熊澤良尊の将棋駒三昧

只今、生涯2冊目の本「駒と歩む」。只今、配本中。
駒に関心ある方、コメントでどうぞ。

目次

作品 文章 写真 販売品

静岡での展示品

2012-05-03 05:09:23 | 文章
5月3日(水)、曇り。

雨がちな曇天が続きます。
昨日と一昨日の2日がかりでの原稿作成。
展示品は8つ。
展観者へのキャプション原案。
学芸員の方へは「余分なところはカットしていただいて良いですよ」と。

ブログにはそれぞれの品物のタイトルは敢えて伏せてアップします。
どんな品か、タイトルを当ててください。
このほかに「大局将棋駒と盤」も展示される予定とのことです。

1、文字は第1期名入位を獲得した木村義雄名人の筆跡。
  作者は実弟の木村文俊師。材は御蔵島産黄楊(つげ)。
  この駒は盤とともに、十三世名人間根金次郎から実力制
  名人戦実現に大きく役割を担った東京日々新聞社学芸部
  長・阿部真之助氏(戦後はNHK会長)に贈られたもの。
  後に平成7年、駒と盤は第52期名人戦(米長名人一羽生
  棋王)第6局で実力名人戦ゆかりの品として使用された。
  なお今日の高級駒とされる漆盛上駒は文字を彫ったとこ
  ろを漆で埋め戻し、その上を「塗り絵的手法」で漆を盛
  上げて、昔の能筆家が書いた如くに仕上げてある。これ
  は明治の職人技で作り出された手法で、現今のタイトル
  戦には専ら盛上駒が用いられる。   

2、江戸時代初期に始まった将棋所。その頂点である名人は
  三百数十年の間、世襲として引き継がれてきた。しかし
  時代に合わず、昭和10年、関根金次郎名人は実力で名
  人を決める制度改革を断行。これが名人戦である。
  第1期名人戦は土居・大崎・金・木見・花田・木村・金
  子の7人の八段で戦われて木村義雄八段が優勝。第1期
  実力制名人となった。
  展示品はその棋譜と観戦記であり、冒頭一頁目には当時
  の経緯が綴られている。
  第一輯には金子ー花田戦、木見ー金戦、大崎ー木村戦、
  土居ー金子戦、金ー花田戦の5局を収録。観戦記は樋口
  金信・倉島竹二郎・南部修太郎各氏の執筆。
             
3、天正18(1590)年から慶長7(1602)年に至る水無瀬家
  での737組に及ぶ駒作りの記録。
  原本は大阪府島本町の水無瀬神宮に残されている。
  展示品はそのイメージを再現したレプリカ。
  駒の譲り渡し先は、後陽成天皇・足利義昭・関白秀次・
  徳川家康・豊臣秀頼のほか多くの公卿や歴史上の名だた
  る武将など。当時の将棋と駒の文化や歴史を知るうえで
  の貴重な史料である。
  特に徳川家康公は、関ケ原の戦い前後に合計53組もの
  水無瀬駒を入手しているところが興味深い。
  なお、当時は漆の書き駒で、材は黄楊のほか、稀に白檀
  ・桑・楠・象牙でも作られた。     

4、将棋(象戯)の由来と、大々将棋などの古将棋6種類の
  駒立(配置)図が記されている。
  原本は水無瀬神宮に遺され、ほぼ同一のものが「将棊簒
  図」の名で東京都図書館に遺る。
  奥付きには天正19(1591)年、水無瀬兼成の署名があり、
  これより約150年前の嘉吉3年に書かれた曼殊院宮が
  所持する古い写本を写したとある。
  最尾には「この巻子ともに大将棋・大々将棋・摩詞大々
  将棋・中将棋など七面(組)の駒を関白秀次に献上」し
  たとあり「将棊馬日記」の記述と一致する。
  なお、江戸時代の「将棋六種之図式」はこれが原本。
  展示品は、書家・増市東陽氏の筆写。
                    
5、十七世名人有資格・谷川浩司九段36歳の筆跡駒。
  材は御蔵島黄楊。
  そもそも「谷川浩司書の駒」は、平成8年に王将位タイト
  ルを失って無冠となった時、自分の将棋を取り戻そうと、
  日頃の研究用に自分の字で作った駒を使うことを思い立つ
  て生まれたエピソード(自著「復活」)がある。
  その後、同一書体の姉妹駒として数組が追加製作。それら
  全ては九段の意によるものに限られている。
  展示品は、九段と親交ある大阪商業大学・谷岡一郎学長の
  為に作られた一組。      

6、双玉(2枚ともが玉将)の駒。作者は不明。
  紫檀の駒は比較的珍しい。文字は朱漆書き。
  「双玉」「漆で書いた駒」は、江戸時代以前の手法であり
  古い駒の特徴である。
  玉将尻に記された銘には「兼成卿写・八十二才」とあり、
  文字の形からも水無瀬駒を手本にしたものと分かる。
  展示品は長年の使用により、玉将や金将など僅かな駒以外
  は文字が消えたり消えかかったりしている。
  消えたりしている文字の上を、後世の所有者か誰かが稚拙
  ながら書き足して使っていた形跡が残る。
                    
7、展示品は水無瀬神宮に残されている400年前の水無瀬駒
  を原本としてサイズや文字のみならず当時の駒づくりの技
  法により漆と漆筆で書いて再現した書き駒。
  江戸時代、将軍の面前で行われたお城将棋にはこのような
  水無瀬駒が使用された。
  双玉。素材は薩摩黄楊。
  駒尻は13ミリと暑い。現在の駒と比べて重厚。
  当時は指先でそっと押すようにして動かすところから、
  将棋は「指す」と言われるようになった。
  なお原本の水無瀬駒は、平成22年に大阪府島本町の歴史
  的文化財第1号に指定されている。
                       
8、昭和11年2月、実力制名人戦の首尾よい進行に関根名人
  は謝意を込めて、逸品の「榧製将棋盤」と記念の駒など一
  式を東京日々新聞社学芸部長・阿部真之助氏に贈った。
  阿部は実力制名人を強力に進言しバックアップした一人。
  盤は管理上の制約から非展示。盤の厚みは5寸2分。現今
  の分厚なものに比べると薄いが、密で真っ直ぐ通る柾目は
  超微細800本以上。盤は実力名人戦誕生ゆかりの品とし
  て第52期名人戦(米長名人ー羽生棋王)第6局、第64期
  名人戦(森内名人ー谷川九段)第6局で使用された。
  展示品には関根名人の墨跡で「 贈 阿部真之肋殿 昭和
  十一年二月吉日 十三世名人関根金次郎(印)」。
                         以上

余談ながら、阿部氏は戦前戦後の論客として名高く、後にNHK会長を務められている。

                     
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