本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

昨日 アゴタ・クリストフ

2006-12-02 | 小説

 悪童日記を含む3部作を読み終えて、彼女の作品にもう少し触れたいと思いました。

 

 本作もまた、彼女自身の人生や、人生観が強く投影された作品でした。主人公のサンドールは、亡命先の国で、工場労働者として働いている。自由になるために、国を捨て、工場労働者になったのに、

 

 それに、この人生は何なのか?

 単調な仕事。

 情けなくなるほどの薄給。

 孤独。

 

 彼には、人に言えない過去はあるが、亡命先での生活そのものは、住む場所も仕事もとりあえずはあり、客観的に見れば悲惨というほどではなかったが、圧倒的に孤独だった。実際、アゴタの周りでも多くの亡命者が孤独のために、精神を病み、自殺していったのでしょう。主人公も、そういう人たちと紙一重のところで、精神を保っている。そして、リーヌという思い出の女性を理想化し、その人に会って結ばれるのだということを支えに生きている。そして、ある日偶然、その思い出の女性が、現れ、二人は愛し合うのだが・・・・。

 

 アゴタは、夫と子供と一緒に亡命したわけだけれど、孤独だったんですね。故郷とは人間にとって何なのでしょうか。彼女にとっては、周囲との”言葉の壁”が大きかったのはたしかですね。言葉と感情は強く結びついているのですから・・・・。そして、読めない。

 

 ふつう、私は自分の頭の中に書くことで満足している。そのほうが紙に書くより易しい。頭の中では、すべてが易々と展開する。しかし書くやいなや、考えは変化し、変形し、そしてすべてが嘘になる。言葉のせいだ。

 

厄介なことがある。私は書くべきことを書かない。私はでたらめを書く。誰も理解することのできないこと、自分自身わけの分からないことを書く。夜、その日の日中ずっと頭の中に書いていたことを筆者するとき、私は、我ながらいったいなぜこんなことを書いたのかと自問する。誰のために、どんな理由で。

 

 これは、主人公の言葉として書かれているけれども、アゴタ自身の言葉ですよね。この作品の中にも、わけの分からないことが書かれた章がいくつかあります。だけれども、それらは、決して読者である私の関心を物語からそらす様なことはありませんでした。それも不思議ですが、この感覚は、最近読んだ本でも感じたなと、思い出したのが、、”アパシー”です。

 作家になる夢と孤独という点に物語のそして、作家の共通点が見出せるのですが、アパシーの作者は、死んでしまいましたが、アゴタは死ななかった。主人公が、 医者に「自分の死を書くことはできないよ」と言われるシーンがあります。彼は結局多くの人の死は書いたけれど、自分の死を書かなかった。でも自分の死も書けるということをアパシーの作者は証明しましたね。

 

 この本で、作者が何をいいたかったのか、それがまとまった何かであるのだとしたら、私には受け止められませんでした。ただ、この中に書かれた、作者自身の叫びは聞こえたように思います。

 

 


帰ってきたもてない男  小谷野敦

2006-12-02 | 小説

 

 「もてない男」の第二弾。ちょっとパワーダウンしているのが、物足りない、ただそのお陰で(?)、かなり読み物としては軽くて読みやすい物になっていました。

 

 氏がいうように、恋愛至上主義とも言える、現代社会は、殆どの人が見合い結婚をしていた時代にくらべて、”もてない男”にとって受難の時代ですね。私も、そんなに年をとっているわけではないですが、思い返してみると、以前は、ただ男であるというだけで、プライドを保っている男性がいましたね。

 

 男性は、”選ぶ”立場であって、”選ばれる”必要はなかった。それに比べて、”選ばれる”存在だったわけで、ということは、”選ばれない”女性も存在したわけです。現代は、男女平等のお陰なのでしょうか、女性も”選ぶ”ことができるようになり、同時に、”選ばれない”男性=”もてない男”が生まれてきたわけですね。

 

 とにかく、小谷野氏の主張は、男を選ぶほど傲慢になってきた女性達への恨みつらみなのですが、あまりにも正直なのでちょっと笑えるのに加え、教養と嫌味な性格とが、うまく絡み合っていい味を出しているように思えます。

 

 氏が主張されるように、男性と女性とで性欲の質が違うのかもしれませんね。フェミニストなどは、それは社会的に違う感覚を植えつけられたのであって、根本は同じで、あるのは個人差だというような主張をされているように小谷野氏の本から読み取れますが、男女の身体が見た目に違うのだから、脳の方の反応も違っていても不思議はないと思います。

 

 と思いますが、それが社会的な通念に大きく影響されるものであるなら、今後、男女ともに変わっていくのかもしれません。実は、その一つの兆候が、少子化だったりするのかも・・・・。

 

 だとすれば、”結局のところ、どうでもいい”ような氏の主張も、実は真剣に耳を傾けてみる価値のあるものなのかもしれませんね。政府は、少子化対策委員(そんなものがあるかどうか知りませんが)のメンバーに、彼を指名してはどうでしょうか。