
桜がようやく満開になった。
室生犀星の『桜と雲雀(ひばり)』という短い詩がある。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という、よく知られた詩篇の入った『抒情小曲集』の中の一篇だ。
雲雀ひねもす
うつらうつらと啼けり
うららかに声は桜にむすびつき
桜すんすん伸びゆけり
桜よ
我がしんじつを感ぜよ
らんまんとそそぐ日光にひろがれ
あたたかく楽しき春の
春の世界にひろがれ
桜すんすん、桜をこのように形容する言葉があったんだ。この詩集の覚え書きに、「上州には三度ゆけり。ここにて予が畏友萩原(朔太郎)を知る」とある。この詩も、そこで得られたものだという。
この詩集には、犀星の二十代前半に書かれたものが収められている。「街を彷徨の時を隔てて制作され、折返して来る生活波濤の中にあれこれと思ひをひそめたもの、詩の優美感から放逐された荒涼の世界が漸く展望されてゐる」と、詩集の解説に犀星自らが書いている。郷里の金沢や東京、前橋などを転々としていた彷徨時代の詩だ。
その頃に知り合った朔太郎とは、生涯親交が続いた。著しく対照的なふたりだったが、「互いに刺激し合いながら、各々自己の信ずる道を歩いたことは驚くほかはない」と福永武彦は、新潮社『日本詩人全集』の中で解説している。「朔太郎は詩を内部に凝縮させ、犀星は外部に発散した」といい、「年と共に暗愁の気配を濃くしていった朔太郎に対して、犀星は人生を肯定し、思惟する前に直感し、行動の後にまた新しく前進する。抒情はその間に生れた」と。
犀星は「詩の神様がお泊りになる」ことによって、詩は生まれるのだと考えていた。そこから生れてくる光り輝くもの、すなわち「二行三行の光芒」が彼の考える詩だったと、『詩よ きみとお別れする』の中で述べている。
「桜よ 我がしんじつを感ぜよ」という、彼の「しんじつ」とは何だったのだろうか。「春の世界にひろがれ」という、それが光のひろがり「光芒」だったのだろう。「しんじつ」とは、そのとき犀星が直感したものであり、彼が考える詩の真実だったのかもしれない。
福永武彦は書いている。
「朔太郎は螺旋を描きながら次第に夜の底に下りて来る一匹の蛾である。犀星は地面に立って天を睨みながら、足元の闇を離れようと幾度となく跳びはねる蟋蟀(こおろぎ)である」と。
うつらうつらと啼く雲雀の声は、うららかに桜に結びつき、日光はらんまんと注がれている。まさに満ち溢れる春。そこに犀星の真実と光芒があった。










