
( この写真は、東京都豊島区椎名町駅近くの商店街です。「第6章」の主要な
登場人物たちが暮らした町です。そして、この道の先に当時(88年)私の暮
らした千早町があります。ちなみに、この写真に写っている中央に「 帝銀 」
がありました。( 参考:『帝銀事件』 )
【 はじめての方は、どうぞ 「漫画家アシスタント 第1章 その1(縮小版)」 よりご覧ください。 】
この「 第6章 」は、その内容から・・・いつ掲載が中断するか分かりませ
ん。 もし、そうなったら・・・
「 ああ・・・yesさんのブログは横ヤリが入って潰れたな・・・・ 」
・・・と、スッパリとあきらめていただきたいのです。 冗談の様に思われ
るかもしれませんが本気です。
さて、くどい様ですが・・・これから書いていく話は、お約束通り、人名、地
名、日時などを変更しています。架空の「 物語 」として読んでいただい
て結構です。 そして特に、私の取材に快く協力して下さった先輩アシス
タントのリョウさん( 仮名:内海遼一、故郷の岡山県で療養中、08年現在
53歳 )に心より、御礼申し上げます。 数か月に及ぶ取材にお付き合い
いただき本当にありがとうございました!
「 漫画家アシスタント物語 第6章 その1 」
昭和天皇の体調が悪く、下血がつづいていた1988年。 テレビや新聞、
雑誌などのマスコミが「 Xデー 」についての報道をし、その事が巷の話
題にもなっていました。
Jプロの仕事場では、いつもの様に漫画制作がおこなわれ、この「 天皇
重体 」報道が一人のアシスタントに重大な影響を及ぼす事になろうとは
・・・誰一人として想像さえしませんでした。
このブログで何回か書きましたが、この頃、私の住む東京豊島区千早町
の下宿には、連日漫画家アシスタントやイラストレーターそして幾人かの
旧友が訪ねて来てくれていました。
1988年春、その日はJプロのスタッフが2人来ていました。私( 当時33
歳 )は「 週刊ヤングJ 」で賞取りをしていましたが、その賞も受賞のた
んびに格下げしていく有様で、気分は落ち込み気味でした。( まだ「 蟹
工船 」漫画化の話はありませんでした )
私たちの話題は「 将来どうするのか? 」・・・と、いう事がテーマでした。
『 このまま、モノにならなかったらどうするのか? 』
深刻です・・・・・。
この頃のJプロでは、自分の漫画作品を制作しているのは私と先輩アシ
スタントのリョウさん( 仮名:内海遼一、岡山県出身、この当時33歳 )く
らいでしたが・・・特に私は、まるでパッとしない有様でしたので自然と話
題も暗くなります・・・・。
徹夜で話し込んだ後のよどんだ様な朝だったと思います。 カーテンを
閉め切り朝日を避けて( 深夜族はドラキュラの様に朝日を嫌います )、
コーヒーだけをグビグビやりながら長話をしているわけです。
私が初めてJプロに入った「 23歳 」の時を思い出しながら・・・
「 36歳までに独立出来なかったらあきらめる・・・ 」
・・・と、一人言でも喋る様に言いました。 この「 36歳 」という数字には
意味がありました。 それは、私がJプロに入った時のJ先生の年齢だっ
たのです。
若い頃から・・・漠然と考えていたのです・・・・・
『 今の( 78年当時 )J先生の年齢( 36歳 )までに独立出来ない
様ではオレ( 当時23歳 )の漫画人生に未来はない・・・ 』
と・・・・・・・・・・・・
「 漫画家アシスタント 第6章 その2 」 へつづく・・・
* 参考 *
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
.............. 私(yes)のアシスタント履歴
1974年昭和49年 さがみゆき先生 主に(少女系)怪奇漫画。単行本1冊分、
4,5ヶ月のお手伝いでした。 (19歳)
1976年昭和51年 かわぐちかいじ先生 この当時、氏は今ほど有名ではなか
ったのですが・・・・。背景技術をみっちり仕込まれました。(20歳)
1977年昭和52年 村野守美先生 漫画界一の豪傑と言われ、エピソードには
事欠きません。たった1週間しか、勤まりませんでした。(21歳)
