パンダとそらまめ

ヴァイオリン弾きのパンダと環境系法律屋さんのそらまめによる不思議なコラボブログです。
(「初めに」をご一読ください)

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イスラム法シンポジウム

2007-01-27 23:03:59 | ロースクール
 昨日の話ですが大学でイスラム法のシンポジウムをやるというので参加してきました("Interpreting Islam for the Western World")(長文注意)。コーラン(聖クルアーン)に由来するシャリーアと呼ばれる法体系がある・・・ぐらいしか予備知識がなくって、世俗的な制定法との関係ってどうなってるんだろう(・ ・?)というのが前々から疑問だったんです。(究極的な関心はそれらと環境法の関係なんですけど・・・) んで参加したからそれが分かったか?というとそんなことはありませんでした。当たり前だ、ある程度知識がある人が議論するんですからね

 シャリーアってなんじゃいっていう前に、そもそも宗教から法が出てくることへの違和感が日本人としてはあると思うんですよ。全体として宗教に熱心というわけでもなく、その上仏教も神道も、総じてそもそもが戒律でガンジガラメっていう性格ではないハズですからねぇ。やや馴染みあるキリスト教も内面(愛)を重んじます。ところで聖書でイエスがユダヤ教のパリサイ派から迫害されてたりしますけど、何でかと言うとユダヤ教ではトーラー(律法)の遵守を重視するかららしい。なぜってそれが神の意思だからで、例えば厳しい食事制限はそういう決まりごとの一つ:肉は蹄のある動物限定(豚はダメ)、魚は鱗のあるもの限定。(注:といってもトーラーの意味するところを巡っていろんな解釈があって、例えば出エジプトで海が割れたことを信じるかどうかでも、字義通りの解釈(ファンダメンタリズム)から、時代背景・現代の要請・科学を含めたもうちょっと幅のある解釈(リベラリズム)まで様々で、出発点の違いほど大きな違いかどうかは疑問。)
 イスラム教は戒律重視という意味ではユダヤ教に近いそう。豚肉の食事制限や毎日5回の礼拝が有名ですね。んでコーランやその注釈(スンナなど)から出てきたそういう諸々の決まりごとがシャリーアだと。巨大な慣習法体系ってわけですね。これと近代的な制定法との関係はマチマチで、トルコみたいに政教分離憲法を持ってシャリーアを完全廃止するところもあれば、中東では世俗裁判所に加えてシャリーア裁判所を設けているそう。
 西欧的な目からみてシャリーアが人権を軽視しているとよく批判されます。とりわけ男女平等でないこと(重婚の許容姦通に対する死刑)、刑罰が残酷であることなど。 Cf.ヨーロッパ裁判所の判決 シャリーアは欧州条約と相容れない

 シンポジウムで何を話していたかというと、立場が違う人が話すものですが、
○Prof. Mark D. Welton
 (シャリーア)法の内容ではなく、むしろプロセスを重視するべき、すなわちRule of Lawの確立が重要。イスラムの伝統と、非宗教的なRule of Lawは矛盾しない。スルタンやシャーの伝統がある。むしろ、19世紀の植民地化において宗教的権威が否定されたため、世俗権力の制限がなくなり強大になり過ぎたことが問題。
○Prof. Mohammad H. Fadel
 シャリーアは人権と相容れない。ムスリムの権利が尊重されるべきと同様非ムスリムの権利も尊重されるべきで、国家が文化を強制するのは立憲主義に反する。
○Prof. Bernard Freamon
 伝統的なコーラン解釈にアクセスしにくい。アラビア語が読めないムスリムや、中東でさえも世俗的な関心の方が高まっている。従って、(極端な主張に対抗するには)伝統的なコーラン解釈を活性化させて、コーラン解釈の学術的な研究を活発にしなければならない。両派交えた研究プロジェクトや学会が必要。
○Prof. Seval Yildirim
 米国で特に9/11以降イスラム教に対する誤解が拡大。テロリズムとイスラム教は関係ない。テロリストでないムスリムをModerate Muslimなどと区別するがそもそもMuslimが危険という発想の裏返し。どういう狙いがあるのかよく見なければいけない。

などなど。後半2人はムスリムの方。Military Academyの教授(Prof. Welton)の講演もあったので制服姿の方も聴衆にチラホラ。
 最後のプレゼンターは感情的で閉口しましたけど、テロリストをキング牧師のように扱うのかと感情的に反発している聴衆にはもっと閉口した。「自爆テロはどういうコーラン解釈になじむのか」という質問があって、「どう解釈してもなじまない」というやりとりもあったけど、神風攻撃だって宗教云々よりも軍事的理由だったんだしぃと思ってみたりで、宗教対立に見えるものは実は権力というか世俗的な対立なのねと思えた。逆にムスリムの方にもイスラム文化がなかなか理解されないことへの忍耐が足りないのではと思ってみたり(異文化が交わるとはそういうことでは?日本だって一世紀以上誤解に苦しんでるわけですから)。

 ついでに言うと、いわゆるイスラム原理主義の勃興も雰囲気は何となく理解できたというか、近代化の過程でシャリーアを壊し去ったことへの反作用が根底にあるようですねぇ(わが国のかつての押し付け憲法論みたい)。だからってテロリズムは全くもって正当化できませんが、表面だけを見て「危険な宗教の拡大」と受け取るのは間違ってる気がする。シャリーアはどうやら巨大な慣習法体系で、その意味ではEnglish Common Lawと一緒じゃないのかなぁと初めて触れた第三者(私)には思えるのですが、それを思いっきり否定されるとどんな気がするか。例えばコモン・ローのRule Against Perpetuitiesが封建制を示唆していてHuman Rightsに反してると言われたら英米人はどういう反応を示すんでしょうかねぇ(笑) 
 結局のところ宗教・文化の違いというよりは、Rule of Lawというか立憲主義というかガバナンスがしっかりしているかどうかの方がHuman Rightsの観点(だけじゃなくてDevelopmentや健康ネタもですけど)からは重要なんじゃないんでしょうか。近代立憲主義の発明は公的な決まりと私的空間の分離だったわけで、シャリーアがそれに相容れるかどうかとかいうのは理論的には興味深いんですが、とってもoff the groundなことは否めず、むしろ民主的にその受容を決める体制の方が重要なんじゃないかと。ただRule of Lawを確立しろ、とかいう外圧は効き目があるはずもなく、昨秋国連総会(の下の法制委員会)でRule of Lawの決議に至る議論を聞いてても隔靴掻痒の感が否めないものでした。結局のところMagic Formulaがないというuneasyな結論に戻るんでしょうかね

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