ときおりぶろぐ

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現存天守めぐり3

2018-06-29 | 城、歴史
4月下旬に四国に残された現存天守めぐりをしてきました。
まだ高知城までしかアップできていませんが、これから残りをアップしていきます。iマークをクリックすると説明を見られます。

アルバム現存天守めぐり(高松城跡、丸亀城、高知城、宇和島城、大洲城、今治城、松山城)

高松城跡、大洲城、今治城は現存天守ではありませんが、石垣なども見応えがありました。

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現存天守めぐり2

2018-02-01 | 城、歴史
昨年秋に中国地方の現存天守めぐりをしてきました。
今更ですが城めぐりだけアルバムにしました。
月山富田城は山城跡です。

アルバム現存天守めぐり(備中松山城、松江城、月山富田城)
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箕輪城跡

2017-06-23 | 城、歴史
群馬県高崎市箕郷町の箕輪城跡へ行ってきました。
近頃戦国時代に興味を持ってお城巡りをしている中で、戦国初期にまで興味が…だんだんさかのぼっていっちゃうんですね。
現在大河ドラマは井伊直虎ですが、直虎が育てた直政が徳川家臣になってこの箕輪城に入りました。
その後箕輪城から和田城へ移り高崎と命名、現在の高崎市庁舎のあるところに高崎城を築城したそう。
そして関ヶ原で活躍したのち彦根へ。
というわけで、箕輪城跡へ行ってみたら井伊の旗が立っていました。


搦手口の駐車場から。

高崎にいて初めて訪れたのですが、ここは長野業政(なりまさ。業正とも。)の城ってイメージでしたので、さすが大河ドラマの影響はすごい。
長野業政は井伊よりもずっと前で、上杉謙信と北条攻めに遠征したり、武田信玄の攻めから6度も城を守った時代の人。
真田幸村の祖父の幸隆を箕輪城に庇護していたことも。
なんて、最近読んで知ったばかりなんですけどね(笑)


二の丸へ向かいます。


城跡マップ。


二の丸。

土曜日の夕方でしたが、ぼちぼちとカメラを持った人がいます。
草がちょっと高いかなぁ…(^_^;)


本丸。


御前曲輪。本丸を回り込んだ奥、大きな井戸跡がありました。

御前曲輪、本丸、二の丸と戻って、大堀切へ。


大堀切。


土橋から大堀切と郭馬出西虎口門。


深い大堀切の右上に三の丸があり、高さ13mほどの石垣が見つかっている。
人頭大の河原石を階段状に積んだ石垣で、同様の特徴を持つ石垣が埼玉県寄居町の鉢形城跡にもあり、北条氏邦時代のものと思われる。


三の丸門跡と石垣。


当時4.1m高さで河原石を用いた野面積み。井伊時代のものらしい。


三の丸の石垣の説明。


三の丸。


新しく建てられた郭馬出西虎口門。


木俣から大堀切越しに郭馬出を。深い…。


木俣から現在の高崎市街地方面を眺める。右端のひとつ高い建物が市庁舎。高崎城址。

隅から隅までは大変ですが、一通り簡単に回れました。眺めもけっこういいですね。
もっと勉強してから回ればさらに興味深いかな。


赤城山方面。

余談ですが、多分この写真の中ほどの赤城山の裾野あたりに上泉というところがあって、上泉伊勢守秀綱という長野業政配下の剣の達人がいました。
新陰流を編み出した人で、業政が病死した後、武田信玄に箕輪城を落とされた際に秀綱は武田配下に入るように命じられたらしい。
しかしどこの配下にもならないと約束して旅に出ることを許されたそう。その時に信玄から信綱と改名されたとか。
その後、信綱は柳生宗厳に出会い剣術を指南して免許を与え、その後柳生一族は柳生新陰流をもって徳川幕府に徴用されたって。
すごいじゃないですか〜。


はい、駐車場に戻ってきました。榛名山麓が綺麗に見えました。
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現存天守巡り

2017-06-06 | 城、歴史
ついに現存天守巡りに出かけてきました。
あ、でも今年になってまず松本城へ行ってましたね。
今回は現存3天守を含む、有名な所をまわってきました。

Canonのオンラインを利用した写真アルバムを作ってみました。
リンク先の写真の右上の i マークをクリックすると説明が出ます。

アルバム現存天守巡り(丸岡城、彦根城、犬山城)