1978年昭和53年 ジョージ秋山先生 当時「浮浪雲」(ビックコミックオリ
ジナルに連載)が、すごい人気で、渡哲也、桃井かおりの
主演でTVドラマ化されていました。(23歳)
‘09年平成21年、現在なお、秋山プロにぶら下り中。 (54歳)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
( より詳しい履歴は 「漫画家アシスタント 第1章 その1」 にあります。 )
【 第4章ご案内 その1 その5 その10 その15 その20 その25 その30
その35 その40 その45 その50 その55 その60 】
【 第5章ご案内 その1 その5 その10 その15 その20 その25 その30
その35 その40 その45 その50 その55 その60 その65 】
【 第6章ご案内 その1 】
登場人物たちが暮らした町です。そして、この道の先に当時(88年)私の暮
らした千早町があります。ちなみに、この写真に写っている中央に「 帝銀 」
がありました。( 参考:『帝銀事件』 )
【 はじめての方は、どうぞ 「漫画家アシスタント 第1章 その1(縮小版)」 よりご覧ください。 】
この「 第6章 」は、その内容から・・・いつ掲載が中断するか分かりませ
ん。 もし、そうなったら・・・
「 ああ・・・yesさんのブログは横ヤリが入って潰れたな・・・・ 」
・・・と、スッパリとあきらめていただきたいのです。 冗談の様に思われ
るかもしれませんが本気です。
さて、くどい様ですが・・・これから書いていく話は、お約束通り、人名、地
名、日時などを変更しています。架空の「 物語 」として読んでいただい
て結構です。 そして特に、私の取材に快く協力して下さった先輩アシス
タントのリョウさん( 仮名:内海遼一、故郷の岡山県で療養中、08年現在
53歳 )に心より、御礼申し上げます。 数か月に及ぶ取材にお付き合い
いただき本当にありがとうございました!
「 漫画家アシスタント物語 第6章 その1 」
昭和天皇の体調が悪く、下血がつづいていた1988年。 テレビや新聞、
雑誌などのマスコミが「 Xデー 」についての報道をし、その事が巷の話
題にもなっていました。
Jプロの仕事場では、いつもの様に漫画制作がおこなわれ、この「 天皇
重体 」報道が一人のアシスタントに重大な影響を及ぼす事になろうとは
・・・誰一人として想像さえしませんでした。
このブログで何回か書きましたが、この頃、私の住む東京豊島区千早町
の下宿には、連日漫画家アシスタントやイラストレーターそして幾人かの
旧友が訪ねて来てくれていました。
1988年春、その日はJプロのスタッフが2人来ていました。私( 当時33
歳 )は「 週刊ヤングJ 」で賞取りをしていましたが、その賞も受賞のた
んびに格下げしていく有様で、気分は落ち込み気味でした。( まだ「 蟹
工船 」漫画化の話はありませんでした )
私たちの話題は「 将来どうするのか? 」・・・と、いう事がテーマでした。
『 このまま、モノにならなかったらどうするのか? 』
深刻です・・・・・。
この頃のJプロでは、自分の漫画作品を制作しているのは私と先輩アシ
スタントのリョウさん( 仮名:内海遼一、岡山県出身、この当時33歳 )く
らいでしたが・・・特に私は、まるでパッとしない有様でしたので自然と話
題も暗くなります・・・・。
徹夜で話し込んだ後のよどんだ様な朝だったと思います。 カーテンを
閉め切り朝日を避けて( 深夜族はドラキュラの様に朝日を嫌います )、
コーヒーだけをグビグビやりながら長話をしているわけです。
私が初めてJプロに入った「 23歳 」の時を思い出しながら・・・
「 36歳までに独立出来なかったらあきらめる・・・ 」
・・・と、一人言でも喋る様に言いました。 この「 36歳 」という数字には
意味がありました。 それは、私がJプロに入った時のJ先生の年齢だっ
たのです。
若い頃から・・・漠然と考えていたのです・・・・・
『 今の( 78年当時 )J先生の年齢( 36歳 )までに独立出来ない
様ではオレ( 当時23歳 )の漫画人生に未来はない・・・ 』
