日本の屋根裏人のワイコマ日記です

日本の屋根と云われる北アルプスの山々は、世界遺産の富士山に次ぐ名峰の数々、この素晴らしい環境の麓から発信する日記です。

12 年が経っても忘れられない

2023年03月11日 08時44分24秒 | Weblog
今朝の信州は気温が3度、空は快晴、無風の朝ですが春の
霞がかかって、北アルプスの山並みはぼんやりと穂高連峰
だけが見えて、常念岳のあたりから先は見えません。
今朝のマイあさのラジオを聴きながら歩いていますといつ
もの畠山キャスターは高知の防災施設に出張、スタジオで
いつもの渡辺キャスターが12年目の 3.11の特集をしてくれ
ていました。
私もこの日はお客さまの所に訪問していて、ゆっくりとし
た長い揺れを感じ、これは遠くで大きな地震か起きたと思
い、早々にお客様の会社を辞して職場に戻り、職場内の点
検や我が家の点検をしながら、さしあたっての異常はなく
職員の家族もみな無事で、被害などはないことを確認して
まだ確定申告の仕事が残っていましたので、夜までテレビ
をつけての残業となりました。そして、テレビ報道の恐ろ
しい画像が流れるたびに・・これは大変な地震で、そして
津波について、生々しい画像に釘付けになりました。鉄道
道路、社会インフラ(水道、電気、ガス、食料など)も寸断
されて、津波に火災にまさに戦場のようなありさまに言葉
が出ませんでした。そして5月のGWに我が町の市のボラ
ンティア団体が募集した救援隊のバスで仙台に救援活動次
は釜石の旅館の泥の搬出作業と二回のボランティアに参加
バスの中は、みんな被災地のあの匂いの衣服で、信州帰っ
ても暫く持ち物や衣類の匂いが残っていました。でもあの
悲惨な災害で家族を亡くした人、家を流されたり大変な被
害を受けたみなさんの事を思うと、信州の田舎ですが津波
というリスクのない分、幸せないい所だな~とつくづく感
じました。その時は東日本の被災者の皆さんに募金したり
ボランティアしたりしてきましたが、その後数年して釜石
を訪れて、泥を運び出した旅館に行って、もはや跡形もな
く取り壊されていて、あの時の二日間の汗は何だったのだ
ろうと、また改めて涙したものです。国も行政も、この東
日本の災害復旧については、ほぼ終わったような感じを抱
かせていますが、福島の原発も三陸地方から関東まで沿岸
に関してもまだまだ、以前の賑わいにはなっていません。
日本は、地震国家です。いつまた東日本のような地震が起
こらんとも限りません、この地震を含む我々の身近な防災
について、改めて考えてみたい。




















コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする