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6月は大学との交流戦(その3)

2007-06-21 | YBC前進
 10日の山梨遠征は、入手したばかりの荷物車もフル稼働だった。これまでは木藤、大野君らが自分の車で運搬してくれていた。そういう寄与はYBCの基本精神であるとはいえ、大いにその労に感謝したい。
 山梨学院大の米田俊次監督は2年後輩である。昨秋、遠征の話が出た時「じきに全面人工芝の球場が完成しますから、その時に是非」ということだった。米田氏は小兵だが報徳学園で、甲子園に春夏合わせて4回出場。同じ年に春夏連続でホームランを打った高校球児第一号である。早大時代も3年まで外野手として鳴らし、肩の強さを買われて4年時は投手としても起用された。阪神・オリックスの監督をつとめた中村勝広氏の同期である。卒業後は、伊勢丹に勤務しながら、少年野球を指導していた。シンガポール伊勢丹時代には、積極的に野球を広め、それから山学大の監督に就任した。
 JR石和(いさわ)温泉から車で5分走ると球場に着いた。陸上競技場(駅伝の強さはいうまでもない)と隣接し、ナイター設備も整った素晴らしい施設である。試合は4対5のサヨナラ負けだった(森君が「僕がもっと落ち着いて2度もミスをしなければ…」と悄気(しょげ)ていた)が、学生らしいきびきびとしたプレーには、米田君の魂のこもった指導が十二分に浸透していた。試合途中から晴れ間も見えてきて、外野後方には雲海に浮かぶ山並み、バックネット後方には南アルプスが雄大に聳え、そのパノラマは壮観であった。この環境で育成醸成される山梨学院大は、じきに大学野球界を席巻するだろう。
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1 コメント

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伝説のホームスチール (報徳OB)
2007-06-24 15:07:16
米田氏といえば、昭和45年、慶應との試合で
7回裏二死一、二塁。二走者で、四球で三進してすぐに、捕手から長谷川投手に返球したスキをついて
鮮やかなホームスチールを決めて、これが決勝点となったことがありましたね。

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