これで現存天守に興味を持って4天守に行きました♪
夏は暑いからお休み…また10月あたりから再開できるといいなぁ。

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米沢、戦国時代展へ

2017-05-25 | 城、歴史
5月8日から10日のことですが、戦国時代展を見に米沢へ行ってきました。


米沢市上杉博物館

東京、京都、米沢と展示されてきたわけですが、上杉文化のあるここで見たかったのです。
展示内容には満足しました。拝見したかった泥足毘沙門天にも会えました。眼力があるちょっと怖い感じ。
この毘沙門天があの春日山にいらっしゃったんですねぇ…。
企画展の他にも信長が謙信に送ったと言われる、上杉本 洛中洛外図屏風(国宝、狩野永徳筆)など上杉家の宝物、文書、見所大有り。
戦国時代の手紙を作ってみたり、興味深かったです。

さて、翌日は米沢城下をひとめぐり。


昔の図ですよ。


米沢城址。上杉神社、春日神社、稽照殿など。上杉博物館や上杉伯爵邸もこの周りにあります。

稽照殿(けいしょうでん)は宝物館で、伝来の武将の鎧兜や陣羽織など、かなり迫力あります。
直江兼続の兜は本当に”愛”なんですねぇ。
謙信が巻いていた白い頭巾も…生々しい(・・;)


まだお昼前でしたが、ちょうど上杉伯爵邸の前に来たので米沢牛のランチをいただきました♪


綺麗な庭園を眺めながら、お屋敷で気分アップ。

上杉城址苑でお土産を物色してから、隣のべに花庵でうこぎソフトを食べてみた。案外美味しかった♪
うこぎは当時米沢で財政が厳しい折、直江兼続がすすめたとか、上杉鷹山が奨励したとか、うこぎという植物の新芽を摘んで食したそうです。
なかなか美味なので今も天ぷらやおひたしなどにして食しているそうです。


垣根などの植栽、うこぎ。

車で5分くらいの林泉寺に寄りました。
春日山林泉寺は上杉家の菩提寺で、景勝が会津、米沢と転封された際に上越の春日山から一緒に移してきたそうです。
上杉家関係者らが祀られていて、直江兼続夫妻のお墓もあります。
本堂では案内をしてくださり、宝物館も見学できます。

林泉寺を出て、最後に上杉家廟所へ。


正面が謙信の埋葬されている廟所。
ここも説明してくださる方がいらっしゃって、かめに入って埋葬されたままの謙信、ミイラ状態ではないかとか。おぉ。。。


景勝から11代の斉定まで歴代の藩主の廟所が並んでいます。

行って良かった、大満足の米沢滞在でした。




米沢を後に新潟の月岡温泉へ♪
硫黄ナトリウム塩化物泉のとってもいいお湯です!
美人になれる温泉だそうで♡


村上館湯伝に宿泊。


翌朝、飲泉所へ。まずいと聞き及びましたが…確かに(笑)

新発田城に寄って帰ります。

新発田城は上杉景勝に敗れた新発田氏の館跡に、尾張出身の溝口秀勝が、加賀から新発田に入封して築城し3代亘直で完成しました。
明治新政府の命令で取り壊されて、現在は表門と旧二の丸隅櫓、本丸石垣と堀の半分、旧土橋門付近の土居が残っています。


表門は二層の櫓門で、二階に入れてもらえます。


旧二の丸隅櫓は本丸にあった鉄砲櫓の後に昭和の解体修理の際に移築されました。ここも中に入れます。


三階櫓は平成16年に復元。屋根の棟が丁字型で3方向の隅にそれぞれ鯱が乗る珍しい櫓。ここには近づけませんでした。
壁いっぱい自衛隊用地なんですよね。

新発田城の櫓の腰壁は、なまこ壁で仕上げられています。
三階櫓とともに復元された辰巳櫓もあります。


土橋門復元計画、楽しみですね。

ここで街中の清水園(旧新発田藩下屋敷大名庭園)をお勧めしていただいたのでお邪魔してみることに。


溝口藩主の下屋敷。


能を演じるための座敷もある。書院からは庭園の眺めを堪能。


書院の目前の景色。


素敵な回遊式庭園です。

園内に土蔵を利用した資料館があります。
園に隣接して武家屋敷(石黒家)、足軽長屋があります。




米沢も月岡もお米がおいしかった!お酒もね♪
よって体重も…もう!考えませんっ‼︎!

次回は中部地方の城巡りに出かける予定です。
なんだか老後の楽しみになってきているようですぅ。。。
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