技術者には「夢」がある- あるべきプロダクトアウト

技術者が良いと思うものを独自に追求して商品を開発し、作ってから売り方を考える、いわゆる「プロダクトアウト1ですが、技術者の思い入れは、時に全く市場では受けず、売れず、批判の的になることもあります。その対義語である「マーケットイン」は、もっとユーザのニーズを重視し、ニーズを満たすために必要な技術は何かという視点から商品開発を行うマーケティング的R&Dです。
1 プロダクトアウトは、一般的には企業側の論理による製品の開発、生産、流通全てを指し、顧客ニーズを考えない大量生産などにも使われる言葉ですが、ここでは製品開発において、技術者が自分の独自の思い入れによって製品を開発することをそう呼ぶことにします。マーケットインも同様。

市場が成熟して「顧客のニーズ」というものがはっきり存在し、顧客の購買要因の特定やセグメントも容易に行えるような時期になれば、マーケティングR&Dはうまくいくと思います。何を目指して開発すべきかはっきりするので、そのために必要な開発サイクルや品質基準といった開発体制も組みやすい。前に論じたアメリカでのレクサスの成功が良い例だと思います。

しかし、市場がまだ導入期にあり、顧客のニーズがはっきりしていない時は、メーカーの側から新しい商品のコンセプトを出して、顧客のニーズを形成するという、プロダクトアウト的手法が、必ず必要となる、ということもよく言われています。だからといってこれは技術者が独自にマニアックに面白いものを開発し、売り出せということではありません。それではマニアに受けても、本当に市場に受け入れられるとは限らないでしょう。

日系のメーカーでいまどきこの意味での「マーケットイン」を意識していないところはないと思いますが、では本当に成功しているのか?は大いに疑問です。(最近のソニー然り。)

半導体の例で言うと、半導体メーカー側の論理で、車メーカーにハイパフォーマンスと開発サイクル短期化を押し付け、勝手に半導体側がプロジェクトを組んでいるように思えてなりません。

・・・自動車業界は「早くても3年先のつもりだったのに」と長期計画の予定が,半導体業界では「半年先の商談かと期待したのに」といった具合です。それでも,カーナビなどの開発を通して,自動車業界もようやく,半導体業界のペースになじみ始めたとか。そして,これまでは枯れた部品を提供してきた半導体業界も,最先端の半導体製品を自動車に供給することを検討し始めています。今年,登場するカーナビには600MHz動作のマイコンが搭載されるようです。 ・・・

日経エレクトロニクス短期決戦の半導体業界 長期計画の自動車業界2005/03/15

論理的に考えて、将来的にどんなに処理が複雑になってパフォーマンスが求められても、(カーナビ等情報系は除く)に必要なのは絶対に不具合が出ない信頼性とコストだけのはずで、これらは十分枯れた技術を援用すれば済むはずです。カーナビ用半導体についても「こういう世の中が来るからハイパフォーマンスが必要だ」という論理ではなく、「ハイパフォーマンスを生かそうとすると、こういうことが出来るようになる」という悪い意味での「プロダクトアウト」な発想から抜け切れていないのではないでしょうか?

更に、競合企業がパフォーマンスが高いものを出してきたら、というような不安感が、無駄にこれらの機器でのパフォーマンス競争を煽っている気がしてなりません。

私が真のプロダクトアウトだと思う例を二つ(もう以前のコメント等で出した例ですが)挙げてみます。

トランジスタが開発された時の有名な逸話を、元ソニー技術者の菊池誠が書いた「日本の半導体40年-ハイテク技術開発の体験から」という本で読みました。

トランジスタは1948年にベル研で開発されましたが、プロジェクトリーダーのケリー氏が、開発の中心メンバーで、当時はまだ学生だったショックレーをベル研に誘う時に次のような話をしたそうです。(記憶に頼って書いているので、一部誤りがあるかも知れません。後でソースを見直して訂正入れます)
「アメリカの現在の電話網は真空管で出来ている。一般には電話を使う人が少ない今でこそ、この真空管でも、十分正確な通信が出来る。でも私は、そのうちアメリカ中の人たちが、好きな時にどこからでも電話で話が出来るような時代が必ずやって来ると思う。そうなった時、真空管では処理速度が遅く、信頼性が低いので対処できなくなる。そういう時代が来る時のための、真空管の代わりになる新しいものを開発したい
その話を聞いた、ショックレーはその壮大な夢の一端を担うことに大きな興味を持ち、バーディーンらと共にプロジェクトに参加することを決め、10年後、トランジスタの開発に成功したそうです。