と・・・・・・・・・・・・
「 漫画家アシスタント 第6章 その2 」 へつづく・・・
* 参考 *
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.............. 私(yes)のアシスタント履歴
1974年昭和49年 さがみゆき先生 主に(少女系)怪奇漫画。単行本1冊分、
4,5ヶ月のお手伝いでした。 (19歳)
1976年昭和51年 かわぐちかいじ先生 この当時、氏は今ほど有名ではなか
ったのですが・・・・。背景技術をみっちり仕込まれました。(20歳)
1977年昭和52年 村野守美先生 漫画界一の豪傑と言われ、エピソードには
事欠きません。たった1週間しか、勤まりませんでした。(21歳)
1978年昭和53年 ジョージ秋山先生 当時「浮浪雲」(ビックコミックオリ
ジナルに連載)が、すごい人気で、渡哲也、桃井かおりの
主演でTVドラマ化されていました。(23歳)
‘09年平成21年、現在なお、秋山プロにぶら下り中。 (54歳)
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( より詳しい履歴は 「漫画家アシスタント 第1章 その1」 にあります。 )
【 第4章ご案内 その1 その5 その10 その15 その20 その25 その30
その35 その40 その45 その50 その55 その60 】
【 第5章ご案内 その1 その5 その10 その15 その20 その25 その30
その35 その40 その45 その50 その55 その60 その65 】
【 第6章ご案内 その1 】
アニメご出身なのか素晴らしいラインの絵ですね。
相当な数をこなさないと出せませんね。
動きが重要なので上手いなぁと思ってました。
昭和天皇ご逝去のときはテレビが延々と放映されてて知人のレンタルビデオ屋が多忙だったと言ってましたね。
今は不景気でやはりレンタルが繁盛しているとのこと。
今回にて告知は終了です。
まだ先着でお二人が参加可能です!
漫画家アシスタント物語のファンの方であれば、誰でも遠慮なく下記ブログに参加申し込みしてください!
http://osyokujikai.blog77.fc2.com/
パスワードは下の四桁の数字です。
2008
楽しい年末を、yes小池さんを囲んで過ごしましょう!
振り込め詐欺(今から、私の言うとおりにやってみてくださいという、還付金詐欺もどき)の毒殺現金強盗版のような事件でしたね。
疑り深いはずの銀行員がころりと、だまされる。
帝銀事件のことは、たまたま、2週間前に椎名町まで散歩した時に、地元の人から聞きました。
椎名町には、長崎神社があって、戦没慰霊碑が建っていました。長崎出身の140名が、戦死したと。
長崎の軍人が何でィここに、慰霊碑を?
とおもったら、町の名前が長崎。
yesどんも、36歳で独立できず、60でも独立できなかったら、灰色ねずみがこの神社の片隅に、YES友の会だけが知る小さな慰霊碑を建てます。 と、きわめて失礼なコメントに脱線してしまいました。
もっとも、これは無理くさい。
どう見ても、灰色ねずみの方が先にあの世に行きそうです。
なぜならば、灰色ねずみは・・結構年なのです。
なのに、これから、漫画家をめざしているという、漫画家アシスタントのその下の下積みの階級に属しているのです。
>村野先生のアシスタントもですか。
はい。たった一週間しか続きませんでしたが・・・たいへん濃密な
一週間でした。その一週間の出来事や先輩アシスタントから聞
いた数々の伝説を今でもよく覚えています。
このブログを単行本化する時に、先生に名前の公開を許してい
ただこうとしたら、(100%断られると思ったのに)やさしく
快諾して下さいました。
もう、30年以上お会いしていません。私の中では、今でも超パ
ワフルな豪傑漫画家(画風は清純!)です。
>ふじもんさん、へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「食事会」の告知、お世話になりました!
そろそろ、閉め切りましょうか・・・・・。 いろいろとありがとう
ございました!
