YO's Blog♪ 天才ミュージシャン 加納洋の問わず語り 

全盲のジャズピアニスト加納洋の
音楽、NYの暮らし、仲間、旅、福祉活動…
~☆大切なものとの出会い☆~

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バスの中で

2010-03-09 | 問わず語り
今日、バスに乗っていたら
僕の近くに座っていた女性が
スペイン語で、それも大声で携帯で話をしている。

あまり混んでいないバスに、彼女の声が響き渡る。
きっとみんなうるさいと思っているだろうなと思った僕は、
携帯を取り出して、家に電話し、
留守電に向かって、日本語で大声で話し出した。

すると、その女性、僕になんて言ったと思います?

僕の肩をたたき、
「私、電話しているの。あなたの声が大きくて聞こえないから、
もっと静かに話してくれない」
と、信じられないせりふを吐いた。

それから2分くらいで彼女がバスから降りると、
バスの運転手も、ほかの乗客も、僕に
「彼女が君に言ったことって信じられないね」
とみんなで話題にして大笑い。

これって、いやな経験というより、
ニューヨークらしくて僕は好きだな。
   
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おやじ

2010-03-09 | 問わず語り
親父は、1年前に88歳で亡くなった。

第二次世界大戦の時、満州に行き、
戦後はシベリアに3年半、抑留されていたそうだ。

目が不自由だった僕に音楽でも教えようと、
僕が5歳の時、ピアノを習わせようとしたが、
僕はすぐやめてしまった。

ある時、親類の家に行った。
そこには管楽器やドラムやギターがあった。
僕はいろんな楽器で遊んでいた。
その中でトランペットに興味を持った。
親父にねだると、買ってくれた。僕が9歳の時である。

それから5年ほど、
毎週クラシックの先生のところに習いに連れて行ってくれた。
当時、拡大しないと楽譜が見えなかった僕のために、
楽譜の読めない親父が、大きく書いてくれていた。

再び僕は、親父の期待を裏切り、
ジャズやロックに興味を持ち、
目立ちたがり屋の子どもだった僕は、
テレビのオーディションでジャズを演奏して出演を決め、
その後は、おとなのバンドで仕事を始めるようになる。

親父は僕にどうなってほしかったかは知らないが、
いつも僕が決めてやることを止めたことはなかった。
ピアニストに転向する時も、
いなかから東京に出て行く時も、
ニューヨークに仕事の拠点を移した時も、
親父に相談したことはないが、
何も文句を言わず、見守ってくれたのである。

ニューヨークに来て、ビザの問題が解決した20年前からは、
年に数回は日本に帰ることができるように日本での仕事を取るようにした。
親父の人生の最後20年は、僕はいつも一緒にいたような気がする。

親父のエピソードをもう一つ。

僕が18歳の頃、両親がどこかからシャムネコをもらってきた。
僕が家に帰ると、ちょうど親父が猫を抱いて犬猫病院から帰ってきた。
去勢手術をしてきたそうだ。

親父がその時、僕に向かって
「お前もしてきたらどうだ!」
と言った。
これから恋もたくさんしなきゃいけない若い息子に
親父が言うセリフだろうか。なんという親父だろう!
僕はタイガー・ウッズじゃないぞ!
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愛情深く、偉大な母

2010-03-09 | 問わず語り
おふくろは24年前に、61歳で突然、心筋梗塞で亡くなった。
その頃、僕はニューヨークにいて、
3年以上、日本に帰っていなかったし、
ビザの関係で、葬式にも戻れなかった。
なんて親不孝な息子だろう!

でも、僕のおふくろはいつも、
わがままな二人の息子たちのことや
頑固で見栄っ張りの親父のために一生懸命に生き、
自分のことなんか考えたことがないんじゃないかと思わせる人だった。
そんな人生に幸せを感じていたのかも。

僕は、そう思いたい。
だから僕がニューヨークでがんばっているのを喜んでくれていた。
亡くなる前、3年間会うことができなかったが、
おふくろとの心に距離を感じたことがなかった。

亡くなる直前まで親父の商売を支え、
いつも息子達のことを思い、
なんて愛情深く、素晴らしく、偉大な母だっただろう!

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ばあちゃん、ごめんね!

