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『自分をいかして生きる』

2011-06-07 | エッセイ

 『 自分をいかして生きる  』

                     西村佳哲 著

                 

   働き方研究家である西村氏。

就活している方や仕事をしている方にもおすすめですよ。

「正しい答え」なるものは、あるのか? 問いかけてきます。

     

仕事は「選ぶ」もの?

 仕事を「見つける」とか「与えられる」、仕事に「就く」、会社に「入る」といった言葉。
ここには、それを語る人の仕事観があらわれる。
中でも「選ぶ」という言葉には少し気になるものがある。仕事は「選ぶ」ものなんだろうか?

以前、ある企業の人事採用プログラムに関わって、就活中の学生たちと話を交わす機会があった。その際に驚いたのは、
就職活動をまるで成人の儀礼のように捉えている人がいたことだった。複数の内定を手に入れながら、「わたしはまだ『就活』を深めきれていないんです」と真剣に悩んでいる人が何人かいた。
各社が条件や理念と自分を照らし合わせながら、迷い続ける姿は、本人たちに申し訳ないが「間違いのない買い物」をしたがる消費者の姿と重なって見えなくもない。
いやこれは言いがかりで、むしろ問題は、大人がその時期の学生たちに供給している自己分析や適正診断プログラムにあるのかもしれない。要らぬ迷いを増やすような効果を、あれらは持っている気がする。通過儀礼を失った社会にも問題の根はあるのだろう。

正解を求める心の動きはどのように形成されるのか。間違いのない買い物や、損のない買い物、賢い買い物をしたいという感覚も。「深めきれていない」という言葉もそうだが、その辺りにはなにか強迫観念のようなものが透けて見える。
賢さや間違いのなさを求める観念には、人を、今この瞬間から引き剥がす作用があるように思う。いつもなにか他に、どこか余所に、正しい答えが、もっといいものがあるんじゃないかと気を散らす。

20年前に参加した勉強会で、あるマーケティング・プランナーが「現代人の人間の創造性は消費行動に集約できる」といった話を熱心に語っていた。
人間とはすなわち消費者であるということ。素直に頷きたくない話だが、言わんとするところはわかる。現代の人間、なかでも資本主義的な文化圏で生きているわたしたちは、豊富な選択肢の中から欲しいものを選び、手に入れるという作業を日々くり返している。テレビで、インターネットで、本屋さんで、スーパーマーケットで、セレクトショップで。(中略)


選択可能な現実がほかにもあると知ることは、精神の自由を可能にする。そのための知力や気力はあった方がいいと思う。
が、選べないことが貧しさになってしまうのは、選ぶことを課せられたゲームの中での話だ。そもそも、与えられた選択肢の中から選ぶことが、豊かなのかどうか。
カタログ化した社会で、価値をつくるのではなく選んだり買ったりして生きること。自分に合わせて選んでいるように見えて、実は与えられた枠組の方に自分を合わせているような事態が、頻繁に生じていると思う。

高度に情報化した社会には、読み応えのあるアウトドア雑誌のような可笑しさがある。さっさと出かければいいのに、その前に美しい自然の写真を眺め、他人の旅の逸話に目を通して、豊富な二次情報を摂取する。普段着でも山歩きはできるのに、間違いのないウェアやギア選びに時間をかけたり。
これと似た状況は、仕事や働くことの模索においても生じやすいはずだ。

選ぶ過程を通じて、自分が本当に欲しているものがわかってくるという側面はあるだろう。選んだり探す行為自体の面白さもわかる。たとえば子どものことを考えて慎重に重ねられる親の熟考を、間違いのなさや賢さへの強迫観念と同列にして語るのも失礼な話だ。
しかし人の弱みや、不安な気持ちの足元を見るようにさまざまな商品が差し出されていることや、人間が自ら積み上げた二次情報の厚い壁の内側で生きているような今の社会に、品定めのような情報処理を延々とつづけさせる環境特性があることは心得ておきたい。

「なんのために働くのか」とか「どう生きるのが良い」といった意味や目標を、わかりやすく提示してくれる本や職場には引力がある。
しかし、そもそもそれは、誰かほかの人間に提示してもらう類のものなんだろうか。
目的が最大利益の追求であれ、社会的公正の実現であれ、他の人がつくった問いを手にして、いそいそとそれに取り組んでいる姿は、解き甲斐のある問題を前にして腕をまくっている生徒のようだ。

現代国語のテストで見かける、「前後の文脈を理解して文中の空欄を埋めよ」といった問題に答えているより、出題に使われるような文章を、自分の物語として丸ごと書き下ろしてゆく方が面白いんじゃないか。そうでないと、生きていることが、どこか答え合わせのようになってしまうようにも思う。

 

 

   ベストなものを選んだつもりでもこんなはずじゃなかったっていう体験ありませんか?

 

                            

         最後まで読んでくださって ありがとう 

                               つながっているすべての人に ありがとう 

 

                            



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