オメガねこ

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「石橋ゲル」 と 「石破茂」

2024年12月02日 | 政治
 なんでも、その昔パソコンで「isibasigeru」を日本語変換すると「石橋ゲル」と誤変換されたそうですww 誤変換で首相になったかどうかは分かりませんが、「ゲル」はコンニャク状の「半固体(膠化体)」で流動性のないコロイドです。気体や液体など流動性があるコロイドは「ゾル」と言います。

 「石破首相」は時々良いことも言うようですが、それは「石橋ゲル」に変身したからかもしれませんww

 石橋湛山は、第55代内閣総理大臣で、在任期間は65日だそうです。政治家になる前は「平和的な加工貿易立国論を唱えて台湾・朝鮮・満州の放棄を主張するなど(小日本主義)、リベラルな言論人として知られる。」らしいです。

 一般に「放棄」とは、「権利の放棄」のように、自分の物を法的に手放すことを言いますが、当時(戦前)のアジアは(日本を除く)すべての地域が白人の植民地で、「大東亜共栄圏」構想によってアジアの白人支配を終わらせることが正義とされていた時代です。

 つまり、「大東亜共栄圏」は日本の権利ではなく「日本人の義務」だったと云う事です。そのため、石橋の言う「放棄」とは「義務の放棄」を意味し、当時の日本人には受け入れ難い考えと言えます。義務にせよ権利にせよ、当然ながら「放棄」すると、白人に持っていかれます。

 戦後に政界入りした石橋は、事あるごとにGHQと対立し「公職追放(1947~1951年)」され、政界復帰後もアメリカの日本援助に支障をきたす「中共・ソ連との国交回復」を主張し、「親中派と親米派」の対立抗争の中、1956年には内閣総理大臣に指名されました。

 首相に就任して1ヶ月後に風邪をひき、肺炎と脳梗塞で倒れ?、翌月退陣表明をしましたが、政治活動ができるまで回復したようです。その後「日中米ソ平和同盟」を主張し、周恩来首相もこれに同意し「中共」が国連代表権を得る足掛かりを得たとされています。

 なんでも、石破茂の誕生日は1957年2月4日で、石橋内閣の時代だそうです。

・石橋内閣:65日間
1956/12/23~1957/2/25

・第一次石破内閣:42日間
2024/10/1~2024/11/11

・第二次石破内閣:?日間
2024/11/11~

 「ゲル2.0」の在任65日目は来年の1月15日ですが、流動性の無い「ゲル」だけに、これは超えそうですww

 「石破」の名の如く、決まり事を破るのが得意で、味方に向けて「後ろから矢を放つ」と揶揄されていたような気もしますが、(首相になる前の)発言は極めて常識的(正しいとは限らない)です。

 「常識」とは、人口に膾炙された事象を言い、ポピュリズム選挙に強いのは当然です。つまり、「流行りごとに従う」ことになり、マスメディアとSNSの勝敗の行方次第でこれからの政策が決まりそうです。

 今のところトランプには無視されていますが、近寄ってきた他の首脳とは座って握手が出来る存在であり、片手を出す習近平とは両手で握手をする仲なので、「親中派」にとっては期待できる首相だと思います。

 但し私は、期待ではなく、気体の「石破ゾル」となって霧散してもらいたいと思っていますww