読書感想221 いにしえの光
著者 ジョン・バンヴィル
生年 1945年
出身地 アイルランド
出版年 2012年
邦訳出版年 2013年
邦訳出版社 (株)新潮社
訳者 村松潔
☆感想☆☆
この小説は初老の男が語る過去と現在が交錯する物語である。まず過去の回想から始まる。
「ビリー・グレイはわたしの親友だったが、わたしはその母親に恋をした。恋というのは強すぎる言葉かもしれないが、それに当てはまるもっと弱い言葉をわたしは知らない。すべては半世紀も前に起こったことで、そのときわたしは十五歳、ミセス・グレイは三十五だった。こんなふうに言うのは簡単である。言葉には羞恥心というものがなく、けっして驚いたりしないからだ。彼女はまだ生きているかも知れない。生きていれば、そう、八十三か四になっているはずだが、最近ではそんなに高齢だとも言えないだろう。彼女を捜そうとしたら、どうだろう? それははるかな探求の旅になるにちがいない。わたしはもう一度恋をしたい。もう一度だけ、恋に落ちたい。」
ミセス・グレイとの恋は、森の中のコッターの館と呼ばれる廃屋で逢瀬を重ね、春に始まり秋になるとともに終わった。
10年前に27歳の一人娘キャスがイタリアで自殺した。そのとき子供を身ごもっていた。キャスの死の真相も子供の父親もわからない。現在は妻のリディアと二人暮らしをしている男は、引退を考えていた俳優のアレクサンダー・クリーブ。そこに映画出演のオファーが舞い込む。
アレクサンダーの回想の中心は過去のミセス・グレイとの思い出である。ミセス・グレイの娘と再会して、記憶に誤りがあったことに気づかされる。そしてミセス・グレイの真実を知ることになる。
一人の視角だけから語られる物語なので、ちょっと単調なきらいがある。人妻が息子の親友を誘惑するという常軌を逸した話で、いくら美しく描かれても、友情は破壊されるだろうし、一つの家庭が崩壊する危機に立つほどひどい話だ。日本ではそれほど一般的なテーマにはなっていないが、ヨーロッパではこうした人妻と少年との恋というのは一つのジャンルを構成しているのかもしれない。フランスの大統領もそうだし、それをとがめる雰囲気もない。