これこそあるべきプロダクトアウトの姿と思いました。1930年代にアメリカ全体が電話線でつながれ、一般人が普通に電話でやり取りする時代が来ることを想像できた。そうなれば真空管による交換機がパンクする、と予言し、そうならないためには技術的には何が必要かという発想で、トランジスタの開発に至っている。

もう一つは(何度も出してる)ソニーのトランジスタラジオの例。「現在はどこの家にも大きなラジオがあって家族みんなで聞いているが、そのうち一人ひとりが手元にラジオを置き、いつでもどこでも楽しめるようになるべきではないか。そういう携帯ラジオを開発するに当たり、アメリカで開発されたトランジスタが使えるかもしれない」という井深大の壮大な夢により、開発されたものだと思っております。

真のプロダクトアウトとは、市場のニーズを全く省みないのではなく、技術者だからこそ持てる専門的知識で、10年後、20年後に何が市場で求められるべきなのか、どういう世の中になっているべきなのかという「夢」を持ち、それを実現するための技術を開発してゆく、もしくは既存技術を利用してゆくことだと思います。(別に独自に基礎から開発する必要はないと思っています。)それは、技術者のマニアックなこだわりとは違うもので、技術者は10年後とはいえ「何が売れるか」を意識し、顧客の側を向いている必要があります。
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右か、左か(1) 「女系」継承問題

以前の記事のコメント欄で、「女系」継承問題についてどちらでもないという立場を貫きたいのは、自分の中でまだ決着がついていないからだと言いました。今日は、そのノーコメントを貫くつもりの問題に、一歩踏み込んでみます。

私は、リベラルな愛国主義者で、こういう「伝統」を伴う問題に対しては常にアンビギュラスになりがちでした。簡単に言えば、自らのアイデンティティの拠り所を守りたい気持ちと、結局はマージナルなのだから、壊して意味のないものにしてしまえ、という気持ちが共存しているからです。朝生に出るたびに意見が変わっている姜尚中には、同調はしないがある種の共感を覚えます。

さて、私自身「女系」問題については、専門家でもないし、間違えや考えの甘さがある場合は、いつも通りご指摘は大歓迎です。まとまっているわけではないので、議論しながら、まとめていきたいと思っております。

世の中では議論が先に進んでいて、愛子さまの配偶者をどう呼ぶか、という話になっているわけですが…

まず感情的に、「男系」保存に賛成したいという気持ちはあります。理由は2つ。
  1. 歴史的にわかっているだけでも少なくとも1500年以上は、日本人が意識的に男系を保存してきたこと、更に個々の家よりも天皇「家」としての「血統」を大切にすることで払ってきた犠牲もあるわけです。そうやって日本人が守ってきたものを、今更、壊す権利があるのかと思う感覚。

    ここでいう「伝統を重んじる」感覚とは、自らのアイデンティティの源に対する尊重と謙虚さに根ざすものだと思います。「我々は祖先あってこそ、この世に生を受けているのであり、祖先が命をかけて守ってきたものを出来る限り保存したい」という感覚といえばよいでしょうか。

  2. 前に麻さんがコメントされていたような、天皇家が男系を連綿と貫いてきたことに対して、単純に美しいと思う、という感覚もあります。女系を認めるのが、「異物」が入り込んだような感じ、とは言いません。仮に「女系」が連綿と受け継がれていたのであれば、そうすべきだと思いますね。男女の非対称性が重要なのではなく、「女系」「男系」のどちらかに統一されているということが美しいと思うわけで。
    流石にY染色体を真面目に論じるつもりはないです

    この感覚は各国が持つ、「血統」というある種の伝統に対する共通の感覚なのではないかとも思います。
次に論理的な根拠の方ですが、「女系」反対の論拠として見るのが、国際社会も男系(これも女系ならそれでも良いと思うわけですが)を貫いていることが評価されており、
その系統を失うことは、王朝の交代とみなされており、国際社会での地位が下がること、というのがありますが、これについて私は実際のところ、どれだけ高く評価されているのか十分に知らないので、多少疑問に思っています。皆様からの情報、コメントをお待ちしております。

(例えば、ローマ法王が天皇家に対する敬意を払っている理由が、万系一世を貫いているからとは本当にいえるのかなど。単に(キリスト教文明でない)別の文明の王家に対する敬意とは言えないのかと思ったりするわけです。愛子様の娘/息子が皇位に就いたからといってその敬意が変わるとは思えないので。)


