八咫烏神社 ときどき社務の備忘録

旧大和國宇陀郡伊那佐村鎮座・八咫烏神社から発信。
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祈り

2010年04月27日 | 雑感
いつか、テレビを見ていた時のひとコマ。

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昔のいろいろな番組を
あるテーマのくくりのなかで
(どんなテーマだったか忘れてしまった)
ランキング形式で小出しするもの。

そのなかで
「欽ちゃんの仮装大賞」に出場された
85歳のおじいちゃんがとても印象に残った。

演目は「夫婦岩」。
いわゆるM字開脚の膝と膝を夫婦岩に見立て
注連縄でそれらをつないで
その背後にくる顔面を真っ赤に塗って
これを「初日の出」と見立てる。

それで、
「夫婦岩の初日の出~!!」とか
確かそんなふうに叫んで満面の笑み。

その表情があまりにも微笑ましく
会場を沸きに沸かせて、みごと合格のメダルを手にした。

「おめでとう。じっちゃん、やったなあ」
と歩みよっていろいろおじいちゃんに聞く欽ちゃん。

おじいちゃんは、欽ちゃんに
おもしろコメントを引き出されながら
ほがらかに受け答えしていたが
「なぜ夫婦岩なのか」との問いなると
ニコニコ顔で答えていた おじいちゃんの表情は一転。
ぽろぽろ涙をこぼして嗚咽してしまった。

この年の3月に
長年連れ添った おばあちゃんを亡くしたのだという。
それで「夫婦岩」。

ここで欽ちゃん。
「ああ、おばあちゃん出てきちゃったよ~。そこにいるのかなあ」

おじいちゃんは何かを思い出したように
天を仰いで合掌して、何か叫んでいるように見えた。
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いろいろ感じたこのひとコマで
いちばん僕が強く感じたは「祈り」。

「祈る」ということは
結局、自分以外の「なにか」に向いていないと
成立しないのだと思う。

神さまの目の前で
「私、お金持ちと結婚できますように」とか
「俺、べっぴんさんに惚れられますように」とか
普通、そんなことは祈ったりしない。

「この子が病気や怪我もなく、すくすくと育ちますように」とか
「お父さんの病気がよくなりますように」とか、
本来の「祈り」とは、そういうものだと思う。

どうしようもないほど
せつなくなるほどに湧き上がる「想い」や「感謝」。
「祈り」の本質はここにあるのだ。

あのおじいちゃんもきっと
天国のおばあちゃんに対して
あふれ出る感謝の気持ちを抑えられなくなって
拝んでいたに違いない。

神主は「仲執り持ち(なかとりもち)」といわれている。
「仲執り持ち」とは、神さまと人との間に立って双方をとりもつこと。

それゆえに
神主は神さまに対して一般の人と比して
特別な装束、特別な言葉(祝詞)、特別な作法で、
あらわすことのできる最上級の敬意をはらい
「人の想い」を届ける。

そう考えると、神主の使命は本当に重要だ。
でも、それだけに素晴らしい使命でもあるんだよなあ。

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それにしても、欽ちゃん。
あんなに起伏にとんだ展開に
重たくなったり湿っぽくなったり
ましてや茶化したりせず
ひょうひょうとしたままのたたずまいで
ニュートラルに、しかもおもしろさは崩さず
見事な司会っぷりだった。

やっぱり欽ちゃんは稀代のエンターテイナーなんだなあ。



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