「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

貝母(バイモ)と漢時代の俑

2013年04月05日 22時44分58秒 | Weblog
貝母(バイモ)と漢時代の俑

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器は幕末の瀬戸の徳利と漢時代の俑。
俑の台座は、中国に行った際に拾ったセン(石偏に專だが変換出ない)

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葉は細長く、先端は巻きひげ状になる貝母 (バイモ)が咲き初めた。
中国原産で日本には薬用植物として入り、鱗茎を咳止めや、止血・解熱などの薬用に利用されたとのこと。
我が家には何時渡来したか知らないが、毎年可憐な花を咲かせる。

茶花として使われると云うが、一日花で、命は短い。
もったいないので、切り花にして活けた。


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桜山・護国神社の桜

2013年04月05日 20時02分13秒 | 水戸
桜山・護国神社の桜

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戦前に植えられた桜山のソメイヨシノ。
かなりの大木だ。この時期、沢山の屋台、花より団子。

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水戸の花見の名所は桜山だった。
「常盤公園攬勝図誌」 松平,俊雄 著 (明治18年出版)には明治初期に桜山で興じる人達が描かれている。

護国神社が桜山と呼ばれていた現在地に、常磐神社から現在地に移されたのは昭和16年(1941)のこと。
幕末から明治維新にかけて国のために殉じた水戸藩関係の烈士等1千8百余柱の御霊を御祭神として、明治11年、水戸市常磐神社の境内地に、社名を「鎮霊社」として創祀された。

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この図も「常盤公園攬勝図誌」に拠るが、現在の東門の前の辺りに相当する。


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桜山から偕楽園の方向を望む。


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昨日(4日)は天気にも恵まれ、家族連れや、結婚式後の新婚さんなど。

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神社の南側、紅葉谷に通じる所の芝生の広場には山桜が多い。

今では、水戸市内全域に桜の見所が在る。
水戸の桜は、光圀から斉昭に受け継がれ、水戸市民に愛されている。
全国に誇れる桜の街だと思っている。

水戸の桜まつりは4月7日(日)まで。
明日、明後日とも荒れ模様の天気らしい。

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逆川緑地公園

2013年04月05日 14時24分09秒 | 庭園
逆川緑地公園

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千波湖、近代美術館、水戸市役所などの近辺を流れる逆川。
「美都里橋」のすぐ下流で桜川と合流する。

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河川の両側は文化遺産の笠原水道なども在り、豊かな森と湧水を利用した水生植物や、野鳥観察林、自然生態園もある。

西の谷よりは幅も広く、長さもあり、日当たりも良いので四季折々の楽しめる緑地帯。
埋め立て造成地なので、若干水はけがよくない。

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河川の浄化が進み、鮭が遡上するようになった。
秋の産卵期は、多くの鮭が群れを成しているのが岸からも見える。
大きな鯉が何匹も泳いでいる。
禁漁なのだろうが、今時、採って食べようと思う人もいないのだろう。


新県庁舎の近くの六番池が水源池だったが、以前に埋め立てられて市営六番池団地と成ってしまった。現在は那珂川の水をポンプアップした渡里用水が流れ、6号国道辺りまでは農業灌漑設備となっている。


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「逆川緑地公園」は逆川を挟んだ都市公園で、全線にわたって両岸とも、コンクリート製連接ブロックで護岸された典型的な都市河川にも拘らず、両岸の崖の自然林が素晴らしい。
年々、少なくなっているような気もするが、大切に守りたい。

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桜の牧跡・「斉昭公のお手植え桜」

2013年04月05日 12時53分46秒 | 水戸
桜の牧跡・「斉昭公のお手植え桜」

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丹下田園都市センターの一角に「桜の牧跡」の碑がある。
その後ろに、斉昭公のお手植えと言われる樹齢百数十年の山桜。

この存在を知ったのは《桜川千本桜プロジェクト》の代表稲葉寿郎さんのFBの記事による。

以下はその記事の概略を引用。
【時代は江戸後期、光圀を敬愛してやまなかった烈公とよばれた9代藩主斉昭が登場します。尊王攘夷の急先鋒として知られる殿様ですが、藩政改革の断行、弘道館、偕楽園の設立は斉昭の業績として有名です。開明的な一面もあり、当時原野であった緑岡村と河和田村の間の丹下原を切り拓き、牧場を作って牛馬を放牧させました。
光圀の桜川の事績を知っていた斉昭は桜川に南面するこの地を「桜野牧」と名付けました。この地では牛の搾乳もやっていたようで、県酪連ではここを茨城の酪農発祥の地としています。
茨城県立桜ノ牧高校の名前の由来も当然この桜野牧にあります。】以上

この記事を読んで、その様な故事来歴の場所を花の時期に訪ねたいと思っていた。水戸市の市営球場に近いこの一帯、45年前頃は、広大な湿地帯で「トキソウ」という可憐な野草の繁殖地で、それを探しに行ったことがある。
今では絶滅して、山草店の店頭などで見る貴重な植物。

今年は、開花後に低温が続き、ソメイヨシノも山桜も更には椿や桃などが咲き競っている。

斉昭公のお手植えと伝えられる、樹齢百数十年の山桜は見事な存在感だ。
山桜は地味という観念があったが、100年を経過した大木の花は絢爛。
山桜は成長が遅いためで、樹齢が40~50年を経て成木となる。
偕楽園の左近の桜は、僕が20歳の頃植えられ、当時の記憶はないが、今では大木で枝ぶりもよく、素晴らしい花を咲かせる。

山桜の生命力の強さに、驚く。

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