最初の「伝統」に対する感覚は、あくまでも感覚に過ぎず、「祖先が守ってきたものなら何でも守るのか」と自分の中で問えば、いやそれは違う…ということになります。

例えば「封建制」といった支配構造に関しては、我々は壊してつつ、現在の議会制民主主義を手に入れたわけです。それぞれ、何らかの形で日本人が懸命に保ってきたものだからこそ、それが崩れ去る時に我々は「滅びの」哀愁を感じる。しかしながら、新しく台頭するモノが、その世代にとって「交代する」意味があるからこそ、「交代」が行われるのだと。

そう考える時、現在の「天皇家」の「王朝」交代をするほど、次なるものには意味があるのか、その言葉が「小和田王朝」という言葉に凝縮されている気がしており、これは面白い指摘だと思っていました。

交代する次なるものが「小和田王朝」であれば、私たちは何の「美学」も哀愁も感じない。

しかし、日本の象徴としての「天皇家」において、女系を認め、完全な「長子優先」とすることが、男女の非対称性に対する「感覚的な」(単純に女だからダメ、というような)差別をなくし、本当に女性の地位向上や意識の向上につながるのであれば、「小和田王朝」になってもいいかな、と思うわけです。

「女性の真の地位向上のために」日本は王朝を交代した、ということであれば、私たちは少しは誇りを持って、その王朝交代を認めることが出来るのではないかと。

いや、本当にそうだろうか。

当然ながら、「象徴天皇家で女系を認めることが、本当に女性の地位向上に繋がるのか」、仮にそうであったとしても、そのことが長期的に日本人の意識変革に与える影響がどれほど大きいのか、先ほどあげた感情的な伝統に対する感覚を否定する意味があるのか、と問われると、私にはまだ十分な答えはありません。

これが私が「女系」に対してノーコメントを保ちたい理由です。
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萌え~も想定内 でも、嫌韓流はどこ行った?

そういえば今年の流行語大賞が出ましたね。小泉劇場想定内(外)だそうです。

大賞は、オリンピックがあればオリンピックの言葉、選挙があれば選挙の言葉になりがちで芸がないですが、「想定の範囲内」が入ったのはちょっと面白かった。
この言葉を見て、ホリエモンや村上ファンドによるこれだけの買収劇があり、マスコミが経営体制のあり方を考えさせられたことなど、後で懐かしく思い出すのでしょうか。

「萌え」「電車男」「メイドカフェ」もノミネートされてましたが、ユーキャンもこれらを大賞にするほど進歩的ではなかったようです。ただ「萌え~」が10位以内にノミネートされ、アキバのメイド喫茶のお姉さんたちが受賞したそうです。

ユーキャンは説明に「萌え銘柄」など「萌え○○」という言葉が全体的に流行ったと言ってますが、その中に「もえたん」が入っているのが笑ってしまいました。記念に「ご挨拶するメイド」のGIFファイルを飾っておきます。


個人的に非常に残念だったのは「嫌韓流」がこれだけ騒がれながら、ノミネートすらされなかったこと。「萌え」や「ブログ」が今年ノミネートされている位だから、単に流行を追うのが遅いのか、或いは嫌韓流が流行ったと言っても、一部での流行に過ぎなかったのか、或いは「近隣諸国に配慮」の措置なのか、よくわかりませんけれども。マスコミであれだけ「韓流」がもてはやされながら騙されない国民のメディアリテラシーに対する目覚めを象徴する言葉として、ノミネートするべきだと思ったのですが。
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レクサス番外編(アメリカの運転事情)

私は抽象的なものに対するこだわりがやたら強いのだけど、モノに対する執着が非常に弱く、実は車に対しても同様だったりします。極論すればA地点からB地点までの移動手段、くらいにしか思っておらず、その中でどれだけ快適に過ごせるかが最も重要。もちろんデザインは洗練されている方が絶対にいいんですが、洗車なんか殆どしないから、雨が洗車してくれる感じになってしまうほどの執着のなさ。

アメリカで売ってるトヨタ車は、日本で売られているものに比べても、ハンドルの遊びが大きくて、更にガタガタ道でも走行安定性が高い。サスペンションもふにゃふにゃで、一部のドイツ車のように「車輪がハンドルにきれいについていってる感」もないわけですが、高速で80マイル(128km/h)出しながら、パンを食べつつ片手で操縦している人や、ハンドルを持たずに化粧している女性なんかを見るに及び、良し悪しはともかく「楽そうだな」と思い、いつの間にか私も80-90マイル出しながら、片手運転している次第です。

