風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

16歳の日記より(1)自転車

2021年02月13日 | 「新エッセイ集2021」

 

僕の登下校の足は自転車だ。
高校生になった時、父がどこからか中古の自転車を見つけてきた。息子が高校生になったことへの父親の喜びのしるしだったのかもしれない。
だが僕は、高校生であることを恥ずかしいと思っている。
勉強をしないことを恥ずかしいと思っている、授業をさぼれないことを恥ずかしいと思っている、誰かと議論が出来ないことを、恋文を書けないことを、煙草を吸えないことを、自転車で通学することを、恥ずかしいと思っている。
毎日決った道をただ自転車を走らせているだけなのだ。
掘割の坂道を下る、橋を渡り踏切をこえる、田圃の中の一本道を走る、集落に入り直角に曲がって坂を下る、途中に女子高がある、道が突きあたったところから急な坂道になる、ひたすら自転車を押してのぼる、トンネルを境にして今度は下り坂になり、ペダルに足をのせたままで一気に町に入る、そのまま商店街を突っ切って町外れのトンネルを抜けると、隠れ里のように校舎がある。
ある雨の朝、傘をさして自転車を走らせていた。
町中に入る手前で、坂道を下って急カーブをきった時にスリップして横転した。僕はまず急いで傘をひろいにはしる。自転車のところに戻ると、女学生が僕の汚れた鞄をもって立っていた。僕は礼を言ってそそくさと鞄を受け取ったが、一瞬夢を見ているような錯覚をした。こんなにまじかに彼女の顔を見たのは初めてだった。
登校途中に女子高があるので大勢の女子高生とすれちがう。
意識して無視するように自転車を走らせている僕にとって、彼女等はほとんど風景の一部となって通りすぎる。風になびく髪も、スカートも、おしゃべりも、視線も、花も、電柱も、クリーニング屋も民家も、あらゆる物が通り過ぎるだけだ。
だが一人だけ、遠くからゆっくりと歩いてくる。
彼女の歩幅は正確で、歩き方は静かでやさしい。彼女の制服は彼女の体にぴったりと合っている。彼女のさげている鞄はほどよい重さでバランスを保っている。彼女の声は聞いたこともない、それは紛れもなく彼女だけの素敵な響きをもっているだろう。だが、あっという間に通り過ぎてしまう。僕はいつも彼女を注視しているが、彼女の視線の中に僕はいないと信じている。
雨のなかで、僕はぶざまな格好を彼女の前に曝してしまったが、再び何事もなかったようにすれちがう。ただ通り過ぎる風景のなかで、彼女だけが一本の道しるべのように、くっきりと僕の走行の目印になっている。

 

 


 



 

 


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