寿福寺@鎌倉市扇ヶ谷
英勝寺の手前に「壽福金剛禅寺」と云う立派な石碑と山門が建っていた。
山門から一直線に続く参道はかなり長い。
臨済宗建長寺派の寺院で、鎌倉五山第3位の寺院である。
本尊は釈迦如来、開基(創立者)は北条政子、開山(初代住職)は栄西である。
源頼朝が没した翌年の1200年(正治2年)、妻の北条政子が葉上房栄西(明庵栄西)を開山に招いて創建した。
寿福寺のある付近は、奥州に向かう源頼義が勝利を祈願したといわれる源氏山を背にした、亀ヶ谷と呼ばれる源氏家父祖伝来の地であり、頼朝の父・源義朝の旧邸もこの地にあった。
現在は総門から参道正面に中門と本堂があるが、境内には入れない。
境内裏手の墓地には、陸奥宗光、高浜虚子、大佛次郎などの墓があり、さらにその奥のやぐら(鎌倉地方特有の横穴式墓所)には、北条政子と源実朝の墓と伝わる五輪塔があるらしい。
鎌倉駅西口から寿福寺・英勝寺に至る「今小路」は横須賀線を隔てた東側の「小町通り」の雑踏と異なり、古都鎌倉を感じる静寂な雰囲気だ。
通りに点在する民家やお店は落ち着きと瀟洒な感じがする。
秋田の蔵造の民家を移築したという設計事務所の建屋。
鎌倉は尾根や谷津が多く地形の変化に富み、その谷間などに寺が散在している。
次に鎌倉を訪ねる時は、英勝寺・寿福寺の背後に源氏山に至るハイキングコースを歩いてみたい。
英勝寺の手前に「壽福金剛禅寺」と云う立派な石碑と山門が建っていた。
山門から一直線に続く参道はかなり長い。
臨済宗建長寺派の寺院で、鎌倉五山第3位の寺院である。
本尊は釈迦如来、開基(創立者)は北条政子、開山(初代住職)は栄西である。
源頼朝が没した翌年の1200年(正治2年)、妻の北条政子が葉上房栄西(明庵栄西)を開山に招いて創建した。
寿福寺のある付近は、奥州に向かう源頼義が勝利を祈願したといわれる源氏山を背にした、亀ヶ谷と呼ばれる源氏家父祖伝来の地であり、頼朝の父・源義朝の旧邸もこの地にあった。
現在は総門から参道正面に中門と本堂があるが、境内には入れない。
境内裏手の墓地には、陸奥宗光、高浜虚子、大佛次郎などの墓があり、さらにその奥のやぐら(鎌倉地方特有の横穴式墓所)には、北条政子と源実朝の墓と伝わる五輪塔があるらしい。
鎌倉駅西口から寿福寺・英勝寺に至る「今小路」は横須賀線を隔てた東側の「小町通り」の雑踏と異なり、古都鎌倉を感じる静寂な雰囲気だ。
通りに点在する民家やお店は落ち着きと瀟洒な感じがする。
秋田の蔵造の民家を移築したという設計事務所の建屋。
鎌倉は尾根や谷津が多く地形の変化に富み、その谷間などに寺が散在している。
次に鎌倉を訪ねる時は、英勝寺・寿福寺の背後に源氏山に至るハイキングコースを歩いてみたい。