いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

佳県2・香炉寺

2011年10月02日 18時00分24秒 | 陕西省西安・佳県などへの旅
城の東外に香炉寺があるというので、連れて行ってもらった。眼下には、黄河が広がる。







    

崖に張り付いた民家の間を走る小道を降りていく。




まさにつづら折り。




崖の途中にも民家が。




わわわー。霧の中に黄河にかかった橋を発見! かなり興奮。。。







佳県の旧城には、合わせて8ヶ所の城門が開いていたという。

東側には、「前炭門」と「後炭門」。

西から来るには、厚く覆い重なった山脈の遥かかなたにあり、東には黄河が道をふさぐ佳県。
炊事と暖房に欠かせない石炭を運び入れるのに、どちらのほうがましだったかといえば、
黄河側から引き上げるほうが労力が少なくて済んだ。

このため石炭は陸地からではなく、河からやってくる。
それを運び入れる城門がこの二つの門である。

逆に水は、「黄河」の名のとおり黄土で濁った黄河の水よりは、支流の佳芦河の水のほうがまし。
そこで城の西側に「前水門」と「後水門」を設けた。

香炉寺の参拝のためには「香炉寺門」。
このほかにも伝統的な風水のルールに則った正門である東、西、北の三門を合わせ、合計8門。


その中で最も保存状態がよいのが、これから向かう「香炉寺門」だそうな。


これ。道といえるんしょうか。すんごい勾配なんすけど。。滑り落ちそう。。

   




再び、民家丸見え。





   

先を歩く知り合いの二人。


   

降りて来た階段を振り返る。


   

貼りつき民家。段差が激しいので、階段が頻繁に。

   
ふえー。どこをもぐっていくの。


   

あいや。これが香炉寺門でしたか。

 
   

石畳は風情がある。。。


香炉寺の創建は、明の万暦11年(1583)。

最大の特徴は、細く高い岩を陸地と橋でつなげた絶壁の上のお堂である。
その岩が脚の高い香炉のようなので、「香炉寺」という。

ネタばれになってしまうが、まずはその形状を見ないとわかりにくいので、
ネットからよく撮れている写真を転載。

以下のとおり。



黄河をバックにした幻想的なこの風景が「佳県八景」の一つ、「香炉晩照」。
「八景」のそのほかの7つは、
「白雲Chen(日の下に辰)鐘」、「雁塔凌去」、「飛来踏雪」、「南河春柳」、「横嶺秋月」、「鹿洞尋幽」、「滴水観魚」。


ううーん。「白雲」は、後述する大規模な道観の白雲観、「塔」は城内にある凌雲鼎なる明代の古塔。

確かに香炉寺と合わせ、この3つは佳県にしかない名跡だが、残りの5つはすべて自然の風景。
言ってみれば、どこの田舎に行っても転がっているようなもの。

こじつけに過ぎないか。。。
とも思うが、そもそもなんちゃら八景というのは、日本でもそうだが、
名勝地か、人の往来の激しいところであることが多い。

わが故郷・滋賀県の「近江八景」などは、あきらかに
東海道の宿場町だったために商業戦略的に売り出されたもの。

佳県も黄河の渡し口の宿場町という顔もあったことが、この「八景」により裏付けられる。




城門を出ると、香炉寺の手前に広がるのは、大きな広場。野外舞台が立つ。
縁日などで地元の伝統劇でも上演するのだろう。

コンクリートの新しさから見て、最近整備されたっぽい。




後ろを振り返ると、さっき通ってきた城壁の「香炉寺門」と城壁の勇壮なる姿が見える。

うおー。やっぱ、かっちょえええー。

カーブを帯びたムードがどちらかというと、ヨーロッパの城砦に近い。
中国の城は、普通は伝統的な風水のルールに則り、曲線なしの直線と直角のフォルムが中心。
戦略的に山の地形をそのまま利用するのが、最も敵を寄せ付けない山城ならではの風情。



灰色のレンガと土色のレンガがまだらになっているのは、灰色レンガがあとからの修復なのだろう。
城壁のレンガは、今では城付近の庶民の家であちこちで活躍する。家を新築する際に北側の壁となり、

