風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

花の下にて春死なん

2017年04月07日 | 「新エッセイ集2017」

また桜の季節がきた。
父は桜が咲く前に死んだ。父の妹である伯母は、桜が満開のときに死んだ。
伯母は90歳だった。老人施設で、明日は花見に行くという前夜、夕食(といっても、流動食ばかりだったそうだが)を気管に入れてしまった。
まさに桜は満開、花の下にて逝ったのだった。

伯母の娘が嫁いだ寺で、親戚だけが集まって静かな葬儀が行われた。
葬式にしか集まらない親戚だ。これも仏縁と言うそうだが、いつのまにか親の世代はいなくなり、集まったのはいとこばかりだった。3年ぶりや5年ぶりに会って、それぞれに年だけはとって老けたが、話しぶりや話の内容は相変わらずで、がっかりしたり安心したりの、そんな仏縁である。

伯母は、晩年のほとんどを老人施設で過ごした。
その間はつねに病気がちで、娘は忙しい寺の雑務の合い間に呼び出されることも多く、病人の付き合いにほとほと疲れきったと言う。親が死んだというのに、こんなに嬉しそうにしていていいのかしらと、真に肩の荷が下りたふうだった。母親の死顔に接しても、あんなに安らかな顔をはじめて見たと言った。
出棺の前のお別れで、久しぶりに伯母の顔を見てみた。もはや現世の全てのことが抜けきった表情で、これが永遠の眠りに入った人の表情なのかと、しみじみ見つめてしまった。

戦中戦後の厳しい時代を生きて、舅姑にはひたすら尽くし、やっと育て上げた子どもや嫁とは、大きな時代の変遷の中でギャップができてしまい、年老いてみれば、若い頃の生活の無理がたたって、体のあちこちにガタが来てしまっている。
趣味をもつ暇もなかったので、老後はひたすら、体の不調を気に病みながら生きることになってしまう。
痛いだとか苦しいだとかの訴えにも、医者は最新の医療機器で細かく検査するのだが、目立った異常も認められないとなると、最後は病状を訴えることが病気であると判断して、大量の施薬のなかに抗うつ剤が加えられる。こころの部分が弱ってくると、いちばん厄介だともいえる。本人もまわりも、どんどん病いの泥沼にはまり込んでいくのだ。

伯母にも花の季節があったのかどうか。棺の中は次々ときれいな花で埋められ、死人は安らかな顔をして、花の人になってゆくようだった。
そとは花散らしの雨が降り、満開の桜も散りはじめている。

   願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃

満開の桜の下で逝く人を、西行法師も羨んでいるかもしれない。

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