着いた武家風な感じを受ける寺だ。
多くの人に訪れて頂きたいお寺だ。
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