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熊澤良尊の将棋駒三昧

生涯2冊目の本「駒と歩む」。270ページ。ペンクラブ大賞受賞。
残部僅少、送料込み5000円。注文受付中。

目次

作品 文章 写真 販売品

今日もお休み

2009-01-03 08:54:57 | 文章
1月3日(土)、晴れ。

お正月3日目。まだお休みです。
年末から数えて8日間もお休みにするのは、何年ぶりでしょうか。
下の娘夫婦が帰って、我が家は8人に減りましたが、まだ上の娘一家が残っています。

昨日に続いての会報は、3月1日発行の第2号。その「会の記録」からの抜粋です。

1月18日に会員第一号(愛知県の松尾さん)の入会申し込みがありました。
1月は、京都新聞と読売新聞の取材があり、5段抜き、6段抜きで取り上げられました。
2月は、MBS毎日放送テレビから取材があり放送当日の8日に、神戸でガス爆発があり放送がずれました。22日には「MBSナウ」の生放送もありました。
18日には会員登録が100人を超えた記念の日です。
22日には駒木地を初出荷。会員のため当初50組を用意した一部です。
木地は薩摩つげ。駒形にするための機械は自作したものです。
作業は日昔さんに手伝ってもらい、木地と同時に彫り台も自作して、これは最初、辻本さんと辻さんの二人が手伝ってくれましたが、木型職人の佐藤さんに注して作ってもらうことになりました。

この時点での最年少は、小学6年の福木淳朗さん。当時は11歳、最年長は91歳の方でした。
まだ女性会員の入会はありません。

数は記録していませんが、当初準備した50組以後は製作がおっつかず、2組以上の注文者にはのがあった方には、とりあえず1組だけ先に送って、残りは2ヶ月程度待っていただきました。

この時期、一番時間をとられたのが会員に頒布する木地作りでした。
半ドンの土曜日の午後と日曜日。寒い時期でしたが野外作業です。風が当たりにくい倉庫と家の間で、裸電球を点けて夜中の12時頃までやりました。寒さには強かったのですね。今は到底できません。

木地の成型研磨の用具や方法を解説した「技術講座2」。読売新聞と京都新聞の大きな記事。「QアンドA」、駒の寸法を論じた「研究発表」、そして関西・関東・中部、各地域での駒づくり講習会予告も載せています。これは日曜日1日だけの集中講座。その参加希望者を募る内容です。

最後のページは、頒布する木地や用具の一覧表と編集後記。
木地はABCの3種類。Aは練習用のシャムツゲ。Bは堅くて彫り応えのある薩摩つげ。Cは柾目ぞろい。値段は4千円、9千6百円、1万5千円。
頒布品の駒箱は、イチイ材の特製品。小生が設計し、飛騨高山で製作したものです。




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32年前のこと

2009-01-02 11:14:19 | 文章
1月2日(木)、雲多し、だが1点の日差し。

今日は世間並みに、仕事はお休みです。
代わりに、小生が34歳で「駒づくりを楽しむ会」を立ち上げたときのことを、会報の合本を見ながら述べることにします。

写真は、会報の創刊号。左は表紙。内容は手書きで8ページ、右はその一部です。
表紙の玉将は「無双」からピックアップしてデザインしました。

1ページは「駒づくりを楽しむ会」の発足に当たっての方針や活動について呼びかけています。日付は32年前、昭和52年元旦です。

小生の駒づくりは49年に始めました。独学です。初作は盛り上げ駒。文字は「水無瀬」辺りを参考にしての小生オリジナルです。
それを南口繁一先生の計らいで、中原誠名人と加藤一二三九段の記念対局(京都新聞70周年記念?)で使用され、「無双」という銘を頂きました。
これが以後、現在まで駒づくりを続けているきっかけにもなっています。

この年は、雲の上の大山十五世名人との出会いもありました。京都代表の花園稔さんがアマ名人を獲得し、大山十五世名人との記念対局があって、そのときも小生何作目かの駒を使っていただいたことで、知己を得ました。
それからと言うもの、大山名人が大阪に来られると、弟の勇さんの事務所(大山データーサービス)に行き、お会いするのが楽しみでした。

当時、アマチュアが駒を作るのは大変珍しことでした。
今から思うと、おそらく全国に5人くらい居られたようですが、本格的な駒を目指している人は一人か二人程度でした。

一方、名人といわれた宮松影水さんは既に亡く、残る高級駒づくりでは木村文俊さんと、金井静山さんは70歳を過ぎての高齢者でした。後は、新潟の竹風さんのところぐらい。天童では、旧態依然として安い量産品が幅を利かしていて、高級駒というイメージはありませんでした。
「このままだと、高級駒の作り手が居なくなる」そんな思いがありました。

そんな時、近代将棋の永井社長から「駒づくりについて書きませんか」という呼びかけを貰いました。
声をかけていただいたのは光栄。やれそうなものはやる。そんな思いで「少し考えさせてください」と、返事をしたように思います。

近代将棋誌に駒づくりの話を書くだけでなく、「この指止まれと」駒づくりの実践を皆に呼びかけようと思いつきました。
これからは、食ううに困らないアマチュアの駒づくりに限る。アマチュアなら、じっくり時間をかけても困らない。いいものが作れるだろう。その中から一人でも二人でもとびっきりいい駒が作れる人が生まれるだろう。そういう思いでした。

当時、駒づくりは秘密とされていました。秘密の理由は、駒づくりはそう難しくは無いと言うことの裏返しなのです。やる気と根気さえあれば誰にでも簡単に作れるからです。
ですから、天童では昔から、木地作りは木地づくりだけ、彫る人は彫るのみ。書くひとは書くのみ、と決まっていました。それを一貫してやらせるとなると、独立する者が出て、親方がオマンマの食い上げになるからです。

「この指止まれ」と、アマチュアの駒づくりを募り奨励することは、駒づくりのノウハウがオープンになり、天童のその人たちにも大きな影響があるはず。そして、小生にとっても「自分のライバルを育てる」ことになるのです。
そんな思いもありましたが、将棋界にとって、益の方が大きいとの思いが強かったわけです。

「この指止まれ」を呼びかける前にしておかなければならないこともあります。
それを含め、サラリーマンの小生がやり通せるかどうか、じっくり考えました。

集まった人が、駒づくりが出来る環境を準備する。
具体的にはテキストを作り、駒形になったツゲ木地も提供する。みんなが使う木地は、当方が自作して用意すると言うことです。

道具の頒布。会報をどうするか。会の名前をどうするか。などなど、詰めるところは詰めてから、okの返事をしました。
その結果、昭和52年2月号の近代将棋誌に「駒の話」と「駒づくりを楽しむ会」への呼びかけが載り、この創刊号が出来上がりました。

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昭和八十四年元旦

2009-01-01 01:01:01 | 文章
あけましておめでとうございます。
当地は小雪がちらちらしています。寒いです。

皆様のところはどうですか。
今年もよろしくお願いします。

元旦の加茂町マンション13階からの眺めですが、いつもと変わりはありません。
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駒の写真集

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