風の記憶

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石の上にも三年とか

2018年07月04日 | 「新エッセイ集2018」

 

3年という、ひとつの区切りのようなものがあるようだ。
ひとつの修業年限であり、ものごとの小さな完結年限でもあるのかもしれない。
生まれ出てからの幼年期も、3年と3年の6年とみることができる。最初の3年で、ひと通りの行動や言葉を覚える。
次の3年で、子どもによっては特殊な技能や技芸の修練が始まったりする。ひととして大きく成長する。

7歳で小学校に入学し学業が始まる。小学校は3年と3年で6年。中学校と高校がそれぞれ3年。
大学は4年だが、大学生にもなると頭が硬くなるので、たぶん1年はおまけだろう。小学生なみに6年間も在籍したぼくは、そうとう頭が硬かったからにちがいない。
石の上にも三年というが、頭が石になってしまったのでは、大したことを習得できるはずもなかった。
おかげで、今もなお石の上に座り続けている。

近くの公園の一角に、ベンチがわりの石が置いてある。
置いてあるといっても、誰かが勝手に運んできたわけではない。公園の設計士が景観を勘案して、美的に造形して配置したものだろう。
3個置かれた石のうち、いちばん座りごこちのいい石が、ぼくの瞑想(?)の石になっている。
石庭の石にでもなりたかった石としては、毎朝、落第生の尻に敷かれて憤懣やるかたないことだと思う。

尻の下からは石の煩悶が聞こえてくる。頭上からは妄想の雲が降りてくる。
妄想は、夏の雲のようにもくもくと膨れあがる。丹田呼吸をして、どれだけ静かに瞑目しつづけても、開眼の空となって晴れ渡ることはない。
どうせ妄想しかやってこないとなれば、その妄想を楽しむしかない。そんな安易な心境に落ち着いてしまう。
心境といっても、心の置きどころが違っているかもしれない。しかし、妄想にもそれなりの活力があるものだと、安易に悟ってみる。

妄想は石を支配する。雲をかき分け、雲にのって山を越える。
やがて積乱雲となって空を突き破ろうとする。
そこで大きく雲を吐き出して、ぼくは立ち上がる。
整理されないままの、もやもやとした妄想の雲を体にまとったまま、ぼくは一日の始まりの方へと歩き出す。
石の上に座っている時間は、3分から30分だ。3年にはほど遠い。
だが積算すれば、いつかは3年にも届くかもしれない。
そんなみみっちいことを考えるのも、石の妄想にちがいない。

 

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2 コメント

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Unknown (熊子の百葉箱)
2018-07-04 15:23:33
1年おまけで6年在籍?(笑)
とても充実した大学生活だったでしょうね

yo-yoさんの妄想は石さえも支配し
空を突破して、いつもワクワクさせる
言葉が綴られてるのですね

やがて何処へ向かいましょう・・・
仙人かと思いました(笑)
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妄想仙人 (yo-yo)
2018-07-04 21:26:18
熊子の百葉箱さん
いつも、ありがとうございます。

1年おまけではなくて2年おまけでした。
それも結核に罹って病欠だったので、実質は大損だったのです。
そのつけで、未だに石の上に座らされていることに。
妄想の雲はつかんだけれど、なかなか仙人にはなれそうもない。

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