オメガねこ

知識は人をバカにする。
智識はバカを人にする。
信じるか信じないかは、自分次第です。

「知識」 と 「智識」

2022年02月24日 | 雑感
 見聞きした表面上の事象を覚えても「知識」にしかなりませんが、その曰(いわく:深い理由)を知ると「智識」になります。また、「知識」はプロパガンダに弱く統治者に利用されますが、「智識」は為政者を利用する事が可能になります。

 民主制度の国家は主権が国民に在るので、国民に「智識」が無ければ為政者は「知識人」を利用して国民を統治します。この時の「知識人」はその無智を隠す為に「有識者」と呼ばれます。「有識者」は意識の有る人なので、寝てる人や死人以外なら誰でも良く、それなりの権威があれば更に効果的です。

 テレビでは噺家や芸能人が、「知識」もあり活舌が良いので多用されていますが、「智識」のある人は余り見受けません。「智識人」は物事の深層を良く知っていて、考えながら話す為に尺が長くなり放送にはあまり向いていないようです。勿論、芸能人とは違い、「智識人」は局の用意した原稿をそのまま読まない事も、出演依頼がが少ない原因かもしれません。

 「出演」とは、テレビなどに「出て演じる」事なのでそれなりの才能と「知識」が必要なので芸能人が向いています。「智識人」は専門家としての役割を担い解説をするのですが、それは専門分野で統一された「定説」や「仮説・通説」であり、自分の意見ではありません。定説と違う自分の意見を言う場合は、その旨を予め通告する必要が有ります。

 ワイドショーなどで芸能人が原稿以外の意見を言っても、それは演技なので問題は無いのですが、紛らわしい番組も多く、例えばワイドショーの放送中にストレートニュースを流し、その直後に芸能人がコメントとして意見を述べる場合です。

 個人の経験談や自分の意見は、定説とは違う場合が多く「特殊な例」なのですが、話術により一般化されプロパガンダとして利用されます。特に「Nアッチ系」では、芸能人が「特殊な意見」の書かれた台本をそのまま流暢に話すので、多くの視聴者が騙されます。

 「知識」を多く得るには「智識」は邪魔になります。物事を系統だてて科学的に知る事で「智識」を得る為、論理的に間違いである事象は排除され「知識」としても記憶されません。間違いである事として記憶しても良いのですが、その多くは余りにも稚拙なウソの為、忘れてしまいます。

 例えば、「軍による慰安婦の強制連行」などは、当時の常識を知っている人は有り得ない事が分っているので、ウソ話としてしか記憶していないのですが、「知識」を詰め込むことが得意な有識者は薄っぺらな「知識」を得意げに吹聴したり出版までします。そして、矛盾点を指摘されると「自虐史観」で誤魔化します。

 受験や入社試験でも「知識」が優先されます。「智識」は解答が複雑になる為に時間内に答える事が難しくなり、自然淘汰されます。公務員試験はその典型で、現在の行政の混乱ぶりを見ても分かります。

 聞く力のある為政者は「知識」を詰め込み過ぎて合理的な解を得ることが出来ずに、朝令暮改が繰り返されます。

 これらは「詰め込み教育」の弊害なので、これを是正しようと「ゆとり教育」を始めたのですが、肝心の教師が「詰め込み教育」で育ったために「知識」しか無く、応用が利かずに破綻していまいました。

 若しも教師に「智慧」が有れば、例えば「円周率は3.141592・・・、と無限に続くが、文系の入学試験や日常生活では3.0でも問題ない」と、両方を教えれば、外野からのヤジには対処できたと思います。




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