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『心の痛みを受けとめること』

2008-03-05 | エッセイ
 『 心の痛みを受けとめること 』

                 山元加津子 文・今井ちひろ 絵 

 

  ゆっくり、ゆっくり読みました~  今回は、ネパールの洪水のお話からです。

関空から飛び立った飛行機は、夕方ずいぶん薄暗くなったころ、ネパールの上空にさしかかりました。
ふと飛行機の窓から下を見て驚きました。
「あれは何?」
窓際の人がみんなその景色を見ていました。
「洪水?」
「まさか」                         

飛行機に乗っていたそのとき、眼下に広がっていたのは、一面、何キロにもわたって地面をおおう茶色い泥水で、そこには、大きな大きな川が今は何本もの黒い筋になって流れていました。
「まさか」という言葉が、思わず口から出たのは、それがまさにノアの箱舟の、あの大洪水の情景だったからです。茶色い土砂だけが、ただひたすら何キロも広がり、草も木も何も見えません。
けれどもその泥の大河の中に、小さな黄色い光がいくつも瞬いているのが見えたのです。
「泥の中に人が住んでる?」
「生きてるの?」

本当に不思議でした。ゆっくり流れる土砂の帯のあいだに中州(なかす)ができ、それも全部土色におおわれているのだけど、わずかに地面がのぞいているところがあり、そこに灯りがかすかに揺れているのです。まるで息をしているように。電気なんて来てないはずなのに、いったいなんの灯りだろう?泥の海の中で、食べ物はどうしているんだろう。食べ物のある町までいったいどのくらい歩くんだろう。長い距離を歩けない小さい子やお年寄りがいるから、家族で安全なところへ行くことはできるのだろうか、いや大人でも、歩いてどこかへ行くことはできるのだろうか?果てしなく続く土砂の川を見ながら、いろいろなことを考えました。
信じられないけど、これはやっぱり洪水なのだ。空からその様子を見ている自分も、とても不思議でした。こんなに広い範囲の災害の様子を見わたすなんて、飛行機がなかった時代には考えられなかったこと。できるのは神様だけだったろう。そんなことを思っていました。

ネパール空港には、ギータちゃんというガイドさんが待っていてくれました。
私はさっそく、飛行機から見えた景色のことを尋ねました。
「洪水のように見えたのですけど」
「はい、洪水です。毎年ネパールは雨期になると、川が氾濫して、何百人もの人が亡くなります」
「何百人・・・・?」

不思議でなりませんでした。毎年、川が氾濫して、たくさんの人が亡くなるようなところに、人々はなぜ住み続けるのでしょう。
「川は氾濫すると肥沃(ひよく)な土砂を運びます。そこからはお米がたくさんとれます。ネパールではあまりお米がとれませんが、川沿いの肥えた土地にはお米がたくさん実り、それで人が住めるんです」
「でも、でも、毎年たくさん亡くなるのでしょう。いくらお米がとれるとしても、来年の夏は自分が死ぬかもしれない。家族が死ぬかもしれない。家も流されるかもしれない。それでも、そこに住むのですか?」
ギータちゃんは静かに言いました。
「人は死ぬものです。流された死体は栄養になります。その栄養が、また洪水で土砂に運ばれてお米が実るのです。すべてがめぐるのです」
ギータちゃんの言葉に私は大きな衝撃をうけました。いったいそんな話があるのだろうか。

輪廻転生(りんねてんせい)・・・人は死ぬと何かに変わって生死を繰り返す、という意味の言葉があります。亡くなっても、命は形を変えて続いていくから大丈夫」と思っているのでしょうか?それともほかへ移っても、生計を立てることが難しいからなのでしょうか?とてもとても驚くことでした。
後日、友だちにその話をしたら、「まさに曼荼羅の世界だね」と友だちがぽつりと言いました。
私はどうしても自分だったらどうだろうと考えてしまいます。いくらお米がとれるからといって、流されて命を落とすかもしれないところに住むのは、とても不安です。人は死ぬものだから・・・・そんなふうにはなかなか考えられないです。

   なぜ川が氾濫して、たくさんの人が亡くなるようなところに、住み続けるのか?

     う~ん、カルちゃんにも、よくわかりませ~ん。

      

           今日も最後までお読みくださいましてありがとう 

                                      つながっているすべての人にありがとう