知床半島
読書感想225 地のはてから
著者 乃南アサ
生年 1960年
出版年 2010年
出版社 講談社
感想・・・
第1次世界大戦の好景気の時期から第2次世界大戦の敗戦から数年の時期までがこの小説の時代背景である。主人公は2歳で福島県の農村から北海道の知床半島にわたった開拓農民の娘、とわ。明治初期から北海道の開拓は始まっていて、大正年間に入ってから入植する土地は、明治期に入植した土地に比べて格段に不利だろうとは想像がつく。しかもそういう不利だとわかる土地に入植してくる人々は、困窮して経済的に追い込まれて、開拓地に行くしか生きるすべがないと思いこんでやってくる。とわの父親もそうした人だった。裕福な農家の四男坊として生まれた父親は、農業に身を入れず上京し、第一次世界大戦の好景気で株で大儲けをした。それに味をしめて本家から資金を集めてさらに大々的に株取引をした。しかし好景気はいつまでも続かず株取引に大失敗して、多額の借金を負うことになった。本家に資金を返済することができないだけでなく、本家の兄の名前で借金までしていた。そこで、すべての借金を踏み倒して、家族を連れて夜逃げをすることにしたのだ。一家は知床半島の宇登呂の近くのイワウベツへ行く開拓団に入って北海道に渡った。とわは4歳年上の兄、直一と母つね、父の作四郎と一緒に未開の森林を切り開くことになった。
森の中でとわは三吉という少年に会う。三吉から山ぶどうやクルミなどの木の実の採り方を教えてもらう。三吉は直一が通う分教場へは行かない。とわはその理由がわからない。大きな不幸がとわの身の上に襲い掛かる。雲霞のごとくバッタが発生し、開拓地の貧しい農作物を根こそぎ食い尽くしてしまう。食べ物がないとわたちに、三吉が祖母を連れて現れ、オオバユリの根から澱粉の取り方を教えてくれる。宇登呂の町で漁の手伝いをしていた作四郎が亡くなり、とわの母は再婚する。鳥取から入植していた義父たちとは言葉がちがい、料理の味付けが違い、軋轢が多くなる。そんな中、兄の直一は、飢え死にするかどうかの瀬戸際で、好き嫌いの余地などない、ただ生き延びるんだととわに語り、終生とわはその言葉を肝に銘じて生きていく。
ものすごく貧しい開拓地の生活だが、宇登呂では魚がふんだんにとれるので、無料かただに近い値段で手に入ったのではないだろうか。農村部は貧しくても、漁村の豊かさが人々の生活を支えていたのだろう。イワウベツは農業としては適していない土地でも、温泉が湧いていたり、山の幸が豊かだったり、なんとも言えない自然の素晴らしさを感じる。また、とわの家族の言葉が福島県の神俣方言で、義父の一家が鳥取弁なので、うちの中の地域対立の雰囲気が伝わってくる。
「おがちゃ(お母さん)」の語る一節。
「何でも外国の品物をあぎなってる家だど。そこで守り子、探してんだど。んでなぁ、行ってもれぁでぁんだ。おめに」
義兄の新造の言葉。
「この、だらず(馬鹿)が。みんなで力をあわせんかったら、どげするだっ。もう、おとやんはおらんだぞ、おじやんだって、こげなだし。もしも今年、畑がええ具合にいかなんだら、せっかくここまででかいにしてきたって、どげにもならんことになるだけえなっ」
知床はアイヌ語で地の果てという意味で、題名になっている。この主人公のとわは「ニサッタ、ニサッタ」に出てくる片貝耕平の95歳になる祖母だ。