ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

中学生のころ・7〜『フランケンシュタイン』

2016年01月19日 | 戦前・戦中映画(外国)
『ミツバチのささやき』の関連で、『フランケンシュタイン』(ジェイムズ・ホエール監督、1931年 )について書いてみる。

この作品を観たのはいつ頃だったか。
メモに『フランケンシュタインの怒り』(フレディ・フランシス監督、1964年)の鑑賞が高校2年となっていて、それより以前に観ているから中学の時だろうと思っている。

科学者ヘンリー・フランケンシュタインは、古い時計台の実験室で助手フリッツを使いながら、ひとり、死体から生命を創造しようと研究に没頭している。
ある夕暮れ、墓地で埋葬したばかりの棺桶を掘り起こし、次いでに縛り首の死体も盗んだ。
でも、首の骨が折れているので脳は使えない。
そのためフリッツを使い、中退した医科大学の研究室からアルコール漬けの脳を盗み出させた。が、それは犯罪者の脳であった。
嵐の夜、雷鳴が轟く中でヘンリーは、稲妻を浴びせて新たな人間を創るという、いよいよ待ちに待った実験に取り掛かった。
落雷が起こり、そしてついに死体の手が少しずつ動き出した。
しかし、時が経つにつれ、徐々に凶暴化の兆しを怪物はみせて・・・・

当時の印象を振り返ってみると、人造人間の怪物が手をブラブラさせながら歩いた先で少女に出会い、その後、みんなに追われることはよく覚えている。
しかし、この映画を観てどのように感じたか、今では記憶にない。ので、もう一度観直してみた。

そしたら意外や意外。怪物・モンスターの中心内容ではなく、ヘンリーの婚約者、父親のフランケンシュタイン男爵、友人、大学時の教授等がほどなく絡んだドラマだった。
だから、怪物が生まれ出るのは中盤近く。
じっくり観てみると、この怪物だって、犯罪者の脳を埋め込まれたとしてもそんなに悪い人物ではない。
松明の火をかざされて恐怖で暴れただけだし、少女と水辺で花を浮かべる表情は、まだ知恵知識を覚える前の子供といっしょ。
だから、少女を池に放り込んでも、無くなった花の代わりの意味しかなく、うろたえるばかり。
それを、市民がこぞって怪物を追いかけ回す。
少女の父親の怒り、嘆きは当然だけど、それ以外の人たちが付和雷同的になることが怖ろしい。

ラスト、放火した風車小屋と共に怪物は消滅させられ、父親フランケンシュタイン男爵は乾杯する。
私は怪物がかわいそうに思う。
科学者の私利私欲で生を与えられ殺される。人間的な感情が芽生えかける可能性もあるだろうにと思う。
科学に対する驕り。今でもこの傲慢さは至る所にあるのではないだろうか。
皮肉にもそんなことを思わせる作品であった。
コメント