Rain Rain Drops

本、音楽、映画など。発作的に書いています

小曽根真 『Road to Chopin』 その2

2010-05-21 19:24:26 | 音楽
9. マズルカ40番 
 これが 「ショパンのマズルカ40番」 完成版として私の中で定着してしまった。
 何度も小曽根さんの方を聴いてから、原曲を聴いてみたら 「みじかっ」 と思ってしまいました。これで終わり?と。

   小曽根さんインタビュー記事から。。。
     僕はクラシックの曲に挑むときは、まず、譜面通りにきちんと弾きます。
     その上で、その曲が自分のもとに落ちて来たら自分なりに発表します。
     だから、今回でも曲によっては自分の即興を弾いていないものもあります。
     「マズルカ 第40番」はショパンの言いたいことを全部弾いた後で、
     最後にこの曲に対して僕はこう思うんだ、ショパン
     という部分を足して終わっています。



 「僕はこう思うんだ、ショパン」
。 
おおぉなんてナイスな語り口
 「僕はこう思うんだ」 とつけ足された部分も小曽根テイストというより、まるごとショパンの音の香りで。…そんな感じがします。

 こう思うんだ」って、「どう思う」 のか。あの、ワタシにはわかんないんすけど。すいません
 
もっともっと聴きこんだら私にもわかるのかな。


10. ポロネーズ 第3番 イ長調 作品40の1 《軍隊》
 冒頭からしばらく原曲のままで(たぶん)続くので、いつはじまるんだろう、小曽根テイストが、いつだろう…と待っている。
 なかなかはじまらない。質実剛健なショパンの軍隊のまま突き進むのです。
 ちらっちらっと変化がはじまって、やっとおお、ジャズテイスト! 
 この待ちの効果は絶大でした。
 しかしその後も突き進む大枠は崩れず、ジャズアレンジにとことんなだれ込んではじける隊列 とまではなりません。 原曲に戻ったり、またアレンジ入ったり。
 で、最後はやはりキチンと原曲に戻っているようす。
 なんだかなんとも言えず妙に楽しくて噴き出してしまったら、そばにいた14才の娘にケゲンな顔をされたことでした
  …フッ 娘っコにはわかるまい、この大人のぺーソスが。 …ちがうか。


11. 夜想曲 第2番作品9-2
 
 シンプルな音、控えめだけどまんべんなく小曽根アレンジがほどこされていて。
 素敵です。うっとりです。
 これが小曽根さんの 「夜想曲第2番9-2」 への深いリスペクトの表現なのだろうと感じます。
 小曽根さんがショパンに静かに語りかけてるみたいだ。「
僕の流儀で弾かせてもらうよ、ショパン」 てね。

 美しい音の並びは、どうやったってこうやったって美しい。ショパンのこの曲はそれをはっきり教えてくれる曲だと思います。
 定番中の定番ノクターン。聴きなれてしまった曲ではあるけど、あらためてピアノで楽譜の音をひとつひとつたどってみる。和音はばらして。ゆっくり。(←速くできないし)
 それだけでため息が出ます。あまりに美しくて。

 小曽根さんは、出だし、かみしめるみたいにゆっくり、左手和音の部分をアルペジオで弾きはじめます。


12. マズルカ第2番 -ポーランド民謡《クヤヴィアック》
 静かなるクライマックス 「夜想曲第2番9-2」 で終わるかと思いきや、最後にもう一曲の歌ものが。
 1曲目と同様、深い郷愁を誘うような音楽です。
 アルバムの方向性というか、ショパンのスピリットを生かすという小曽根さんの意志がはっきり表れてる曲順だと思いました。

 この曲は 「マズルカ第2番」 にポーランド民謡を入れ込んだということなのでしょうか。 
 抑えた、あまりに美しいピアノ伴奏と、アナ・マリア・ヨベックの哀切な歌声。

    私を愛して…… 私を愛して…
    私をみつけて…

 
 
ああ、せつなっ
 

                                           


 ポーランドという国の何を知ってるわけでもないのに、懐かしいという思いがわいてくる。
 泣けそうなほど。

 美しいです。

 『Road to Chopin』 はそんなアルバムだと感じました。
 逸品だと思いました。
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小曽根真 『Road to Chopin』 その1

