自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

米について、少々。

2009年08月13日 | Weblog
 猛暑が続いているが、梅雨が長引き、梅雨明け後も陽射しが少なく、そのせいで水稲の出来がよくないそうだ。
 史説によると、日本人の食生活は、縄文時代までは自然物雑食時代といわれ、主食、副食の区別はなかったが、やがて稲作が始まり、ここで初めて主食と副食が区別されだした。主食は米であり、他の動植物性食品は、どれだけ摂取量が多くても、それは副食という考え方が弥生時代には定着したそうだ。古墳時代から飛鳥・奈良時代と時代が下がると、米は献納品として貴重なものとなり、常食できる階層は減っていった。一般庶民が米を常食できるようになるのは、ごく最近になってからである。柳田国男によると、畑作地帯や山間では米を常食とせず、水田地帯でも米飯を毎日食べたわけではなく、明治二十年代の調査では、米の主食としての消費量は、全主食の五割ほどだった。
 米飯が国民の主食となったのは、太平洋戦争後もかなり経ってからで、室町・江戸時代の庶民にとって、米は主食ではあったが、町に住む裕福な人以外に常食とした人は少なかった。米、麦、稗、粟、里芋、薩摩芋などの混食が主食だった。
 日本人は二千年来、主穀生産の中心に水稲耕作をすえてきた。水稲は日本の気候風土に適し、他の穀物に比べ、単位面積当たりの収穫量が多く、連作もよく、多くの人口を養え、栄養価が高く、本来は副食をあまり要しない。少し極端に言えば「ご飯に味噌汁、漬物」だけで健康を維持できる。そんな訳で、日本の農村は米作りさえ満足にできれば、自給自足してきたものと見られる。だが、米作りに精を出す農民が、ご飯をいただく機会は稀であった。
 こんなことを徒然なるままに記したのは、昨日から女房殿がいず、自分でご飯をよそおうとして炊飯器の蓋を開けた途端、その白さとその香りが気持ち良かったからで、米に感謝しなければすまぬ気がしたからである。

(今日はちょっと遠出してきます。)

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