2010-03-09 | 問わず語り
おばあちゃんは亭主に出て行かれ、
一人で商売をしながら、母と母のお姉さんを育てたようである。
僕の両親はお菓子屋と土産物屋をやっていて、
おばあちゃんが家事をしていた。

僕が幼稚園の時、ばあちゃんの作った弁当を持って行くのだが、
ほとんどが玉子焼きとごはん。
それでも僕は満足していたが、ひとつ恥ずかしかったのは、
ほかの子の弁当はフタをあけると
可愛く飾り付けしてあるようなお弁当が多い。
僕のは何も工夫していない感じ。
いかにも若いお母さんの弁当ではなく、おばあちゃんの弁当って感じ。

小学校、中学校の卒業式にも、ばあちゃんが来てくれた。
家で一番早起きだった僕は、18ぐらいまで
起きるとばあちゃんのふとんに入ってしばらく寝ていたものだ。

亡くなる5年はほど前から寝たきりになったが、
母が仕事の合間に運ぶ食事を食べ、
何も文句を言わず、日々を送っていたそうだ。

僕は、その頃東京に住んでいたし、
亡くなった時はニューヨークにいた。
僕も、もう少し、おばあちゃんの人生の最後を一緒に過ごしたかった。
ばあちゃんもきっとそう思っていたかも。
ごめんね、ばあちゃん!


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ひいおばあちゃん

2010-03-09 | 問わず語り
僕のひいおばあちゃんは”髪結い”だった。
ひいおじいちゃんも、商売では成功した人らしいが、
子どもの手が離れた時、ひいおばあちゃんは何かやりたいと思い、
髪結いになったそうだ。

当時、かみさんが髪結いになるなんて、
亭主の稼ぎがないからと世間で言われる時代だが、
いわゆる“髪結いの亭主”でも
ひいおじいちゃんはぜんぜん気にしないで
“やりたければやれば”と言い、
ひいおばあちゃんの髪結いの仕事に賛成したそうだ。

僕が幼い頃、縁側で、ひいおばあちゃんが、
近所のおばあちゃんたちや芸者さんの紙を結っていたのを
よく覚えている。
85歳ぐらいまで髪結いをしてたように記憶している。
亡くなる数年前に寝たきりになり
89歳で亡くなった。
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おじいちゃん

2010-03-09 | 問わず語り
これから何回か続けて、僕の家族のことを書こうと思う。

僕が育った家には、両親、兄、
母方のおじいちゃんとおばあちゃん、
そして、ひいおばあちゃんがいた。

おじいちゃんは、僕が5歳の時にひょっこり戻ってきた。
たぶん何十年か前におばあちゃんを残し、
ほかの女性のところにでも行っていたんだろう。
この件について家族の誰も教えてくれなかった。

こんなじいちゃんでも、僕とはよく遊んでくれた。
鳥を何羽も飼っていて、
僕はじいちゃんと一緒に餌を作り、鳥にやったり、
釣りや昆虫取りによく連れて行ってくれた。

そんないろいろな思い出の中で一番覚えているのは、
じいちゃんと一緒に子どもが入っちゃいけない、
もちろんやってもいけない
パチンコやスマートボールによく連れて行ってくれたことだ。
僕が勝って、じいちゃんにタバコを取ってあげたこともある。
とんでもないことを孫に教えるじいちゃんだった。
そのおかげで僕は、大人になってギャンブルに興味を持ったことがない。
幼い頃にやり過ぎてあきたのかも。

好き勝手に生きたこんなじいちゃんだったが、
お昼に、なんか胸が痛い、と言っていたと思ったら、
その夜にぽっくり亡くなった。77歳だったかな。
   

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世界を相手に謝ったタイガー・ウッズ、ってどうよ?

2010-03-09 | 問わず語り
先ごろ、ゴルファーのタイガー・ウッズが数ヶ月ぶりにマスコミに現れ、
謝罪した。
なんで謝罪する必要があるのだろう? 
法律を犯したわけでもないし、
どこかの国の横綱のように刑事事件までもみ消し、
引退記者会見するほうが、よっぽど悪いことかも。

タイガー・ウッズが謝らなきゃいけないのは、
かみさんや子どもに対してで、
別にほかの人に謝る必要はないと思う。

かみさんも、女好きのだんなを選んだんから、
自分にも責任はあるだろうし、
そんなだんなが許せなければ、
慰謝料をたっぷりもらって離婚すればすむことで、
わざわざ全世界を相手に謝るほどのことだろうか?

もっと面白いのが、
タイガーと付き合っていた数人の女性は、
私達には謝罪がないと言っていたことだ。
なぜ彼女たちにまで謝らなきゃいけないの?

これらの女性は、
タイガーが結婚していることを知っていて付き合っていたわけで、
いい思いもずいぶんしたんじゃないの?

さらに、この件について、
テレビのニュース番組などでもっともらしいコメントをする、
いわゆるコメンテーターなる者が
とってつけたようなわけのわからない意見を言っている。
もう笑っちゃいますね。
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