2010-05-21 19:21:24 | 音楽



小曽根 真Road to Chopin 
1 .  ドゥムカ(あるべきもなく) 作詞 ボーダン・ザレスキ/ 歌 アナ・マリア・ヨペック
2 . 
マズルカ 第13番 イ短調 作品17の4
3 . 
ワルツ 第6番 変ニ長調 《子犬》
4 . 
前奏曲 第4番 ホ短調作品28の4
5 .  練習曲 第4番 嬰ハ短調 作品10の4
6 .  前奏曲 第15番 変ニ長調 作品28の15からの即興
7 .  マズルカ 第24番 ハ長調 作品33の3からの即興
8 .  ワルツ 第7番 嬰ハ短調 作品64の2 
9 .  マズルカ 第40番 ヘ短調 作品63の2
10. ポロネーズ 第2番 イ長調 作品40の1 《軍隊》
11. 夜想曲 第2番 変ホ長調 作品9の2
12.
マズルカ 第2番--ポーランド民謡 《クヤヴィヤック》


 小曽根真さんのショパン・アルバムです。

 ジャズアレンジされたショパンの曲、といってすごく興味はあるものの、ザ・ジャズ、どーんとジャズという感じで攻めて来られたら、私にはキツいかも、わかんないかもな。と正直聴くまでは思ってました。
 しかし、そんな心配は要らなかったと思われます。
 1曲目の冒頭の一音から…持ってかれました。(はやっ)
 冒頭のく ぐもったようなピアノの音。そのなんとなんとせつない響き。

1. ドゥムカ(あるべきもなく)
 
はじめて聴いたショパンの歌もの。胸苦しくなるような郷愁を感じる歌曲です。哀切この上ないこの曲からはじまって、
2.マズルカ第13番。うっ。涙もしたたる、哀しみに満ち満ちた美しい曲。この曲でこられるなんて。
 原曲で、
明るく曲調のかわる中間部は、故郷で踊る光景を夢見ているかのよう、でも夢は終わりまた哀しみがやってきたかのような。そんなふうに思える魅惑曲です。
 うるるる。。。これを悲哀スピリット降り注ぐような小曽根タッチで。

  こりゃしょっぱなからたまりません。

 そしてひきずりこまれるようにアルバムの最後まで聴いたのですが、聴き終えた時、ジャズアレンジの音楽を聴いたというより 「あぁ、ショパン聴いたぁ」 という印象が強く残った気がしました。


 (とか言うものの、ショパンがものすごく好きとか、知ってるとかいうわけではない私。
  だから、→ 
傑作CM これ肝に銘じながら。 )


 何年か前、苦闘・艱難辛苦の上、なんとかひと通り弾けるようになった曲や、はじめからワタシに弾けるわけないじゃんと諦めていた曲、それに初めて聴いた曲。
 曲によって思い入れもそれぞれなのですが、概して最近はあまり聴くこともなく、私のイメージの中でセピア色になっていたショパンの曲たちが、この 『Road to Chopin』 で、いきなりプワっと陰影がつき、生き生きと目の前にせまって来ました。


 アレンジの度合いは曲それぞれで、アレンジ度0%・楽譜通りに弾いたという 5. 習曲 第4番 から、よく知られてる曲なのに何度聴いてもいちいちこの曲何だっけか!?
と考えこむほど原型をとどめてないと思われる 4
. 前奏曲 第15番まで。さまざま。

 アレンジされた小曽根テイストの流れのさなかに、原曲ショパンがチラチラと登場したり、最後のしめに表われたりする曲もありで、そのあたり凄い妙味で素敵なのです。



  小曽根さんのインタビュー記事から。。。
 このCDを作るにあたって絶対したくなかったのは、「ショパンのメロディーを借りてジャズにしました」ということ。
 過去のそうした作品の中でも好きなものもあるし、そうでないものもあります。    
 どこがその判断基準になっているかというと、もとの曲のスピリットの部分を、きちんと受け止めて理解しているか、です。
 もとのメロディーを変えてはいけないとは思いません。ただ、自分が何か音楽的に変えました、ということを言いたいがために、もとの曲のスピリットを壊してしまうことは冒涜だと思います。

 
                                    

3. ワルツ第6番 子犬  がおもいっきりころげてまわって遊びたおしてます。
  最後に原曲がすずしげに顔を出すところが好き。ぜつみょー。

4. 前奏曲第4番 おお…もう
人目もはばからず泣いてるかのようなあまりにも悲しい旋律の曲。小曽根バージョンはその号泣旋律をハーモニカで!

