田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

221214 朝の散歩 昼の散歩(330)・・・愛・LOVE・友 藤井常男氏

2023年02月10日 11時03分49秒 | 愛・LOVE・友 

 

竹林の中で日だまりを求める毎日すでに逝去されて10年になりますが、最近の騒がしい世相やマスコミ報道を忌避している私が先生の思い出の中をめぐるのが現在の私の癒しです。

南伊豆の藤井善兵衛(常男)さん(享年84歳)は、園芸療法一筋――病窓や車窓からみた風景、学校、病院、ホテル、駅前など非公園もみどりを撮って50年、様々な印象をにエッセイで語られていた文化人です。

私は、会社に勤めていた1970-84年頃、東京白十字病院の薬局長だった藤井先生と仕事上のおついあいをしてきました。私の仕事は工場緑化計画でしたが・・。先生は若き日に8年間も結核を患われ、毎日病室から病院の木立を眺めていて、その後薬剤師の仕事に就かれ、その合間に、医療と緑の関係について深く考察され東京農大の造園学科(夜学)に通い勉強をされました。驚いたのはもう一つ、休暇を使い旅のペンクラブ同人となりライフワークとして各地の鉄道に乗り各駅停車で町々の緑と人々とのかかわりを観察、カメラに収められ、印象を記述されておりました。これらのエッセイは「車窓から見た日本の植物」というご著書のほか大塚製薬の薬報に50年にわたって残っています。先生は世界各地にも足を延ばされ、撮影枚数は白黒スライド写真で5万枚あるそうです。先生は、病院造園、鉄道造園、老人造園、温泉造園、学校造園、ホテル造園など独自の区分けをされ、空間の機能と緑との関係を造園の健康的、文化的効用を病院造園として思考を提案されたようです。これは厚生省(当時)の国立病院関係の面々に注目されていたようです。そして、先生が指導された築地聖路加病院の造園に具体化されたといわれています。私との出会いは偶然でしたが、明るくお話し好きな先生と私はよくウマが合い、終生おつきあいいただきました。先生は病院を辞められたあと、下賀茂(下田)ともう一つ伊豆山(熱海)に二つの庵に居を定められました。

後から知ったことですが、先生は晩年に藤井善兵衛と名乗り、下賀茂の庵を「善兵衛・竹林精舎」と呼んでいました。

何でも善兵衛というのは銀座デパートの松屋の屋号だそうで、要するに藤井先生は江戸期に神田今川町に創業した松屋の主家筋だということでした。

竹林の中で日だまりを求める毎日--究極の癒しは老人造園ですと常々言われていました。

 

藤井先生は虚勢と贅沢(無駄)を極端にきらい、自然にとけ込む暮らしを実践し、療養と造園(緑の活用)の関係とは何かを終生問い続けてきました。

 

私は、この「善兵衛・竹林精舎」で一時間も二時間も、炉辺で話し込むのが楽しみでした。

 

最後にお会いした時、すでに81歳になる藤井先生は年を感じさせない、未だに童顔がのこる温顔でニコニコと応対され、ある時には私の小調査旅行、つまり下賀茂温泉一泊旅行に付き添い、南伊豆の風景と自然、そして農村生活について詳しく解説していただきました。(続)


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