風の記憶


風のように吹きすぎてゆく日常と記憶を、
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男はつらいよ

2019年01月23日 | 「新エッセイ集2019」

 

息子は荒川と江戸川に挟まれた辺りに住んでいる。ゼロメートル地帯といわれている所らしい。東京が沈没する時には、真っ先に逃げ出さなければならないだろう。
その東京の息子のアパートに泊まったことがある。正月だった。

車で柴又に連れていってもらった。
江戸川に沿って北上すると矢切の渡しがある。寅さんが寝ころがっていた土手は、そのときは冬枯れてて青草はなかった。帝釈天も参道も初詣の人で賑わっていた。
息子は寅さんシリーズの48作を全部みたという。そんなことを初めて聞いた。彼も寅さんの生き方に憧れていたのだろうか。息子については知らないことが多い。

その頃の彼は、毎日オートバイで荒川と隅田川を渡って築地に通い、そこで色々な魚をさばいていた。
まだ大阪にいた頃は、ひとりで鑑真丸という船に乗って中国へ渡ったこともある。1か月も向こうでどんな放浪をしてきたのか、関空に戻ってきたときは、着ている服はすっかり汚れて異臭を放っていた。
その後、家をとび出して北海道に渡った。流氷が来るという北限の港町で、彼は熊の肉と行者にんにくの味をはじめて知ったという。それからの放浪はあまり知らない。いつのまにか東京に落ちついていた。

柴又は久しぶりだった。
飯田橋の小さな出版社に勤めていた頃、柴又の料亭で忘年会をしたことがある。みんなで帝釈天にお参りし、独身のぼくに、社長が破魔矢というものを買ってくれた。なにかいいことが起きそうな気がした。
だが、そのときの正月は惨憺たるものだった。暮れに食糧を買いそびれ、おまけに食堂はどこも閉まっている。さらに虫歯が痛みだしたが歯医者も休み。腹は減るが食べるものがない。たとえ食べるものがあっても歯が痛くて食べられない。最悪な正月休みだった。

けれども、その1年を振り返ってみると、転機の年だったようにも思える。
さまざまな生活の変化があった。仕事も交友関係も安定しつつあった。目に見えない自分の影が、破魔矢という神の矢で射止められていたのかもしれない。それまで足元がふらついていた生活が、ようやく落着きはじめていた。

男はつらいよ! 男はバカだからフーテンに憧れる。だがバカの壁は越えられず、男はなかなか寅さんにはなれない。気ままな旅に出たいと思っても、何処かで足止めを食ってしまうもののようだった。
「いい年して、身寄りもなくたよりもなく、ケツ温める家もなく、世間のものは相手にしてくれねぇ、その時になって、ああ俺はバカだったなと後悔しても、もう取り返しがつかねえんだぞ」は、寅さんのセリフだ。あまりにも真面目すぎて哀しい。

わかっていることと、やってしまうこととはちがう。それが男の強さなのか弱さなのかもわからない。たぶん男のつらさなのだろう。
正月の柴又は、どこからかテキヤの声も聞こえてきそうな雑踏だった。まさに寅さんの稼ぎどきだ。

 

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