5. 練習曲第4番
 すべて譜面通り弾いているという唯一の曲です。
  迫力アリで気持ちいい~ 
  はっきり言って萌えます。(
最後の部分だけ演奏聴けます!
  譜面通りということで一番苦労したのがこの曲だとか。
  それにしても、ジャズピアニストがクラシック曲を原曲通りに真剣勝負で弾いている、このことにワタクシ、ちょっと異常なほど
萌えるんですけど
  なんでだろう。

6. 前奏曲第15番
 有名な「雨だれ」ですが、何回聴いても「雨だれだった」 と思いだすのに時間がかかる。すごい変化。素敵なアレンジです。もー大好き。

7. マズルカ第7番  ハーモニカとピアノでの即興演奏。明るいジャズの即興って良い~ と。 
 このアルバムの中ではちょっとホッとする1曲というか。 

8. ワルツ 第7番 これ、かっこいいっ ドラマチックに展開していって、ダークなタンゴになって燃え上がるのです。
 あー、萌えるわっ
 小松亮太のバンドネオンが聴こえてきそうです。うーん合いそうだ、うっとり。
 この原曲の、上からこぼれ落ちるようにやるせなくたたみかける旋律に憧れて、数年前に苦闘して練習してみたことが。
 しかし我ながら聴くにたえず 弾くにたえず 途中で投げました。
 その後何かでどこかの子供がこの曲をスーラスラ弾いてるところを目撃…
 そんな暗い思い出がつきまとう曲なので、すべて吹き飛ばすような激しくかっこいいアレンジがなおさら嬉しい。 
 最後に自然に原曲に戻っていくところもたまらないです。

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Burnin' Love

2010-05-16 10:01:25 | 音楽
 竹善さんが自身のツイッターで<超超お宝映像>と紹介されていた映像が!

 

 
 うああまさにハナヂものでございます


                                                   


 ここんところずっと、SING LIKE TALKING のCD 聴きまくりまくっておりました。 

 人間あんまり極端なことをするもんじゃないなとあやぶみながら(特にワタシのようなイタアツクルしい人間は)、1988年のデビューアルバム「TRY AND TRY AGAIN」 から、いったん活動休止となる2003年の「RENASCENCE」まで十数枚、いっぺんに聴いてしまい。 ライブ映像も観、

そして……メマイ…メマイが。

ああぁ、シングライク、

 凄すぎる。 (←よっぽど考えてこれしか出てこなかった、すごいベタ表現


 デビューアルバムから圧倒的
 あまりのハイクオリティさかげんに私、ビビリました。


 もうああだこうだウダウダ書けない… 

 凄さ、クオリティは、この映像がすべて物語ってると思いました。
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「レスラー」 その2  シースルーの彼方に

2010-05-10 18:32:23 | 映画

ストーリーほぼ言っちゃってる、映画「レスラー」予告篇
  ブルース・スプリングスティーンの主題歌がググッときます。

 快作 『レスラー』 の中で、ミッキーローク自身の人生にも重なるとおぼしき「80年代最高、90年代最低!」というセリフがあって、ちょっと笑ってしまいました。
 で、今だから言える、隠れミッキーロークファンだった私、彼の過去の名作モロモロで思い出したところを、書きつづってみたくなってしまった。
 
                            


 『ナインハーフ』 、 『エンゼルハート』 などでブレイクする前のミッキーロークが出演した
ランブルフィッシュ(1983年)という映画。
 ミッキーロークのかつての映画の中で私はこれが一番好きでした。
 当時、依頼される仕事はキチガイの役が多かったというミッキーロークの面目躍如と申しましょうか、若き日の彼は実に美しく崩れております。

 『ランブルフィッシュ』 はフランシス・F・コッポラ監督が 『地獄の黙示録』 の4年後につくったという、それにしては思いがけないほど地味な小品で、全篇モノクロ、ペットショップのランブルフィッシュにだけ赤と青のカラーがつく、ところどころ音声にノイズが混じったりもする、そのような凝った演出の映画です。前衛的というか。

 この映画でのミッキーロークは、 “モーターサイクルボーイ” と後輩たちから畏敬をこめて呼ばれる不良の元リーダーの役なのですが、不良のリーダーというよりは、終始もの静かな詩人のような様子で、時折内なる狂気にさいなまれるようにフシギな角度に視線を浮遊させたりします。
 そして人のこれほど優しい声音を聴いたことがないと思えるほど穏やかな声で静かに話をするのです。

 モーターサイクルボーイにとって現実の世はとるに足らないもの、 「音を低くした白黒テレビ」 のようなものにしかとらえられません。
 色盲で難聴でもあるという設定で、モノクロ描写・ノイズの混じる音声は彼がとらえた世界でもあるのでした。
 「最初は面白かったがすぐに退屈になった」 という不良グループ同士の抗争を終わらせた後、リーダーもやめたモーターサイクルボーイは、ただ死に向かって一人で歩いて行きます。

