じゃっくり

日常をひたすら記すブログ

ブログの様々な活用事例

2005年03月28日 | blog
おれ、ポフがブログの様々な活用事例を紹介するだよ。何でもかんでも総ブログ化計画:【募集12】こんな使い方があったのか!ブログの可能性に挑戦の募集企画に参加してみることにすっだ。

●大森小学校のブログを使った教育
大森小学校のブログ紹介トップページには、6年生をはじめとした小学生が作ったブログが掲載されてるだ。ニュース記事を取り上げて、漢字にはひらがなでルビを書いたりして、最後にそれについての感想を書いてるだよ。学校ってべんきょー、べんきょーばっかで、身の回りで起こってるニュースには触れてくれないだ。「べんきょーしなさい」って言われて、歴史上の人物を暗記したり、フラスコに分けのわからない液体を入れたり、りんごの数を数えたりしてる。んでもって、身の回りで起こってることが全然わからない子供が増えてるんでねえか? んなこといっても親や教師は「べんきょーしなさい」って機械的にいうだけだ。こりゃだめだ。彼らがいう「べんきょー」のどれだけが本当に役にたつものなのだ。それはもしかしてごくごく少数だけでしかねえのかもしれないだよ。それは、”できる子”と”できない子”を振り分ける手段の1つなのかもしれねえだよ。

んだもんで、こういうニュースってのが本当に大切なもんじゃねえのか? おれらの生活に関係してるもんは、こういうことじゃねえのか? こういうことをもっと勉強させてほしいんだ。

●家族でブログ
こーちゃんの日記は旦那さんとその奥さんとのやり取りがメインのブログだ。肖像画のような顔写真がついた「おはよう」をwebに掲載すると、それに奥さんが同じく顔写真で「おはよう」と応える。ポフはこのやり取りをみて、なんだか感涙してしまうだよ。webって日常性が排除され、「顔」もなくなり、もちろん「家族」も見ることが少なくなってしまっただ。このブログはそんな灰色な世界の中にぽつんと光る一等星みたいだ。温もりを感じるだよ。

次は以前管理人がじゃっくり:家族でブログ!もあるんだが、Kento De Goo Punchだべや。ここのお父さんはgooでも必至の格闘技ブロガーだけれど、こっちのブログもえらい充実してるだ。嫁さんとマリナちゃんとちはるちゃん、それにケント君とわきあいあいな様子が鮮明に見てとれるだ。嫁さんと子供もブログをもってるところがすごいだよ。

●高齢者とブログ
No Blog,No Life!の管理人は、なんと御年70歳のブロガーだ。そんな老人が作ったブログなんて興味ねえなんつー奴、まあ、いっぺん見てみろだ。この充実ぶりはすさまじいだよ。写真はきれいだし、コメントもされているし、なんていっても継続して更新してるのがすごいだ。彼の辞書には「デジダルディバイド」なんていうもんはないんだな。わかもんには負けておられんなんていう、老人ゆえの気概も感じられないだ。ただ、私はブログをしたいんだ、それだけ。そんな感じがするだよ。それはタイトルにも現れているだ。No Blog,No Life!――ブログのない人生などない! かっこよすぎるだよ。

●総括(管理者、幼より)
アメリカを発端とするblog(ブログ)はジャーナリズムの色を濃くして開始されたのだけど、日本に伝播してきて、それは日記の要素が大幅に加味された。現在日本で公開されているブログのうち、たぶん9割は「日記ブログ」だと思う。それも1人で淡々と書き綴る孤独な。

webで公開しているのだから、できるだけ知り合いに悟られないように、家族にも知られないように、ひそかに更新していけなくてはいけないのだ。そのような風潮が広がり、ブログはブログ同士の交流があるにしろ、その中だけでしか回転せず、ある意味で閉鎖的な空間であるといえよう。

ここで紹介してきたブログはどれも、自分の一部分を身内に公開している。自分を公にすることで、不思議なことだが、ブログ自体に活気が生まれるような気がする。それは写真の影響もあるかもしれない。いままでは自分を隠してきた。自分のオリジナルティを奥にひっこめ、他人の動向を伺い、非難されないように妥当な表現を用いて文章を書いてきた。だけど、これからは違ってくるのかもしれない。mixiの広がりがそれを示唆しているように思える。もう僕たちはどこの誰とも分からない他人の日記には関心を寄せなくなってしまった。文章よりもその人自体が知りたい。どんな趣味を持っているんだろう。男性かな、女性かな、自分と近いところに住んではいないだろうか、一度会ってみたいなあ。ネットからリアルへの交流へと繋ぐ媒介物としてブログが使われる例も増えてきたように思える。

あなたも少し自分をほこりにまみれたタンスの奥から出してみないか。