玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

何人の清沢洌が要るのか

2018-03-02 15:03:23 | 近現代史

近年の若手学者は、「近代的な個人が存在しないからこそ容易にファシズムに流された」と簡単に丸山真男の言説を引用する。それは日本の戦争理由を前近代性に置いているのか。それなら、戦前は清沢洌が何人いれば戦争が避けれたのか、と問いたい。暗黒日記―1942‐1945 (岩波文庫)

戦争の理由は人口構成で決定されないだろう。1936年の2・26事件の6日前の2・20は総選挙だった。天皇機関説を支持した政友会は敗れ、消極の民政党が勝ったが、振り戻れば、既に普通選挙が実施されていた日本であるにも関わらず、ドイツと同じようにファシズムに転がり込んで行った。

ただ単に前近代性に戦争理由を帰結することはできない。もっと深いところで、長い時間をかけて、臣民たちに遮眼帯をかけた無責任な権力者たちが、卵を抱いた鶏のようにゆっくりと孵化させたのではないか。

湘南・晩秋・小出川にて

 

 

 


コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« みみっちいことをするな! | トップ | 病院の待合室 »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (横浜市磯子区Y)
2018-03-02 21:23:50
私は哲学の話には大変疎いのですが、著名な女性哲学者が「悪の凡庸」を有名な著書で描いた、と言われています。
小生が思うに、悪というより、人間の凡庸さをその哲学者は、あの本の中で言いたかったのではないか、という気がします。
戦前にせよ、戦後にせよ、権力の行き先の道を均したのは、「権力者に惨たらしく強いられた」市井の人、でもないような気がします。

コメントを投稿

近現代史」カテゴリの最新記事