>灰色ねずみさん、へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>YES友の会だけが知る小さな慰霊碑を・・・
私の慰霊碑より、手塚先生や赤塚先生など、この椎名町や南長
崎にゆかりの漫画家の慰霊碑の方が良さそうですね・・・。
>漫画家アシスタントのその下の下積みの階級に属している
>のです。
灰色ねずみさんが「その下の下積みの階級」なら、私は漫画家
アシスタントの「上ずみの階級」ですね!
それも、かなり上のほうです。
梅づ先生が62歳で筆を折り、千葉先生も60台半ばで・・。アシさんは解散、リストラ。
J先生の場合は、たまたま、運良く続いている。これは、yesどんの人生において、幸運なことでした。
しかしあと5-7年経ったら、必ずJ先生のXデーが来ることと覚悟しなければならないでしょう。
が中に入ったことはありません。
これから、漫画家をめざしているという(灰色ねずみ)さん頼もしい
ですね、頑張ってください(エール)
村野先生とは昨年の新年会でお会いしました。
もう何年も前からですが車イスでみえています。
>J先生のXデーが・・・
灰色ねずみさん! こうした話が意外と本人に尾ひれがついて
伝わっていくもの・・・・!(恐)
勘弁して下さい! ・・・とは言うものの・・・。 深刻な問題です
ので、真面目に!
「覚悟」という事では、自分の方が先に「Xデー」を迎える事を
「覚悟」するのと同じくらいには「覚悟」しています。アシス
タント各人がその人なりに「覚悟」していると思います。
だからといって、今からすぐ転職先を考えたり、パソコン教室
で国家資格(?)を取ろうとしたり、葬式のあいさつ文を考え
たり、香典の用意をしたりはしませんが。
それにしても、漫画家のアシスタントにとって、先生が売れて
いる事と健康である事が自分の生活の支えになっているのは、
地球が静止しないでいてくれる事が生命維持の支えになってい
るのと同じ事だと思っております。
ありがたや、ありがたや・・・・・
>ハヤブサさん、へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お久しぶりです!
>何年も前からですが車イスで・・・
そうですか・・・・・ 私には、誰もが縮みあがる・・・カミナリでも
落ちた様な大音声で・・・
「バカ野郎~~~ッ!」
と、どなる村野先生の雄姿しか思い浮かびません・・・・「車イス
で」・・・お体もお弱りになっておられるのか・・・・ひょっとして
ご病気か・・・・・・・・・・・
・・・と、淋しく目を伏せた・・・その瞬間・・・・・・!
そうだ・・・! 先生は足が悪かったのだ! 昔から車イスだっ
たのだ! でも、車イスに乗っていても暴走族とケンカしたり
(村野先生が勝った!)、虫プロのスタッフの中では一番腕っ
節(筋肉質のデカい腕は、横に伸ばすと左手から右手まで180
センチ以上ありました)が強かったり、某漫画家の家に殴り込
みに行ったり(村野先生が勝った!)、武勇伝説には事欠きま
せん。
一見、物静かで優しいのですが・・・・・・本当は・・・・・・!
ハヤブサさんも、漫画のお仕事をしているんでしょうか。
ビッグオリジナルのチョッキン861号、読みました。
はぐれ雲も、ゴルゴ13なみに長寿漫画になりましたね。
師範さんは「女がすきなんじゃなくて、セックスが好きなだけ」という。
やっぱり哲学的でした。
単純に、日本のアシスタントさんの数を考えても、万単位はいけそうな気がしますが。
続編を楽しみにしています。
>師範さんは「女がすきなんじゃなくて、セックスが好きなだけ」
>という。 やっぱり哲学的でした。
私もしょっちゅう言われてます!
>冬場 純さん、へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
はじめまして!(ネット初見)
拙著の感想をどうもありがとうございました。 ところで「重版」
とか「万単位」とか、具体的な話は単行本出版契約上の関係で残
念ながら語る事が出来ません。 どうか、お許し下さい。
これに関しては、以前にも書きましたが・・・「ちょぼちょぼ」です。
第一、このブログを読めばタダですし!