 『ランブルフィッシュ』 は、はじめからミッキーロークを頭において脚本が書かれたというのにふさわしく、 “ローク色” としか言い表せないような、憂いと狂気を秘めた(当時の)風情の魅力をぞんぶんに生かしていたと思われます。

 コッポラ監督で、同時期に 『アウトサイダー』 という同じく青春ものの映画もあったはずなのですが、全然まったくストーリー覚えてない…
 主題歌「Stay Gold」!は繰り返し繰り返し何度聴いたかわからないんだけど。
 主題歌にまるっと持ってかれた感じでしょうか。

                           

 “モーターサイクルボーイ” は、魅惑的な永遠の不良像・兄貴像として私の中で完成されているわけで。

 しかしうってかわって1986年の 『ナインハーフ』。
 この映画でのミッキーロークは、妙にリアリティのあるヘンタイでした。
 これも面目躍如っていうんでしょうか。
 終始浮かべていたスケベそのものの笑い顔を称して “三日月型の笑い” と言った人がいましたが、これは的確な表現で、唇の両端をクニャッと上げて、みごとに円弧を描いた口元はまさに三日月型。
 やらしさが端々からどうしようもなく滲み出しているそれは、どんな直接的なシーンよりも最も直接的に作品全体にイヤラシー印象を及ぼしているものでした。

 ストーリー的に申せば、自分はどれだけ彼女に踏み込んで翻弄しまくっても、自分の方には一歩も踏み込ませないという、冷酷無比な三日月型の壁でもあるのだ。とか言ってみようか。
 とはいえそもそもこの男=主人公ジョンに、踏み込んでいけるような人間的なものなんてあるとも思えない感じではあるのですが。

 時間の経過とともに尻上がりに変態化していくジョン。

 その姿はしだいに凄みを帯び、刃物のような冷たさをまき散らします。
 無機質な部屋の青い壁を背景にスッと立っている姿は何かで叩けばカーンと音をたてそう。
 血の通わない端正で好色なサイボーグのよう。
 異常性は真に迫り、変態の美学といっても過言ではないような域に達していたかもしれません。

 …でもダメ。
 20年前ならばまだ、映画というフィクションの中での美学とか言って済んでいたことが、現在では、現実に起こる事件の異常性の方がフィクションの異常性に追いついていて、越えてさえいるから、もうこのテの話は普通には観られない…生々し過ぎて。いやだ。

 だからもう、翻ってみればあのエスカレートする変態性は、すべて主人公の屈折した愛情表現だったんだ、相手を傷つけることでしか感情を表現できない、あわれな病んだ都会人!
 とかいう、どうにもいただけないような解釈で 『ナインハーフ』 は終わらせるしかないのかもしれなくて。

                           

 1987年の名作 「
エンゼルハート」。
 原作のタイトルは、 「堕ちる天使」 です。
 冒頭で無邪気にフーセンガムをプッとふくらませながらミッキーロークは登場します。
 オカルト入ったサスペンスで、一度観たら忘れない、ミラクル的どんでん返しの起こるストーリー。共演にロバート・デニーロ。
 おもしろい映画です。
 この映画でミッキロークは本格的にブレイクしたのだったはず。
 エンゼルという名前の探偵役なのですが、エンゼルは最終的に地獄へのエレベーターに乗ることに。

 ミッキーロークの役まわりの方向性といえば、最後は地獄か、死か、狂人か異常者か。
 そういう感じが多かった。
 
 が、同じ年の 「
バーフライ」 という映画。
 小説家チャールズ・ブコウスキーの自伝的作品で、主人公ヘンリーの徹底的な無頼の酒びたり生活を描いていて、始まるともなく始まり、終わるともなく終わっていくストーリーなのですが、これは素敵な映画でした。
 若き日の美貌を惜しげなくみせつけた『エンゼルハート』とは真逆に、ヘンリーに扮するミッキーロークは本当にキタなかった。
 よれよれのアル中で身なりもしゃべり方もよれよれ。しかもおデブ。ハンパない。
 ヘンリーは自分のアパートの中ではおばさんソックスを履き、薄いラベンダー色のデカパンツ一丁で徘徊したりします。
 ヘンリーがアパートで、ポロベッドにデカパン姿で寝そべって、ラジオでクラシックを聴いているシーンが忘れられません。ドタリと太った体を横たえて、なんとなくあごを突き出しているその様子は、なるほど人間は他人の視線もなく、見栄体裁すべて意識から抜けた時に、こんなかっこうをするよな、と思えるものでした。
 『パーフライ』 でのミッキーロークの動作は徹頭徹尾そういったものでした。