トイレ、ブタ小屋、トリ小屋、犬小屋、とどこでも活用されている。
修復した部分を灰色レンガにしたのは、元のレンガに似せたものを使うには予算が高すぎたのだろうか。
でも私は、この古今の違いがコントラストとして認識できる、こういう形は嫌いではない。







向こうの方は、ほとんど灰色レンガだから、新たに建てた部分。後で連れて行ってもらうことになるが、
香炉寺の全貌を見れる展望台になっている。冒頭の幻想的なる写真もそこで撮ったものだろう。

つまりは観光整備としては、マストなアイテム。思い入れのある要素なのだ。


ふおー!! 黄河が近い!! 大興奮!




下を見ると、すんごい断崖絶壁。勾配が半端じゃない。









抗日戦争の際、対岸である山西省まで来ていた日本軍が、ここから黄河を渡り、陝西に入ろうとした。
佳県の城砦を落とすため、断崖の下から砲弾を浴びせかけたが、城壁に浅い穴をぽこりと開けただけで、ぴくりともしなかった。

城壁は硬い岩壁と一体化しているため、少々の砲弾を浴びせてもまったく微動だにしない。

黄河側からの攻撃をあきらめた日本軍は、西側から攻撃しようとしたが、西側は複雑な山脈で守られており、
近づくこともできない。

そこで峰を一つ越えた向こう側から砲弾を飛ばして攻撃したが、見えない場所に照準を合わせることが
できるはずはなく、城砦に決定的な打撃を与えることができず、あきらめたという。

・・・・こうして日本軍の陝西進出の野望が砕かれた。


まさに「鉄Jia州」の呼び名にふさわしい。







新しく修繕した城壁の上に展望台のあずま屋が見える。







はるか向こうには、佳臨黄河大橋が見える。対岸は山西省臨県。その先に省都・太原がある。


香炉寺の入り口



ここにもあざやかな文字飾りが。やはり白雲観の道士に書いてもらったものだろうか。

「寺」といえば、仏教ではないか、道教の道士に書いてもらったものなどいいのか、と思うが、
儒教、仏教、道教の融合化、一体化は宋代から進んでおり、あまり厳密に分けて用語も使っていないらしい。

日本も明治の仏教と神道の分離までは、かなり曖昧だったのだから、同じようなものだろう。




みごとな絞り染めー。こういう原色は、どこまで見渡しても土色一色の大地、特に冬には、はっと目を引きますなー。
風土によく合っていると思う。

    

竜王廟。



竜は水との関わりが深い。黄河のほとりに立つ祠(ほこら)としては、治水の神様・竜王の廟があるのも納得。



資料を調べていると、かの中国映画の第五世代監督のグループを有名にした映画『黄色い大地』の撮影は、
この辺りの黄土高原で行われ、彼らが揃ってここでおみくじを引いたという。


文革終了後、初めて復活した大学入試で入学した北京電影学院・監督科の卒業生から逸材が
ぞろぞろと生まれたことはよく知られる。


『黄色い大地』は、監督・陳凱歌、カメラマン・張芸某、美術担当・何群、音楽・趙季平の4人が参加して撮った。

香炉寺で引いたおみくじの結果は、4人ともが「大吉」。
(・・・・・おみくじのほとんどが「大吉」だった疑いもあるけど。。。。。)

その霊験からか、1984年の「金鶏賞」は4人が総なめにしたという。
中国国内の映画賞で最も権威のある賞である。

今ではそれぞれに中国映画界の押しも押されぬ大御所になっている4人。
無名の頃のそんなエピソードは、感慨深い。




向かいは影壁でバランスを整える。




その隣の院はどうやら事務所か。人影なし。


佳県の城壁が如何に難攻不落かをあらわすエピソードは、前述の日本軍による攻略失敗のほかにもある。

ごく数十年前の文革のことである。革命派の一派が県城を占領し、別の革命派がこれを攻め落とそうとした。

攻める側は、楡林地区(佳県も楡林地区の県の一つ)の13の革命派の連合体を作り、攻め落とそうとしたが、
所謂「銃、弾薬」などの近代的な武器を駆使してもまったく歯が立たなかったという。

