l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

東博 常設展

2009-09-01 | アート鑑賞
東京国立博物館 本館

平成館で開催中の「伊勢神宮と神々の美術」展と「染付」展(共に9月6日まで)を観た帰り、足は自然と本館の常設展へ。いくら疲れていても、この習性だけは治らない。でも治らなくていい。今回もいろいろな意味で夏らしい作品に出会え、そして初秋の香りもそこはかと感じることができた。特に印象に残ったものだけ書き留めておこうと思う。

『地獄極楽図』 河鍋暁斎筆 明治時代・19世紀 (9月6日まで)

私が勝手に「今日の1枚」と呼んでいる、「18室 近代美術」にある展示ケース。展示室を長方形に見立てると、複数の作品が収められている長い辺に沿ったケースではなく、1点のみ飾られる、短い辺に設置されたケース。もちろん2か所あって、一つには洋画、一つには日本画の大作が収められている(我ながら拙い説明だが、意味がわからなければ気になさらないでください)。

本館の正面入り口から入って時計回りに進めば洋画から観始まるが、その日は平成館から伸びる連絡通路を渡ってきたため、反対側の日本画から観ることになった。部屋に入って振り返り、「今日の1枚・日本画編」が目に飛び込んできた途端「おお~っ」。初めて観る作品だが、こんな戯画的で奇抜な画風、暁斎を置いて他に誰がいる?

まず目を引くのは、真ん中にどかんと描かれた冥界の総司、閻魔さまの存在感。そして、『地獄極楽図』と言いながら、圧倒的に地獄の様子の方が幅を利かせているのも一目瞭然。そりゃそうでしょう、暁斎は絶対極楽なんかより地獄が描きたいのだから。

机に向かって執務中の閻魔さまの横には大きな鏡があり、その前に立つとその人物の生前の悪行が映し出され、審判が下されるようだ。画中にも鬼にしょっ引かれて鏡の前に差し出された人間がいて、この男の場合、人に切りつけたり、沼に人(死体?)を投げ入れるところなどが映し出されている。それを見た閻魔さまの、両眼を飛び出さんばかりに見開いた怒りの表情。机上の書類に何やらドンっと判を押している様子だが、獅子のように大きく開けた口元は、「けしからん、地獄行きじゃーっ!」と叫んでいるようだ。

大きな画面に展開する拷問のシーンがまたすごい。両手を後ろ手に縛られ、顎の下に横にあてがわれた太い棒(多分人骨が茶色に変色したもの)と、足首のところで縛らた両足とを背中でつなぐ刑具をはめられた人々。皆苦しそうにエビ反り返っていて、これは見るからに辛そうだ。それから定番の、燃え盛る火の海に投げ込まれる人々・・・。怪談ではないが、夏に観るのにぴったりの、迫力ある作品であった。

ところで閻魔様の右隣に立つ役人の、豆鉄砲を食らった鳩のような丸い目玉はどうしたというのだ?

『金魚づくし・玉や玉や』 歌川国芳筆 江戸時代・19世紀 (9月6日まで)

「たまや~」というと打ち上げ花火を思い出すが、江戸時代のシャボン玉売りも「玉や玉や」と言いながら売り歩いたらしい。でも国芳のシャボン玉売りは赤白の金魚で、水中で商売をしている。二股に分かれた尻尾で直立し、肩に斜め掛けした箱を左の前ひれで抑え、右の前ひれでストロー(植物の茎だろうか?)を持っている。今しがた泡を吹いたばかりと見え、ストローからは泡が上方へブクブクと立ちのぼり、シャボン玉売りは口を四角く開けてその泡の行く末を見上げている。周りに集まっているのは、同じく赤白の金魚が2匹、足が生えたオタマジャクシ、そして亀の親子。おんぶしてもらっている子亀は、上へのぼっていく泡を追うように、親の背中から手をさしのばしている。

国芳は夏の風俗を主題に金魚を擬人化して描いたシリーズを残しており、8枚が確認されているとのこと。そのうちの1枚がこの作品である。楽しげで平和な夏の風情。

『地獄草紙(じごくそうし)』 1巻 紙本着色 平安時代 国宝 (10月4日まで)

また地獄である。こちらは平安時代に描かれた国宝。公式サイトの説明を転載しておく:

生前に犯した罪業によって堕ちるさまざまな地獄の有様を描いた絵巻。『正法念処経』の経文を解りやすい和文になおして詞書とし,それに対応する絵を添える。平安末期に流行した六道思想に基づくもので,罪人が種々の責苦に苛まれる苦悩と戦慄の模様を,赤と黒を主体とした色調で効果的に表現する。火焔地獄など四場面が描かれる。

メラメラと燃え盛る業火や血に染まった川を表現する朱の色が非常に鮮やか。その血の川で苦しそうにアップアップしながら流されて行く人々や、川辺で血を流しながらのたうちまわる人々のシーンのポストカードがあったが、一度手に取るもなんとなく怖くて買えなかった。

『芦雁図屏風』 筆者不詳 江戸時代・17世紀 (10月4日まで)

色の退色はあるが、このところ鶴の優美な屏風絵ばかり観ていたので、雁だけのこの作品は新鮮で愛らしく思えた。三羽がピッタリ寄り添って横に並び、首を垂れて地面をつつく様子や、地上の雁が上を見上げ、上空から舞い降りようとする雁とアイコンタクトをしている様子などに観入った。誰が描いたのでしょう。

『粟穂鶉図屏風』 土佐光起筆 江戸時代・17世紀 (10月4日まで)

たわわに実る粟の極小の実(というより粒)を根気強く点々と表現し、鶉の毛並みも細密に描写。粟穂と鶉の組み合わせは地味といえば地味なのかもしれないが、ススキ、桔梗など秋の草花も描きこまれ、また鶉の丸々とした身体のかわいらしさもあって、初秋を感じる素敵な作品だと思った。別室に光起の長子、土佐光成『秋草鶉図』 (こちらも10/4まで)が展示されているが、鶉は土佐家代々の十八番モティーフであるそうだ。

『柳蔭』 横山大観筆 大正2年(1913) (9月6日まで)



実はこの日一番心が躍った作品。六曲一双の大きな屏風画で、全面を柳の葉の柔らかな若草色が覆う。ポストカードは右隻の部分だが、左隻では川の青色や、家屋の二階でなにやら語り合う男性二人の顔も緑の垣間に覗く。そばに寄れば、柳の細長い若葉の色を調合しつつ一筆一筆置いていく大観の息遣いを感じ、離れて全体を見渡せば、大きな柳の大木の枝が揺れて涼風がそよそよと吹いてくるようだ。

上に挙げた作品には展示期間が9月6日までのものがありますので、お気をつけ下さい。もちろんこの他にも観るべき作品が満載です。