 ヘンリーは、彼の書いたものに惚れこんだ編集者に高級な家を仕事場として提供されても、
 「こんな黄金の鳥かごの中では書けない。上級社会の苦悩でも書け言うのか」
と受けつけず、
 「酒飲みになるには特別の才能が必要」
と言いながら、場末の酒場やボロアポートをねぐらに、たまに工場などで働いては、またふらふらと酔っぱらって大半を過ごし、何か思い浮かぶと書く。
 そして彼が嫌悪の象徴とする “単細胞で創造性に欠けマッチョなだけ” のバーテンに日課のように喧嘩をうって勝負してはたいてい負かされる日々です。

 社会の底辺をねぐらに生きる詩人。
 ヘンリーは 『ランブルフィッシュ』 のモーターサイクルボーイのように狂気の世界にひたり込むことはなく、酒の力を借りながらも強い意志で、生を楽しむすべを持っているのです。
 見栄体裁とかシャバの規約制約、全部こそげ落としたような汚れたナリの中に、明晰さと特別な感性を押し込めて。それ以上沈みもしなければ舞い上がることもなく、漂いながら生きている。
 ヘンリーが居る場所は、地獄でも天国でもなくて、現実から一歩分くらい離れて現実と平行して滑って行くような、でも確かな生の世界だと思います。

 とにかく徹底したよた者ぶり、拍手したいほど見事な演技でありました。

                           


 『バーフライ』でミッキーロークが着用した薄いラベンダー色の不透明なデカパンは、行き止まらない知性と感性の象徴の品なのである、と思われます。
 
 当時、スピルバーグ的娯楽映画などには絶対出ない、とさえ豪語していたミッキローク。
 そのまま行けば、数々の良い作品に個性したたらせる演技を残して、ずっと進んでいけたかもしれなかった。

 ところが1992年、今に至るまで揶揄されまくりのボクシングの試合で、ミッキロークは文化の果つるところと言いたいような豹皮模様のシースルーのトランクスを着用し、それこそ創造性に欠けマッチョな印象の試合を繰り広げ、そしてそれがその後十数年に及ぶ波乱の人生道のマイナスのターニングポイントとなってしまったわけで……よくわからないな人間って。


 役者というのは、我が身のうちに有るものも無いものも、有っても未分化なものも、無くてもそうありたいと切ないように願っているものも、自分の肉体を通して表現し、フィルムに焼きつけてしまうことができるのかもしれない、うらやましい人々だなという気もして。



 …それとも。
 いつだってもの悲しい、勘違いだらけのトランクスのような現実を超えて、上空に美しく浮かぶスクリーン。
 その白紙の舞台は役者に限らず誰にでも与えられてるのかな。
 すべからく、「表現する」 ということは、そのような舞台に何かを自由に書きつける、ということでいいのかな。
 ふとそんなことまでを考えてしまったワタシ。

 飛躍しすぎ。

コメント

アコギの秘密

2010-05-07 09:35:56 | 音楽
ライブ映像で何百回観たところで、私には未来永劫わかるよしも無かったこんなことを
分解して解説してくれてる人がここにっ。 
うわ~


 

山崎弾き語り映像を観るたびに、どうなってんのあの指は!いやーん何なのぉ? 
とかいう積年の素朴なモヤモヤ感がほぐれてくみたいで楽しい~
ほぐれていったところで、私なんかに何が出来るってわけでもないのですが。
ギター弾くわけでもないのに。(←根底からなってない)
でもホント面白いです


強力なテクニック、加えてこのはげしいマニアックぶりに感動  
   ↓
たとえば、「One Knight Stands の楽譜」ではこうで、
CDではこうでDVDではこう(←「OKS1999-2000」のことですね)って違いを演ってみせてくれてる

ひゃあ。マニア(観るだけ聴くだけだけど)にはたまりません。


さらに「One Knight Stands 2005」 バージョン。


きわめつけは「One Knight ブギハウス2004」 での変形バージョン!
 …え、なんだっけ 「One Knight ブギハウス2004」って。



いやー、すごいファンの方がいるものです 尊敬
この方、この他に「ドミノ」、「ユニクロCM」なんかも解説してますね。




本家「Fat Mama」   OKS1999-2000
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