文革ではまさか大砲までぶっ放すことはしなかっただろうから、大砲さえかすり傷しか負わせられないものを
落とせなかったことも充分に納得がいく。




真ん中の事務所らしい空間。


  

門構えに風情ありー。


  

どうやら娘娘廟の場所、そして絶壁の観音廟へ続く院へ


  

院の中央には、石の牌坊あり。



どうやらこちらが娘娘廟ですな。

「娘娘」は母のこと、子作り祈願、疱瘡治癒祈願などの成人女性に深くかかわりのあることを祈る。
現地の女性たちの信仰の対象といったところ。
仏教というよりは、道教の神様である。ここは「寺」と名前はついているが、
やはり民間信仰の濃厚な道教寄りの存在だ。


西側の建物は、「寄Ao亭」。



絶壁へと続く門構え。




毛沢東、周恩来らの共産党指導者がかつて、ここ佳県に3ヶ月ほど滞在している。
滞在場所は城内ではなく、佳県下の各農村である。

1947年、国民党は共産党の拠点であった延安を本格的に攻撃し、共産党はすべての部隊を延安から撤退した。

軍隊だけでなく、学校、病院、劇団などのあらゆる施設を抱えた延安陣営が一緒に移動したわけではなく、
いくつもの集団に分かれ、ルートを分けて移動したのだが、毛沢東、周恩来らの首脳集団は、佳県で105日を過ごした。


この間に国民党の胡宗南の部隊との重要な戦役・沙家店の戦いに勝利し、佳県の滞在期間中には、
『中国人民解放軍宣言』、『中国土地法大綱』等の数々の重要な文書を発表している。

佳県での滞在期間中に香炉寺も訪れた。

眼下の黄河の雄姿を目の当たりにした毛沢東は、「昔から黄河は百害あって一利なしといわれてきたが、
この言い方は変えねばならない。抗日戦争中、黄河は日本の帝国主義を我々の代わりに阻止してくれたではないか。

この点だけでもその罪を贖うに値する。
「将来、全国を解放したら、黄河に橋をかけ、交通を発達させ、
黄河の水で畑に水をやり、発電を起こし、人民に幸せを作り出さねばならない。」
と、建国の事業に思いをはせたという。




1mほどの幅の橋で結ばれる。


    


その前にもう一度、前方の院を撮影。




石の牌坊の正面。




東側の建物も祠(ほこら)になっている。




    


黄河にわたる橋をバックに。




    
   

足すくむ祠(ほこら)をあとにし、境内に戻る。




おお。城門は、やはり外から見たほうが迫力がある。一見、中世ヨーロッパの城かと錯覚する。
修復・整備した時にもそれを意識してか、街頭がちょっと中国らしくない。。




   


   

   



さて。やってきたのは、向かい側にある展望台。ここから香炉寺の姿が最もよい姿で一望できる。

こうしてみると、あらためてその奇景を認識。




   


この類を見ない奇景が映画・ドラマに利用されないはずはなく、数々の作品のロケ地に使われている。
チャンツイー主演『臥虎蔵龍(グリーン・デスティニー)』のラスト・シーン。

若い恋人同士が武当山の絶壁から飛ぶシーンがあるが、実はあれはここで撮ったという。
設定にある武当山は、今回の高速鉄道事故で有名になった浙江省・温州に近い沿海部だが、実は陝北のような奥地で撮られたのですな。


   

展望台へと続く道。きれいに整備されている。








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2 コメント

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Unknown (GanganGansoku)
2011-09-23 03:38:34
見ていて、石畳はいいなぁ・・って
思っていたら、いーちんたんさんの石畳のコメントがありました:)

この日は霧が深かったんですね。
なんか天空の白ラピュタみたいです。
返信する
gangangansokuさんへ (いーちんたん)
2011-09-23 11:06:49
冬場だったので、やや曇っていました。
冬の黄土高原というのは、石炭の汚染もあるでしょうし、
だいたいはこんな感じなんですな。
返信する

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