風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

そのとき人は風景になる(5)

2021年06月14日 | 「新エッセイ集2021」

 

 そこにはいつも風景があった

ぼくの東京行きは3月15日に決まっていた。ちょうど前日が18歳の誕生日だった。
これまでの生活の習慣から解き放たれて、中途半端な境界域の上に立たされているような気分だった。何かを始めようにも、始めた途端に終わらなければならないような、スタートの場所がゴールの場所でもあるような、いまはまだ何も始まらず、何も完結できない、そんな状態の中で新しい生活への心構えがなかなか出来ないのだった。
日常生活の変化に戸惑っていた。考えてみれば、それまで親の手から解き放たれたことはなかった。巣箱の中で羽をばたつかせてみるが、なかなか飛び出せない臆病なひな鳥だったのだ。

ぼくは毎日あてもなく近くの山を歩き回っていた。
まわりの風景はいつも、春の霞みにぼうっと包まれていた。遠くの活火山のやわらかな噴煙が、薄い雲の中に溶け込んで見分けがつかなかった。
広大な外輪山がそのままなだれてくるような原生林の中を、汽車の吐き出す白い蒸気が縫っていくのが見えた。まるで、あえぎながら山あいを潜っていく生き物のようでもあった。初めて見る風景だった。
これまでは周りの風景をじっくり眺めることなどなかったのだ。日常の外でふと立ち止まってみると、これまで見過ごしていたものが見えてきたりした。それらはいつも目にしていた風景だったはずだが、いままでは風景として認識することがなかった。今になって身近な風景として、ぼくの中にしっかり定着するには新しすぎて、抱き止めようとしても距離がありそうだった。

そのころ母は毎日、ぼくが東京へ携行する夜具を縫っていた。ふたりきりの昼の食事は決まったように素朴なうどんで、ぼくのうどんの中にはタマゴが入っていた。ぼくはただ黙ってうどんを食べていたが、うどんの中のタマゴにも母の思いがこもっていたのかもしれない。今頃になって、その日々の母の気持ちを思ったりしている。
母は病弱だったのか。しばしば首が締めつけられるようだと言って、嘔吐するような仕草をすることがあった。ひどい肩こりだったのかもしれない。医者にかかっても病名はわからず、ときには神がかりになっていた。ある祈祷師に先祖の祟りだと言われると、白木の位牌をそばに置いて般若心経を唱えたり、また誰かに、仏も居ないのに位牌を置くのは良くないと言われると、そちらの方も信じてしまうほどで、本人も自分の体をどうして良いのか迷っているようだった。

それでも母は95歳まで生きたから、真に病弱だったのかどうか疑わしい。
子どもたちは夏になると半日は近くの川で泳いでいたが、あるとき突然に母がやってきて泳ぎ始めたことがある。平泳ぎや背泳ぎではなく、斜め泳ぎと言われていた泳ぎ方で、体の半身は水面に出す格好のまま、両腕を交差して水をきっていく珍しい泳ぎ方だったのを覚えている。
母が泳ぐのを見たのはそれ一度きりだったが、そのときは母ではなく他所の人を見ている驚きだった。
人の体はつねに何らかの変化をし続けるものだと思うが、母は細かいことを気にする神経質な性格だったから、体の小さな不調まで見逃せなかったのだろう。母が体の不調を訴えるたびに、医者が処方する薬が増えていったようだ。精神安定剤から消化剤、心不全や不整脈を抑える薬、血圧を安定させ血流を良くする薬、更には狭心症を鎮める薬まで、晩年には多量の薬を服用していた。

母とは対象的に、父は元気な人だった。商売上で熊本や延岡の方まで出かけることもあり、ほとんど夜しか家には居なかった。長女は高校受験で極度に神経質になっていて、他の妹たちが姉の分まで家事の分担を受け持たされていた。
家族にはそれぞれに役割があり、その中で家族はいつもどおり動いているようにみえた。それは一体になって回転している歯車のようなもので、すでにぼくの歯車はそこから外れかけているのだった。
それまではただ日常に流されていた。家族の中では家族と一緒に流れていればよかった。その流れがすでに変わろうとしていて、ひとりだけ流れの外にいるような感覚だった。

高原の空気をいっぱい吸ったおかげで、帰途のバスに乗り遅れてしまい、夜遅く家に帰ったときには家族の食事は終っていた。尾頭付きの大きな鯛が食膳の真ん中にあった。
父と母と妹たち、家族はみんな揃っていた。それぞれの笑顔がなにかを期待しているようにみえた。その様子には意味がありそうだった。ぼくが鯛に箸をつけたときにその意味がわかった。鯛の裏側の半身はすでに家族で食べられてしまっていたのだ。ぼくがそのことに気づいたことを知って、みんなもホッとしたように声を出して笑った。
家族みんなでぼくの誕生日を祝ってくれた、それが最後の夜だった。

 

 

(1)そこには風が吹いている

 

 

 

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