谷沢健一のニューアマチュアリズム

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初試合顛末記(その1)

2006-03-06 | YBC始動
 地下鉄南北線「東大前」駅の改札を出ると、前方にマルーンカラー(YBCのチームカラー、エンジと金色)のウインドブレーカーを着用した男性が目に入った。加藤副部長だった。またも「二人の晴れ男」が何の連絡もしていないのに落ち合ったのだ。偶然もこれだけ頻発すると、必然の出来事とさえ思えてくる(もちろん「運命の赤い糸」などという意味ではない!)。
 東大球場は農学部校舎の裏手に位置することはナビで確認済みだったものの、大正か昭和初期に建造されたと思われる校舎の間を、壮老(どちらがソウだロウか?)の紳士2人が感慨にふけりながら、うろうろ。
 そこへ、重いバッグを両肩から抱えるようにして、YBCの選手たちも球場の入口は「どこだ、どこだ」と言いながらやって来た。ともあれ、至近距離に見えるスコアボードの方向へ進むことになった。
 東大の選手たちが練習しているのを右手に見ながら、ネット沿いに進み、一塁側のダッグアウト横からグラウンドに降り立った。ここへ来るのは何年ぶりだろうか。突然、郷愁がこみ上げてきた。1966年の11月上旬、東京6大学の新人戦がこの球場で行われた時以来だから「40年ぶり」となる。
 ネット裏のスタンドや得点ボード、一段深く下がったベンチも懐かしい。あの時はグラウンドもまだ人工芝でなかったはずだが、それにしてもこの人工芝も年季が入っているようだ。
 野球部主務は不在(審判研修会)だったが、スタンドの最前列で練習を注視している東大の大沼監督の下へ挨拶に伺った。初対面であったものの、クラブチームの現状もよく理解されていて、活動の趣旨に賛同していただいていることに、嬉しさとありがたさが募った。大学野球部の監督は概してそうでない方が多いからである。大沼監督は千葉経済大学短期大学部こども学科長であるだけに、子供たちの育成には殊のほか関心が及ぶのだろう。
 「今日はうちも初戦ですから、選手を頻繁に入れ替えますので、ご勘弁下さい」という丁重な言葉をいただいて、私もさっそくユニフォームに着替えるためロッカー室に向かった。