ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『悪魔のような女』(1955年)を観て

2018年04月15日 | 1950年代映画(外国)

観たい観たいと思っていた『悪魔のような女』(アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督、1955年)をやっと観ることができた。

舞台はパリ近郊の寄宿学校。
校長のミシェルは、妻クリスティナの莫大な財産によって今の地位を築いていたが、その横暴ぶりにクリスティナの心労は極みに達していた。
ミシェルの愛人でもある女教師のニコールはクリスティナに同情を寄せ、彼女とミシェルの殺害を企てる。

そして、二人は週末を利用してニコールの実家に赴く。
計画どおり、クリスティナはミシェルへ電話し離婚の決意を告げる。
それを聞き、彼女を連れ戻そうとやってきたミシェルは、二人の策略による睡眠薬入りの酒を飲まされ、バスタブで溺死させられてしまう。

死体をトランクに隠して学校に戻った二人は、ミシェルをプールに沈める。
そして、後は死体が誰かに発見されるのを待つばかりであったが・・・
(allcinemaより一部抜粋し修正)

自殺か、事故を装うには死体が必要である。
死体が発見されるのを待つクリスティナとニコール。
その心理状態がサスペンスを生む。
まだか、まだか。とうとうプールの水を抜くところまでいく。

その結果は?
ミシェルの死体は、どこにもない。
どうして、そうなるのか。
サスペンスはグングン盛り上がり、クリスティナの心理は極限状態に達していく。

驚いたのは、ラスト間近のバスタブの場面。
そのシーンは、まさしく記憶にある場面だった。
意識することもなく記憶から消えてしまっていた映画。
それが、遠い昔に強烈な印象を与えた場面でふいに蘇る。

そればかりか、無意識のうちに記憶を辿っていたのだろうか、結末は、物語の途中辺りから想定していたとおりだった。
それでも、ニコール役のシモーヌ・シニョレと、クリスティナ役のヴェラ・クルーゾー(クルーゾー監督夫人)の二人の演技が緊張感を盛り上げ、満足の行く作品だった。


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