本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

日本人はなぜ無宗教なのか 阿満利麿 ちくま新書

2005-09-19 | 評論

 以前、実家で両親と中東で繰り広げられる戦争やテロのニュースを見ながら、”あー、私は仏教でよかった”とつぶやいたところ、父に、”お前は仏教徒なのか?”と突っ込まれて、言葉に詰まってしまった経験があります。ウチは日蓮宗なので、それで自分が仏教徒と思っていたわけではなく、あえていえば、日本人として人々が信仰してきた仏像がとても好きなこと、 また外国の人と話す機会も多かったので、自分が、無宗教といったときの外国の人たちの反応は知っていて、とりあえずそういう場合の答えを自分なりに決めておこうと思った時に、神道より仏教だなと思っていたというのが自分が仏教徒とつぶやいてしまった理由だと思います。

 著者は、日本人が自分のことを無宗教だというその中身は、特定の宗派を信じていないと言う意味であり、日本の歴史や伝統とともにある”自然宗教”というものの信者であるといえば、否定しない人が多いであろうと考えておられ、またこの独特の宗教感のはぐくまれた歴史を丁寧に辿っておられます。

 私は、神道は、天皇家の歴史とともに何千年もあるものと思っていたのですが、概ね今の神道のイメージは明治以降に作られたものだったのですね。それ以前では、日本各地の村々の小さなお社に祭られている神様たちは、もっともっと人々の生活と結びついた身近なものだったのだと書かれており、認識を新たにしました。

 また、特定の宗教に対する大方の人々の忌避する気持ちというのが、実は「人生という不条理に正面から向き合い、これまで平穏無事にすごしてきた日常が危機に晒されるかもしれない事への本能的な恐怖」であったのだという所も、その章を読んだ時は、感覚的に同意できませんでしたが、、読み進むうちに納得してしまっていました。

 結局の所、「日本人は、人生の救済を必要とする病める心の持ち主が少なく、むしろ世界ははじめから調和した美しい物と捉えており、神は人間を罰する審判者ではなく、慈悲の持ち主と考え、自分の人生についても特に救済の必要を感じない”健全な心”の持ち主が多い」ところが、”無宗教”を標榜する人が多い理由であるという結論が書かれているのですが、私はこれについては少し?です。日本人は自然宗教を信じているから、”回心”の必要を感じない”健全な心”を持っているのであり、カソリックのように”人間は生まれながらにして罪深い”というように教えられると、それは”回心”を必要とする人間になっていくのではないかなぁと思うのですが・・・・。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