「北京・ハルビンの旅」(その8)のお話。 今日は北京の旅の最終日。午前8時にホテルを出発。目的地は、私が初めて訪れる「蘆溝橋」。ホテルから車で約1時間30分で到着した。「蘆溝橋事件」とは、1937年7月7日の夜、北京市中心部から南西に約15キロ離れた石橋の「盧溝橋」近くで、対立していた日中両軍が衝突した事件。日中戦争の発端となり、中国では「七・七事変」と呼ばれている。
今回の「北京の旅」で訪問した「頤和園」、「万里の長城」、「明の十三陵」、「天壇公園」、「故宮博物院」の5か所の世界遺産は、どこも想像以上の観光客で溢れていた。しかし、この「蘆溝橋」のある街の中心部を歩いてみたが、観光客の姿をほとんど見ることがない別世界がそこにあった。川に架かった「石の橋」があるだけの田舎の光景であった。私達は橋の上をゆっくりと歩いて見学した後、「天壇公園」へ向かった。
そして、この日の最後は、≪胡同≫の街並みを自転車で引っ張る「二人乗り」の人力車(自転車力車?)に乗り、約1時間の旅を楽しんだ。私達は二人乗り人力車を6台連ねて街の散策に出かけた。人力車1台10元(日本円で約125円)。他に1グループの案内人に50元(日本円で約625円)を支払うと、日本語で詳しい説明を聴くことができる。実際、北京の人が住んでいる「四合院」の中まで見学できるこのコースは、内容が充実していておもしろかった。
「北京の旅」は、毎日、気温が30度を超す炎天下の中、予想を超える≪人ごみ≫にもまれ、体力勝負の「旅」でもあった。私達のグループは、77歳の友人を筆頭に、65歳前後が中心の中高年グルーブ。毎日、汗をタップリとかきながら、10,000歩以上を歩くことになった。世界遺産を巡る「旅」は、結果として、当初、計画していた≪ゆっくり≫そして≪ゆったり≫とした「旅」とは程遠い、猛暑の中をひたすら「歩く旅」でもあった。
「北京・ハルビンの旅」 盧溝橋の入口に掲げられた観光案内版。
「北京・ハルビンの旅」 盧溝橋の入口の門。
「北京・ハルビンの旅」 中国人民抗日戦争記念館。
「北京・ハルビンの旅」
「北京・ハルビンの旅」 盧溝橋の入り口広場。
「北京・ハルビンの旅」 盧溝橋の入り口広場。
「北京・ハルビンの旅」
「北京・ハルビンの旅」
「北京・ハルビンの旅」 全部違う姿の獅子の像が続く「盧溝橋」。
「北京・ハルビンの旅」 獅子の像が続く「盧溝橋」。
「北京・ハルビンの旅」 盧溝橋の入り口広場。
「北京・ハルビンの旅」 獅子の像が続く「盧溝橋」。
「北京・ハルビンの旅」 盧溝橋の全景。
「北京・ハルビンの旅」 盧溝橋文化旅夕游区の案内看板。
「北京・ハルビンの旅」 私達は、蘆教皇見学後、「天壇公園」を見学した。 天壇公園の案内看板。
「北京・ハルビンの旅」 「天壇公園」内でトランプなどを楽しむ北京市民の姿。
「北京・ハルビンの旅」 「天壇公園」内でトランプなどを楽しむ北京市民の姿。
「北京・ハルビンの旅」 「天壇公園」内の土産物屋さん。
「北京・ハルビンの旅」 天壇公園で記念写真を撮る参加者。
「北京・ハルビンの旅」 猛暑の中、日傘をさして見学している観光客も多い天壇公園。
「北京・ハルビンの旅」 樹齢500年以上の「柏」の木。
「北京・ハルビンの旅」
「北京・ハルビンの旅」 この木からパワーをもらえるとのこと。 パワーをもらっている観光客。
「北京・ハルビンの旅」 アメリカのフォークソングを歌う若者。
「北京・ハルビンの旅」 正面の白い通路は、大理石でできている。 ここは、皇帝様だけが通ることができる道とのこと。
「北京・ハルビンの旅」
「北京・ハルビンの旅」
「北京・ハルビンの旅」
「北京・ハルビンの旅」 見学するにも、長蛇の列に並ぶことになる。
「北京・ハルビンの旅」
「北京・ハルビンの旅」
「北京・ハルビンの旅」
「北京・ハルビンの旅」
「北京・ハルビンの旅」
「北京・ハルビンの旅」
「北京・ハルビンの旅」 胡同の街並みを、この車で散策することになった。
「北京・ハルビンの旅」
「北京・ハルビンの旅」 車から降りて、ガイドさんの説明を聞く参加者。
「北京・ハルビンの旅」 胡同の散策コースでは、一般人の住む住宅を見学できる。
「北京・ハルビンの旅」 胡同の散策コースでは、一般人の住む住宅を見学できる。
「北京・ハルビンの旅」 胡同の散策コースでは、一般人の住む住宅を見学できる。
「北京・ハルビンの旅」 胡同の街並み。