皆さんのコメントを読んでいると、アメリカでも、結局私のような性格・車に対する考え方の持ち主で、私と違ってお金のある人がレクサスを買うんだろうという気がしてきました。デザインがいい・故障しない・楽に快適に走れる(更に言うとそれが"Quality"であると思っている)、出来れば環境にも優しいというのが一番大切。車本来のメカの性能や機能というものに対する執着がない人たちが「何だ、BMWより安いのにいい車じゃん」という感覚を持って買うのではないでしょうか。

問題は今の商品力で行くとして、日本人にこのセグメントに入る人がどれだけいるのかということでしょう。

「そんなんで良くレクサス論を何度もやってるなあ」と思われる方もいるかもしれませんが、興味があるのはレクサスのメカとしての性能ではなく、「レクサスが何故売れる/売れないのか」「トヨタが高級車市場を勝ち取るための成功条件は何か」だったりします。そういう話題に対する執着は激しくて、その思いがブログを書かせているわけですが…

現在の心配をひとつあげるとすれば、「こんな運転の仕方ばかりしていて、日本に帰ってから真面目で安全な走行が出来るだろうか」ということでしょうか。

今までのレクサス関連分析
トヨタは日本では何を目指すの?(1)
トヨタは日本では何を目指すの?(2) レクサスのマーケティング・番外編
トヨタは日本では何を目指すの?(3)レクサスは何故米国で成功したのか
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アメリカの北方領土見解

前回の記事のコメント欄で北方領土について議論が盛り上がりましたが、今度は諸外国、特にアメリカの北方領土に対する見解について少々

この前の日曜、西海岸のある本屋さんで日本の観光ガイドを見つけて立ち読みしていました。北海道の欄で立ち止まりながら「アメリカ人もウニ食べたがるのか。中国産との見分け方わかってんのかな。」などと思っていたところ、たまたま知床方面の地図を見つけた私の目は釘付けになりました。

Kunashiri
(Russia)


は?


恥ずかしながら、私は今までアメリカの世界地図や教科書で北方領土がロシア領とされていることを知らなかったのです。
サンフランシスコ条約で「千島」の範囲を明確にしなかった、アメリカがわざと曖昧にしたとか聞いていたのですが、もまいら、お国ではロシア領だとはっきり教えてるんかい!

ちなみに、余り一般には知られてませんが、中国の世界地図では北方領土は日本領ということになっています。
これは中ソ間でのかつての領土抗争を反映しているのでしょうが、ともかくこの国が靖国云々を言い出したのは90年代に入ってからであり、80年代前半までは「日本は軍事力を強化し、日中で対ソに向けて共同戦線を張るべき」などと言っていたことを忘れてはなりません。

これは知っている方にぜひ教えてほしいのですが、アメリカが「北方領土⊂ロシア」のスタンスをとっているのは何故でしょうか?
連合国側だから?それとも日本をアメリカが占領する交換条件として、ロシア側の北方領土占有を認めてしまったというような歴史的事由があるとか?

さらに今後アメリカはその見解を変えてゆくつもりはあるのでしょうか。

いずれにせよ、日露の交渉の際には日本が妥協せず態度を曲げないこと、必要とあらば経済などのカードをうまく使うこと、そして他の欧米諸国にうまく根回ししてゆくことなどが重要かと思いますが、以前トラックバックを頂いた非国際人さんがいみじくも論じられていたように、このままのアメリカの態度では、アメリカの様子を伺いながら外交を進める小泉さんが、本気でロシアと渡り合うとは思えません。ここでは硬派安倍さんに期待しておきます。

一般の日本国民に出来ることは、忘れないで心に留めておき署名運動を見かけた時は必ず署名するとか(古典的ですが)、必要とあらば(ネットも含めた)公の場で主張することににより、メディア・世論を通じて政治家に動いてもらうなどでしょうか。


ちなみに、ネット上に置いてある世界地図は北方領土はDisputeしていると書いてあるものが多く、旅行会社のサイトなどでは日本領としてある!ものまであるようです。モノによっては南樺太も「白抜き」ですね。上の図を探すの、多少苦労しました。(Googleで "Map of Japan" -site:.jp などして探してみてください)
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